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    かけはし2016.年7月4日号

最賃1500円/時に道つけろ


6.14 対中賃審共同でキャンペーン

どこでも千円/時 今すぐに

もう命の問題だ!


生活の窮状直
視し審議行え
六月一四日、今年の最低賃金引き上げ額の基準を定めるための厚労相諮問機関、中央最低賃金審議会(中賃審)の最初の審議が厚労省で行われた。この審議会では審議の結論として、各地方の最低賃金引き上げ額の参考となる「目安」が出される。各地方最賃引き上げ額は例年この「目安」と大きな差のない額で決着するだけに、重要な意味をもつ審議だ。
この審議に向け、幅広い労働組合が厚労省前で、今すぐどこでも時給一〇〇〇円に、さらに早期に一五〇〇円へ、と訴える宣伝行動を共同で行った。首都圏青年ユニオン、全国一般なんぶ、下町ユニオンが呼びかけ、潮流を越えた単組が結集して結成された「最低賃金大幅引き上げキャンペーン委員会」、そして全労連・春闘共闘、全労協の共同の取り組み。行動は、午後二時半審議開始を念頭に、傍聴に入る全国一般全国協と全労連の代表を拍手で送り出した後、午後二時から。
審議に向かう委員や関係者、そして行き交う人びとに向け、最低賃金の大幅引き上げが絶対に必要な生活の実情が、集まった労働者から次々に訴えられると共に、全国一般全国協が作成した三つ折りリーフレットも手渡された。これは多くの図表をコンパクトに配し、日本の最低賃金がいかに低いか、まともな生活を支えるにはどれほど遠いかを一目瞭然にしている。自分の賃金が最低賃金に達しているか否かを簡単にチェックできる方法も示され、なかなかの優れものだ。

安倍のイカサマ
を暴き痛烈批判
訴えは、間にシュプレヒコールを挟んで一〇以上の労組の代表がリレーする形で行われた。そこでは何よりもまず異口同音に、時給一〇〇〇円でも人間らしい生活にはとうてい及ばない、時給一〇〇〇円は最低の通過点だと強く主張され、一刻も早い一五〇〇円実現の必要が訴えられた。同時に、生計費水準に地域差が極めて小さい実態を具体的に挙げながら、全国を四グループに分けて最低賃金に差をつける現行制度の不公正さ、特に最高額でも九〇七円にしかならない中で二〇〇円以上もの差ができている現状の不公正さが強く批判され、全国一律最賃の実現が強く主張された。
まさに語るに値する最低賃金は即時全国一律一〇〇〇円、早期に一五〇〇円以外にないが、安倍が今声高に語っている一〇〇〇円はまったく異なっている。それはせいぜい七年後の額(安倍自身はその時期すらも明言しない)、しかもあくまで全国過重平均の話なのだ。まして「経済成長を考慮して」との但し書き付き(「一億総活躍プラン」)であり、このあやしげな一〇〇〇円すら保証の限りではない。誇大広告どころかサギ商品に近い。
発言の多くもこの点を厳しく批判、参院選をチャンスに、「今すぐどこでも一〇〇〇円」を社会の要求に変え、安倍政権のイカサマを暴きつつ彼らを追い詰めようと力説した。さらに、アメリカから世界に広がっている最賃一五ドルのキャンペーンも、当初は非現実的要求とも見られたが今では社会的に広く共感を呼び、アメリカを中心に次々に実現への足掛かりができはじめていることもさまざまな仲間から指摘され、強い意気込みをもって大胆に社会に呼びかける必要が共に確認された。

