もどる

    かけはし2016.年11月14日号

改憲止めて安倍を倒そう


11.3憲法公布70年 秋の憲法集会

南スーダン派兵をやめろ

辺野古・高江の闘いに合流を

「押しつけ憲法」
論の嘘っぱち
一一月三日、東京の韓国YMCA地下ホールで「憲法公布七〇年 秋の憲法集会」が開催された。主催は「解釈で憲法九条を壊すな!実行委員会」。一一月三日の集会としては初めてやや「大枠」での取り組みとなったこの日の集会には、三九五人が結集した。会場は満席となり、多くの人びとが通路に座り込んで集会に聞き入ることになった。資料も足りず、プログラムを手にできなかった人も多かった。
集会の最初に改憲反対の街宣チームによるパフォーマンス「どうなるの? 日本国憲法」。「今の憲法は米国による押し付け憲法だ。日本人による自前の憲法を!」という改憲派の宣伝を批判する説得力ある語りかけが、演じられた。
主催者を代表して高田健さんがアピール。高田さんは、「改憲派が三分の二の多数を両院で占めるようになった現在、憲法が危うくなっている。安倍首相の究極のねらいは九条改憲だ。その中で一一月三日を『明治の日』にしようという動きもできている。これには絶対反対だ。一一月一五日には南スーダンへのPKO派兵を閣議決定すると言われている。午前七時四五分に首相官邸前に集まろう」と呼びかけた。
続いて沖縄・高江のヘリパッド阻止をめぐる攻防のドキュメンタリー「森は泣いている」の一部が上映された。やんばるの森を破壊して米軍のヘリパッド=オスプレイパッドを作る目論見を座り込みで阻止しようとする人びとに襲いかかる、全国から動員された機動隊員の暴力。現在の攻防が迫真の映像でリアルに描き出されている。憲法改悪を阻止する闘いが、沖縄とつながったものでなければならないことを訴えかける作品だった。

植民地支配と
南スーダンの今
各政党からのメッセージが紹介された後、二つの講演。最初に栗田禎子さん(千葉大教授)が「混迷する南スーダン情勢と自衛隊派兵」と題して報告した。二〇一一年七月に独立した南スーダンでは、二〇一三年に大規模な武力衝突が起こり、二〇一五年八月にいったんは和平合意が成立したものの二〇一六年七月に再び内戦状態になってしまった。
栗田さんは、一九六六年に独立したスーダンの国内で、植民地時代の歪んだ経済構造が人種的・宗教的対立へと発展したのだと説明する。北のアラブ系対南の非アラブ系、そしてイスラム対非イスラム。それは国家内での権力の分配をめぐる対立として発展し、南スーダンの北からの分離に行きついた。
ところが今度は、新国家の中で新たな権力闘争が発生した。大統領と副大統領の対立が、それぞれのバックを動員する紛争へと発展した。それはスーダン人民解放運動(SPLM)という南スーダンの独立運動組織内主流・反主流の権力闘争になっている。二〇一五年八月の和平合意では三〇人の閣僚のポスト配分が行われたが、二〇一六年七月の武力衝突は大統領の側が副大統領を放逐するための意図的武力行使だった。
栗田さんは、そもそも停戦合意は成立しておらず、今起きているのは内戦であり、政治闘争であると規定する。そもそも平和があるという前提が成立していない。PKOは戦闘に積極的に介入することになってしまう。
栗田さんは、二〇一一年の南スーダンPKOの任務が根本的に変わってしまったのだと述べる。そして自分はもともとPKOそれ自体に批判的だと明らかにした上で、二〇一三年の段階、そして今年の事態でPKOは撤収すべきだったと語る。そしてPKO協力法は、湾岸戦争に日本が参加できなかったトラウマに発していると栗田さんは語る。ところが国際社会の関与によって事態が悪化し、支援が押し寄せて利権が発生するという事態も生じる。二一世紀に入って南スーダンをスーダンから分離させようという国際社会の動きが高まり、アメリカのイニシアチブによる「南北和平」が仕組まれた。
アメリカの戦略は「アフリカの角」の付け根にある南スーダンに着目し、そこからアフリカの「大地溝帯」を射程に入れたアプローチをとることだった。日本は東アフリカに戦略的に注目し、アメリカのアフリカ戦略との調整に入る。一方、アメリカと中国の間のアフリカをめぐる闘いも進んでいる。
かってアフリカの分割をめぐって、南北縦貫戦略を取ったイギリスと東西横断戦略を取ったフランスが一八九八年に衝突したファショダ事件が起こった。このファショダは現在の南スーダンに位置する。栗田さんは、この「ファショダ事件」との類推で、日本国家がアフリカ大陸で進めようとする動きの危険性につて訴えた。

