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    かけはし2016.年10月10日号

「若者を闘いに獲得しよう」


沖縄報告 10月2日
辺野古新基地も、高江ヘリパッドもいらない

沖縄 K・S

9.29

「年内完了」宣言を粉砕しよう

直接行動で工事をストップ

週2回の集中行動でダンプを止める

 北部訓練場ヘリパッド建設予定地のN1ゲート前では水曜と土曜の週二回、県議員、市町村議員を含めた数百人の集中行動でダンプによる砕石などの資材搬入を終日ないし半日阻止している。それ以外の曜日は国頭村の採石場から国道・県道を通りN1ゲート前まで多様な方法で抗議行動を行っているが、集中行動日に比べて現地に結集する人数が少ないため、ダンプによる資材搬入を阻止ないし大幅遅延させることができていない。防衛局は、阻止行動で資材搬入が予定通りできない日の分までも集中的に資材搬入を強行しているのが現状である。

ゲート前行動に呼応する
訓練場での直接行動
こうした外から資材を持ち込ませない闘いと合わせて、九月二二日から毎日早朝から行っているのは北部訓練場の中での闘いだ。防衛局によるヘリパッド建設工事は、N1(A、B)、H、Gの計四個のヘリパッド建設、そしてN1からHおよびGに至る運搬道路の造成である。防衛局は七月の着工以来、県道七〇号線に面したN1ゲートからN1ヘリパッド・ポイントに至る運搬道路とN1の二カ所のヘリパッド予定地の造成を行った。しかし、HおよびGのヘリパッド予定地は、運搬道路ができてはじめてヘリパッド建設が本格化する。現在、N1からHに至る運搬道路造成の最終段階にあるが、Gへの道路およびヘリパッド用地造成はまだできていない。用地造成、大量の砕石投入、固めた上に芝生張りなど、ヘリパッド建設工事全体の工程から見るとまだまだ先は長い。
ところが安倍は九月二六日、臨時国会の所信表明演説で、高江ヘリパッドの「年内完了」を表明した。来年一月の米大統領就任式までに何とか完成させたいのだろうが、確かなメドが立っている訳ではなく、安倍の願望にすぎない。国会で表明したにもかかわらず年内にヘリパッドができなければ、安倍は面目を失い、日本政府の信頼も揺らぐ。「年内完了」宣言は安倍のパフォーマンスだ。

N1裏テントから
人が訓練場内へ
九月二九日も早朝から北部訓練場内でのヘリパッド建設工事を止める直接行動が展開された。夜明けとともにN1裏テントに集合した参加者は約三〇人。四班に分かれ、帽子、長靴、飲み物などの持ち物と注意事項を確認して北部訓練場内に入っていった。もともと北部訓練場には通常米軍基地の周囲に張り巡らされるフェンスがゲート周辺だけにしかない。したがって、県道・村道などとの境界が明確でないし、入ろうと思えばどこからでも自由に出入りすることができるのである。
なだらかな丘や急な斜面、小川が流れる谷を通り、やんばるの森の中を歩くこと約三〇分。N1ヘリパッド・ポイント付近からH地区のヘリパッド・ポイントへいたる、造成中の運搬道路に出る。この場所はまだ木が伐採されていない。「許可なく立ち入ることはできません」という「警告」がぶら下がった黄色と黒の細いロープをくぐると、防衛局の職員が並んでお出迎えだ。「ここは米軍への提供施設です。立ち入らないでください」という声を無視して、工事中の伐採現場へと向かう。
防衛局は当初、七月県に提出した作業計画では「自然に配慮」して、ヘリパッド工事は一カ所ずつ、作業用モノレールを設置、工期は一年一カ月としていたが、九月にダンプが通行することのできる運搬道路を造成し、三カ所同時、工期は六カ月に切り替えた。そして、直径三〇〜四〇センチもあるような木も含め、亜熱帯の木々を三七〇〇本以上も無茶苦茶に伐採しながら道路建設を強行している。伐採は地面すれすれまで行い、その上をセメント入りの砕石でおおっていくというやり方だ。やんばるの森を国立公園に指定しながら、同じ森の中にある米軍基地内は自然破壊の極だ。

