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    かけはし2016.年11月7日号

運動の可能性 広い議論の場を


寄稿

世界社会フォーラム(WSF)2016モントリオール報告(4)

今回も地域的・課題別の有効性を示す

寺本 勉(ATTAC関西)

感動を呼んだバングラデシュからの発言

 今回のWSFで私の一番印象に残ったのは、あるグランド・カンファレンスでのバングラデシュ代表の発言だった。彼女が労働組合代表か、NGOメンバーかはわからなかったが、バングラデシュ労働者と先進国労働者との連帯の可能性を含めて、非常に感動的な内容だったと思う。
彼女はバングラデシュの繊維労働者の現状と闘いに触れた後、「バングラデシュの労働者も、消費者としてのヨーロッパの労働者も同じサプライ・チェーンの中に入っている。そのサプライ・チェーンの中で、カナダやヨーロッパの労働者は低価格の裏にあるバングラデシュ労働者の状況について知らなければならない。それが労働者にとっての共通のプラットフォームを形成する前提になる。その上でのみ共通の闘いは可能になる」と述べた。
また、気候変動問題について、「富める国が気候変動に責任がある。たとえば、バングラデシュで作られた衣料品が船積みされてイギリスに渡り、消費者に購入される。その分古い衣料はゴミになるか、中古衣料としてバングラデシュに戻ってくる。こうした運搬によって生じる気候コストは無視できない。気候変動でバングラデシュの沿岸地域は土地を失い、その結果仕事も失う。人々は故郷を捨てて大都会に集まってくるが、そこには政府の仕事しかない。気候変動がストップすれば、政府は沿岸地域でも仕事を作りだすことができる」とバングラデシュが気候変動でこうむる危機について語った。

WSF成功をめざしたATTACケベックの奮闘

 私がWSFモントリオールに参加している間、強い印象を持ったのはATTACケベックの奮闘だった。WSF開始前から、世界各国のATTACメンバーと熱心にネット中継による会議を重ねていたし、モントリオール現地でも組織委員会の中で活躍していたようだった。
ATTACケベックは、自らの組織を「そんなに大きくない」と語り、特に「活動家が少ないので、大変だ」としながら、メンバーをフル回転させてとりくんでいる様子をみることができた。WSF開催期間中は、市内の公園にキヨスク(ブース)を開き、メンバーが常駐して、各国ATTACの連絡ポイントとして、あるいはATTACの主張や情報を発信する拠点として、大いに活用されていた。
グローバルATTACとしては、WSF期間中に二回の国際ミーティング、歓迎パーティーを開催するとともに、ミーティングの後には必ずパブでの交流会を開くなど各国間、メンバー間の交流を図ろうとしていた。
歓迎パーティーは、八月一〇日夜、恐らく元は銀行だったと思われる歴史的建造物の中で開かれた。州政府か市政庁が管理しているらしい重厚な建物の一階ロビーが会場だった。ATTACケベック代表のクロードさんによれば、こういう会場を使えるのも一応ケベック州政府の支援が(不十分ではあっても)あるからだとのこと。日本からの参加者三名を含めて六〇人くらいが参加していた。
会場の中にはワインやビール、軽食が用意され、思い思いに歓談が続く。ケベックを含めどうしてもフランス語圏の人が多く、フランス語での会話が優勢だったが、英語を話せるATTACケベックのメンバー(初老の男性)と知りあい、ケベックをめぐる状況について教えてもらった。私からは、日本の原発問題、社会運動の現状を伝えた。
ケベックでは、一基だけあった原発を三年前に停止させることに成功し、いまは原発ゼロの状態であることを知り、彼にその要因を聞くと「反原発の運動はもちろんだが、政府が決断したのは豊富な水力発電のおかげだ」とのこと。また、子育てに関して、ケベックでは手厚い支援があり、託児所には一日五カナダドルで預けることができるそうだ。実際,市内の公園では保育士さんが幼児を五?六人ずつ、手押し車に載せて散歩している姿を見かけた。しかし、その狙いの一つが、フランス語を公用語として維持するために、フランス語話者の子どもを増やすということだと聞いて、何か複雑な思いもした。

各国でのATTACのとりくみ

 グローバルATTACの国際ミーティングは、WSF開催期間をはさんで前後二回開かれた。会場は、「オルタナティブ」というNGOの事務所だった。参加したのは、ケベック、アルゼンチン、フランス、ドイツ、スペイン、ベルギー、イギリス、モロッコ、日本などから。イギリスには従来ATTACを名乗るグループはなかったのだが、数年前に「グローバル・ジャスティス・ナウ」が「ATTAC UK」として活動するようになった。「グローバル・ジャスティス・ナウ」は、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票の際、グローバル・ジャスティスの立場からEU残留を訴える「もう一つのヨーロッパは可能だ」キャンペーンを主導したことで知られる。
一回目のミーティングでは、各国ATTACの活動報告、WSFでATTACが関与するプログラムの紹介、WSFの今後をめぐる議論などが報告・議論された。その場で、すでに述べたカナダ政府によるビザ発給拒否問題が報告され、参加者の怒りを買った。
各国からの報告の一部を紹介しておこう。
スペインからは「タックス・ジャスティス、公務員へのバッシング、気候正義、EU問題などにとりくんでいる」、アルゼンチンは「債務,自由貿易,気候正義が主要課題だ。自由貿易協定では、環大西洋貿易投資パートナーシップ協定(TTIP)批准反対キャンペーンが最重要である」との報告があり、フランスは「金融、脱税、債務(債務監査委員会の立ち上げ)、自由貿易協定を課題にしている」とのことだった。ドイツは、ヨーロッパでの最大組織だが、三万人の会員と七〇の地方グループを有していて、アフリカとの自由貿易協定、難民問題なを中心に街頭での活動も重視しているとの報告だった。

