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    かけはし2016.年10月10日号

組織率4%の巨大な潜在力


インド


世界史上最大のゼネスト

ヴィジャイ・プラシャド

 一般紙ではほとんど伝えられていないが、九月二日、インドの労働者が大ゼネストに決起した。以下はその詳報。日本のスズキが親会社であるインドの工場で昨年ストライキが勃発したことは記憶に新しいが、以下は、インドの階級闘争が今なお活力を保っていることを伝えている。(「かけはし」編集部)

無視しても事実は変わらない


一億五〇〇〇万人の労働者が仕事を放棄したが、メディアはそれを無視し続けている。
労組指導者たちは、二〇一六年九月二日、いかに多くの人々が作業を停止したかを語ることを抑制している。彼らは単に、確実な情報を提供することができないだけだ。しかし彼らは、数々のストライキ――インドが一九九一年に新しい経済政策を導入して以後の一七回目のゼネスト――が、これまでで最大となった、と語っているのだ。ニュースメディア企業――ストライキ愛好者ではまったくない――も、ストライキ参加者数は一億五〇〇〇万人の労働者という見積もりを超えたと伝えた。一定数の新聞は、インドの労働者一億八〇〇〇万人が仕事を放棄した、と示している。これが事実であれば、これは記録に残るゼネストとしては史上最大となる。
それでもそれはメディアの中で、多くの考察を与えられてはいない。あるのは、ほんのわずかの一面記事、静まりきった工場や銀行、また茶葉農場やバス基地の外を行進する労働者のさらに数の少ない写真、といったものだ。個人としてのジャーナリストの鋭敏性は、新聞社オーナーが築き上げたシニシズムの壁、あるいは彼らがつくり出したいと思っている文化のすきまを通して、僅かに現れることができるだけだ。彼らにとって労働者の闘争は、日々の暮らしに対するいわば迷惑なのだ。メディア企業にとってはストライキを、労働者とは離れて暮らしているように見える一般市民に対する不快物、妨害物と描く方がはるかによいことだ。ストライキの取材を決めているのは、この心からのかつ困難な行動に立ち上がるよう労働者を動かしている諸問題ではなく、中産階級の憤激なのだ。ストライキは、すたれたものとして、今とは違う時代の遺物として扱われている。それは、彼らの失望と希望を声に出す、労働者にとっての必要不可欠の手段とは見られていない。赤旗、スローガン、そして発言、これらは困惑をもって色を塗られている。それはまるで、そこに背を向けることがともかくもそれらを消し去ることになるかもしれない、とでも言うかのようだ。

人口の半分を放置する成長政策

 ある主要国際ビジネスコンサルタント会社は、六億八〇〇〇万人のインド人は欠乏状態の中で暮らしている、と報告した――二、三年前。これらの人々――インドの人口の半分――は、食料、エネルギー、住居、飲料水、下水設備、医療、教育、社会保障といった暮らしの基本を奪われている。インドの労働者と農民は、こうした奪われた者たちの中に数えられている。インドの労働者の九〇%は、闇的な部門に存在し、そこでは、職場における保護は最低限であり、労組を結成する権利は事実上まったく存在していない。これらの労働者は、インドの成長という設定課題に対しては周辺的というわけではない。二〇〇二年、労働に関する全国委員会は、あらゆるインド人にとっての将来の労働に対する主要な源泉は闇的部門にあると思われ、それはすでにGDPの半分以上を生産している、と見出した。それゆえインドの労働の未来は、人間的尊厳の侵犯を阻止するために時折もたらされる権利を伴った闇的なものだ。インドの労働者にとっての希望は、単純に言って、インドにおける現在の分配の一部ではない。
ナレンドラ・モディ首相は、彼の終わりのない世界周遊の一部のようにあらためて対外的歩みに勢いをつけたが、これらの労働者たちを気には止めなかった。彼の目標は、インドの成長率を高めることだ。そしてそれは、彼がグジャラート州の首相であった時の事例で判定されるように、労働者の権利と貧困層の暮らしに向けられた姿勢のような、ある種の共食いを付随する可能性がある。国家資産の売り渡し、私的事業に対する莫大に儲かる取引の供与、そして外国の直接投資に対するインド経済のドアの開け放し、こうしたことが、成長率引き上げのための仕掛けだ。こうした戦略のどれ一つとして、IMFでさえ認めているように、社会的平等には導かないだろう。この成長の軌道は、より大きな不平等へと、労働者にとってはより小さな力とより大きな欠乏へと導く。

