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    かけはし2016.年11月14日号

軍事基地はどこにもいらない


沖縄報告:11月6日

差別に貫かれた弾圧を絶対許すな

沖縄 K・S


10.29

土曜集中行動日

高江に400人
辺野古に350人

 土曜集中行動日のこの日、早朝から米海兵隊北部訓練場N1ゲート前で座り込み、砕石・資材のヘリパッド工事現場への搬入を阻止する行動が終日展開された。防衛局はN1には来ず、砕石・資材をすべてメインゲートに回した。午前七時半から始まったゲート前集会で北上田さんは、「工事は予想以上のペースで進んでいる。年内完成を防ぐためになんとしてもゲート前の座り込み参加者を増やそう。あと二カ月、高江の闘いは今重要な局面を迎えている。今の倍の人たちが集まれば工事は阻止できる。友人、知人に高江に来てくれと訴えよう。本土の支援者たちにも高江に駆けつけてくれと呼びかけよう」と訴えた。

暴言糾弾!機
動隊は撤退せよ
そして正午から、基地の県内移設に反対する県民会議、東村高江のヘリパッドいらない住民の会、高江ヘリパッド建設反対現地行動連絡会の三者が主催する「機動隊員による沖縄を侮辱する暴言を許さない!緊急集会」が開かれ、四〇〇人が結集した。
平和運動センターの大城悟事務局長は「土人、シナ人という暴言は構造的な差別意識の中で出た言葉だ。個人ではなく県民全体に向けられた言葉で、許しがたい」と述べた。目取真俊さんが沖縄タイムスに一一月一日付で掲載した文章によると、「どこつかんどるんじゃ、こら、土人が」と発言した大阪府警の機動隊員はその後、別の場所で抗議行動をしていて三人の機動隊員に抑え込まれた目取真さんのところにわざわざやってきて、「頭を叩いて帽子を落とすと、脇腹を殴ってきた」という。とんでもない警官だ。政府のお抱え暴力団そのものではないか。こういう人が警官であってはならない。ヘイトスピーチと暴行を謝罪し、辞職せよ!
集会は最後に、@暴言を撤回し謝罪せよ、A本土からの機動隊は撤退せよ、Bヘリパッド工事を中止せよ、の決議を採択し閉会した。
この高江の集会には、サンフランシスコ在住の大宜味村出身の山城良子さんと夫のトーマス・キャンバリーさんも参加した。山城さんは一九七五年、当時米海兵隊員だったトーマスさんと結婚して渡米したが、今回ウチナーンチュ大会で沖縄を訪問した。山城さんとトーマスさんは「自然豊かなやんばるの森にヘリパッドは要らない。たくさんの国の人々が沖縄をサポートしている。運動を拡大したい」と語った。またトーマスさんは「どうしてここまで沖縄を差別するのか。海外の方が広い土地があるからそちらに移した方がいい」と述べた。

美しい海、貴重
な生物の宝庫
午後四時からは大浦湾が一望できる瀬嵩の浜で、打ち寄せる波の音を聞きながら、島ぐるみ会議名護の主催による「今こそ当事者の声を!辺野古新基地を絶対つくらせない名護市民集会」が開かれた。約三五〇人が参加し、福岡高裁那覇支部の不当な違法確認訴訟判決に抗議し、辺野古の海と大浦湾を守る決意を固めた。ヘリ基地いらない二見以北一〇区の会の松田藤子会長は「私たちは海や森を守りたいだけ。静かな生活がしたいだけ。政府は民意を顧みずやりたい放題」と述べた。地元の若者を代表してマイクを握った渡具知さん(琉大一年)は、「政府は辺野古唯一というが、ここには貴重な生物がすんでいる。私たちも住んでいる」と力強くアピールすると、会場からは大きな拍手と指笛が答えた。また、稲嶺名護市長は「世界ウチナーンチュ大会に海外から七〇〇〇人以上集まっているが、沖縄の現実を知ってほしい。美しい大浦湾、しかし海底にはコンクリートブロックがある。一刻も早く撤去すべきだ」と訴えた。
集会は最後に、「命と暮らしを支える自然を未来に引き継ぎ、この島を二度と戦火で荒らさず、平和の灯を全国に、全世界に広げていくために、私たちは政府の押し付けてくる不義に決して屈せず、辺野古にも高江にも、新基地は絶対につくらせない決意をここに改めて宣言します」との宣言文を採択した。

