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    かけはし2016.年9月26日号

龍山と双龍自動車鎮圧惨事は国家暴力だ


国際ドキュメンタリー映画祭の2本の映画

犯罪者にされた者と昇進し続けた警察官僚

 2009年冬、ソウル龍山4区域で「龍山の惨事」が繰り広げられた。その年の夏、京畿道平沢の双龍自動車工場では警察の大規模な暴力的鎮圧があった。国家が平凡な人々を踏みにじる「国家暴力」の典型だった。

「誰が責任を取るのか」

 加害者たちは、のうのうと生きている。彼は1979年に警察幹部候補27期として警察畑に入った。キム・ソッキはうまいこと出世の段階を歩んだ警察官だった。警察庁東京駐在官、警務企画局長、慶北・大邱地方警察庁長、警察庁次長、ソウル地方警察庁長を歴任した。警察の仕事を終えた後の人生も順風だった。韓国自由総連盟副総裁、駐大阪総領事に続き、韓国空港公社社長、韓国航空保安学会長など、そうそうたる地位を経て今年の4・13総選挙では慶尚北道慶州市で、与党セヌリ党の公認を受け国会議員に当選した。
彼の華麗な履歴の中に忘れられているものがある。彼は2009年1月19日夜から翌日の未明まで繰り広げられた「龍山撤去民・警官死亡事件」の警察の責任者だった。このために彼は先の総選挙の際に、諸市民団体で構成された「2016総選挙市民ネットワーク」がオン・オフライン市民投票で選んだ「最悪の国会議員候補bP」に選ばれた。
当時の事件は惨酷だった。キム・イルラン、ホン・ジュ監督が作り2012年に封切られたドキュメンタリー映画「2つの扉」が事件の実像をよく示してくれる。ソウル龍山4区域の撤去民(再開発に伴う強制立ち退き者)32人は再開発に反対し生活の基盤を守るために「ナミルダン」のビルの屋上に見張り台を建てた。占拠篭城が始まった。政府と警察は直ちに対策会議を経て篭城の場を鎮圧する計画を立てた。ナミルダン周辺に実に1600人に及ぶ警察部隊が配置された。ビルの下からは撤去のために雇われた連中が攻め上がってきた。彼らは下の階で木材や古タイヤに火をつけ、有毒ガスを作り出した。消防車が来て消火をして戻っていくと、再び火をつけた。
1月20日未明6時30分、対テロ鎮圧の専門部署である警察特攻隊が投入された。未明5時から放水車3台がビル屋上に向けて水を噴射し始めた。撤去民たちは火炎びんで抵抗した。その側にフォークリフトがコンテナを載せた。その中には警察特攻隊がみっしりと乗っていた。朝7時頃、コンテナに乗って特攻隊が屋上での鎮圧を始めた。撤去民たちは火をつけた火炎ビンを投げた。原因は分からないが屋上は火の海になった。撤去民たちは「焼け死ぬよりは飛び降りるほうがマシなようで飛び降りた」と語った。この過程でイ・サンニム、ヤン・フェソン、イ・ソンス、ハン・デソン、コン・ヨンホンさんら撤去民5人と警察官1人が亡くなった。
キム・ソッキが公企業の社長を経て国会議員にまで昇りつめている間、撤去民たちは青息吐息で生きてきた。2010年、大法院(最高裁)は当時の警察官死亡についての責任を問い、撤去民8人に4〜5年の懲役実刑を宣告した。一部は減刑および赦免を受け、篭城を主導したナム・ギョンナム元・全国撤去民連合(全撤連)議長が2015年1月に満期出所するとともに、収監されていた撤去民たちは全員、釈放された。キム・イルラン監督の新しい映画「共同正犯」は事故から6年後、収監された後に釈放された撤去民たちの話を取りあげた。「2つの扉」の続編に該当する内容だ。
キム・イルラン監督は「ハンギョレ21」の取材に、「1人の人間が社会の中で危険に直面した時、国家の義務は彼の生命を救うことだ。国家が義務を尽くさなかったばかりではなく、むしろ暴力に積極的に加担して発生した問題を『誰が責任を取るのか』ということについての苦悶を映画に込めたかった。国家の暴力に対する責任をわが社会が、あくまで問わなければならないというメッセージを伝えたかった」と語った。

