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    かけはし2016.年7月11日号

主役も台本もない茶番劇


5月G7サミットは何だったのか?

世界資本主義の危機の新段階

オバマ訪広と安倍「リーマン
並み危機」発言だけが話題に

 五月二六―二七日に伊勢志摩で開催されたG7サミット(主要国首脳会合)は、演出されたオバマ米国大統領の広島訪問と、各国メディアの顰蹙を買った安倍首相の「リーマン並みの危機」発言以外には何の話題も提供しなかった。
沖縄での米軍属による女性に対する強姦・殺人・遺棄事件への怒りが高まる中、安倍にとっての最大の関心は、この凶悪で残忍な事件が自らの政権への打撃となることを最大限に回避することだった。そのためにサミット開催の前日に急遽、米日首脳会談を設定し、米国政府に抗議するポーズを示した。さらに、サミットに関する報道はオバマの広島訪問への歓迎と期待一色となった。
オバマは広島訪問に先立って五月二四日に、かつて米国が侵略と殺戮・破壊を尽くしたベトナムを初めて公式訪問し(ベトナム戦争後の現役大統領としては〇〇年のクリントン、〇六年のブッシュに続いて三度目)、両国の軍事協力を含む関係強化をアピールした。米国はベトナムに対して、かつての戦争に対するいかなる反省も謝罪も表明していない。オバマは日本においても沖縄での米軍属の行為にも、広島への原爆投下にも、真摯な反省、謝罪を示すことはなかった。それどころか、広島訪問の前に岩国の米軍基地を訪問し、米軍兵士を称え、激励したのである。
おそらく安倍政権の人気浮揚のためのオバマ広島訪問の演出に米国政府が協力する上で、原爆投下に対する米国の謝罪を求めず、「未来志向」の日米同盟を強調することが合意されていたのだろう。
首脳会合において、安倍は「アベノミクスの成果」を自賛し、各国に同様のデフレ脱却策を求めることで自らの経済政策を権威づけることを目論んでいた。そのためにわざわざ五月の連休にヨーロッパ五カ国(およびロシア)を訪問して、根回しを試みた。
しかし、緊縮財政政策に固執するEU諸国、とりわけドイツのメルケル首相との会談は不調に終わり、現在の世界経済の状況に関するG7としての共通の認識や共通の課題に関する合意は不可能となった。
安倍はG7サミットの場で突然、「リーマン並みの危機」の可能性に言及し、各国首脳を驚かせた。
「リーマン並み」とは〇八―〇九年にかけて米国のサブプライムローンの破綻、有力銀行のリーマンブラザーズの倒産をきっかけに発生した世界金融危機に匹敵する規模の危機を意味している。「リーマン並みの危機」が近づいていることは、有力な投機家のジョージ・ソロスも早くから指摘しており、いずれにせよそのような危機は遅かれ早かれ必然であって、安倍の発言は特に目新しい認識ではない。
実体経済とかけ離れた金融取引が何の規制もなく、それどころかタックスヘイブンの闇に守られて、世界経済をカジノと化している中で、〇八―〇九年のリーマン危機は起こった。この危機から世界経済を救ったのは中国を中心とする新興諸国における長期にわたる高成長だった。問題を引き起こした世界の金融機関は公的資金によって立ち直り、金融規制のためのあらゆる動きは封じられてきた。これで「リーマン並みの危機」が再来しない方が不思議である。
もちろん安倍はそのような問題意識から発言したわけではない。アベノミクスの失敗を世界経済の危機、とりわけ中国経済の失速のせいにし、消費税引き上げを延期することで政権の延命を図るというごく低次元の思惑に過ぎない。
当然のこととして、G7において世界経済についての意味のある合意は何もなかった。

