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    かけはし2016.年7月11日号

環境協定は米軍保護協定


沖縄報告 7月4日

基地に対する立ち入り調査を無条件で認めよ

沖縄 K・S

米軍 普天間飛行場の文化財調査を拒否

返還前立ち入り調査が不可能に

基地汚染もチェックできない

 

 沖縄県と宜野湾市は、返還後の跡地利用や文化財保護をはかるため、一九九九年から普天間飛行場内の立ち入り調査を毎年進めてきた。文化庁の補助を受けたこの事業は、飛行場内に約五一〇〇の試掘ポイントを設定し、滑走路など使用中の場所を除いた約一七〇〇ポイントで試掘が行われ、これまで先史時代やグスク時代などの遺跡一〇二カ所が見つかった。
沖縄戦の始まりと共に住民が避難している間に集落や学校、田畑、公民館などをブルドーザーで壊して造られた普天間基地のなかには多くの遺跡や文化財があり、返還後の土地利用にあたって詳細な調査は欠かせない。しかし、昨年から調査ができていない。立ち入り調査申請に対する米軍からの回答がないため、沖縄県教育委員会が問い合わせたところ、昨年一一月、米海兵隊は「環境補足協定」に基づいて不許可の通知をしていたのだという。
二〇一五年九月二八日、「負担軽減」を名目に鳴り物入りで締結された日米地位協定の環境補足協定(日米合同委員会「環境に関する協力について」)は、返還前の立ち入り調査について、立ち入り調査の条件を明記している。「返還日が合同委員会において設定されている」「米軍の運用を妨げない」「施設及び区域の運営を妨げない」などである。そして、返還前立ち入り調査は「合同委員会において設定された返還日の一五〇労働日(約七カ月)前を超えない範囲で実施することができる」としている。
普天間飛行場は返還期日が決まっていない。米軍は環境補足協定を盾に「返還日が設定されていない」「返還日の七カ月以内ではない」ことを理由に立ち入り調査を不許可にした上で、返還七カ月より以前の立ち入り調査については「日米合同委員会の合意が必要」と回答している。これまで慣例として許可されていた文化財調査が環境補足協定のせいで不許可になっているのだ。これでは立ち入り調査のための協定ではなく、立ち入り調査を制限する協定だ。そして、返還前の立ち入り調査を十分に行うことができなければ、返還後に枯葉剤のドラム缶一〇八本が出土し大問題になった沖縄市のサッカー場の二の舞になってしまう。

北谷グスクの文
化財調査も不許可
普天間だけではない。米海兵隊キャンプ瑞慶覧(ずけらん)内の「北谷(ちゃたん)グスク」は琉球王府の成立に先立つグスク時代などの文化財である。北谷町教育委員会は新たな町のシンボルとして返還後の国史跡指定や城跡公園化、郷土学習の教材としての活用のプランを持って、一九八三年から合計一六回の立ち入り調査を実施してきた。二〇一五年一〇月、考古学の専門家などでつくる「北谷グスク調査指導委員会」の視察を、沖縄防衛局を通じて米軍に申請したところ、米軍は「返還日が設定されていない」として立ち入り調査を不許可にしたことを防衛局が町に伝えてきた。
沖縄市も同様である。キャンプ瑞慶覧のロウワー・プラザ地区の埋蔵文化財の調査を、防衛局を通じて米軍に申請したところ、やはり環境補足協定を盾に立ち入り調査が拒否された。
日本政府は環境補足協定を「歴史的意義を有する」(菅官房長官、岸田外相)と自画自賛しているが、とんでもない。日本政府外務省、防衛省の役人たちはろくなことをしない。米軍の排他的基地管理権を明文化した日米安保・地位協定の下で、環境補足協定は立ち入り調査に条件をつけることによって、米軍に裁量権を与え、米軍の基地管理権を保護してやっているのだ。ここのところを変えていかない限り、砂上の楼閣に屋上屋を重ねるだけだ。翁長知事は「地位協定の改悪だ」と指摘した。全くその通りだ。返還後の跡地利用に向けた立ち入り調査などのアクションを無条件で承認する環境協定が必要だ。県民が結束しもっともっと声を大きく上げることによって、居直り強盗然とした米軍の厚顔と日本政府の屈従を打破しなければならない。