名に値する最賃
へ社会的大波を
現状の最賃レベルは命の問題、教育への支障も考え合わせれば今と未来を危険にさらしている、これはカネの問題ではないとの強い訴えも行われた。さらに首都圏青年ユニオンの若い労働者は、最賃レベル賃金の職場には非正規の仲間が多い、細切れ契約反復という現状での実際の年収は、最低賃金×フルタイム労働時間という計算額にすら達しないと注意を喚起、非正規差別をなくす闘いも大きなうねりにしようと呼びかけた。
郵政労働者ユニオンの代表は、郵政職場の非正規労働者の時給が最低賃金に連動する形で決められていることを紹介し、それが正規と非正規の格差を大きくしている重大な要因と指摘、その現実に立って非正規労働者が自ら最賃引き上げに向け立ち上がっていると報告した。あるいは、昨年「目安」審議が非公開にされたことや委員人選の偏りなど、審議のあり方にも批判が行われた。
こうした訴えの中、午後三時過ぎ傍聴に入った仲間が戻ってきた。「目安」を審議する小委員会は今年も非公開とされ、傍聴者が締め出されたのだという。原則公開とされている審議会でありまったく不当だ、と怒りの報告が行われた。二回目の審議は七月一四日に設定されたという。参院選投票日直後であり、選挙が終わるのを待って人びとの反応を気にせず一気に「目安」決定に持ち込みたい、との思惑は見え見えだ。
社会的うねりをつくり出し、そんな思惑を吹き飛ばすことが求められている。参院選で安倍政権をつまずかせる一つの重要な訴えとして、「最賃一五〇〇円めざし今すぐどこでも一〇〇〇円」を社会に大きく広げよう。 (神谷)  

6・20東京東部反戦集会

元米兵による女性殺害糾弾!

辺野古基地建設の断念を


【東京東部】六月二〇日午後六時半から、東京・墨田区錦糸公園で「元米兵による女性殺害弾劾!米軍基地を撤去しよう!辺野古基地建設の断念を! 東京東部6・20反戦集会」が沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委員会の主催で行われた。地公労に参加する区職労、清掃共闘、全水道東水労、東交、教組や東京東部労組、全労協全国一般東京労組など民間組合、市民団体など二〇〇人が集まった。

現地訪問の実感
込めた熱い報告
東部地公労伊藤議長が「五月二九日〜三一日まで、辺野古に行ってきた。船に乗り抗議行動に参加してきた。力づくで基地を建設しようとしていることに怒りを覚えた。辺野古新基地建設を断念せよ」と主催者あいさつをした。次に、六月四日〜七日まで、辺野古現地の闘いに参加した派遣団九人が並び、田附さんが代表して、行動について報告した。
一日目:キャンプ・シュワブゲート前、二日目:カヌー体験、グラスボート乗船、三日目:伊江島・わびあいの里、四日目:キャンプ・シュワブゲート前、辺野古テント村。
伊江島訪問について、報告文を引用する。
伊江島はオスプレイの訓練など頻繁に行われていて島民の生活に大きな影響をもたらしている。さらにF35Bステルス戦闘機の離着陸訓練のため訓練場を四二九mから八六七mにする計画がある。わびあいの里は「沖縄のガンジー」と言われ、沖縄運動の原点を築いた阿波根昌鴻さんが平和な島を取り戻すために一九八四年に「反戦平和資料館」「平和交流」を図る場として建設された。ヌチドゥタカラの家(資料館)を見たあと、館長の謝花悦子さんから当時、米軍の上陸により一五〇〇人もの島民が犠牲となったこと。戦後、銃剣とブルドーザーによって島の三分の二の土地を収奪され作物を作ることができず、米軍の暴虐を「乞食行進」によって全島を廻り「島ぐるみ闘争」の起点となったこと。最後に阿波根さんの非暴力を貫く闘いが今も沖縄でしっかりと息づいていて辺野古、キャンプ・シュワブ前で、高江でしっかりと実践されていることが話された。

