もどる

    かけはし2016.年11月7日号

気候変動は南の民衆を日々苦しめている


フィリピン

パワーを取り戻せ世界10月行動デー 反石炭の決起

世界の金融・産業大資本が狙う
アジアでの無責任石炭投資糾弾



 以下は、フィリピンで進行している石炭火力発電開発に反対する現地の声を伝えている。ドゥテルテ政権の登場は、フィピンの社会運動にも一つの刺激を与えている。その中で、フィリピンの気候変動問題に正義を求め闘っている運動がドゥテルテ政権に、石炭依存開発戦略からの転換を求めている。日本政府と日本の多国籍資本は、コストの低さを押し出し、最新型石炭火力発電設備を特にアジアに向け大々的に売り込んでいる。以下の声は、この目論見の犯罪性を照らし出す点で、重い突きつけを含んでいる。(「かけはし」編集部)

 およそ一五〇人の活動家、コミュニティー指導者、またさまざまな気候ネットワークと民衆運動を母体とするクライメートジャスティス活動家が、サント・トマス大学からメンディオラ平和門まで行進し、そこにバランガイ一〇五の住民たちが加わった。ちなみにこの住民の地域コミュニティーは、マニラ、トンド、ハッピーランドに立地する「ロック・エナジー・インターナショナル・コーポレーション」の貯炭場からの影響に苦しんでいる。
 この行動は、「世界でパワーを取り戻せ2016」のために計画された全国行動の一部だ。「パワーを取り戻せ2016世界10月行動デー」は、エネルギーシステムの即時かつ公正な移行――化石燃料と汚いエネルギーが支配するシステムから、民衆とコミュニティに対し普遍的な利用を確実にできる、クリーン、再生可能そして民主的なエネルギーシステムに向かう=\―を世界の全政府に求める開始声明をもって始まった。
 「クライメートジャスティスを求めるフィリピン運動(PMCJ)」は以下の声明を発した。

汚くない開発が必要だ!
石炭はその解答ではない


 今日、一〇月一〇日、「パワーの世界的取り戻し」のために世界中のさまざまな諸国が決起することになっている中で、PMCJもまた、開発に向けた燃料としての石炭という引き続く政策は、フィリピン民衆が求めていると思われる変化とは対立している、ということにドゥテルテ政権の注意を呼び起こそうと、幾つもの大都市で決起しようとしている。
 この種の開発は、持続可能ではなく、民衆の福祉に反して進行している。その政策は事実として、結局は数多くのフィリピン人を殺すことになるだろう。次のことを思い起こそう。つまり、この国がもつ開発する権利は、この開発は同時に持続可能で公平でなければならず、またその民衆の共同の利益を確保しなければならない、と明記しているのだ。

気候変動は現に
わが国の脅威に


 今日われわれがわれわれの集団的諸権利を、きれいな空気と清浄な水に対するわれわれの権利、持続可能な未来と安定した気候に対するわれわれの権利を強く主張している時、世界の気候システムはすでに、大気中の二酸化炭素という温室効果ガス濃度が四〇〇ppmを超えたという、鳴り響く警報をとどろかせてきた。何人かの科学者は、その濃度がより長期にその水準に留まることは確実だろうと語った。
 それは、世界中のすべてにわたって、数多くの諸国に破壊的な諸々の影響を及ぼすだろう。というのもそれは、極端な気候のできごと、海面上昇、また生物学的かつ生物多様性のシステム破壊のすでに知られた表出として、干ばつや強力な台風のような気候の諸影響の悪化を意味すると思われるからだ。
 これらは、農業、健康、環境、またあらゆる地球のプロセスに極度の波及効果を及ぼすだろう。これと並ぶように諸々のニュースは、気候変動を原因とする、世界のさまざまな地域で今起きている破壊と死の諸々だ。
 太平洋地域では、飢餓と干ばつがもっとも強いエルニーニョ年に続いた。気候変動を原因とするエルニーニョの強化は、フィリピンにおける長期かつ極度の干ばつの引き金を引き、何十億ペソにものぼる穀物の損害、飢餓、また死に結果した。他の極端な現象として、近代の気象史上最強の部類に入る、タイフーンのメギとメランティが、台湾、中国、フィリピンの北部諸島を直撃、地滑りを引き起こし、何十人という死をもたらした。

