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    かけはし2016.年10月31日号

右でも左でもなく正直さ求める、の次は?


イタリア

五つ星運動のあいまいな性格が告げるもの

労働者の運動と反資本主義的
階級組織の建設に近道はない

フランコ・トゥリグリアット

 欧米では伝統的政治諸勢力全体に不信が突き付けられ、政治的代表のあり方が深刻に揺らぎ始めている。そしてその対極に、極右の台頭があり、新たな左翼的な政治的勢力の押し上げや、その政治的結集の模索も見られる。イタリアでは、そうした現象が五つ星運動(M5S)の急成長として表現されているが、このM5Sは中でも、左でも右でもない、との自己規定が示すような独特な存在になっている。その特殊な性格が現実にもつ意味は、今年六月の地方選での大勝利後、再び重大になろうとしている。以下は、この局面で、M5S台頭の背景、その性格と政治的意味、をあらためて分析している。日本の現状と今後を考える上でも示唆に富む問題を投げかけている。(「かけはし」編集部)

 五つ星運動(イタリア語頭文字からM5S)、およびイタリアの二つの象徴的な都市(首都のローマとこの国の主要工業都市のトリノ)における今年六月の地方選での、若い候補者、ヴィルジニア・ラッギとチアラ・アペンディノの勝利は、コメディアンのベッペ・グリッロが創設したグループの政治的性格と政治的役割について、数多くの疑問をよみがえらせることとなった。

創設者たちと選挙での動向


「ベッペ・グリッロの友人たち」建設の初期段階は、二〇〇五年―二〇〇六年から始まっている。しかし二〇〇九年九月のM5S創設に向けた諸条件を生み出したものは、政治カーストに反対する二〇〇七年と二〇〇八年の、「ヴァッファンクロ(くそったれ)・デー」という二つの動員日だった。地方選での投票という最初のテストはつつましいものだった。そして二〇一二年まで、M5Sが重要な結果を得ることはなかった。
しかしこの二〇一二年、いくつかの都市で初めて意義ある結果を得た。そこには、ジェノバと特にパルマが含まれた。そして後者では、M5Sが市長を獲得した。これが、二〇一三年総選挙における大成功に向けた出発点となった。この選挙でM5Sは、民主党(PD、イタリア共産党の後継政党であり中道左派に位置する)の二五・四二%に対し二五・五六%、八六九万票余をもって、最大政党になった。しかし、後者はその連携相手と合算して得票率二九・一八%を勝ち取り、この得票率がPDに、下院多数派としての特別割り増し請求を可能にした。
二〇一四年のEU議会選では、M5Sの結果は、PDの例外的結果(四〇・八一%)、およびベルルスコーニのフォルツァ・イタリアの大後退(一六・八一%)に対し、得票率二一・一六%に達した。そして二〇一六年のローマとトリノにおける勝利があった。とはいえM5Sは、ミラノ、ボローニャ、特にナポリで敗退した。後者では、市民と左翼の連合のトップとして、現職市長のルイジ・デマジストリスが再選された。
議会選挙を前にした先頃の調査は、PD、M5S、さらに右翼の統一リストに対し、多少とも似かよった投票意志(およそ三〇%)を示している。
M5Sという政治構想は、二人の男によって構築され、明確なものにされた。トップの位置には、政治カースト、腐敗、また環境破壊に反対する呪いの言葉で知られ、幅広い聴衆に対する大きな影響力を備えた芸人、ベッペ・グリッロがいる。次いでこの事業のトップには、大企業、カサレッジオ・アソシアティのオーナーであるジアンロベルト・カサレッジオがいた。先の企業は、通信とマーケティングに特化した企業であり、そのことが、インターネットのネットワークに依拠した中央集権化され統制の効いた組織の形成を可能にした。
M5Sは、極めて支配的な役割を果たす二人の指導者をもつ、非常に垂直的な上意下達的な勢力だ。カサレッジオの先頃の死も、この仕組みを変えることはなかった。父親の役割は、現在先の企業を経営している彼の息子に引き継がれたからだ。
しかしながら、運動と諸制度におけるその存在感の発展は、下院と上院の議員団指導者たちの比重を高めることになっている。全国レベルでは、五人から構成される運営委員会が形成された。しかし最終決定権は今もグリッロが握っている。