グローバルATTACでの議論?WSFの評価


今回のWSFの評価をめぐる議論は、二回目のミーティングで行われた。地元ケベックのクロード代表は肯定的な評価をしていた。彼の意見は地元で一貫してとりくんできた経験を踏まえたものなので、これまでの報告と重複する部分も含めて紹介しておきたい。
「組織化の問題点としては、モントリオールまでの距離、航空運賃・宿泊費の高さのために参加できる国が限られたことがあった。また、ビザ発給拒否問題は『北』での開催ゆえに問題が起きることは予想できた。組織委員会がたてた最初の参加者目標(五?八万人)が高すぎた。現実的には一万人くらいを考えていたが、実際には一・五万人が事前登録し、一・二万人が参加証を受け取ったので、成功だといえる」。
「このWSFを通じて、先住民運動と社会運動をより近づけるという目的を掲げたが、先住民運動が積極的にWSFに参加してきたことでその面でも成功した。各グランド・カンファレンスに多数が参加したことやメディアが積極的に報道してくれたことなど、大きな関心を呼んだ。ATTACケベックとしてキヨスクを設けたが、多くの人が足を運んでくれ、対話もできた。ATTACがかかわった二つのグランド・カンファレンスも『ATTACらしい企画だ』と参加者の満足感が高かった」。
他に、肯定的な意見としては、「多くの批判にもかかわらず、ポジティブな面を感じている。システムを変えようという声が拡がっている。活動家がキャンペーンに自信をもっていると感じた」「実際にこの土地で闘っている人々と出会えた」などが聞かれた。
その一方、「政治的内容の欠落が気になった」「コンバージェンス・アセンブリは効果的ではなかった。具体的な行動プランに結びつくことが目的だったはずなのに、いろいろな運動報告を聞くだけに終わった」「いろいろな団体が出会う空間が準備されていなかった」など、ややネガティブな評価もあった。

ATTACの今後の課題?自由貿易協定との闘い

 ATTACとして今後の戦略の軸をどうするか、という課題については、主に自由貿易協定との闘いを軸に議論が進んだ。WSFモントリオールでは、ATTACは「利益よりも民衆・地球を」プログラムに積極的に関与するとともに、いくつかのワークショップ、グランド・カンファランスを開催したが、その柱も自由貿易協定との闘いだった。
議論の中では、「すべての自由貿易協定を議論できる共通のプラットフォームを準備すべきだ」「当面は、ヨーロッパとアフリカの自由貿易協定から始めたらどうか?」「アフリカで取り組みを進める上では、財政的な支援が必要」などの意見が出され、「自由貿易協定、タックス・ヘイブンなどの国際行動日を設定する」「ワーキング・グループを作って、具体的な行動プランを含めて、議論を始める」「キャンぺーンのためのツールが不足しているので、各国で作った中で、共通して使えるものがあれば利用できるようにする」ことが確認された。

WSFの今後をめぐって

 すでにWSF開催のたびに、WSFの今後についての議論は行われてきた。しかし、初めて「北」で開催された(「北」での開催を余儀なくされたと言うべきかも知れないが)こともあってか、WSF運動の創設に関わった人々や団体を含めて、今回ほどさまざまな議論が公然化したことはなかったのではないか。
まず、四月にチュニジアで開かれた不当債務帳消し委員会(CADTM、第三世界債務帳消し委員会から名称変更)総会において、現状を「商業化が著しい。入場料が高い。イスラム主義や反民主主義の政府系団体が参加している」と分析し、「WSFを急進化させるのは不可能になった。内部変革は無理」と判断して、「CADTMとしてのWSFへの関与を減らす」ことが決定された。具体的には「他の団体やネットワークから招待があれば代表を送って参加するが、主体的にカンファレンスやワークショップを開くことはしない」という対応をとることになったのである。
一方,パブロ・ソロン(元ボリビア国連大使、フォーカス・オンザ・グローバル・サウス前代表)がWSF国際評議会に書簡を送り、その中で「WSF運動はラテンアメリカの進歩的政権を生み出したが、それが現在後退している。WSFはそのサイクルを終えた。これ以上の継続は腐らせるだけ。モントリオールで葬式をおこなうべき」と提起した。それに対して、シコ・ウィティカー(WSF創始者の一人)が返信を送り、「国際評議会はダメだが、WSFに未来がないとは思えない」と反論した。
次回のWSFがどこで開催されるのかはまだ決まっていないようである。ラテンアメリカにおける左派政権は非常に厳しい局面を迎えており、右派に政権を奪取されたり、新自由主義的政策への傾斜を余儀なくされたりしている。また、「アラブの春」の挫折による中東・北アフリカ情勢の混迷もあって、WSFを再び「南」で開催することはますます困難になるかも知れない。
しかし、今回のWSFが二年前のピープルズ・フォーラムの成功を基礎に開催されたように、地域的・課題別の社会フォーラム運動はその有効性を失っていないと思う。今こそ、WSFの総括、今後の展望、社会フォーラム運動の可能性について、広く議論を作っていくときだと感じる。これが、私がWSFモントリオールに参加して得た結論の一つである。(おわり)

 


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