11.2

高江水曜集中行動

やんばるの森と
住民の生活守れ

200人がゲー
ト前座り込み
水曜集中行動日の一一月二日は、採石場からゲートに至る路上での抗議活動と共に、北部訓練場メインゲート前に二〇〇人が早朝から座り込み、メインゲートを通じた砕石・資材の搬入を阻止した。政府防衛局はメインゲート前座り込みに手を出すことを諦め、北周りにN1ゲートから砕石ダンプを進入させるとともに、座り込み解散後、大急ぎでトレーラー、ダンプをメインゲートから通過させた。この日砕石ダンプ二三台がN1ゲートを通過した。この間の砕石・資材搬入は規模を拡大している。一〇月三一日にはダンプ一〇〇台とトレーラー二台、一一月一日にはダンプ八四台分が入った。累計ではすでに二〇〇〇台分以上が搬入されたという。安倍の一二月完了宣言を受けて、現場の防衛局、業者、警察は必死だ。一一月は最大の攻防の山場になる。全力を尽くして高江に結集しよう!

2・6キロの米軍
歩行訓練ルート
米軍の要望を受けて、沖縄防衛局は宇嘉川河口からG地区ヘリパッドに至る全長二・六kmの米軍歩行訓練ルートの建設を進めている。沖縄森林管理署は一一月二日、ルート上の立木を重機を使って伐採する方法を示した防衛局の事前協議書(一〇月二八日付)に同意した。計画では四六九四本のイタジイを中心とした立木を伐採し、砂利を敷き、擬木の階段までつくるとのことだ。現場で抗議行動をしたメンバーによると、道幅は最大四mで、将来水陸両用車が利用するようになるのではないかと危惧されている。森の破壊が破滅的に進むにもかかわらず、沖縄森林管理署の清水署長は「最小限の伐採で森林保全に支障がないと判断した」とまるで他人事のように述べた。政府が強権化するとともにどの行政機関もあきれるほど安倍官邸の提灯持ちや太鼓持ちになった。自己保身のあさましい公務員たちだ。

11.4

勾留理由開示裁判

絶対に屈しない、
山城さんが意見陳述

 一一月四日午後那覇地裁で、有刺鉄線を切ったという器物損壊容疑で勾留されている山城博治平和運動センター議長に対する勾留理由開示裁判が開かれた。裁判所前の城岳公園で一五〇人近くが事前集会を開いた後、抽選に当たった約三〇人が裁判を傍聴した。裁判官は高津戸拓也という、那覇地裁判事補に任官されたての若い裁判官だ。
午後三時半山城さんが入廷すると、期せずして傍聴席からガンバレの掛け声とともに拍手が起こった。山城さんの身なりはチェックのYシャツにブルージーンズ、島ゾウリをはいていた。人定質問のあと裁判官は「容疑は有刺鉄線一本切ったこと。損害額は二〇〇〇円。証拠隠滅、逃亡の恐れあり」と勾留理由を述べた。金高望弁護士が「証拠隠滅や逃亡の恐れはない。損害額二〇〇〇円に明らかなように軽微な事件に長期勾留の必要性があるのか」と具体的に追及した。ところが裁判官は「答えられません」を繰り返すのみ。いかにも権力の意を体する輩だ。
山城さんは意見陳述で、七月二二日のN1オモテの攻防から話をはじめ、「本土から五〇〇人をこえる警察機動隊の派遣と高江の制圧というすさまじい状況の中で、必要最小限の意思表示としてN1の作業ヤードでの行動があった。やんばるの森は県民のかけがいのない財産だ。壊されてはならない。県民は今後もっと大きな抗議行動に立ち上がるだろう。私は今後とも闘い抜く決意を新たにしている。堂々と勇気をもって闘い抜こう」と呼びかけた。一〇分間にわたる意見陳述の間、傍聴席からは拍手と掛け声がひっきりなしに続いた。
続いて弁護士の意見陳述が行われた。金高弁護士は「那覇簡裁が地検の勾留請求を却下したのに、地裁は認めた。また、別件逮捕は地検が勾留を強め、裁判所が加担するものだ。逮捕された一七日、検察、裁判所は山城さんが逃亡しようとしたかのように言っているが、事実ではない。権力の目的はリーダーの勾留であり、許されない。すみやかに釈放されるべきだ」と理路整然と述べた。弁護士の意見陳述にも大きな拍手が沸き起こった。
裁判官は「拍手はやめてください」「静かにしないと退廷させます」などと威圧するが誰も気にしない。むしろ、「納得できない裁判だ」「裁判官、恥を知れ」「こんなの裁判じゃない」などの声が大きくなるのみだった。裁判が終わり、山城さんが退廷する際にも「ヒロジ頑張れ、県民がついてるぞ」の声がひときわ大きく傍聴席のあちこちから発せられ、騒然とした中で閉廷した。
そのあと、城岳公園での集約の集まりで、金高弁護士は「皆さんの応援が博治さんを元気づけ勇気づける。家族も面会できない接見禁止になっているのは憲法違反だ。リーダーを取り戻すまでともに頑張ろう」と呼びかけた。