M5Sの本性と特質とその背景


この運動の特質とは何だろうか? 旧来のマルクス主義の用語を使えばわれわれは、その指導部構成、その政治的綱領、またその目的から、これをプチブルジョア運動と言うと思われる。つまり綱領や目的は、腐敗と特権を処罰し、インターネットを介して公的諸行為に透明性と市民の統制を課し、社会と諸制度の機能を民主化し、合理化する、ということだ。ここで資本主義のシステムはまったく問題とはされず、ただその行き過ぎとその政策策定者の腐敗だけが厳しく非難されている。
したがってM5Sは、支配的な新自由主義的経済諸政策に対して、あるいは資本主義的緊縮に対しても、実質的な反対キャンペーンを展開していない。その主なスローガンは、正直さを求める要求であり、その中心的な政治的テーマは、政治階級の特権に反対する闘争だ。つまりその運動は、社会の「浄化」と「救済者」として突き出されている。
こうしてM5Sは、右でもなく左でもない、ということをめざしている。それは彼ら自身がそう考えているから、というだけではなく、またその目的に向け、右と左双方から支持を引きつけることを可能とする、諸々の言葉、メッセージ、具体的な諸提案の混ぜ合わせを意識的に使ってもいるからだ。
環境、交通、市民的諸権利、あるいはエネルギーといった一定の分野では、左翼の主張を防衛し、M5Sの活動家もこうした主題の動員には精力的に関わっている。移民、公務部門被雇用者あるいは労組の役割といった他の分野では、M5Sは概して右翼の立場を守っている。脱政治化したあるいは右翼の民衆層の支持を集めるために練られた、明らかに外国人嫌悪の調子を帯びた、彼らの指導者何人か、あるいは活動家たちの言明には、長いリストがある。
指導グループの能力はまさしく、ある種あいまいな、しかし信頼の置けるイメージを作り上げる点で成功を果たした、という点にある。その操作が可能になった理由は、労働者の階級意識における、同じく彼らの状況にもはや耐えることができず変化を欲している大衆の、政治的自覚の平均レベルにおける、大きな下落にそれが対応していることにある。後者は、階級的組織と集団的対応の不在の中で、M5Sの「反カースト」という立場の中に一つの回答を見つけることができる、と考えているのだ。
この運動の急速な成長は、今世紀の最初の一〇年に起きたことを考慮に入れた時初めて説明可能になる。つまり、労働者のさまざまな大ストライキと社会運動、それらの無惨な敗北、中道左翼プロディ政権(二〇〇六―二〇〇八年)と共産主義再建党の破綻だ。これらすべての展開は、そのもっとも基本的な形態におけるものまで含んだ階級意識の崩壊を伴って、労働者階級の広範な層の深い幻滅と士気阻喪に導いた。二〇〇八年の経済危機と破壊的な緊縮諸政策は、この現象を結論まで進めた。つまり労働者階級は、もはや政治的主体ではない。
M5Sは、この間引き継がれてきた諸政権による外交政策と軍事介入に対する一定の決定を批判してきた。しかし、資本主義と帝国主義の大国としてイタリアが果たしている役割を、疑問に付してはいない。EUに関しては、環境に応じて矛盾した立場をとってきた。それは、ユーロからの離脱から、他のはるかに穏健な諸要求までの広がりがある。M5SEU議員の、ニジェル・ファラージュのUKIP(英国独立党)と同じグループへの加入は、これが英国の極右政党の政治的選択の採用を意味しているわけではないとしても、グリッロのあいまいさすべてを表している。

