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    かけはし2016.年8月15日号

より良い意志疎通では解決せず


米国

警察の黒人殺害と民衆の決起

警察の免責が構造的差別下支え

バリー・シェパード

 米国では、ダラスにおける警官銃撃事件以後、BLMに対する猛烈な逆襲が始まっている。これには、米国の歴史を貫く警察による黒人虐待、それが罪を問われることのないものであったこと、という根をもっている。しかしソーシャルメディアの普及の中、警察の犯罪に対する証拠もまた隠しおおせなくなっている。BLM運動の発展はこの現実を反映し、それゆえ先の逆襲にも敢然と対抗する活力を示している。以下ではこれらのつながりが提示され、BLM運動の重要性を明らかにしている。(「かけはし」編集部)
米国の深いレイシズムと人種的分断が、あらためて、新聞、TV、またソーシャルメディアを支配し、全国の光景に噴出した。
二〇一四年以来、警察による黒人殺害の目撃者が撮影したビデオが、「黒人の命も大事」(BLM)運動の高揚に刺激を与えた。警察の殺人者の罪に関する見ることのできる圧倒的な証拠にもかかわらず、彼らはほとんどすべて罰せられることなくやり通してきた。これが警察を大胆にしてきた。免罪の下に黒人の殺害を含んで全面的に力を使うことができることを、彼らが分かっているためだ。

明白な犯罪が
生映像で流布


三七歳のアルトン・ステアリングが抵抗力を奪われ地面に倒されている中で彼を殺害することに、ルイジアナ州、バトン・ルージュの二人の警官が何も考えなかった理由を説明するものがこれだ。このできごとについては二本のビデオが撮られ、それらは、二人の警官のうち一人が拳銃を抜きステアリングに三発の銃弾を撃ち込んだ時、この警官たちがステアリングを膝で押さえていたことを示していた。この事件は七月五日に起きた。
翌日、ミネソタ州、ミネアポリス/セントポールの郊外で、一人の警官がテールランプが壊れていることを理由に、フィランド・カスティルの車を道路脇に寄せさせた。この車内には、彼の婚約者であるディアモンド・レイノルズと彼女の四歳の娘がいた。それに先立つ犠牲者であるサンドラ・ブランドもまた、壊れたテールランプを理由に車を寄せさせられ、逮捕された。そして彼女は拘留中に死亡したのだ。カスティルとブランドの両者とも、劣悪な住宅地で見つけられた「黒人のくせに運転している者」だった。
警官は、求めに応じ運転免許証と登録証を出すためにカスティルが紙入れに手を伸ばした時に彼を撃った。レイノルズは、彼女と彼女の娘を守るために、死に向かう男と警官をビデオに収め始めた。この警官はその時、彼女に拳銃を向けていた。この警官が知らなかったことは、彼女のビデオが彼女のフェースブックの友人たちに向け生映像で送られ続け、その友人たちがそれを拡散、それがすぐに何百万人にも知れ渡ることになった、ということだった。
もっと多くの警官たちが到着し、拳銃を突き付けながら、彼女に車から出るように命じた。そして彼女を逮捕し、彼女と彼女の娘を拘留した。彼女は警察の車にいた間中ビデオ撮影を続けた。彼女が警官たちに語りかけた苦悩は、彼女の沈着さと共に、深い印象を残した。
警察は彼女を娘から引き離し、彼女を脅迫し、彼女を起訴できないかどうかを知ろうと、何時間も厳しく尋問した。ビデオがすでに広く見られていたということを彼らに告げる者がいなかったがために、彼らは彼女から携帯電話を取り上げることもできず、そして彼らは彼女と彼女の娘を釈放した。
警察はこれらの事件すべてで、目撃者を黙らせようとしている。ステアリング殺害の場合では、ビデオを撮影した男たちの一人、アブドラー・ムフラヒは、その外でステアリングが殺害された店の所有者だったが、警察は彼の携帯電話を取り上げ、何時間も彼を警察車両の中に閉じ込め、彼の店から監視カメラのテープを押収した。そしてその映像記録を警察はまだ調査中だ。
ステアリング銃撃の最初のビデオを、その後ウィルスに感染したフェースブック、インスタグラム(無料の画像共有アプリ)、ツイッターのおよそ一万人のフォロワーに向け投稿した一人の空軍退役兵は、それから後空軍予備軍基地で仕事中に拘束された。次いで警察は彼を仕事場から拘束施設に移し、二六時間彼を確保した。彼の職は今危険にさらされている。