同志から共同正犯に

映画は2015年10月、龍山惨事以降は拘束されていて初めて一堂に会した人々の話だ。2013年1月、収監されていた撤去民の一部が出所した直後から2016年2月頃まで取材した内容だ。けれども彼らの間に残ったのは、うれしさだけではなかった。当時、屋上に上った仲間たちが5人も死んだ。彼らには「特殊公務執行妨害致死をしでかした犯罪者」という烙印が押された。いっとき「同志」だった彼らは今や一緒に犯罪を侵した「共同正犯」の立場になったのだ。これらの人々は互いに傷痕となる言葉を吐きだしながら背を向ける。
キム監督は「龍山の惨事で人々がたくさん犠牲になったけれども、責任を取る人は誰もいなかった。撤去民たちは苦しみと傷とが深まるとともに『私がなぜ、このような事故に遭わなければならなかったのか』と考えるけれども、社会的にこのような悩みさえ認められず、傷が一層深くなることの悪循環だった」と語り、「撤去民たちが惨事以前の暮らしを取り戻すことができなくなるとともに、内部で渦巻いている感情が周りの人々に感情として表現される姿がもどかしかった」と語った。
「自分たちのやりきれなさに対する社会的関心や治癒の努力が目につかないようで、傷を持った撤去民個々人が内的に膿むことになったようだ。これらのことごとは、すべて国家暴力のひとつ形態から生じたものだ」と彼は付け加えた。
映画は撤去民たちが惨事当時の記憶に合わせて、誤解を解いていく過程も描く。検察が捜査過程で警察を嫌疑なしと判断し、一切の責任を撤去民たちに押しつけるとともに発生した諸問題だ。撤去民たちとしてはナミルダンの見張り台に上った瞬間から今日まで、なぜこのような苦痛を味わわなければならないのか、いかなる説明も聞くことができなかった。映画はこのような苦しみに決着をつけるために何をしなければならないのかの悩みを投げかけながら終わる。
キム監督は「前作『2つの扉』では警察特攻隊の過剰鎮圧によって多くの犠牲者を生みだした龍山惨事事件を見つめていた。遺家族の同意なき遺体解剖、3千ページに及ぶ捜査記録や採証映像が消えた点などのようなことだ。今回は我々の関心が見張り台から生きて戻ってきた人々に向かった。当時、政権は籠城撤去民全員を共同正犯として起訴するシナリオ裁判によって、国家暴力の責任を徹底して隠ぺいした。『共同正犯』という罠によって再び縛られてしまった、生き残った者たち悲しみと苦しみは彼らだけの領分なのか」と反問した。
龍山の惨事が繰り広げられたその年の夏、京畿道平沢の双龍自動車工場では、警察の大規模スト鎮圧作戦が繰り広げられた。双龍車の会社側が職員2646人を構造調整するとの計画を発表すると、このうちの580人余が、いわゆる「玉砕スト」に突入するとともに始まった事態だ。
27個中隊2千人余の警察部隊が配置された。労組員たちがいた塗装第2工場はペイントやシンナーのような可燃性物質が20万?ギッシリ詰まった「火薬庫」だった。「第2の龍山の事態」が繰り広げられるだろうという心配が出てきた。警察が強引に突入した。