グリッロ運動階級横断的綱領


M5Sは極度に制度的な勢力だ。それは、議会内では民主的な戦闘を行ってきた。そして現在は、一九四八年のイタリア憲法に対するレンツィ(現首相)の改革案に反対している。しかしこの運動は、この行動を多様な大衆の民主的な決起に合流させようとはしていない。まして、労働者運動のイニシアチブに対してはなおのことそうだ。また、緊縮の年月を経て民衆諸階級が生きている劇的な諸条件に対処するための、雇用と不安定性の諸問題に関する実のある綱領を充実させることにも、関心をもっていない。
グリッロ運動は中心的目標として、発展への鍵として、中小企業に対する追加的な減税の導入を、また仕事がないままの人々に対する額不定の市民所得(事実上は慈善の一形態)を提案している。その綱領は新自由主義的資本主義の教条に疑問をつけず、あるいは経済への新たなまた強力な公衆的な介入の必要性、、あるいは労働時間の全般的な短縮や労働協約の防衛に対する必要も前進させていない。この運動の階級横断的な本性を前提とすれば、それに関して不思議なことは何もない。
その指導者たちは、プチブルジョアジー出身であり、自由業的専門職を含んださまざまな雇用タイプの背景をもっている。下部の活動家たちは、自営や被雇用者という、どちらかと言えば知的性格のさまざまな雇用の背景からやって来ているが、それだけにも限られない。そのうちのある者たちは不安定な仕事に就いている。はるかに少ないのは、工業と「伝統的な」労働者階級から来ている活動家だ。逆に、M5Sの候補者に投票した私企業部門と公務部門の者(労働組合の下部代表たちを含んで)は数多い。先の地方選は、貧困層と周辺化されている層内部で、そして彼らは彼らが自らを見出している状況に対するオルタナティブを見つけ出すために必死となっているのだが、その層から重要な数の票を確保するこの運動の能力を示した。

内部構造と他の諸勢力との関係


その内部構造は、組織全体に対して二人の主要指導者による全面的な支配を確実にするために構築された。諸々の決定は、メンバーたちの投票――おそらく指示された――によって、そして実のある公開的な論争なしに、素早く一致してとられている。そしてこうしたことは、組織の基礎をなすものとは一致していないと見られた、あるいは単に公式の立場と一致していないと見られたメンバーが排除される場合にも、同じ形で起きている。M5Sの基礎組織は、「偶然の出会い」(運動のネットワークを通して上から始められる、選挙に関する諸集会)だ。つまり、直接に顔を合わす会合はまれなことなのだ。しかしこれらは、選挙キャンペーン期に、その重要性を示してきた。
M5Sの内部機能はそれゆえ、民主的な観点から見て極めて疑問がある。他方、他の政治組織に対しては、原理的にセクト主義的なふるまいの証拠がある。M5Sのメンバーにとっては、彼らの運動だけしかないのだ。つまり、他の諸勢力は、再生されるべき、そして「不純」な外の世界に属している、旧システムの一部なのだ。M5Sは市民の参加を主唱しているが、しかしそれは、彼らの手法の枠組みの内部だけのこと、そしてその運動がその活動をその下で行う形態に市民が同化する場合だけのことだ。
ローマやトリノのような都市の統治は今M5Sを、その政治的敵手からの強力な攻撃に、同じく巨大な政治的かつ市政管理の諸問題にさらしている。これらの力学を追いかけることが重要になるだろう。
グリッロに幻想をもつまでに一定層を導くグリッロ運動の成功は、わが国における左翼の危機と敗北に光を当てている。しかし、雇用主と彼らを代表する政府の諸政策に対処するために本質的な、大衆的な社会運動を築き上げることは、M5Sの仕事の本性にはない。
現在までに彼らが行ったことと同じく、「グリッロ主義者」は、資本の支配と市場を問題にすることなく、ある者たちを非難しつつ、しかし政府による惨害については僅かしか非難しないまま、住民の不満という選挙上の利益を刈り取ろうともくろむだろう。労働者大衆の運動と反資本主義的階級組織の建設という任務には、近道はまったくない。M5S現象は、それを確証するばかりだ。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号) 

女性

中絶禁止法反対

パリで一〇〇〇人が連帯行動

ペネロペ・ドゥガン

 一〇月二日、提案中の新中絶禁止法を糾弾するために、およそ一〇〇〇人がパリのポーランド大使館前に集まった。「#czarny protest」の中で活動している若いポーランド女性が始めた抗議行動は、フェミニスト諸組織、左翼諸政党、主要労組から支持を受けた。
世界女性行進は、欧州デモが、特にEU内でもっとも制限の強い法をもつポーランド、アイルランド、マルタに光を当てて、来年ブリュッセルで組織される、と公表した。

▼筆者は、第四インターナショナルのビューローメンバーであり、IVの編集者。フランスNPA活動家として、地方選と全国選挙では候補者にもなっている。アムステルダムIIREの、特に青年と女性のプログラムに責任を負うスタッフでもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年一〇月号)


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