反動派はダラス
事件を全面利用


これら二件の警察による殺人は、黒人の、それだけではなく、国中の都市で何日間かの何万人という、人種横断的な抗議に、大々的に火を着けた。テキサス州ダラスにおけるこれらの抗議の一つで、一人のアフリカ系米国人退役兵、ミカー・ジョンソンがデモを警戒中だった警官に向け、周囲の建物から軍隊的正確さをもって発砲、五人を殺害し他の七人を負傷させた。
ジョンソンは黒人の警察による殺人に憤慨し白人の警官を殺したがっていた、警察はこう語っている。彼の知り合いや親類は、彼がアフガニスタンから人が変わったようになって帰還した、と語っている。今のような分極化した空気の中で情緒的な問題を抱えた一人の個人が、こうした行動を、しかしながら心得違いで大義には有害な行動を決行しようと決める、ということは驚くようなことではない。われわれは、もっと多くのそうした事件を見る可能性がある。
そしてこれはメディアで大きな物語となり、二件の警察による殺人を水面下に沈めた。ジョンソンはデモの参加者ではなく、BLMとは一切関係がなかったという事実にもかかわらず、多くが、責めを負うべきは抗議活動参加者とBLMだと告発するために、この事件に飛びついた。
元共和党下院議員のジョー・ウォルシュは、「今や戦争だ。オバマに気をつけろ。ブラック・ライヴズ・マターの青二才に気をつけろ。真のアメリカ人が君たちの後ろに続こうとしている」と語り、広い拡散を得たツイートを送り出した。
警察諸組織全国協会代表はテレビ放映されたインタビューで、「警官への戦争」に取りかかったとしてオバマ大統領を責めた。元ニューヨーク市長のルディ・ジュリアーニは、CBSのTVショー「国民と向き合う」で、「ブラック・ライヴズ・マターを語るとすれば、それは本質的にレイシズムだ」と意見を述べ、警察への射撃を理由にこの運動を責めた。そのショーが何百万人にも見られている、おしゃべり屋のトークショーホストのラッシュ・リンボウも加わった。
オバマは黒人であるがゆえに標的として選ばれている。これは新しいことではない。たとえばジュリアーニは、「大統領がアメリカを愛しているとは私は信じない。……彼は、私やあなたが育てられたようには育てられなかった」と去年語った時、多くの者を代弁していた。
フィナンシャルタイムスの中でエドワルド・ルースは次のように書いた。つまり「ブラックス・ライヴズ・マターに対抗して、今や警察を支持するいわばブルー・ライヴズ・マターのキャンペーン〈青は警官の制服の色:訳者〉がある。テキサス州副知事を含む一定数の共和党の人物たちは、その抗議行動が起きたことに対し、殺人をブラック・ライヴズ・マターのせいにしてきた。インターネットは、そのグループが警察を攻撃するようその支持者をいかに煽っているか、という作り話で一杯になっている」と。

屈しないBLM
と問題の歪曲者


このレイシストの猛襲を前に、警察の暴力に対する諸々の抗議活動が思いとどまることはなかった。ダラスの銃撃後の週末とさらにそれを超えて人々が見たものは、街頭に繰り出し、道路、橋、高速道路を封鎖する何万人という人びとだった。それは、シカゴ、アトランタ、バトン・ルージュ、ミネアポリス/セントポール、ロスアンジェルス、フェニックスを含む、一ダース以上の都市で見られた。逮捕者は数百人に上った。
拡大一方の分極化というこの情勢の中で、共和党大統領候補者のドナルド・トランプは、BLMに対決し警察と共に立つ、という彼の前からの立場を力説した。彼は、「法と秩序」の候補者である、と語っている。
大統領のオバマと民主党候補者のヒラリー・クリントンは、問題は警察と黒人コミュニティ間における意思疎通欠如から起きている結果だと語り、「両側」に和解を強く勧めている。同時にオバマは、死亡したダラスの警官追悼に際しては演壇中央を引き受けているが、ステアリングとカスティルを含んで、警察による殺人の犠牲となった黒人の伸びるばかりのリストに応じた、諸々の追悼式典には一度も参列したことがないのだ。クリントンもそうだ。
もちろんオバマは(あるいは次の大統領がクリントンかトランプかどちらであれ)、レイシズムを産み落とすこのシステムの防護を任とする政府の、最高執行公職者だ。