立憲主義破壊
と戦後の終わり
石川健治さん(東大教授)は「立憲主義の破壊と戦後の終わり」と題して報告した。
石川さんは憲法学の中で「戦後はいつ終わったのか」という問いが発せられることがあるが、一昨年の「集団的自衛権行使容認」の閣議決定によって「法的安定性を破壊する形で戦後を終わらせてしまった」と語り、「このような形で戦後を終わらせていいのか」と問いかけた。石川さんは「法律を動かさないこと」には「権力を縛る」という固有の意味があり、為政者が「法的安定性」を動かそうとしているのは、その意味で「法の破壊」であると語る。また二〇一三年に安倍政権が試みた「九六条先行改憲論」(国会議員の三分の二による改憲発議条件を緩和)についても「政治家が国民に対して『革命』をそそのかすものであり、これでいいのか」と語る。
石川さんはさらに欧州の考え方では「立憲主義と平和主義はそりが合わない」のに対して、「戦後史の重さを考えれば立憲主義と平和主義は必ずしも対立するものではなく、お互いに必要なもの」と規定する。立憲主義は暴走する権力にブレーキをかける「ネガティブ」な考え方ではあるが、ナショナルな力の暴走を止めるという意味を持っていると指摘する。
石川さんはさらに「個を大事にする仕組み」としての日本国憲法の意義をあらためて強調し「かけがえのない個として生きる自由」が平和主義と呼応するものであること、「ユートピア」を掲げる精神の重要性を訴え、安易な現実主義に陥ることなく「リアリズムとユートピア主義の平行した視点の重要性」を強調した。それは「戦後の終わりを長いものにする」ためにも必要だ、と。     (K)

11.3

九条の会おおさか講演会

安倍政権と改憲めぐる攻防

小森陽一さんが講演

 【大阪】集会は二部構成。第一部は講演、第二部では、冒頭で9条の会おおさかの新しい呼びかけ人二六人の紹介があり、参加した呼びかけ人九人が登壇しあいさつ、続いて会場との質疑応答があった。八〇〇人の市民が参加した。
司会の菅野園子さん(大阪弁護士九条の会)が、おおいに勉強して力を蓄えたいとあいさつ。澤野義一さん(九条の会・おおさか事務局次長、大阪経済法科大教授)が、「改憲派によるさまざまな策動があったが、七〇年も憲法は守られてきた。護憲運動のたまものだ。改憲は七月参議院選の争点ではないと応えた人が、七一%だった。にもかかわらず、安倍政権は改憲を狙っている。優先順位に惑わされず、警戒しなければいけない。自然環境、テロ対策や災害時の緊急事態条項などさまざまなことが言われているが、改憲の目標はやはり九条である。よりアクティブにやっていこう。そして、第二ステージに進みたい」と開会のことばを述べた。

QアンドAで
認識を深める
第一部。小森陽一さん(九条の会事務局長、東大教授)が「ストップ改憲!許すな戦争法!『九条の会』新しいステップへ」と題して講演した。 (講演要旨別掲)
第二部。九条の会おおさかの吉田栄司事務局長(関西大教授)と澤野義一事務局次長が会場からの質問を紹介し、小森さんと他の二人が答えるかたちで、質疑応答が行われた。
Q1:(小池政治塾をどう見ているか)京都・大阪・東京は革新自治体の頃地方公務員が優遇されたのではないかという反発が、この二〇年間ぐらいかけてつくられていった。それは、本当のねらいを隠すためだが、国民を論理的にではなく感覚的に持って行くやり方だ。自民党の世耕などはそのプロだ。対抗するには、少人数で論議する必要がある。
Q2:(日本会議の動きについて)きっかけは一九九三年の従軍慰安婦問題だ。危機感をもった連中が、草の根運動として始めた。当時の宮沢内閣が総辞職し、自民党は野党になった。保守派は、戦没者は靖国にまつり、靖国神社の祭主権は戦後も天皇であり、天皇が靖国神社に参拝する、戦死したものには罪はないという論理だった。それが、従軍慰安婦問題で崩れてしまうからだ。
Q3:(海外派兵で人を殺した隊員の扱い)罪を問わないということは国際法上は許されない。
Q4:(戦争になれば、原発がねらわれるということはないか)否定はできないが、日本政府は想定していないだろう。
Q5:(自衛のためなら自衛隊の存在を認めてもいいのでは)そうした意見の人と運動の面では共闘できるが、理論上は問題がある。
Q6:(中国・北朝鮮をどう考えるか)北朝鮮については安倍に責任がある。朝鮮戦争は休戦状態だ。当事者は北朝鮮・中国と韓国・米国、それとロシア。六カ国協議でこれを終わらせ講和条約を結ぼうとした。もともとこの講和条約の仲介ができるのは、九条を持っている日本しかなかったが、安倍がこれに反対して実現しなかった。中国については、領土問題は存在しない(棚上げ)だったが、石原慎太郎が改憲のために中国と日本の対立をあおったことに責任がある。
Q7:(九条の会はもう古いと言われた)市民運動に新しいも古いもない。一九九三年〜二〇〇八年の間は、改憲派が多かった。二〇〇四年頃は圧倒的に改憲派が多かった。それがその後逆転した。それは九条の会の活動があったからだ。色々な草の根運動があってはじめて、総がかり行動や、シールズやママの会が登場している。若い人が切ない悩みを語る場をつくってほしい。そうすればそこが、運動体になっていく。
Q8:(天皇も改憲をいやがっていると思うが)天皇が政治利用されないようにしよう。
Q9:(憲法九六条について)三分の二規定は、憲法の安定性を保障するものだ。憲法の中に軍が入ってくると、すべてが軍を前提とした考え方に変えられる。
閉会のあいさつは、吉田栄司さん(九条の会おおさか事務局長、関西大教授)が行った。   (T・T)

