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    かけはし2016.年8月15日号

1500円をめざし、いますぐ1000円を


8.5

最賃大幅引き上げ行動

渋谷でキャンペーンと集会を開く

安倍に気づかう審議では生活できない

 八月五日夕方、潮流を越えて単位労組が結集する「最低賃金大幅引き上げキャンペーン委員会」は、自立生活が可能になる最低賃金実現を訴え、渋谷ハチ公前で「8・5最賃大幅引き上げアクション@渋谷」を行った。同アクション参加者はさらにこの後、渋谷勤労福祉会館に移り、各地方最賃審議会での大幅引き上げをめざす決起集会を行った。

東京でさえも
一〇〇〇円未満
これに先立つ七月二六日、中央最低賃金審議会(中賃審)は、今年度の最低賃金引き上げ目安額を答申した。具体的には、全国を四つに区分けした地域ランク別に、Aランク二五円、Bランク二四円、Cランク二二円、Dランク二一円とし、全国加重平均では二四円、というものだ。
メディアが評するように、額だけ見れば確かに史上最高の引き上げ幅となる。しかし元々が極端に低い最低賃金水準だ。今回の引き上げでも自立生活の保障にはほど遠く、最低賃金は今回の引き上げ額を加えても、最高水準の東京でさえ時給九三二円にしかならない。年間二〇〇〇時間働けたとしても年収一八六万円強なのだ。ましてDランクで最低賃金が最も低い沖縄、宮崎、高知、鳥取では時給七一四円、同じく年間二〇〇〇時間労働で一五〇万円に届かない。今回の四ランク別答申が地域間格差をさらに広げるものであることも問題だ。
審議自体にも問題があらわになった。史上最高額と評される今回の目安額決定が、やにわに最賃引き上げを呼号するようになった安倍政権をもっぱら「忖度」することではじめて実現している、ということだ。現行最賃の極端な低さ、それをも重要な要因とする貧困化の進行などを問題にしたものではないのだ。これでは、切実な要求である「今すぐどこでも一〇〇〇円」は端から問題にもならない。
最賃問題を力を入れて取材している毎日新聞の東海林智記者は、中賃審小委員会報告書には公益委員見解として、「ニッポン一億活躍プラン」や「日本再興戦略2016」に配意した、とあからさまに書かれていると伝えている(前述総決起集会宛てメモ)。まさにこの「忖度」によって、事前に経営側の猛抵抗を予想し徹夜可能な会場まで準備した七月二六日の審議も、あっさりと夕方までに決着している。
しかしこの経緯は、最賃審議のお寒い実態、その重大な意義に照らした審議および引き上げに対する確かな見識とはほど遠い実態、をも明かしている。さらにこれは、安倍の気が変われば最賃引き上げなど飛んでしまいかねない危険までも暗示している。

答申は格差を
一層広げる
このような答申にはとうてい納得できない、一五〇〇円めざし今すぐどこでも一〇〇〇円に、この声を大きく広げよう、これがこの日のキャンペーンの趣旨。午後五時半から約一時間続けられたキャンペーンでは、特に大勢で広場を行き交う若者たちに向けて、最低賃金制度の存在の周知を含めて、生計費実態に地域的に大差がない中今の最低賃金がいかにそれに見合っていないかが、そして全国一律一五〇〇円最賃の切実な必要性が、同世代の参加者から次々に訴えられた。さらに労働条件の改善と労働者の尊厳の確保には労働組合に団結することが不可欠、との訴えも強く行われた。
周辺で配布されたチラシにも趣向が凝らされた。裏表新聞仕立てのカラフルな体裁で、「最賃あげろ」「全国一律最賃制で地域を救え!」の大見出しの下、今回の目安額答申の速報とそれが低すぎることの図解に加え、最賃引き上げが世界で進んでいること、先行している地方最賃審をめぐって、非正規労働者の意見陳述が行われたことや自治体首長が大幅引き上げを求めたこと、なども盛り込まれた。
ものすごい雑踏の中、この訴えがどこまで届いたかは必ずしもはっきりしない。しかし飛び入りで発言に立つ人、チラシを配布する参加者と話し込む人など、それなりの反響は確実に見られた。若者の中からは、労働組合って何ですか、との質問もあったという。労働運動の著しい後退を反映する質問だが、それだけに今回のようなキャンペーンが極めて重要になっていることが実感される。