七月一日午後、米海兵隊北部訓練場メインゲート前で、ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設を阻止するための抗議集会が開かれ、二〇〇人が結集した。ゲート入り口付近では、米軍の民間警備員(軍警)、戦闘服を身に着けた米兵、県警合わせて数十人がたむろし、私服を着けた米兵が始めから終わりまでビデオを回し続けた。
例年三月から六月はノグチゲラなど繁殖期の野生生物の保護のため大型の重機などを使った工事はしないことになっているが、七月に入って工事強行のおそれがある。防衛局と工事業者が現地にたびたび顔を出し、工事着工のチャンスをうかがっている。現地では、七月一日午前〇時をもって二四時間の監視体制に突入した。
七月一日のゲート前集会は、高江の二四時間監視体制の取り組みを支援するため開かれた。ヘリパッドいらない住民の会の伊佐真次さん(東村議)は開会あいさつで、「一〇年間頑張ってきた。ヘリパッド二カ所の完成後訓練が激しくなっている。夜一一時まで飛んでいる。残り四カ所ができればどうなるか。被害拡大は明らかだ。オスプレイが飛び銃声が聞こえるような自然遺産なんてありえない。住民の生活を守り自然を保護しようとするなら訓練場の返還しかない」と訴えた。
高江ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会(高江連絡会)の大西章さんは二〇一五年度の活動報告を行い、その中で、過去一年間の運動の特徴として辺野古との連携の強化を挙げた。そして「住民生活への影響が甚大だ。人間とオスプレイは共存できない。防衛局、外務省、米軍の連名での車両の撤去要請がしばしば来ており、現場の緊張は高まっている。ことがあれば直ちに集まって欲しい。われわれの目的は、生活を守る、森を守る、だ」と強調した。(高江連絡会のHPは、http://blog.goo.ne.jp/takashien)
そのあと、沖縄平和運動センターの山城博治さん、統一連、平和市民連絡会の北上田毅さん、ヘリ基地反対協の浦島悦子さん、大宜味九条の会の平良啓子さん、島ぐるみ会議東の當山全伸共同代表から各々連帯と決意の表明が行われ、最後に頑張ろう三唱で一時間半の集会の幕を閉じた。

7.1 高江工事阻止に200人

オスプレイ基地をつくるな!

北部訓練場ゲート前集会

オスプレイは住民生活と両立できない
米海兵隊の北部訓練場は沖縄本島北部のやんばるの森の大部分を占め、面積は嘉手納基地の約四倍、成田空港や関西空港の八倍近い。米軍はこの訓練場を「ジャングル戦闘訓練センター」と呼び、年間六〇〇〇人以上の兵士たちがコンパスと地図だけを頼りに戦闘訓練、地雷施設訓練、サバイバル訓練を行う世界で唯一の基地である。(矢部宏冶『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』)。かつてのベトナム戦争の際には地域住民も動員されてベトナムの村を模したゲリラ訓練施設がつくられ,枯葉剤が使用されたともいう。
一九九六年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意は、この広大な基地の北半分(国頭村側)の返還とその返還条件として@返還予定地にあるヘリパッド六カ所の高江集落周辺への移設、A海から陸への上陸訓練のための宇嘉川流域の米軍への新たな提供、そしてB海兵隊の新型輸送機オスプレイの配備、を決めていた。
高江住民の闘いは一〇年目に入った。この間N四区の二カ所のヘリパッドはつくられ返還に先立ち米軍に提供された。オスプレイの爆音、爆風は恐ろしい。住民の生活は破壊され、森は壊される。深夜一一時まで行われるオスプレイの訓練のため、子供たちが眠れず、登校できない事態も起きている。住民の生活とオスプレイは両立できない。静かな暮らしを守るためにはヘリパッド建設の阻止、オスプレイの撤去しかない。N一地区の二カ所、HおよびG地区の残る四カ所はまだ造られていない。闘いはこれからだ。そもそも世界自然遺産に登録されるような豊かな森に軍事基地はふさわしくない。沖縄戦が終わって七一年、海兵隊はいつまでも沖縄にしがみつかないで、米本国へ帰れ!

沖縄基地は39%?