民衆を脅かす
影響が世界で


 世界の他の諸国には、こうした荒廃で共通するものがある。インドネシアでは、豪雨がジャワを襲う中で二〇人が死亡した。ネパールでは、豪雨とその後の地滑りで七人が命を落とした。科学者たちは、メコンデルタが水に沈むと警告してきた。北朝鮮では洪水に続いて、少なくとも一三三人が死亡し、一〇万七〇〇〇人以上が住むところを追われた。一方大規模森林火災で苦しめられてきたロシアのシベリアで住民は、ロシア大統領に請願し、過酷な一酸化炭素汚染を訴えてきた。
 インドでは、干ばつが襲った諸地域でいくつかの水争いが勃発し、ハザリバグの炭鉱に反対するある抗議行動に警察が発砲する中で、四人の環境保護活動家が殺害された。インド気象学会会長のアジット・ティアギは、インドでのさらなる熱波の危険に警告を発し、熱波が年に三〇〇〇人以上の命を奪う、と断言している。
 アフリカ大陸では南アフリカのクルーガー国立公園で、干ばつが三五〇頭のカバと野牛を死に追いやり、動物への影響に関する諸々の懸念を例証している。モザンビークでは、一五〇万人にものぼる人々が、干ばつの結果として食料安全保障の脅威に直面している。
 北米では、グリーンランドの氷床が以前の評価よりもはるかに急速に消失しつつあり、氷の消えた海面が北極に近づこうとしている――北極の急速な温暖化の一象徴――。そしてカリブ海では、ハリケーンのマチュウーが、カテゴリー5という空前の規模となり、ハイチを直撃、コロンビアを水浸しにした。NOAA(米海洋大気庁)の科学者たちは、メキシコ湾の珊瑚礁の「大量連続消失」を報告してきた。
 二〇一六年という年は、気候に関する諸影響に関し、もう一つの極端な年だ。そこにある以前の年からの唯一の違いは、気候の諸影響がよりはっきりし広がり、知覚された諸影響のほとんどすべてがみんな同時に起きつつある、ということだ。

問題の心臓部に
石炭ビジネスが


 これは今や、衰えることのない炭素排出の結果だ。科学者たちはその排出について、すぐさまの削減が必要と、早くから前もって警告してきたのだ。この問題の心臓部には、化石燃料、特に石炭を燃焼させる相変わらずのビジネスの継続がある。
 われわれフィリピン人は、気候変動の衝撃をあまりによく知っている。年平均で一九―二二個の台風が襲来する国での暮らし、前例のない干ばつ、あらゆる世界的な気温上昇は常に、フィリピン人とあらゆる脆弱な諸国にとって惨害になるだろう。脆弱な諸国にとっての生き残りというこの切迫性が、平均世界気温の上昇が摂氏一・五度を超えるパリ協定における、火を吐くような叫びに強く結びついている。その一・五度は、あらゆる脆弱な諸国が生き延びるかもしれない唯一の科学的に達成可能な平均なのだ。しかしながら今四〇〇ppmとなっている二〇一六年という年をもって、一・五度を突破しないチャンスは、より狭くなり、時間の余裕がより少なくなってしまった。
 野心的な排出削減を真剣に約束する点で、ほとんどの諸国が示すもたつきがあまりに多すぎる。石炭火力発電所建設に応じた石炭燃焼は、今なお相変わらずのビジネスを継続している。他方でアジアは、石炭拡張における世界の震央になっている。石炭開発に対する投資はただその地域を、気候の危機にもかき乱されることのない、世界的な石炭のかまどに変えたにすぎない。
 無責任な貸し付けと資金供与が今も、エネルギー開発における資本市場を特質づけている。世界銀行が率いるさまざまな国際金融諸機関(IFIs)、当地の諸銀行、輸出信用機関(ECAs)は今も、石炭に投資している。東南アジアでフィリピンは、今進行中の六三基のボイラーを備えた三六をくだらない石炭火力発電所をもって、石炭拡張という火薬樽の中にいる。世界銀行は、フィリピン国内の二〇に上る石炭火力発電所に資金を供与し続けてきた。

