もどる

    かけはし2016.年7月18日号

ヴァルスはトンネルの出口をまだ見ていない


フランス

矛盾した情勢の中での闘争

エルコムリ法に正統性はない
政府の強権突破と対決しよう

レオン・クレミュー

 フランス政府はエルコムリ法の国民議会における二回目の審議(第二読会、最終的議決を予定)に当たって、七月五日、再び憲法四九条三項に頼り、討論・議決なしの国民議会通過を強行した。多数確保の見込みが立たなかったのだ。法案は再度元老院に戻されるが、元老院多数を占め、先の元老院で法案のさらなる改悪を行った共和党は審議拒否を表明している。法案の国民議会最終採決は七月二二日と予定されているが、政府はここでも先の憲法条項適用を強行すると観測されている。以下の論考は七月五日以前に書かれたものだが、警察権力依存の進展をも含む支配階級のこの民主主義破壊と、彼らをそこまで追いつめている社会運動の現状が分析され、社会的対立がさらに深まり、これまでとは異なる草の根的闘争状態が持続するとの見通しが示されている。なお本稿のデモ禁止に関しては、七月一一日号にNPA声明を紹介している。(「かけはし」編集部)


ヴァルス政府は、労働法の最終的な票決のためにそれが国民議会に戻る日付である七月五日以前に、この法案に対する拒絶を抑え込むことはできないだろう。もっともありそうなことだが、彼は、この法案の内容に関し実質的な後退を行わない限り、憲法四九条三項(注)に頼らざるを得ないだろう。
これこそが、CGTとFOの労組指導者たちと政府の会談を経て、六月二九日夜に社会党の指導者たちが引き出さなければならない結論だ。
しかしながらこの二週間を通じて行われてきたすべてのことは、この運動を沈黙させようとすることだった。

デモ禁止令とその取り消し騒動

 パリにおける六月一四日の巨万のデモ(全国で一三〇万人、パリで一六万人:訳者)の後、政府はあらゆるメディアの中で、極めて強い宣伝キャンペーンを積み上げた。この国は燃え上がっている、あらゆるデモは内戦の戦場になり続けている、といった印象を生み出すためだ。特に、パリの小児科病院の何十枚という破られた窓が、メディアの逆上を支えるために利用された。その目的こそ、抗議行動を終わらせるため、特に六月二三日に計画された行動を止めるために労組指導者に圧力をかけることだった。
賭けられていたものは、その主要な表現であるパリのデモを無力にすることによって運動を壊すことだった。政府はこの目的に合わせて、世論をデモ反対に向けようと挑み続けていた。
その手段は、二〇一五年一一月のテロ攻撃後に国民のヒーローとして描き出され、非常事態宣言、ユーロ二〇一六(サッカー欧州選手権大会:訳者)、そして社会運動との間で休む間もなくある種の戦争的な関係に置かれた、警察の疲労困ぱい状態を強調することだった。今さら言うまでもないことだが、ヴァルスによれば、この状態を変える唯一の方法はデモにあり、デモはそれが停止されることによって、CRS(フランス共和国保安機動隊)と警官を楽にしていたはずだ、となる。
ヴァルスはこの理屈の下に、六月二三日のデモの取り消し、および単純な行進での置き換えを労組に受け入れさせたいと思った。労組・団体間共闘の拒否に直面させられた首相は、ある種の賭けに出、パリのデモを単純に禁止するのに必要な力関係を確保している、と考えた。禁止令はデモの前日である六月二二日朝に公表された。トップレベルの相談の中でヴァルスは、内務相のカズヌーヴの助言に反対して、自分の見方をオランドに押しつけた。
労組デモの禁止はフランスではまれなできごとだ。そのような決定を見つけ出すためには、一九六二年二月八日まで戻らなければならない。アルジェリア戦争の中にあったその時、パリ警視総監のモーリス・パポンは、アルジェリアでの平和を理由に左翼諸政党と労組のデモを禁止した。抗議に立ち上がった人びとに対する警察の攻撃は、その日、パリ地下鉄のシャロンヌ駅で八人の死を引き起こした。
ヴァルスによる決定は、労組また政治的レベルに立つものから、急進左翼やエコロジストの先まではるかに広がる、ある種全般的な抗議に火を着けた。CFDT(仏民主労働同盟、現在ではフランス最大となっている労組連合、今回の反エルコムリ法闘争では消極性が顕著で、労組・団体間共闘には参加していない:訳者)ですら、社会党の数多くの指導者がやったように、この決定に抗議した。
この中でオリヴィエ・ブザンスノーは、この禁令には従わない、とメディアで公然と述べた最初の人物となった。そしてその後には、一時間も経たないうちに、左翼党、共産党の代表者たち、労組・団体間共闘……の代表者たち、さらに数人の社会党「異論派」たちもが続いた。
マヌエル・ヴァルスは二月以後再度、この運動の強さ、労働法に対する拒否の強さを過小評価することになった。また彼は、彼が自由に使えるものとして確保している力関係を大幅に過大評価した。全くすぐさまオランドとカズヌーヴは撤退し、ヴァルスを否認、禁令を棚上げしデモを受け入れることにより、デモは最低限にまで切り詰められたルートにしたがうことが認められたにすぎないとはいえ、労組・団体間共闘に、象徴的な一つの勝利を差し出した。

