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    かけはし2016.年8月1日号

新米軍基地建設に怒り爆発


「命の息吹きを残したい」

数十年間の戦争要塞化、残酷な米軍犯罪


 6月19日、沖縄・那覇にある奥武山公園陸上競技場。気温32度の暑い日だった。だがここに集まった人々の胸には激しい怒りと悲しみが一層強くたぎっていた。この日、米国海兵軍務員の蛮行を糾弾する「沖縄県民大会」に実に6万5千の市民が集まった。これらの人々は去る4月28日に米軍務員に殺害された20歳の女性被害者を悼み、米海兵隊の撤収を要求した。

米軍基地74%が密集する島

 「天からの恵みを受け/ここに生まれたわが子よ/祈りを込めて育て/お日さまの陽を浴びて/丈夫に育て/…母の祈りを込めて/とこしえの花を咲かそう/天の光を浴びて/空高く育て」。
集会で沖縄を代表する歌手古謝美佐子が「わらびがみ」(童神)を歌った。生まれたばかりの子どもに対する愛と感動を込めた子守唄だった。歌を聞いている人々の間に沖縄の柔らかい海風が吹いていた。熱い夏の日射しも一瞬、柔らかいだようだった。だが子どもへの思いを込めた歌が胸を揺さぶった。米軍の蛮行によって殺害された被害者を思う心は一層、強くなった。
沖縄では今日まで何度も大規模な県民大会が開かれた。そのつど、繰り返された米軍による事件・事故があった。1995年、少女への性暴行事件、2013年、米空軍特殊専用航空機オスプレイ配置への論難の際もそうだった。今回は沖縄・嘉手納基地で勤務していた米軍務員が日本人女性を殺害した後、遺体を遺棄したという嫌疑を受けていた。
沖縄の人々には以前から戦争に対する怒りがあった。沖縄は第2次世界大戦後、一時米国の占有地だった。当時、地上戦が繰り広げられたものの日本の軍隊は住民を守らなかった。むしろ戦争が終わるころ「住民の集団強制死」というむごたらしい地獄を作った。胸痛む戦争への記憶と当時の人々の証言が、若者たちを無関心から目覚めさせた。これらの人々の怒りや悲しみが爆発するとともに、正しくないことが生じれば立ちあがる勇気も与えた。
沖縄は領土を回復した今も、日本に駐屯している全米軍基地の74%がここにあるという要塞のような島となった。沖縄の面積は日本の全領土の0・6%にすぎない。状況がこうであるにもかかわらず、沖縄は新米軍基地建設の論難に包まれている。政府が沖縄にある普天間基地を、県内で場所だけを移す「辺野古地域への移転」を推進しているからだ。
日本は第2次世界大戦での敗戦後、「戦争を前提とした紛争解決」を放棄したように思われるが、戦争を前提とする米軍の新「沖縄基地」建設を固守している。新基地建設を推進している人々は「敵から国と生命とを守ろうとするならば米軍基地が必要だ」と主張する。彼らはこれまでの沖縄の歴史から何も学ぶことができなかったのだろうか。
米軍の撤収を要求した今回の大会についても、一部では「被害者の死を政治的に利用するな」だとか、「被害者を追悼することにとどめるべきだ」などという意見があった。与党議員など幾人かの議員が県民大会に参加しないことの口実でもある。