圧倒的闇雇用に挑戦する諸労組


インドの労働力のたった四%だけが労組の中にいる。こうした諸労組が単に自らの弱々しい諸権利を守るためだけに闘っていたならば、彼らの力はもっとはるかに腐食していただろう。労組の力は、組合民主主義に敵対する最高裁判決をもって、さらにインドの労働者を他のところの労働者に対して競争させる世界的な商品網をもって、インド経済が一九九一年に自由化されて以後、大きくむしばまれた。
インドの諸労組が闇的部門にいる労働者と農民の労働諸条件と生活条件を包含してきた――さまざまな程度で――ことは、インドの諸労組の名誉と言える。諸労組に今なお残っている力は何であれ、彼らがこれまで行い続けてきたこと――闇的部門の労働者と農民という巨大な大衆に向かうこと、そして彼らを労組と階級闘争の文化に引き込むこと――を行う場合にのみ成長可能だ。
階級闘争は労組あるいは労働者の作りものではない。それは、資本主義システム内にいる労働者にとって、生活のいわば事実なのだ。労働者の労働力を買う資本家は、その労働力を可能な限り効率的にし、生産的にするよう追求する。資本家はこの生産性から成果を獲得し、この労働者を夜には、翌日戻るエネルギーを得る方法を見つけ出すよう彼らのスラムへと払い落とす。階級闘争の本質となるものは、より生産的となるための、そして労働者の生産性の成果を資本家に贈与させるための、この圧力なのだ。労働者がこの成果のよりマシな分け前を欲する時、資本家はそれを聞こうとしない。意識的なやり方で階級闘争に入るための声を労働者に提供するのはストライキ――一九世紀の発明物――だ。
インドの場合、最初のストライキは一八六二年の四―五月にあった。その時、ホウラー鉄道駅の鉄道労働者が八時間労働日の権利をめぐってストライキに入った。
ストライキが中産階級につくり出す不便が何であれ、それは、労働者たちが彼らの生産性の超過分を資本家に取られている中で耐えている日々の「不便」に対して、計られなければならない。一八六二年これらの労働者たちは、彼らの命を消耗させた果てしない一〇時間交代労働を望まなかった。彼らのストライキは、彼らが声を上げることを可能にした。つまり、われわれは八時間以上の仕事をするつもりはない、と。
ストライキに対する批判者は確実に、君たちの声が聞き届けられる方法には別のものがある、と言うだろう。しかしこの労働者たちには、別の方法は一切示されたことなどなかった。この労働者たちは、「ロビー」活動するための政治的力も、メディアを支配する経済力もなかったのだ。しかし別の方法は、労働者階級のこれらの祝祭に対しては寡黙だ。

首相の本拠でも労働者の大反攻

 ナレンドラ・モディの本拠の州であるグジャラートの労働者たちは、大きな熱気をもってこのストライキに加わった。ここには、ブハヴナガルの港湾労働者に加え、七万人の保育所労働者と昼食施設労働者が含まれていた。タミル・ナドゥの縫製労働者とカルナタカの自動車工場労働者は彼らの職場を閉鎖した。銀行と保険会社従業員は、動力織機オペレーターと鉄鉱石鉱山労働者に加わり、その中で、国中の交通労働者が、彼らのバスとトラックの発着所から出て立ち上がることを決定した。共産党系諸労組は、労働者の最大限に幅広い決起を確実なものにするために、他の諸労組に合流した。
このストライキに参加した地方労組各々には、それ自身の不満の種、それ自身の心配事や諸々の失望感があった。しかし、これらの何百万人という労働者たちを統一した幅広い課題は、職場の民主主義を求める要求、社会的富のより大きな分配を求める要求、またより毒々しさのない社会の全体図を求める要求、を中心主題としていた。
労働者は――彼らの組合を通じて――、政府に対し一二項目の要求を突き付けたが、政府はそれらを無視した。政府は、ストライキが力強いものになるかもしれないと見えた最後の瞬間になって、小さな妥協をいくつか行おうともくろんだ。これは十分なものではなかった。それは、諸労組が考えたように、いわば侮辱だった。
このストライキだけで政府からの妥協にいたるとの期待はまったくない。何といっても昨年、一億五〇〇〇万人の労働者がストライキに立ち上がったが、政府はその反労働者諸政策から動くことはなかったのだ。代わりにナレンドラ・モディ政権は、「労働力市場改革」――つまり、労組を骨抜きにし、労働者を意のままに解雇する権利を強める――への傾倒を深めた。
このストライキが語っていることは、インドの労働者は階級闘争に今も生き生きととどまっている、ということだ。彼らは現実に屈服はしなかった。政府が経済を世界的資本の貪欲な利益に向け解放することを決めた一九九一年、労働者たちは反乱した。一九九二年、ボンベイの紡織労働者は、肌着のまま街頭に繰り出した。彼らは、新しい秩序は彼らを惨めな貧困の中に取り残すだろう、と高く声を上げた。彼らの象徴的な姿こそ現在の現実なのだ。
▼筆者はコネチカット州ハートフォードにあるトリニティ・カレッジの、国際研究所教授。一八冊の著作がある。(「インターナショナルビューポイント」九月号)  