ゼネスト不在でも鋭い衝突堅持

 このエピソードは現在の情勢の矛盾した諸側面を映し出している。つまり運動は、政府を阻止するまでの強さをもっていない。直接的な力関係を通して法案の撤回を強制し、経済を止めることができるゼネストはこれまでになかった。また今後の日々にもないと見込まれる。活動家たちは職場と現場で決起し、ニュイ・ドゥブゥの活動家たちは、その活動のためには十分に強力だった。しかし成功のためには、決起を分散させないことが、運動の指導部が時間限定のない本物の衝突の構築にかかる能力をもつことが必要だった。
CGTとFOの労組指導部は、こうした長期化し攻勢的な衝突を欲していなかった。彼らは三月以後変わることなく、攻勢の立場を取る指導部を運動に提供することなく、ただ運動に付き従ってきたのだ。多くの部門の労働者は三月には数日間ストライキを行った。しかし運動は今、主要な専門職部門を動員するそこでの実体ある勢力を使い尽くしている。
こうしたことにもかかわらずわれわれが、高いレベルの対立を維持したまま六月末まで達したとすれば、それはひとえに、何万人という活動家が依然決起を続け、彼らの急進性を労組指導部に押しつけ、彼ら自身をオランド、ヴァルス、社会党に対する深い不信に、また労働法に対する拒否に基礎付けているからだ。
オランドの人気のレベルは変わることなく落ち続けている(六月三〇日発表の最新世論調査では否定的意見が八八%、そしてヴァルスに関しては八〇%)。同様にもう一つの調査では、四九条三項のあり得る利用は、公衆の七三%から否認されている。これこそが、継続的抗議行動、および特に労組・団体間共闘のデモ行動日の、数多くの私企業部門におけるストライキをもって、われわれが六月末まで到達した理由だ。
七月五日には新たなストライキと諸々のデモが行われるだろう。そして多くの人々は、夏季休暇とあり得る法の通過にもかかわらず、そこで止まらないことが期待できる。
これらの諸矛盾は今なお生きており、いわば政府は、自らをすり切らせることと引き換えに、運動を何とか弱めることができているにすぎない。

袋小路の中でけちな政治ゲーム

 ヴァルスが直面する障害は、七月五日の国民議会に向けた彼の草案の差し戻しだ。社会党は、四月の四九条三項利用が引き起こした不信から教訓をくみ、次週に同じシナリオを引き起こす可能性がある党内の反対から活力を抜き取ろうと今試みているが、それがまた政府に対する不信の深化を引き起こしている。
今進行している政治ゲームを説明するものがそれだ。そこではヴァルスが、六月二九日にCGTとFOの労組指導者たちとの会談を受け入れるよう導かれたのだが、それは、対話に取り組む意志をもつ政府、というイメージを売り込むためだった。しかし、ヴァルスが彼の法案の原理的な諸側面に関してはいかなるものも交渉するつもりがない以上、それは単にポーズにすぎなかった。そのただ一つの目的は、この数カ月彼が示してきた横柄で傲慢なイメージをやわらげたいと願いつつ、彼には開かれた姿勢がある、と見せかけることだった。
この作戦はまったくの空振りに終わることになるだろう。マイリー(FO事務局長)とマルチネス(CGT書記長)には、労組・団体間共闘の立場である法案撤回要求をもち出さないことによって、ずっと先まで進む意志があるとしても、それは役に立つものではないことが判明するだろう……。
ヴァルスはいかなる譲歩も望まず、その一方柔軟イメージを与えたいと思っている。しかしながらCGT指導部は、CFDT、UNSA(全国独立労組連合)がSNCF(仏国鉄)に関し署名した協定に反対するその権利の行使を拒否することによって、彼らの宥和路線を示す一つのサインを政府に送ることまでしてきた。CGTレールがもしSUDレール(両者は、フランス国鉄内のCGT、SUDに属する労組:訳者)の声に自身の声を加えていたとすれば、先の協定は空洞となり(フランス国鉄の就業規則をめぐる闘争の継続を意味する:訳者)、決起に勢いを回復させていたと思われる。
ここまでのところこのちっぽけなゲームは、反抗的な社会党議員を説き伏せて、彼らの票というプレゼントをヴァルスに差し出させることには成功してこなかった。そして議会では、あらゆるシナリオがなおもあり得るものになっている。