米国に沖縄を捧げた天皇

 米軍基地がなくても沖縄で事件・事故は発生する。事故は世界のどこででも起き得ることだ。だが米軍基地が存在するがゆえに発生する残酷な事件の数々がある。沖縄で米軍が繰り広げている事件は「米日行政協定」によって、謝罪も補償もなしに闇の中に埋められてしまう。一層やりきれなくならざるをえない。
今回の事件の被害女性の父親がメッセージを送ってきた。「再びわが娘のような被害者が出ることのないように、米軍基地に反対する」と。このような願いを実現することだけで、今回の大会の意味があるのだろう。
沖縄の人々は「平凡にして当然に享受する日常生活をするうえで米軍基地は必要ない」と語る。それなのに米軍の事件・事故は数多く起きている。そのたびに日本と米国の政府は空虚な反省を繰り返している。
「沖縄に対する米日特別行動委員会」(SACO)で普天間基地の移転に合意したものの、新たに行く所は沖縄県内の辺野古地域だ。沖縄の人々が望んでいるのは、2003年にドナルド・ラムズフェルド米国防長官(当時)が発言したように「普天間基地の即時返還」だ。新米軍基地は必要ない。
普天間基地の周辺に「普天間第二小学校」がある。校庭の真上を米軍航空機が飛び回る。着陸態勢を取ったまま学校の上を低空飛行したりもする。子どもらは騒音と危険の中で生活している。沖縄の住民や子どもらが日常的に味わっている危険なのだ。
戦争が終わった後、沖縄の住民は元の生活に戻りたかった。だが故郷の大地は焦土と化し、その場所は米軍基地の用途として接収されていた。米国政府は戦争の余波が終わっていない状況にあって、おろおろとしている沖縄の住民たちを収容所に集め入れた。そこで衣食を与え、収容所の住民たちから、沖縄基地を作るために必要な土地を1つずつ接収した。
「住民らが補償金をもらう目的で危険な基地の周辺に戻ってきた」という言い方は無責任で、ためにする言葉だ。カネのない人々を故郷に呼び入れたのは、そこが彼らの祖先、つまり沖縄の人々のおじいさんやおばあさんが暮らし、彼らが守ってきた所であるからだ。沖縄の人々が先祖を敬い慕うこと自体が普天間に戻ってきた理由だった。そしてそこは、もともとは自分たちが生きてきた基盤だった。
それならば米軍基地は、なぜよりにもよって沖縄周辺にあるのだろうか。第2次世界大戦末期、日本軍は日本本土で総力戦を繰り広げるための「時間稼ぎ」のために沖縄を使おうとした。沖縄の地上戦で沖縄駐屯32軍(総兵力8万6400人)牛島満総司令官は「最後の1人まで戦え」との言葉を残して戦死した。以降、住民らの犠牲が続いた。
しかし結局、米軍が戦争において勝利し、沖縄は「戦時国際法」を根拠として米国による「必要に伴った占有」状態に置かれた。事実上、米国の戦利品となった。日本は米国に沖縄を差し出した。
(現憲法が公布・施行された後の)1947年9月、日本の天皇は米国に「25年ないし50年ないしそれ以上」沖縄を貸してやる、とのメッセージを送った。(注)
1950年に韓国(朝鮮)戦争が勃発すると、沖縄基地は重要な役割を果たすことになった。米ソ冷戦の時代になるとともに、地形的にも沖縄が要塞の役割を担う必要性が大きくなった。ベトナム戦争の時も沖縄が要塞の役割を担った。ベトナムの人々は沖縄を「悪魔の島」と呼ぶ。韓国もベトナム戦争で沖縄が何をしたのか問わなければならない。

引き下がることのできない「沖縄人」

 米国は東北アジアの安保のために韓国と日本が「米国の戦争」に共に参加することは当然だと主張する。日本の平和憲法9条は日本の戦争を禁止している。だが安倍晋三政府は平和憲法を無力化し、憲法改正さえなしに「戦争の可能な国」へと仕立てた。
安保の論理が消えない限り、日本から米軍基地もなくならない。日本が中国との領土紛争に米国を引き入れるために「米国式安保の論理」を捨てることができないのだ。この問題において中国とともに、いつも議論に上げられるのが北韓(北朝鮮)だ。北韓が核実験をした後、人々は日本政府が発表する北韓の脅威を簡単に信じることになった。このために「日本を守るために軍事力が必要だ」という安保の論理が幅を利かす。
翁長雄志・沖縄知事もまた安保を肯定する保守人士の中の1人だ。それにもかかわらず彼は沖縄が米軍基地と関連する負担を余りにも多く背負いこんでいるとして立ちあがった。彼は「私は保守的人物だ。沖縄の保守として、民族の自尊心をかけて闘っていく」として2年前の選挙に乗り出した。その言葉に住民たちが動いた。当時、彼は10万票の差で当選した。「すべての沖縄人」という旗じるしを掲げた知事が誕生したのだ。
沖縄では既存の普天間米軍基地問題が「新基地建設問題」に変わったかのようだ。今や新基地建設予定地である辺野古において連日、反対の籠城が続いている。決してあきらめないという住民らの姿が、ここにある。
韓国との連帯も実現されている。済州・カンジョンは沖縄と共に「軍基地建設反対」を合言葉として、互いに励まし連帯してきた。カンジョンが海軍基地建設後の平和を構築する方法を模索しているのは、現在に至るまで米軍基地と共に生きてきた沖縄の問題でもある。
韓(朝鮮)半島は依然として休戦状態で残っている。いつ起こるかも知れない戦争の恐怖が安保を容認せざるをえない構造だ。このためにカンジョンが平和の構築を模索することが一層重要な時点だ。軍基地を無力化するための組織化、紛争解決に絶対に戦争を前提としないこと、武器に頼らないこと、のようなことなどだ。
人間には言葉がある。済州でカンジョン基地建設反対の先頭に立っていた1人の女性の言葉を忘れることができない。「軍基地のある所で生きていかざるをえない子どもらが気の毒だ」。その顔には涙が浮かんでいた。もどかしさ、すまなさがないまじった涙だったのだろうか。