10.29〜11.1

韓国の市民団体が平和ツアー

朝鮮半島の分断と
沖縄基地の根は一つ

 一〇月二九日から一一月一日の三泊四日の日程で、韓国の市民団体「北の子供たちにパンを届ける事業」の小学生三人を含むメンバーたち計二四人が、インチョン、キョンギ道、チョルラ北道、カンウォン道、キョンサン北道などから参加し沖縄を訪れた。メンバーたちは、二〇〇四年北の「民族和解協議会」と南の「われら民族は一つ運動本部」がピョンヤンにパン工場を建設することに合意したことを受けて、北が工場と人力を確保し南が機械設備と製パン材料を提供するという運動を熱心に進めてきた。二〇〇五年二月には南から機械設備と製パン材料が届けられ、四月にはパン工場が稼働をはじめた。南から届けられた玉のように貴重な心を子供たちに伝えていくとの趣旨で「玉流」と名付けられたパンは一日一万個生産され、大同河地域をはじめとする託児所、幼稚園の子供たちに届けられてきた。ところが、二〇一〇年の「天安艦」沈没事件後の李明博政権による五・二四措置以降、南からの製パン材料を届けることができなくなって、現在に至っている。
一行は到着した次の日、糸満市の轟の壕を皮切りに、韓国人慰霊の塔、平和資料館、平和の礎を回り、読谷村のチビチリガマ、恨の碑、金城実彫刻家の野外展示場を訪問した。七一年前の沖縄戦では朝鮮半島から数千人にのぼる青年男女が徴用あるいは強制動員され多数の人々が米軍との戦闘・空襲や日本軍の処刑、病気で亡くなった。平和の礎には北と南合わせて四四七人が刻銘されているが、実際の犠牲者数は数倍にのぼると推定される。沖縄戦における朝鮮人動員と犠牲の実態はまだ解明されていない日本の犯罪の闇の部分である。

辺野古の海とやん
ばるの森を訪問
三日目は、午前中辺野古でガラスボートをはじめ三隻の船に分乗して大浦湾のサンゴを見学するとともに、海上工事中断中の米軍基地や海の様子を確認した。美しいサンゴの群生と熱帯魚や海洋生物の姿には驚きの声と歓声が上がった。また、工事中断中にもかかわらず臨時制限区域を示すブイ周辺の警戒船や相変わらず「臨時制限区域から出てください」を叫ぶ民間警備会社の警備船、警戒態勢をとる海上保安庁のボートなど、最高裁判決をもって直ちに工事にかかろうとする政府防衛局の動きを見ることができた。
午後は高江のN1ゲート前抗議活動に参加した。最初に現場の住民からヘリパッド建設の歴史と現状に関する説明を受けた後、二〇人近くが監視行動を続けるテント前で、ツアー参加者全員が前に立ち横断幕を広げて連帯のアピールをした。発言に立った最年長の代表者は「私たちは韓国各地から来ました。長い闘いを続けている皆さんに連帯します。韓国でも最近サードの配置が行われようとしましたが、私たちは絶対反対の運動をしています。アジアから米軍を追い出し、基地のない平和を実現しましょう」と呼びかけた。そのあと、やんばるの森の保護のために活動している宮城秋乃さんの案内で、新川周辺の森歩きを楽しんだ。

 年前に始まった
沖縄と韓国の交流
二〇年前の一九九六年、沖縄では三人の米兵による少女暴行事件に対する抗議が噴出していた。その時、大阪の在日メンバーと韓国から一人の市民が沖縄を訪問し、韓国でも同じような米軍犯罪が後を絶たないことを紹介した。韓国の基地村・東豆川で起こった米兵によるむごたらしい女性(ユン・グミさん)殺害事件は戦後沖縄で繰り返されてきた米軍犯罪を想起させるものだった。韓国と沖縄との交流はこの時から始まった。これまで、チェジュ道のカンジョンなど韓国各地の反基地闘争団体、環境保護や南北交流の活動団体、平和研究者、労働組合、弁護士などの間で相互訪問や様々な交流が続けられてきた。最近ではとくに、沖縄五・一五平和行進と辺野古・高江の闘いを結集軸にして、個人やグループなどがさまざまに沖縄を訪問し交流を続けている。
沖縄基地は朝鮮半島情勢と密接に関連している。朝鮮半島の分断と沖縄基地は米軍のアジア支配が生んだ双生児だといえる。朝鮮半島の分断の打破と沖縄基地の撤去のため共に闘わなければならない。


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