より深く警察の実力行使に依存


その間、この袋小路と時が過ぎるに連れて高まる不信にもかかわらず政府は、民主的諸権利を侵犯する警察の暴力に頼る政策に、より深く落ち込みつつある。禁止されなかったとはいえ、パリにおける直近の二つのデモは、警察によって封鎖された回廊の中で行われた。デモ参加者各自は、ボディーチェックを伴ったいくつかのバリケードを通り抜けるよう強いられ、定められたルートを使わなければデモ出発地点にたどり着けなかった。
あらためて言うがこれは、何十年間も前例のない攻撃だ。つまり一九七〇年代ですら諸々のデモには、より程度の低い暴力と、低水準の警察との衝突しかなかったのだ。圧迫と挑発がどこにでもある。六月二八日には活動家一〇〇人以上がデモ参加を禁止された。パリでは、デモコース二・八qを二五〇〇人の警官が、さまざまな武器(催涙弾投てき機、閃光弾その他……)を用意して包囲した。
もっと悪いことにその日警察はさらに進み、パリの五人の活動家宅を家宅捜査、彼らのコンピューターを押収し、本人を拘留することまで行った。同日、デモに先立って労働組合センターで総会を開いていた二〇〇人の活動家(劇場関係の臨時雇用労働者、郵便労働者……)は数時間閉じ込められ、CRS隊員と警官によって事実上デモ参加を禁止された。デモと労働組合センター封鎖解除の後、そこには八〇〇人以上の活動家が抗議のために結集した。
警察の暴虐性を示す他の事例は国中の都市で見られた。特にリールでは、数人の活動家が逮捕された。基本的な民主的権利を侵犯するこうした警察のエスカレーションは、非常事態宣言によって、また二〇一五年の諸々のテロ攻撃後に政府が実行してきた過酷な諸方策の蓄えによって、容易に可能とされている。
オルランドにおける同性愛排撃攻撃の二、三日後、政府はさらに七月二日に行われたゲイ・プライド行進の取り消しさえ試みたが、それは不首尾に終わった。この行進はそれまで、ユーロ二〇一六の試合を妨げないようにと、延期されてきていたのだ……。

誰が共和国を冒涜しているのか


この運動のはじまり以後、数多くの警察の暴力に関する記録、調査、記事が出され、攻撃的武器の使用、すでに倒れているデモ参加者の殴打、その他を知らせている。エコロジスト情報紙「レポルテル」のジャーナリストを中心とした独立調査委員会が最近公表した報告は、悲しいことだが多くのことを語っている。以下はその序文からの引用だ。
「読者が以下に読む報告は、フランスでの法執行行為が極めて危険な変化を示してきた、ということを確認している。それは、多くな平和的な市民たちの、時にはマイノリティーや子どもたちであってさえ、身体の安全を脅かしている。防衛的発射弾投てき機の使用は、それが例外的であるべきとされ、あるいは実際は禁止されているにもかかわらず、ある種常態的できごととなっている。群集の中での投てき弾破裂は容認できないほどに頻繁化してきた。民衆逮捕のための、あるいは弾圧行為遂行のための私服警官の使用は、体系的となっている。怖れを抱くことなくデモを取材するジャーナリストの権利を尊重しないということが当たり前のことになっている。……〔インタビューを受けた警官の中の〕ある者たちは語っている。彼らは政府から操作され利用されていると。それは、秩序の回復のためではなく、正体不明かつ社会の本体とは無縁なだけに暴力的な『破壊分子』からフランスがあたかも脅かされているように、わが市民たちに印象づけるイメージをつくり出すためなのだと」。
一人のアーチスト、ゴインは、グルノーブルの「ストリート・アート・フェスト」の一部としての展示で、ヴァルスとオランドの政策に対するうまいイラストを壁画(「国家は自由をこん棒で殴打中」)の形で先頃発表した。それは、倒れ込んだままこん棒で殴打されるフランスの象徴であるマリアンヌを主役にしたものであり、殴打する二人のCRS隊員の内一人は、四九・三のマークをつけた楯をもっている。
この壁画は、カズヌーヴをその先頭に、右翼と社会党の指導者たちから憤激の波を引き出した。シャルリー・エブドのジャーナリストたちによる自分の思うままを述べる表現の自由と尊大さを支持したことを誇りとした者たちにとって、この反共和国の冒涜はとうてい容赦できないものだった、ということになる。(二〇一六年六月三〇日)

注)この条項は、政府が議会での議決なしに法を通過させることを可能にしている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年六月号) 

 


もどる

Back