空中分解したG7

 筆者は本紙五月二日号掲載のG7サミット反対の行動の呼びかけの中で、次のように指摘した。
「本紙において、ピエール・ルッセ同志の論文等で提起されてきた『地政学的カオス』の中で、経済においては中国やBRICSの台頭、軍事においては中東における『テロとの戦争』の行き詰まり、政治においては各国における極右の台頭と民主主義の機能不全、さらには気候変動、難民問題がそれぞれ、G8あるいはG7によるコントロールや調整が可能なレベルを超えてしまっている」。
「『地政学的カオス』の中で、一元的に世界の統治のルールと機構を方向付けるイニシアチブはどこにも存在しない。G20、G2(米中首脳会談)、あるいはEU、ASEANなどの国際的あるいは地域的機構が部分的にその役割を与えられている。その中ではG7には中国、ロシアと対抗する西側の結束のシンボルとしての役割しか残されていない」。
現実には、五月伊勢志摩サミットは、中国、ロシアと対抗する西側の結束のシンボルとしての役割すら体現することができなかった。
米国はオバマ政権の下で、アジアにおける覇権の再確立に向けて米日韓、インド、オーストラリア、フィリピン、さらにはベトナムとの軍事協力を強化してきたが、その一方で一三年の習近平国家主席就任以来、オバマ・習近平会談は七回にわたって行われている。米中戦略対話も定例的に開催されており、伊勢志摩サミット直後の六月六―七日にも北京で開催されている。北朝鮮問題や海洋における軍事的緊張の問題は、米中二国間で、日本やG7の頭越しに調整されているのである。
一方、中国との直接的な軍事的緊張関係がないEU諸国は、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)や、アジア欧州会合(ASEM)等を通じてアジア市場への影響力拡大を図っている。
対ロシア関係においては、ヨーロッパでは「新たな冷戦」という認識が一般化しており、クリミア、ウクライナ問題とG8からのロシアの追放(離脱)を契機に、NATO、ロシア双方が軍事的緊張をエスカレートさせている。
六月上旬から中旬にかけてポーランドでNATOおよびウクライナ、ジョージア(グルジア)の二四カ国による大規模な合同軍事演習が行われた。冷戦終結後最大規模で、約三万一〇〇〇人の兵士が動員されている。五月にはルーマニアにNATOのミサイル防衛(MD)の一環として、地上配備型の米迎撃ミサイルの運用が開始された。
一方、中東情勢との関連では、ISISとの戦闘においてロシアによる空爆が西側同盟の窮地を救ったという事情があり、ロシア、イラン抜きには「テロとの闘い」の展望が成り立たないことが明白になりつつある。
さらに、中東・北アフリカからの難民の受け入れをめぐって、EUそのものが存立の危機に瀕している。
このカオスの中で、G7はいかなる意味のある合意も練り上げることなく、空中分解してしまった。