ドゥテルテ政権
は分かれ道上に


 ドゥテルテ政権はもはや、石炭火力発電所継続について深みのあるものとしては、どのような根拠ももってはいない。それがもっているものは、フィリピンでそれらを継続せず、再生可能エネルギーへの移行に向け国を導くという、人民に対する深い道義的義務だ。
 石炭はもっとも汚く有害なエネルギーだ。それはナンバーワンの温室効果ガス排出および地球温暖化の原因だ。世界のすべてで、石炭火力電所近くに暮らすコミュニティーは、諸々の健康の危険と環境の危険に苦しんでいる。これらの石炭火力発電所近くで暮らすフィリピンのコミュニティーは、これらの発電所すべてが停止されることを望んでいる。彼らは行くところがなく、彼らの歴史はこうした場所の中にあるのだ。
 様々なコミュニティーはすでに、これらの発電所が引き起こした観測可能な影響を諸々感じてきた。フィリピンにある石炭火力発電所の健康に及ぼす影響についての研究を率いてきたハーバード大学によれば、その研究は、設計出力合計が約三八〇万キロワットとなるフィリピンの石炭火力発電所の操業中の一三施設について、さらに総出力一一七〇万キロワットになる新たな石炭火力発電所建設計画が起こし得る影響を評価した。そしてそれは、二酸化硫黄(SO2)、ノックス(NOx)、さらにPM2・5(炭素微粒子)に関する排出水準の劇的上昇の可能性を示した。
 この新発電所が開発されることになれば、早死には二四一〇人にまで、あるいはフィリピンにおける石炭関連の汚染を原因として死亡している人々の現在数の倍以上まで、上昇するかもしれない。その上、これらの石炭火力発電所が座礁資本(投資回収が見込めない資本がこう呼ばれている:訳者)になるという怖れは確実に、この国のエネルギーに関する将来の保障に悪影響を与えるだろう。
 ドゥテルテ政府は今、健康、環境、国のエネルギー安全保障、またこれらの石炭火力発電所が引き金を引くことになる気候の危機に関して、分かれ道に立っている。石炭依存のエネルギー開発はドゥテルテ政権が前政権から引き継いだもの、というのは本当だが、それでもそれは、この不吉な政策の継続に彼が縛り付けられている、ということを意味するわけではない。
 彼は彼の前任者よりももっとよいことをやることができる。彼は今日、政権内でもっとも強力な公職者だ。そして、彼がそうすることを選択すれば、人民による権限付与を前提に、気味悪く迫りつつあるこの世の終わりからフィリピンを脱出させることができるのだ。彼の政綱が人民の利益に奉仕するということに彼が本当に真剣であるならば、その時、石炭の継続的な利用は解答ではない。(「フォーカス・オン・グローバルサウス」より)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)

パレスチナ・シリア

パレスチナから懸念呼ぶ議論に応える

連携問題で
われわれは自慢できない


 われわれは包囲下にあるパレスチナ人として、シリア人がバシャル・アルアサド体制の権力の下で猛攻と追い立てに耐えている中、彼らの声を拡大することへのわれわれの確固とした取り組みを確認するために書いている。われわれは、それがあらゆる形であからさまになっている抑圧は、われわれの集団的な解放に関与してきたすべての者の第一義的な懸念となるべきであるという、深い信念によって突き動かされている。解放というわれわれのビジョンには、彼らの闘争が時代遅れの地政学的枠組みにピッタリとはまっているかどうかに関わりなく、抑圧された人々すべての解放が含まれている。