シリア

オバマの出口戦略

関心は別のところに移った

ジルベール・アシュカル


 アサドが身を引き、多元的な政権への移行を可能にする、そうした合意がなければ、休戦が見込みのあるものになることは決してない。

休戦崩壊の源は
中心問題の迂回


 ほとんど全員が今言うことができるように、シリアにおける新たな休戦合意は、諸々の危機の中核的な政治的問題を解決しないすべてのそうした合意がそう思われたように、壊れる運命にある。もちろん、長続きしない一休みだとしても、まったく何もないよりはマシだ(とはいえ、これまでのところ休戦は、人道的救援に関して極めて失望を呼ぶものだった)。
 しかし、バシャル・アルアサドが身を引き、多元的な政権へのある種の移行を可能にする包括的合意を含む課題設定を欠いたままでは、戦争で引き裂かれたこの国で休戦を見込みのあるものにすることは決してない。主流的反政権派がある種の裏切りを迫る絶対命令を受け入れたとしても、それはたちまちのうちに戦士たちによって出し抜かれるだろう。彼らにとっては、権力からのアサド一族の撤退に満たないあらゆることは、何十万人というシリア人が殺害され、さらに多くが障がいを負わされ、この国の巨大な資産ががれきに変えられ、代わりに何もない、ということを受け入れるに等しいものだと思われる。
 真の平和を支える妥協といったものに達する休戦のためには、対立する全政党の間に強い動機がなければならない。そのような動機の欠如こそが、二三年前ワシントンで署名されたオスロ協定が、イスラエル・パレスチナ紛争を解決できなかった理由だ。
 すなわちその協定は、一九六七年に占領されたパレスチナ領域でのイスラエル人入植地の運命を含む、あらゆる決定的な課題に関する決定を後回しにすることの上で宣言された。その結果は予測可能だった。現実にイスラエルはこの協定直後の時期に、パレスチナ人の憤りの高まりとその後の「和平プロセス」の崩壊を引き起こしつつ、西岸へのその支配を打ち固めた。

現地での軍事的
力関係が決定的


 真の政治的解決は、アサド政権とそのイラン人後援者に実体ある妥協を探すよう強いると思われる、そうしたシリア現地における軍事的力関係なしにはあり得ない。われわれの下にあるものは、ほとんどその反対のことだ。つまりシリアの体制は、イランとロシアの援助に勇気をもらい、全土を再征服する、と豪語している。
 二〇一二年以後のオバマ政権内部におけるシリアに関する論争の主要な骨格は、鍵を握る指導的人物が証言するように、そのような力関係をつくり出す――特に、シリア政権がもつ大規模破壊の主要な武器、空軍の政権による利用を限定できる対空ミサイルを反政権派に供与することによる――という課題であり続けた。この課題が今なお決定的であるという事実は、ペンタゴンが国務長官のジョン・ケリーが交渉した合意にゴーサインを出すことを渋ったことで証明されている。
 伝えられたこと(つまりリークされたこと)によれば、米軍の作戦担当者たちは、シリア政権とそのイランとロシアの後援者たちが妥協に舵を切った休戦に応じる意志があるとはまったく信用していない。加えてペンタゴンは、シリアの反政権派に関する軍事データを彼らの相手となっているロシアと共有するつもりにはなっていない。それが前者に対する一層の爆撃に利用されるかもしれない、という怖れのためだ。
 そして彼らが疑い深くなるのは正しい。ケリーはすでに、外交的素朴さの目立つ化身としての歴史における位置にふさわしいものになっているのだ。つまり、現地での行動による支えのない交渉を通じて紛争を解決するという能力に関する彼の確信、そして、シリアの苦境から米国が抜け出すことを助けるモスクワの意志に関する驚くべき希望的思考、といったことだ。ちなみに前者については、「一つの部屋に関係諸部分を集めることができさえすれば問題を解決できるとする、彼の能力への限界を知らない自信」として、フィナンシャルタイムスで適切に描かれた。

米国への幻想は
中東で消失した


 しかしながら、バラク・オバマ――その器用さが疑われる可能性はほとんどない――が彼の国務長官の性癖を共有しているということは、ほとんどありそうもない。米大統領は過去四年、シリアに関する彼の姿勢を変えることを頑固に拒否してきた。それが、その紛争がシリア民衆にとってのいわば破局へと、さらにアフガニスタンとイラクに続いて、米外交政策にとってのもう一つの大惨害へと、転化することに余地を与え続けた、という圧倒的な証拠にもかかわらずだ。
 そうすることでオバマは、アラブの大衆的世論の大きな部分を、次のように確信させることができただけだった。つまり、イラクを侵略し、過去五年シリアで展開し続けてきたものよりも比較にならないほど悪質でない状況を理由にリビアを爆撃した米国は、石油資源の豊富な諸国に気を配っているにすぎない、と。以前の戦争でワシントンが訴えた民主主義と人道主義の口実について、何らかの幻想をもった者がこの地域に誰かいたとしても、今となっては彼らもそれらを完全になくしている。
 中東の軍事・政治情勢に関するもっとも明敏な観察者の一人であるアンソニー・コーデスマンが近頃認めたように、米大統領は今や完全にある種の「出口戦略」に的を絞っている。とはいえそれは、シリア危機からの退出ではなく、彼自身の大統領職からの退出だ。(九月一九日)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年九月号)
 


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