日米政府の責任
隠しに強い怒り
続いて、訪問団に参加した三人が現地の闘いに参加することの重要性と沖縄の闘いをいかにこの東部で広げていくかと語った。
外間三枝子さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が昨年に引き続き沖縄からのあいさつを行った。昨年、作家の百田尚樹が「普天間基地米軍に無理矢理取り上げられたものではないとか、沖縄の新聞をつぶしてしまえ」などの暴言を吐き、沖縄を侮辱する事件があった時期に、外間さんは沖縄を訪れ、帰ってきた直後に、東部集会・デモで発言した。しかしあまりのストレスから発言の途中で記憶をなくしてしまうことがあった。外間さんはそのことに触れてうえで、沖縄が負ってきた歴史をたどりながら、発言した。
「五月二七日、オバマ米大統領は広島に行き、演説をした。その演説の冒頭で、『七一年前に空から悪魔が降ってきた』というふうに、アメリカの原爆投下の責任をあいまいにした。怒りでそれ以後のスピーチを聞くこともできなかった。昨日の国会前での集会で読谷村の米軍基地での事件について報告があった。少女が米軍のトレーラーで圧死させられた。一九五九年六月三〇日、石川市宮森小学校に米戦闘機が墜落し、小学生など多数の死亡者が出た。伊江島でも、見るも無残に戦争でやられた。ふざけるな」。
「オスプレイが来た時、二〇〇四年沖国大へ米軍ヘリ墜落事件など、疑似体験をしてしまう。戦争のトラウマから抜け出せない。怒るというより苦しくて気が重い。今回の女性殺害に対して、女性を中心に沈黙の抗議をした。沖縄は憲法番外地に置かれたままだ。日本政府は永遠に沖縄を基地の島にしようしている。東部の仲間が発言したように、ぜひ闘いを持続してほしい」。
最後に、団結ガンバローでしめて、亀戸駅近くの文泉公園までデモを行い、「米軍属による女性殺害糾弾、海兵隊撤退、辺野古新基地建設反対、沖縄連帯」を訴えた。       (M)

コラム

続・入社面接

 あれからまた入社面接が続いている。年度末に突然退職してしまった機械のオペレーターに続いて、六月上旬、これまた二〇年近く働いてきた仲間が「やめる」と言い出したからだ。その彼は二〇代前半で入社してきてから二〜三年の周期で「やめる」と言い出しては、私に「何か他にやりたいことがあるのならいいのだが、そうでなければやめるな!」と言われては思い止まってきた男である。
 しかし今回は、仕事がうまくいかないことと母親の病気のことなどのストレスで完全に壊れてしまったようだ。そんなこともあり、今回私は「やめることを止める」ことはしないことに決めた。だが仕事が増えていて、これまでほとんどなかった休日出勤も出はじめている工場現場にとっては大打撃である。
 一方、五月から仕事を始めた二〇代半ばの青年はと言えば、この業種では未経験者であったということもあって、まだまだ半人前にも届かない。まじめで彼なりに一生懸命に仕事をしているようなのだが、不器用なのかなかなか仕事が上達しない。先日は朝の準備段階で機械にとんでもないことをしでかしてしまい、半日以上機械を動かせずに修復しなければならないという「大仕事」まで作ってしまう始末である。
 そんなわけで、二度目の募集と入社面接が再開されることになった。前回は連日の面接が続いたということもあってか、今回は募集にあたってのハードルを設定したようであった。そういうこともあって今回の面接は、この業界での経験者が中心となった。
 それでも最初に訪れてきたのは元ボクサー志望で、金属関係の工場で働いてきた三〇代後半の地元の人であった。体形からするとバンタム級あたりか、とにかく体力と根性はありそうに見えた。それ以降はみな経験者である。しかし五〇代の人たちが主力で、なかなかこれと言った人にめぐり会えない。
 そんななか四〇代前半の元役者志望で福島県出身、この業界で一〇数年仕事をしてきたという人がやってきた。しかしこの彼は三年間ほど仕事をせずにブラブラしていたようだ。そのことを尋ねると「貯金で食いつなぎ、それがなくなってからは親に仕送りしてもらっていた」と言うのである。それでも工場で見極めのために作業の一部をやってもらうと、ほぼ完璧にこなした。
 「彼に決めよう」ということになり社長が電話を入れると「二〜三日返事を待ってくれ」とふざけた対応をしてきたのである。たぶん「残業も多そうできつそうな工場現場」を見て、三年間ブラブラしてきた彼の決断もにぶったのだろう。「これではどうせ長続きはしないだろう」と判断して彼を不採用とした。
 いずれにせよ早いとこ人を入れなければ、六〇を過ぎてから超低賃金で長時間の労働を強いられている私が次に壊れてしまうかもしれない。
 明日は三〇代後半の経験者との面接がある。その人に決められるとよいのだが、会ってみないことには何とも言えない…。(星)




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