集会に岐阜や
栃木からも参加
この後開かれた決起集会では、今春闘の重要な課題として最低賃金引き上げのキャンペーンを共同して展開してきた成果を確認しつつ、今後の運動展開に向けて、岐阜や栃木からの参加も得て、現在行われている各地方最賃審に対する取り組みの経験の交流を交えて、さまざまな意見交換が行われた。
多くの問題意識は、政権自身が最賃問題を大きく取り上げざるを得なくなっている現実に、また特に前述した中央最賃審の審議経過が最低賃金制度の抜本的な再考の必要性をあらためて突き付けていることに、労働運動がどう攻勢的に運動を対置するかだ。
地方最賃審では、労働者の意見陳述をこれまでになく実現し、傍聴も勝ち取るなど、中央最賃審の形式主義とは異なる動きもつくり出しているとの報告がいくつか行われた。また最賃の低さと地域格差が若者の流出を含めて地方の社会破壊につながるとして、一部の経営者と地方自治体首長に懸念が生まれているとの報告も行われた。戦略的な最賃の取り組みを考える上で、一つの示唆を与える動きかもしれない。
その上で戦略的な取り組みについての観点もいくつか提起された。たとえば、地域最賃確定後に地域全体の賃金引き上げにあらためて取り組む必要の提起があり、全労連の代表からは、全国一律最賃実現に向けた四年のアクションプラン策定に入るとの報告が行われた。
実践と付き合わせつつ論議すべきことはまだまだ多い。しかしこの日はとりあえず、これらの問題意識を共有しつつ、八月末にかけた地方最賃審を攻勢的に闘い目安を大幅に超える引き上げ実現に向け全力をあげること、その後の確定最賃実施状況の点検など、「最低賃金大幅引き上げキャンペーン委員会」としての運動をやり抜き、次につなげることを確認、この日のキャンペーン行動を終了した。       (神谷)

[反天連からの呼びかけ]01

天皇制が主導する「Xデー状況」
への反撃を開始しよう!

天皇も皇族もやめろ、そして天皇制は廃止せよ!

2016年7月28日 反天皇制運動連絡会

 七月一三日、天皇の「生前退位」の意向表明報告で始まった一連の動きは、八月八日のTVによる明仁天皇自らのメッセージ・ビデオによって新しい段階に入った。反天皇制運動連絡会の第一弾の呼びかけを紹介する。次号以後、この問題に関してさらに取り上げる予定。(編集部)


これは「自粛なきXデー」の始まりである

 7月13日、明仁天皇の「Xデー」状況がはじまった。しかもこれまで全く予想されなかったかたちで。
天皇という地位についている人間の生物学的な死としての「Xデー」へのカウントダウンが始まったわけではない。しかし、天皇の「代替わり」にともなう、新たな天皇制像の演出としての「Xデー状況」は、すでに開始されたと見るべきだ。
反天連は昭和天皇「Xデー」との大衆的な闘いに向けて1984年に結成された。昭和天皇の「Xデー」においては、病状報道から天皇の死にいたる時期の「自粛」と「弔意強制」が、列島全体を巻き込んだ社会現象となった。それは経済状況にも影響し、何よりもその「息苦しさ」への反発が、天皇制に対する批判的な感覚を広げた。このことはおそらく、天皇制を演出する側にとっても総括すべき点であったはずである。今回の、いわば「自粛なきXデー」状況の開始は、われわれにとっても、前回とは異なる反天皇制運動の展開を要求している。そのことを見すえながら、私たちは多くの人びととの共同の作業として、開始された「Xデー状況」に反撃する闘いを、さまざまなかたちで準備し開始することを呼びかける。

 天皇が事態を
主導している

 われわれは、今回のそれがまず、天皇自身による「生前退位」の意向表明として始まったことに注目しなくてはならない。これはたんに年老いた明仁天皇が、現役を退きたいと希望しているといった話ではない。NHKによってそれが報じられてすぐに、宮内庁幹部や政府は「報じられた事実はない」「承知していない」と打ち消して見せたが、各メディアは事実としてそれを後追いで報じ、宮内庁もまたNHKへの抗議などはしていない。さらに、首相官邸では、限られた人間しか知らず、何を検討しているかについてさえ極秘のチームが、皇室典範改正に関する検討をすでに進めていたとされる。それをも飛び越えて、天皇の「意向」が唐突に明らかになったのは、明仁天皇自身そして徳仁や文仁らの強い意向がそこに働いていたからであると判断される。
今回の件は、明仁天皇自身が、「次代」の新しい天皇制を演出する、その主導的な担い手の一人として立つという明確な意思を表明したということを意味する。摂政をおくのではなく、皇室典範の改正が必要な「生前退位」を、明確に希望したこと、それは象徴天皇制を、明仁天皇みずからが主人公となって、積極的に変革し再構築するという宣言なのである。