カンジョンにそっくりの沖縄


沖縄には「命どぅ宝」という言葉がある。戦争に抵抗する心を支持する言葉だ。太古から伝わる、あふれんばかりの生命の息吹きを受け継ぐ沖縄の海。その海を埋め立てて新基地を作ること自体が、未来をかすめとることなのだ。美しい海を、そのままに子どもたちに渡したい。このように単純明快でまっとうな主張を政府はなぜ受け入れないのだろか。沖縄を見くびっていることは間違いない。沖縄は知っている。新基地建設反対闘争は単純に一地域の問題ではない。我々は民主主義を問う闘いをしている。(「ハンギョレ21」第1118合、16年7月4日付、ユ・ヨンチャ沖縄居住反戦運動家・在日同胞2世)
注 1947年9月20日付で出されたのが、沖縄に関する天皇メッセージと呼ばれるものだ。これは当時、宮内庁御用掛を務めていた寺崎英成がGHQ政治顧問シーボルトを介して米軍側に天皇の意向を伝えたもので、シーボルトが記録し、米国公文書館に保管されていたもの(通称「寺崎メモ」)を、政治学者の進藤榮一氏(当時、つくば大学助教授)が発見し、雑誌『世界』1979年4月号掲載の論文「分割された領土」のなかで紹介した。(集英社新書『犠牲のシステム 福島・沖縄』高橋哲哉著より)

【訂正】本紙前号(7月25日付)の5面「南シナ海」の記事下から3段目右から29行目の「仕向けているのでいる」を「仕向けている」に訂正します。

朝鮮半島通信

▲朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)は7月11日、国連駐在代表部を通じて米国に対し、同国との唯一の外交ルートを遮断し、拘束している米国人2人の扱いを含めたすべての交渉を戦時の法律に則って行うと通告した。朝鮮中央通信(KCNA)によると、米国が6日に、人権侵害に関与したとして金正恩朝鮮労働党委員長(以下、「金正恩」)らを制裁対象としたことに伴う措置だという。
▲朝鮮中央通信は7月14日、金正恩が平壌の「白頭山建築研究院」を視察したと報道。日時は伝えられていない。報道によると平壌では、高層住宅や公共施設などの建築ラッシュが続いている。同研究院は主要な建築物の設計を担当しているという。
▲韓国政府は7月13日、米軍の高高度迎撃ミサイルシステム「THAAD(サード)」を韓国南部の慶尚北道の星州郡に配備すると発表した。
▲韓国統計庁が7月13日に発表した今年6月の雇用動向によると、韓国の6月の若者の失業率が10・3%となり、同月基準では1997年のアジア通貨危機直後に次ぐ高い数値を記録した。
▲韓国軍合同参謀本部によると、朝鮮は7月19日朝、朝鮮半島の西側から日本海に向けて中距離弾道ミサイル「ノドン」とみられるミサイル3発を発射した。
▲韓国政府は7月20日、日本軍「慰安婦」被害者問題に関する韓日両政府の12・28合意履行のための「和解・癒し財団」(財団)を7月27日に発足させる方針だと明らかにした。
▲朝鮮の海外向けラジオ、平壌放送は6月24日と7月15日、深夜午前1時過ぎから十数分間にわたって、アナウンサーが乱数表を読み上げた。乱数表の放送は16年ぶり。
▲イギリスの国際軍事情報企業IHSジェーンズは7月22日、朝鮮が同国東部の新浦(シンポ)近郊に潜水艦ドックを建設していると明らかにした。
▲中国国営新華社通信によると、7月22日、平壌発北京行きの朝鮮国営・高麗航空が、客室内に煙が充満し、中国・瀋陽の空港に緊急着陸した
▲韓国の全国民主労働組合総連盟(民主労総)は7月20日、韓国政府が推進中の労働改革と成果年俸制に反対する大規模な屋外集会を開いた。蔚山でも現代自動車と現代重工業の労働者6万人余りが23年ぶりに同時ストライキを行った。



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