我々が到着すると
作業員は自主退去
われわれが現場に到着すると、H地区のヘリパッドまで約二〇〇mの地点で作業員がチェーンソーを使って伐採している最中だった。あと二〜三日でHまで運搬道路が通じるという状況だ。作業員に工事をやめるよう訴える直接行動は非常に効果がある。たいていの場合、作業員は阻止団が現れると工事をやめて退去する。この日も、われわれが現場に到着すると作業員は工事をやめてN1ポイント方面へ自主的に退去していった。キャタピラーの付いたショベルカーも置いたままだ。造成中の運搬道路は様々な種類の木々が無残に切り倒され道の両側に投げやられ、N1方面からセメントがこねられた砕石がすでにかなり敷き詰められている状態だ。長い年月をかけて育った緑豊かなやんばるの森が一瞬のうちに破壊されてしまっていた。
われわれは道の両側に無造作に投げ捨てられている伐採された木を道の真ん中に引きずりだす作業を根気強く行う。たちまち長さ一〇〇〜二〇〇mにわたり、伐採された木のバリケードが出来上がった。そして、オオシマゼミの鳴き声を聞きながら木陰で寝転んだり座り込んだりして自由に過ごす間、防衛局の職員や警察の指揮官が様子見のため、数人ずつ行き来する。
林野庁沖縄森林管理署の清水署長をはじめ職員一〇人ほどはN1からHに至る運搬道路の道幅の測量を二〇m間隔で五四ポイントにわたって行った。防衛局と森林管理署の事前協議書で示された「標準道幅三m」が計画通りなのかどうかを確認するものだ。ところが、測量後清水所長は「道幅は最大六・九mのところがあったが、適切な伐採範囲」だと述べた。森林管理署は「森を守る」という自分たちの役割を完全におろそかにしていることに恥じないのか。強権化した権力に対する官僚たちの追随と自己保身は本当に目に余る。

防衛局と機動隊に
対峙しながら撤退
午後になって、防衛局一〇数人が機動隊約一〇〇人を伴って現れ、「ここは米軍提供施設内です。速やかに退去してください」と繰り返す。その後ろには、バリケードを片付けるバックホーが懸命に作業している。われわれは防衛局と機動隊に対峙しながら、徐々に後退し、H地区ヘリパッド付近から森に抜けるところまで押し返された。その地点で休憩中、一部はHヘリパッドの斜面へと向かった。前日伐採阻止のために闘い、黄色と黒の通称トラロープで体を縛られ引き上げられた場所である。前日伐採された木が無造作に斜面に折り重なっている。防衛局と機動隊はヘリパッド予定地の上から監視しているが、われわれはしばらく状況確認したのち、休憩中のグループと合流してN1裏テントで総括集会を持った。
「早朝三〇人、午後からの参加者もあわせて四〇人で、実質的に道路建設作業をストップさせた。今朝の新聞の刑特法適用との記事で少し心配していたが、人が集まれば効果的な闘いができるし、刑特法もはね返すことができる。厳しい闘いだが勇気をもって闘おう」とのまとめを全員の拍手と掛け声で確認し、午後五時過ぎ、一日の行動を終えた。テントでは、朝と同じく、炊き出し班が、疲れて帰ってきた参加者のために、冷たいスイカと温かいご飯を準備してふるまってくれた。

10.1

土曜集中行動に230人結集

高江ゲート前に座り込み

1日中トラックはゲート内に入れず

 一〇月一日は土曜集中行動日だ。早朝から、沖縄の各地、全国各地から結集した人々によりN1ゲート前は参加者の乗用車と座り込みで占拠された。警察機動隊はいつものようにカマボコ車をズラリと配置していたが排除活動に出ることなく、トラックによる資材搬入も一日中なかった。
この日、防衛局は集中行動日の資材搬入を避けたが、前日の九月三〇日にはダンプ一二台、三往復、合計三六台に上る砕石の搬入を強行した。連日資材搬入を阻止する闘いに取り組んでいる高江連絡会の間島さんは、集会の初めに前に立ち、「国頭村の採石場入り口で、トラックの前に立って運搬に協力しないことを運転手に訴えている。道路ではノロノロ運転や斜めに車を止めたりして少しでもダンプの現場への到着を遅らせる行動を続けている」と毎日の取り組みを報告した。

「会派おきなわ」の
3人が連帯のあいさつ
この日、県議の参加は会派「おきなわ」の新垣清涼、親川敬、瑞慶覧功の三氏だった。三氏は各々県議会の様子を報告し、「日本政府に魂を売り渡した沖縄自民党が大声で予算が削減されたのも裁判で県敗訴となったのもすべて知事の責任だというとんでもない乱暴な主張をしてきたが、翁長知事は風邪気味にもかかわらず、我慢強く沖縄自民党の誤りに反論した。立派だ。来週からは県警と県公安委員会を追及する」と述べた。また、新垣議員は「先日道路往来妨害で押収された普天間爆音の宣伝カーは私名義だ。何か詫びの言葉でも取ろうとしたのか産経新聞が取材に来たが、何もやましいことはないと突っぱねた」と報告した。
市町村議員に次いで発言した立命館大学の徐勝さんは「二〇年前初めて沖縄に来て八汐荘で講演して以来これまで何十回となく沖縄に足を運び、沖縄の闘いから学んできた。今朝鮮半島は戦争危機の中にある。韓国の星州(ソンジュ)では五万人の人口のうち一万人の参加するサード配置に反対する集会を持った。沖縄は東アジアで最も厳しい闘いをしているところだ。来週韓国の労働者八〇人が沖縄を訪問する。来年一月には教育労働者三〇〜四〇人が来る。東アジアで戦争勢力に対する共通の闘いを進めよう」とアピールした。