 「国民の天皇」の
政治的行為

 「生前退位意向表明」は、昭和の天皇制とは段階を画した「国民の天皇」としての、明仁天皇制をしめくくるものである。
その即位以来、マスコミ等を通じて演出されてきた明仁天皇制の姿とは、アジアへの外交や沖縄訪問による戦争責任の和解に力を尽くし、国内外の戦跡で死者への祈りを捧げ、さまざまな自然災害の被災者を慰問するなどの「公務」を精力的に行なう、「常に国民とともに」ある明仁と美智子といったイメージであった。しかし、これら一見すると「非政治的」で平和的な、問題ともならないように見える天皇の行為は、現実にはすぐれて政治的な役割を果し続けている。
たとえば、アジア訪問などにおける天皇の発言は、実質的に天皇制国家の責任も日本軍の責任もなにひとつとらず、ただ口先でだけ「謝罪」のことばを発して終わったことにしようとする日本国家と基本的に同じものである。それがたんなる「口先」ととらえられないのは、「国民統合の象徴」とされる地位に立つ者のことばであり、マスメディアが絶対敬語で無条件に賛美することばであり、ある人たちにとっては侵略戦争の責任者であった昭和天皇の息子のことばであるからだ。国家の儀礼を受け持つのが天皇の役割だが、それは天皇であるからこそ、他の国家機関ではなしえない何ものかを有するものとして演出される。しかし、繰り返すが天皇は国家の機関である。だから天皇のことばを賛美することは、国家のことばを無条件で賛美することと同義である。天皇はそのようなかたちで政治的な役割を果しているのだ。

 天皇の「公務」の
拡大は違憲だ

 年齢のせいで「公務」が十分果せなくなったという思いが、今回の「生前退位」の意向表明の背景にある、とマスメディアは報じている。明仁と美智子によってさまざまにおこなわれてきた天皇の「公務」を「誠実」に果していくこと。「生前退位」の意味することは、自らが体現してきたそういう象徴天皇制のあり方を、その権威も利用しつつ、明仁天皇から徳仁天皇へと意識的につないでいくことに違いない。それは、息子の妻の病いも含め「不安」の中にある次代の天皇制を、ソフトランディングさせていくという意図に貫かれている。
だが、憲法で規定された「国事行為」以外の「公務」なるものは、そもそも違憲の行為である。かつて「統治権の総覧者」であった主権者天皇を、「国民主権」のもとでの象徴天皇に衣替えするにあたって、天皇の役割を法的に限定したのが憲法の天皇条項である。認められた「国事行為」以外に「公的行為」なる区分を立て、天皇の「公務」としてひとくくりにすることは、いわば天皇条項の「解釈改憲」にほかならない。そうやって勝手に「仕事」を増やしておいて、それを十分に行なえないから「退位」して代替わりが必要だなどと、「政治に関与しない」はずの天皇が言い出すことは、二重に違憲の、ふざけた言い草なのだ。個人的な事情で国家の制度の変更を迫る。ここにあるのは、身体を有する特定家系の個人を国家の「象徴」とする制度自体の矛盾である。
今後、天皇の意思を「忖度」して皇室典範改正作業が本格化されていくであろう。すでに、退位後は「上皇」になるのか、今回限りの特例法で、などといった議論も始まっている。皇室制度を安泰にするための「女性宮家」の検討も再浮上するだろう。右派の抵抗も予想されるが、皇室典範の不合理な部分を、合理化しなければならないといった議論が、「陛下の意思」を背景に、「国民的」になされる場がつくりだされようとしている。
問題なのは、そうした議論の中で、拡大されてきた天皇の「公務」自体の違憲性を、正面から問う言説がほとんど見られないことである。逆にそれを前提とし、それらをより積極的に行なうことが天皇の役割であると言うのである。
私たち反天連の立場からすれば、体制としての戦後民主主義のなかに埋め込まれた象徴天皇制は、民衆の自己決定としての民主主義とは矛盾するシステムである。生まれによって、特別な身分が保障されるような制度はおかしい。私たちは天皇によって「象徴」され統合された「国民」であることを拒否する。膨大な経費と人員を使って、各地に移動するたびに、人権侵害をひきおこし、批判的な少数言論を抑圧する制度は迷惑である。そうであるからこそ、新たな天皇制の再編強化を意味する「生前退位意向表明」に私たちは注目せざるを得ないし、その違憲性を批判し、そこで具体的に生み出される天皇制の政治と言説に批判的に介入していく。
天皇も皇族であることもやめよ。徳仁も即位するな。皇族という存在はいらない。そして天皇制自体は廃止されなければならない。

 


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