米軍がフェイスブックに書き込み

駐日米軍司令部が「USFJ FACT OF THE WEEK」(駐日米軍・今週の事実)と題する書き込みをフェイスブックに行ない、沖縄基地に関し次のように述べている。
「沖縄に米軍基地が七五%集中しているといわれるが事実ではない。米軍専用施設が日本全体で八五カ所、そのうち沖縄には三三カ所で、沖縄の割合は全体の三九%だ。地位協定上のメンバーは四九%が沖縄に存在している。基地の大半は沖縄以外のところにある」
ウソとギマンに満ちている。沖縄に米軍専用施設の約七五%が集中しているというのは面積の話である。それは日本政府も公式に認めている。米軍は面積の問題を基地の数にすり替えて、数字の上で「沖縄の基地負担の軽減」を演出したわけだ。むしろ、数は少ないが面積が大きいということは、それだけ沖縄の米軍基地の一つひとつの巨大さ・広大さを意味するものに他ならない。基地の大半が沖縄にある事実に何ら変わりない。
翁長知事は「開いた口がふさがらない。事実を捻じ曲げて話すのは大変残念」と批判した。ところが、中谷防衛相は「統計の取り方の問題」「こうした統計もあるという米軍の主張」と米軍をかばった。中谷は米軍の提灯持ちをやめろ!こんな日本政府のあり方でいいのか。姑息で恥知らずな米軍と県民の願いなどどこ吹く風、米軍に追従するだけの日本政府に対し、やがて四分の三世紀になろうとする米軍の沖縄占領を一刻も早く終わらせるため、県民は結束し行動しよう。現地の闘いと連携して翁長県政・県議会をいっそう強固にし、沖縄からの米軍の撤退を主張し米国と真剣に交渉する日本政府をつくろう。

6.26

元米兵の女性暴行・虐殺糾弾

山城博治さんが訴え

怒りを共に新宿デモ


海兵隊は直ち
に出ていけ!
 六月二六日午後二時より、新宿駅東口アルタ前で「辺野古新基地NO!元米軍兵による女性への暴行・殺人を糾弾する集会」が開かれた。
 冒頭司会が「怒りと悲しみでいっぱいです。六月一九日、現地沖縄の県民集会には六万五〇〇〇人もの人たちが集まり、何回も繰り返される事件に怒りを爆発させました。この原因は沖縄に基地があり、海兵隊が存在しているからです。現地では初めてスローガンに『海兵隊は出て行け』を掲げました。この集会でシールズ琉球の玉城愛さんが、私たち本土の人間の責任は重いと発言しました。私たちは私たちの責任で声をあげ、これに応えていく必要がある」と訴えた後、犠牲になった被害者に対し一分間の哀悼を捧げた。この時新宿ビルの温度計は三一度を掲示していた。

普天間、嘉手納
のゲート前闘争
次に沖縄平和運動センター議長の山城博治さんがあいさつに立った。
「東京は本当に暑いですね。しかし沖縄は梅雨が明けもっと暑い中で連日ゲート前の闘いを続けています。今や闘いは米兵をゲートから出さない方向に進んでいます。米兵を基地の外に出すと事故を起こすから当然の帰結です。さらに闘いは高江、普天間、嘉手納基地のゲート前でも始まっている」。
「六月一七日、国地方係争委が『肯定、否定』のいずれの判断もしなかった。その上で『双方が納得するまで話し合うべき』という提案をしたが、菅官房長官をはじめ政府は県に対して『裁判に訴えろ』と、どう喝している。裁判を起こした方が負けることは明白である。全くやり方が汚いしせこい。今度の参議院選では政府の提灯持ち島尻を落選させ、伊波さんを当選させるために全力で闘っている。全国で憲法を守る人たちが闘いに立ち上がり、安倍政権を打倒しよう。政府は与那国島、石垣島、宮古島でも自衛隊基地を作ろうと必死である。しかし軍隊が来ればそこが戦場になることは明白。絶対にあきらめず闘う。『負けない方法とは勝つまであきらめないこと』の言葉通り最後まで闘い続けよう」。そして山城さんは「今こそ立ち上がろう」を熱唱した。
カンパの呼びかけが行われた後、六月二六日東京・中野、六月二九日神奈川・川崎でのライブのために上京した知念良吉さんが自身の生まれ育った沖縄の基地の風景を歌い、共に闘うことを呼びかけた。
最後に、環境ネット、辺野古リレー、連帯労組の仲間からあいさつがあった。連帯労組の仲間は沖縄現地の闘いに参加し、「高江では連日オスプレイが飛び交うため、現地の人たちは二四時間抗議行動を展開している。頭上であのオスプレイの爆音が騒ぎ続けるのは耐えがたいことがよく分かった。皆さん、沖縄の人たちと連帯し闘おう。現地に出向こう」とアピールした。
午後三時、暑い中恒例の新宿駅一周のデモに出発した。      (D)


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