最も面倒なアッパの職業欄

当時、国家人権委員会が出した資料を見ると、警察は放水車を投入し、ヘリ機で催涙液を降り注いだ。数日間、双龍車の籠城場所に降り注がれた催涙液は1年前、1年間に使われた催涙液全量の90%に達した。警察はクレーンと鎮圧組・戦闘警察などを投入して労組員たちを「ウサギ狩り」した。「警察は2mの距離からテイジャー銃(不詳)を顔に照準を当てて撃った」という労組員の証言もあった。警察は籠城場所の電気を切り、水や食料、あろうことか医療陣の出入りさえ遮断した。紆余曲折の末にストは終わったものの、警察は労組員たちに14億6千万ウォンの損害賠償を請求し、裁判所は賠償額の90%を認定した。
当時、ストを暴力的に鎮圧していた責任者がチョ・ヒョノ京畿地方警察庁長だった。後にチョ元庁長は「平沢の双龍自動車ストの事態の際、カン・ヒラク警察庁長(当時)が『介入するな』(部隊を投入するな)と指示したけれども、カン庁長を差し置いて青瓦台(大統領府)に報告し、大統領が許可した」と語ったことがある。チョ・ヒョノ京畿庁長(当時)は同年、ソウル地方警察庁長に「栄転」した。翌年には警察のトップの座にまで昇りつめた。2012年には故郷である釜山で、国会議員選挙出馬の候補として名前が取りざたされもした。
公権力を利用した加害責任者が「戦いに勝った余勢を駆って進撃」している間、双龍車のスト労働者たちは、どんな人生を送っていたのだろうか。ハン・ヨンヒ監督の新映画「アンニョン・ヒーロー」は双龍車の事態以降の労働者の生きざまを探った。キム・ジョンウン双龍車労組支部首席副委員長(当時)の息子ヒョヌが主人公として登場する。ヒョヌは14歳だ。ハン監督が伝えるヒョヌの話は、こうだ。
「久しぶりに家に帰ってきたアッパ(父ちゃん)と一緒に生活記録簿を書いている。やはり最も困るのはアッパの職業欄を書き込むときだ。ヒョヌのアッパは双龍自動車から解雇された後から復職闘争をしている。アッパを眺めるヒョヌの思いは複雑だ。アッパが復職できればいいけれども、どんなにがんばっても状況は一向に変わらない。なぜアッパは結果もでないのに、あれほどしんどいことをしているのだろうか。なぜ、これほどにアッパの問題は解決できないのだろうか」。

悲しい現実を生きるヒョヌ

ハン監督は「双龍自動車の大規模整理解雇以降、これに関連したさまざまな話題が社会に登場したけれども、労働者の現実は良くなってはいない。貧弱な労働の現実の中で、共に苦しんでいる解雇者の家庭の子どもを通じて労働の現実、解雇の現実を伝えようとした」と演出の意図を語った。彼は「ヒョヌが考える『もっともよい大人だった』アッパが、自分ならば決してやらない行動をしている『異常な英雄』になった。この過程を通じて現実に立ち戻ってみることができる。悲しい現実をヒョヌのように、我々も生きている」と付け加えた。「共同正犯」と「アンニョン・ヒーロー」は9月22日から始まる「DMZ国際ドキュメンタリー映画祭」で初公開となる。(「ハンギョレ21」第1127号、16年9月5日付、ホン・ソッチェ記者)

朝鮮半島通信

▲中国の王毅外相は八月二四日、東京都内で韓国の尹炳世外相と会談し、米軍の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国配備撤回を改めて求めた。会談後、記者団に対し「中韓関係」についての基本的な態度を表明した。
▲韓国ロッテグループのナンバー二、李仁源副会長が八月二六日、ソウル郊外で遺体で発見された。
▲朝鮮民主主義人民共和国(以下、「朝鮮」)の青年組織、金日成社会主義青年同盟は八月二六日、平壌で同盟の第九回大会を開いた。同同盟の大会の開催は二三年ぶり。
▲韓国の海運最大手、韓進海運は八月三一日、会社更生法適用に相当する法定管理を申請し、事実上倒産した。
▲朝鮮は九月九日、五回目の核実験を実施したと国営メディアを通じて発表した。核実験は今年一月に続くもので、年に二回の実施は初めて。爆発の規模は過去最大とみられる。
▲韓国南部で九月一二日夜、マグニチュード五以上の地震が二回、相次いで発生した。一九七八年に観測を始めて以来、最も大きな規模だった。
▲九月一三日の朝鮮中央通信によると、金正恩朝鮮労働党委員長は五回目の核実験後、初めて公開活動を行い、軍部隊傘下の農場を視察した。
▲朝鮮を訪問したアントニオ猪木参議院議員は、九月一三日記者会見を行い、朝鮮滞在中、金正恩朝鮮労働党委員長の側近で、党で国際関係を統括するリ・スヨン副委員長と会談し、リ副委員長から、先の五回目の核実験について、「日本に向けてではなく、アメリカを標的にしたものだ」という発言があったと説明した。
▲朝鮮中央放送は九月一四日、「八月二九日から九月二日にかけて咸鏡北道地域を襲った台風による洪水被害は日本による植民地支配からの解放後、初めてとなる大災害だった」と報道した。また、死者・行方不明者などの人命被害は数百人に上り、約六万八九〇〇人が住む場所を失ったとした。


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