ダラスの現実が
問題の所在示す


問題は、黒人コミュニティと警察間にある意思疎通の崩壊ではない。真の問題は、ダラスにおける状況をより近づいて見る中で理解され始めている。警官に対する殺害が相当な進歩が達成されてきた場所であるダラスで起きた「意外な成り行き」を強調する、大量のメディアキャンペーンがこれまでに行われてきた。この都市は、黒人の警察トップまでを抱えているのだ。
ニューヨークタイムスの一記事はもう少し深く掘り下げている。その記事は、一人の男が解体工事という彼の仕事に取りかかるために出かけようとする時決まったように、身分証明書を求められ、どれほど――ここ四カ月だけで四回ほど――止められてきたか、で始まっている。だから彼は今、出かける際はいつでも、ヘルメット、作業着、作業用手袋を身につけている。「私は、私の作業用具を身につけているかのように装うようになった。そうすれば彼らは私にかまわないだろう」と。
この記事のまとめは以下だ。つまり「しかしダラスの警察が達成した進歩にもかかわらず、この町は、この国でもっとも人種隔離された都市の一つであり続けている。そこには、住宅、学校、また雇用の点で、ぱっくり口を開いたような人種の溝がある。差別に彩られた連邦、州、そして地方の諸政策は、この市の黒人住民を、州間高速道路三〇号線の南にある、ひどく貧しく未開発な居住区に集中させてきた。そしてこの三〇号線は、機会と無視を隔てるいわば境界線として機能している。ダウンタウンのダラスがガラス張りの超高層ビルと高価なレストランで溢れるばかりになっている一方、市の南部に広がる大きな区域は、人通りもなくみすぼらしい」。
そして「セント・フィリップス学校と南部ダラスコミュニティセンターの校長であり最高責任者、テリー・フロワーズは『人びとはブラックス・ライヴズ・マター運動を、警察の残忍さに抗議している人びととしてじっと見ている』『私が考えるにこの運動は、それよりもはるかにもっと大きなものだ。人びとは、不公平を刻み込んだ社会的仕組みに反対して抗議している』と語った」。
ブラックコミュニティとして言語化されたものは現実には、高失業率、貧困、そして、いわゆる麻薬に対する戦争によって悪化させられた街頭犯罪の結果的な発生を付随させた、スラム街への黒人集中だ。警察は、日々の嫌がらせ、逮捕、殴打、また殺人さえを伴った、ある種の占領軍としての機能を果たしつつ、この隔離を強要し、スラム街での取り締まりを続ける任務を課せられている。一九六〇年代の大衆的な公民権運動と黒人解放運動によって、法による隔離が打ち破られた一方で、事実上の隔離は、一九七〇年代よりも今はもっと公言されている。
スラムから逃れより高い賃金の職を得ることのできた黒人たちもまた、そしてそれは大きく「六〇年代」黒人運動の成果の結果なのだが、アメリカ資本主義の四〇〇年の中に深く埋め込まれているこの制度的で構造的なレイシズムの中で掃き出されている。これを打ち壊すには、「より良い意思疎通」以上ものが必要になるだろう。(二〇一六年七月一四日)

▼筆者はベイリエア(米国でベイエリアは通常、サンフランシスコ湾岸一帯を指す:訳者)のソリダリティメンバー。彼は、彼の時代に関し、社会主義労働者党(SWP)の指導的党員として二巻本の政治的年代記も書いている。彼は米国から、オーストラリアの「グリーンレフトウィークリー」紙と「ソーシャリストオルタナティブ」誌に向けて週間報告を送っている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年七月号)

 


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