糸数隆さんが「若
者を獲得しよう」
一九七六年の喜瀬武原闘争で恩納村の米海兵隊キャンプ・ハンセンの中に入り実弾演習阻止を身を挺して闘い、刑特法で起訴された糸数隆さんはまず、糸数慶子さんの近況について、「伊波洋一さんが当選し会派・おきなわの風を二人で結成してから活動の幅が広がった。テレビをご覧になった方もいるかと思うが、野党連絡会に出席している。テレビを見ている人たちはあのおばちゃんは一体誰?と、注目している。また、外交委と沖特委にひとつずつ席を占めることができた。院内で辺野古の写真展もやる」と紹介した後、自身の闘いについて語った。
「四〇年前と比べて全く変わらないのは沖縄の状況。変わったのは私。当時二七歳の青年が六七歳になった。二二日間拘留され七年間裁判をした。最高裁に行かなかったのは悪い判例を作りたくなかったからだ。機動隊が沖縄に派遣されている県外の各県で、沖縄に機動隊を出すな、という取り組みをしてほしい。今闘いの現場に若者がいないといわれる。仕事をしているから昼間現場に来れないといわれる。当時はみんな若者たちだった。しかし、当時われわれだって働いていた。交代で年休をとって参加したのだ。現在の基地建設の問題はわれわれ年寄りより若者により切実な問題だ。若者を獲得しなければならない。若者を動員しなければならない」。

100人が砕石の
上で座り込みを展開
午後一時ごろゲート前集会を中締した後、六〇〜七〇人の参加者が自主的に県道七〇号線から小山を登って北部訓練場の中に入り、N1ゲート近くの砕石集積場へと向かった。砕石集積場に至る道には金網とカミソリ鉄条網が設置され、防衛局に雇われたガードマンたちがスクラムを組んで阻止線を張っているが、われわれはものともせず、金網を乗り越え、あるいは左右から迂回して砕石集積場内へ進入した。採石場内は作業員の休憩所とみられるプレハブと簡易トイレが二台、その向こうの一段高くなったところが砕石集積場所だ。ユンボが一台作業をしているが、道路造成現場を行き来するトラックの姿は見えない。一部先着メンバーは砕石の山の上や横に座り込む。いつの間にかユンボは作業をやめていた。この段階になって、採石場進入に慌てて防衛局職員一〇数人と機動隊四〇〜五〇人が配置され始めた。われわれは彼らと対峙し座り込み、抗議集会を開く。早朝N1裏から工事現場に入りHヘリパッド付近で阻止行動をしていた部隊も合流し参加者は一〇〇人に膨れ上がった。防衛局はハンドマイクで「ここは米軍提供施設区域内です。速やかに退去してください」と繰り返す。誰も動じない。「われわれは米軍に施設を提供した覚えはないゾ。退去すべきは防衛局と機動隊だ」。
その後機動隊が強制排除に着手した二時過ぎからわれわれは徐々に後退していき、最終的に金網の外の広場でまとめの集会を開いたあと、ゲート前の残留部隊と合流したのは三時前だった。二時間近く砕石集積場での行動を続けていたことになる。

「刑特法」適用を
もくろむ日米政府
日本政府はこうした北部訓練場内での抗議行動に「刑特法」適用を検討し始めたという。キャンプ・シュワブや嘉手納基地の場合、ゲート前の道路上に引かれている黄色のラインを越えると、常駐している米軍の警備員が血相を変えて飛んでくる。北部訓練場の場合、メインゲートを除いて、黄色いラインも金網も軍警備員もいない。「米軍基地の不可侵」を信じる日米両政府は、高江で連日基地内に進入し続けている抗議行動にうろたえ、怒っているに違いない。
九月三〇日のタイムスの報道によると、「防衛局職員が私人逮捕し、施設外で県警に引き渡す」ことが検討されているという。しかし、防衛局職員にそのような権限はない。彼らは「提供施設に入らないでください」「出て行ってください」と声を出すしかやれることはない。すると、日本政府が取りうる方法は一つだけだ。米軍にお願いして、軍警備員をヘリパッド建設現場の各地に配置し、阻止団の進入に備えることだ。
軍警が配置されようと、訓練場内での阻止行動をやめさせることはできない。考えても見てほしい。北部訓練場はやんばるの森を米軍が奪い基地としたものだ。復帰後日本政府が米軍に提供したかもしれないが、県民は同意していない。いわば、米軍は強盗で、日本政府は共犯だ。奪われた土地に入ることがなぜ罪になるのか。犯罪者は強盗とその共犯者であることは分かりきったことではないか。いくら年月が経とうとこの事実は変わらない。
全県、全国から高江に結集しよう! ヘリパッド建設を止め、米海兵隊ひいては米軍を沖縄から追い出していこう! 徐勝さんが述べたように、東アジアで最も厳しい闘いの現場・沖縄にありったけの力を注ぎこもう!

 


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