陰の主役はプーチンと習近平


今回のG7の大きな特徴は、「主役」の不在である。米国オバマ大統領は二期八年の任期をほぼ終了した現時点で、「テロとの戦争」も、TPP、TTIP(環大西洋貿易投資パートナーシップ)も行き詰っている。オバマ大統領の八年間は、金融、エネルギー、医薬品、軍需から外交、教育、銃規制に至るまであらゆる政策において、強力な影響力をもつ企業ロビーのコントロールの下で大統領の権限が全く無力であることを誰の目にも明らかにした。
EU内で唯一、経済的安定が持続し、EUの盟主としての地位を確立してきたドイツのメルケル首相も、緊縮政策に対する批判の増大や国内の極右勢力の台頭に直面し、また、中東からの難民の受け入れをめぐる変節によって「指導力」を失墜してきた。EUにおいてドイツの主導の下で緊縮政策を推進してきたトロイカの一翼であるIMFは、緊縮政策は問題が多く、誤りだったとする公式文書を発表している。ウクライナ問題においても、ウクライナ政権の強権的な政治や右翼的な政策によって不安定要因が拡大しており、独仏ロとウクライナの四カ国による交渉という枠組みで紛争拡大を抑止するのが精一杯である。
フランスのオランド大統領は、昨年のパリでの二度にわたるテロに対する好戦的な政策によって一時的に支持率を上げたが、長期化する非常事態宣言に対する不満と、労働法改定の動きをきっかけとしたストライキ・デモの拡大に直面し、G7において何か積極的な主張を行うような立場にはない。
英国のキャメロン首相も、パナマ文書の暴露と、EU離脱をめぐる国民投票への対応で政権の維持そのものが見通せない状況である。
敢えて言えば、今回のG7の「陰の主役」はプーチンと習近平だった。イラク・アフガン戦争とリーマン危機によって、ソ連崩壊後の米国一極支配が劇的に終焉し、ロシアと中国が経済、政治、軍事のすべての面で存在感を増している中で、G7を結束させているのは台頭するロシアと中国を封じ込める大義としての西洋民主主義の「価値観」だけである。
ロシアおよび中国をターゲットとした「新しい冷戦」は、使用可能な核兵器としての戦術核兵器の開発・配備や、新世代のミサイル防衛システム、サイバー戦争、戦争ロボットの開発など、兵器産業や関連産業にとって救世主であり、それ自体が新たな戦争の危機をもたらすものである。
しかし、「新しい冷戦」は一九四〇―八〇年代の米ソの冷戦と違って、体制間の対立、あるいは階級間の対立をベースとするものではない。旧帝国主義を体現する西側諸国も、新興勢力としてのロシア、中国も、同じ論理、つまり市場と資源の確保をめぐって争っているのである。この中でロシアと中国は、国内においてはナショナリズムと強権支配によって求心力を高めようとしてきた。そこでは反帝国主義は強権支配を正当化するためのデマとしてのみ機能している。
一方、西洋民主主義の「価値観」、その中心となってきた「自由と平等、民主主義」は、金融資本の支配の下では限りなく空洞化しつつあり、各国においてナショナリズムに道を譲りつつある。米国におけるトランプの台頭、EU諸国における極右の台頭、日本における安倍政権への高い支持率がそのことを示している。
G7における主役の不在は偶然のことではなく、西側諸国の結束の大義としての西洋民主主義の「価値観」と現実との乖離を反映するものである。各国は西側の結束を繰り返し確認しつつも、現実には各国の個別の事情や個別の利害を前面に出し、水面下ではロシア、中国や中東諸国とも接触し、バランスを確保しようとしている。つまり、今回のG7は主役不在だけではなく、台本もなく、自らがどこに向かっているのかという感覚すら共有されていないことが特徴であり、安倍の自画自賛だけが突出した茶番劇だった。

新しい国際的な反資本主
義左翼の形成を目指そう


G7の求心力が低下し、イニシアチブの不在が顕在化しているとはいえ、G7に対抗する側の運動も大きな困難に直面している。
米国大統領選挙の予備選挙におけるサンダース議員への大きな支持、スペインにおけるポデモスの躍進が示すように、既成政党への批判や不信を結集する新しい左翼的な潮流が大衆的な形で顕在化しはじめている。
これはまだ始まりの段階であり、ギリシャのシリザの経験が示すように、新しい挑戦にはさまざまな落し穴が待っている。
しかし、反資本主義、あるいは社会主義を掲げる政党あるいは政治家が選挙において有力な選択肢の一つとなっていることは、新たな歴史の始まりである。
サンダース氏の掲げる社会主義は必ずしも社会の根本的な変革を伴うものではなく、社会民主主義的、あるいはニューディール政策的な社会改良であり、新自由主義以前の民主党の政策とそれほど違わない。それでも現在の米国の社会経済的な脈絡の中では非常にラディカルであり、ウォール街占拠運動に始まる一連の新しいラディカルな社会運動と結びついている。さらに重要なことは、米国での世論調査では、三〇歳未満の若者の半数近くが社会主義を支持すると回答している。もちろん、社会主義という用語はさまざまな内容で理解されているだろう。
興味深いことに、プーチンの下のロシアにおいてすら、世論調査で「共産主義の時代の方がよかった」という回答が半数近くを占めるようになっている。ただし「共産主義に戻る」ことに賛成する者は一割未満である。
また、「一%」対「九九%」という直観的な現状認識の中に、階級意識の萌芽が表現されていることにも注目するべきだろう。
二〇〇〇年以降のG7・G8に対する国際的な闘いや世界社会フォーラムを基軸とした新自由主義グローバリゼーション反対の運動の一つのサイクルの中で、反資本主義的なオルタナティブと運動のネットワークが蓄積されてきた。それをベースとして「怒れる者」の反乱が世界各地を席巻してきた。
これらは新しい国際的な反資本主義左翼の形成のための主体的条件を準備している。われわれは国際主義者として、この情勢に対応する理論的・組織的準備を急がなければならない。G7の空中分解と地政学的カオスの一層の深まりは、われわれにそのことをつきつけている。
(6月23日 小林秀史)




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