小森陽一さんの講演より

野党共闘強化して
9条破壊に対決を

 一一月三日は昔の天長節、今は文化の日。一九四六年のこの日に明治憲法の改憲(案)が昭和天皇の名で全世界に発せられた。この公布された改憲(案)が四七年五月三日に施行されて初めて、日本国民が主語になった。安倍は二期目の任期中に改憲できず、三期まで任期を延長した。戦争法は通ったが、これを使わせないでせめぎ合いが続いている。政府や与党の政治家は、南スーダンに派遣される自衛隊に駆け付け警護をやらせ、隊員の命を道具にして政治の駆け引きをやっている。この任務は、初めての海外武力行使である。
安倍は二〇一七年初頭の国会解散総選挙によって有利な状況をつくりたいと狙っている。これに対し、私たち市民運動の力により野党共闘の本領を発揮させることが問われている。国民の警戒心をそらすためにさまざまな改憲論をくりだしてはいるものの、安倍改憲が九条の改変に照準を定めていることは明らかだ。

戦争法反対運動
での重要な経験
民進党系自治労・日教組を中心とする「戦争させない一〇〇〇人委員会」と共産党系「憲法共同センター」の橋渡しの役を市民運動が担った。市民運動とは「解釈で九条壊すな!市民連合」のことだ。今まで一緒になり得なかった両者が手をつないだ。そのための役割をこの市民運動が果たしたことで、三派鼎立の総がかり行動が生まれ、新しい共同が実現した。二〇一五年の安保闘争は、総がかり行動実行委員会の活動による空前の共同行動だった。
ここに、立憲デモクラシーの会、学者の会、ママの会の動きが加わった。ママの会が、シールズのように渋谷で集会を開きたいといい、それを「明日の自由を考える若手弁護士の会」(あすわかの会)などが支援し、その過程で「誰の子どもも殺させない」というメッセージがつくられ、ママの会は一挙に全国に広がった。ここには、我が子だけではなくひとつひとつの命を守る決意を込めた思想が組み込まれている。二〇一五年の五月〜六月にかけて“立憲主義を守れ”の運動の力が、野党を変えた。

総選挙でも野党
共闘の実現へ!
総がかり行動実行委員会が進めた「戦争法廃止を求める二〇〇〇万人署名運動」について産経新聞が世論調査をした。それによると、署名運動に参加したか:はい三・四%、声をかけられたら参加していた:一七・七%という結果だった。この両方の合計数はだいたい二〇〇〇万人に相当する。
参議院選では三二の一人選挙区すべてに統一候補を立て一一選挙区で勝利したが、この共同の力が新潟知事選でも発揮された。共同の力を衆院選に向け、九条を変えさせない、戦争法廃止の野党統一候補を小選挙区で擁立する運動を。
二〇一五年に成立した安保関連法(一〇本の改悪法と新設の派遣恒久法)では、【米軍とともに活動する】が入っている。そして、自民党改憲草案の第二章・安全保障の章では(二〇〇五年版でも二〇一二年版でも同じ)、国防軍は法律の定めるところにより活動するとなっている。彼らは明文改憲をやるつもりだった。
一方公明党の憲法改正方針を見ると、憲法九条の一項・二項とも堅持した上で、自衛隊の存在を明記する加憲の立場だ。二〇一六年の参院選政策でも同じだった。このことは一見問題がないように見えるが、自衛隊の存在を憲法に明記することで、安保関連法下の自衛隊は(憲法に規制されることなく)米軍と共同行動を取ることにつながっていく。でも今はまだ九条二項がそのままだから、政府は自衛隊をちゃんとつかえない。南スーダンでの自衛隊の危険性を明らかにし、戦争法廃止の運動と連携した運動が重要だ。自衛隊員が死ねば、それを利用して自衛隊を軍隊として認知するような動きが現れるだろう。だから、憲法は変えさせてはいけない。

 


もどる

Back