アサド体制の
責任確認が前提


 われわれは、シリアでの進行中の諸危機に関して、進歩的な諸サークルからこの間現れてきたいくつかの主張を懸念している。特にわれわれは、パレスチナに関する努力で知られた何人かの個人が、シリアに関する彼らの分析でいくつかの決定的な全体関係を考慮に入れることができずにきたやり方に、とまどっている。
 シリア革命は事実として、四〇年にわたる権威主義的支配に対する当然の応答だった。アサド体制は、外国の財政的後援者と軍事的支援者の支えの下に、何百万人にものぼるシリア人を犠牲にして、その権力を保持しようと挑み続けている。体制はその犠牲者たちを、国外に追放し、投獄し、また虐殺してきた。われわれは確信するが、シリアに関するあらゆる議論において先のような背景を最小化することは、シリア人の自己決定を捨て去り、彼らの蜂起の正統性を掘り崩すものになる。
 われわれはさらに以下のことも確信する。つまり、蜂起の側に立って行われていると称するものも含めて、あらゆる外国の介入がつくり出した一つの重大な結果は、革命の当初の要求に関する後退となってきた、ということだ。革命は、これらの介入の成果ではなく、ある種のえじきとなる。
 シリアに関するどのような分析にとっても、この原則的な前提を認識することが肝要だ。われわれは、どれほど多くの主体がそうした介入に対抗して精力的に活動を続けているとしても、解放を求めるシリア人の闘争に対するそうした作用を消し去ることはできない。

抵抗おとしめる
議論を拒絶する


 われわれは、外国からの援助という問題は徹底的な検証を要するという立場を維持するが、しかし、シリア人の人道主義的努力に疑いを投げかけるために外国の援助が武器にされてきたやり方には、懸念を抱いている。
 外国の援助はシリアに対してだけ唯一ではない。つまりそれは同様に、パレスチナにおいても広く行われているのだ。われわれが拒否する言説は、一つの組織が外国の援助を受け続けているからといってそれだけで、その組織が西側が背後にいる何らかの影のある陰謀に加わっている、との結論がその後に続く、といったものだ。そのようなナンセンスには、諸々の人道主義的努力を掘り崩し、その一方で同時的に、何よりもその援助を必要にさせた人道に対する諸犯罪そのものを隠して表面を繕う、という双方の作用があるのだ。
 さらにわれわれは、「テロとの戦争」という用語の無頓着な採用に反対する。人道主義者、オルガナイザー、またコミュニティーメンバー、そうした人びとを標的にするために、解放に対する様々な敵こそが歴史的にこの言い回しを使用してきたのだ。いくつもの象徴的な事例を上げるまでもなく、われわれのコミュニティーは、この「テロとの戦争」枠組みを使ったまさに実体ある結末を、まったくあまりにも知りすぎている。それゆえわれわれは、こうした昔ながらの諸戦術を永続化させ、シリア人に敵対する有害で不当な嫌疑を受け売りする、そうした主張を拒絶する。

民衆の懸念無視
には同調しない


 ここに述べてきた線に沿うものとして、われわれの立場は、シリアの破壊におけるバシャル・アルアサドと彼の体制が果たしている中心的役割を無視する議論は、シリアに関する限りすべて、それによってわれわれが立つ連帯の諸原則に直接対立する、というものだ。
 われわれは、パレスチナ人の闘争の側に立って主張する人々をヒーロー視する、われわれ自身の傾向を深く考えてきた。そしてわれわれが恐れていることは、この戦争によって直接に悪影響を受けているシリア人、また彼らの故国が破壊されたさまをじっと見てきた中でのその声が退けられてきた、四散状態で生きているシリア人、こうした人々にわれわれが負う支援と敬意に関し、名士的諸個人のそうした地位に、われわれのコミュニティーメンバーのある者たちは優先的な重みを与えてきたのかもしれない、ということだ。
 われわれはもはや、彼らの分析において、包囲されたシリア人に対する直接的な懸念を認識できない、そうした諸個人を歓待することはないだろう。こうした諸個人の何人かに声を届けようとの努力にもかかわらず、かれらは彼らの分析の衝撃を深く考える意志を示してこなかった。残念なことだがわれわれには、かつてはわれわれが尊敬したこうした活動家たちとの共同した努力を取りやめる以外、残された選択肢はまったくない。
 われわれは、同じことをやる上で似かよった諸原則で導かれている他の人々を力づけたいと思う。
(二〇一六年一〇月一三日)(この後に続く非常に多数の個人の署名は省略する)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)


もどる

Back