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    かけはし2016.年7月4日号

深い哀悼に包まれる沖縄


沖縄報告 6月26日

6・23「慰霊の日」

沖縄 K・S

6・23で沖縄戦は終わらなかった

絶えることない基地の重圧

安倍首相への怒りの野次

 六月二三日は沖縄県の「慰霊の日」だ。「慰霊の日」は、はじめ米軍政下の一九六一年に制定され、復帰後、全国で唯一の県レベルの公休日となった。一九四五年のこの日、沖縄守備軍(第三二軍)の牛島司令官と長参謀長が自殺し組織的な戦闘が終わりを告げた日とされている。しかし牛島は死ぬ前に「最期マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ」との命令書を残したため、その後も戦争は終わらず、いたずらに被害が拡大した。沖縄での終戦は七月二日の米軍の沖縄作戦終了宣言を経て、九月七日、現在の嘉手納空軍基地内の旧越来(ごえく)村で行なわれた降伏調印式である。降伏調印式には、宮古島と奄美大島から陸海軍の将校三人が出席し「南西諸島の全日本軍を代表して無条件降伏」を申し入れ降伏文書に署名した。なお、沖縄市は独自に九月七日を「沖縄市民平和の日」とする条例を制定している。

平和の礎(いしじ)
今年も 人の刻銘
一九九五年の慰霊の日に戦争終結五〇年を記念して大田元知事の時につくられた「平和の礎」には、戦争で死んだすべての人々の名が母国語で刻まれている。二〇一六年六月二三日現在の刻銘者数は、沖縄県一四万九四二五人、県外七万七四一七人、アメリカ一万四〇〇九人、イギリス八二人、台湾三四人、朝鮮四四七人(朝鮮民主主義人民共和国八二人、大韓民国三六五人)合計二四万一四一四人。新規の刻銘者が毎年ある。今年は、沖縄県六九人と県外一五人の計八四人が新たに刻銘された。
平和の礎に刻まれた犠牲者の出身地を見れば一目で明らかなように、沖縄戦の死者の大半は沖縄県民である。沖縄戦の最大の犠牲者は沖縄県民だった。自然も人命も文化財もすべて焼かれ奪われた。六〇万県民が住む土地で日米両軍が地上戦を繰り広げた結果だ。一家全滅も多い。とくに、糸満市字米須や真栄平では三〜四割の家が一家全滅になってしまった。役場の書類がすべて焼失し公的な記録がない上に、近隣者も死んでしまい、亡くなった人達の名前が分からない、というケースもある。○○の祖母、○○の妻、○○の長男、○○の次女、○○の孫などと表記されている二〇〇人以上の無名刻銘者がそれである。中には七人の子どもの名前、性別がまったく分からず、一子から七子まで連記されている刻銘版もある。
県民の四人に一人、沖縄本島に限れば三人に一人が犠牲になったと言われるが、伊江島や南部地域の市町村ではその割合はさらに増える。糸満市、宜野湾市、(旧)具志頭村,中城村(北中城村)、豊見城市では軒並み四〇%を越え、南風原町、浦添市、(旧)東風平町、西原町では半数を越える。そのため、県民は誰でも、家族・親戚の中に誰か犠牲者がいるという場合が多い。戦争で親を失った子どもたちも多い。一九五三年一一月、当時の琉球政府が調査したところによると、両親を失った=四〇五〇人、母親を失った=二八五〇人、父親を失った=二三八〇〇人であった。こうして沖縄は、戦争で廃墟となり、社会そのものが破壊された上に、その後居すわり続けた米軍による軍政支配と基地あるが故の事件事故・犯罪の重圧を受け続けてきた。

翁長知事が辺
野古NO!訴え
六月二三日慰霊の日は沖縄中が哀悼の祈りに包まれた。学徒隊として動員された県立二高女の白梅の塔や鉄血勤皇隊の各健児の塔、各地の戦跡や慰霊塔、なかでも平和祈念公園の平和の礎には早朝から人々が訪れ花を手向け焼香し手を合わせた。すでに前日までに祈りをすませたと思われる花束や飲物が各所に置かれていた。
正午の黙祷にあわせて始まる沖縄県・沖縄県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」には遺族ら四七〇〇人が参加した。翁長知事は「悲惨な戦争体験こそが平和を希求する沖縄の心の原点」だと強調し、日米両政府に「日米地位協定の抜本見直し」「海兵隊の削減を含む米軍基地の整理縮小」を求め、「普天間飛行場の辺野古移設は到底容認できない」と述べた。また、県遺族連合会の宮城会長は「追悼のことば」で「普天間飛行場の早急なる移設を熱望し、戦争につながる新たな基地建設には断固反対する」と強調した。さらに小学六年の仲間さんは「平和ぬ世界どぅ大切」との平和の詩を読み上げ、「ミーンミーン」と鳴くセミは「平和を願い鳴き続けている」と訴えた。
追悼式に安倍も参列した。そして昨年同様、怒りの野次に見舞われた。会場に来るや否や「帰れ」の怒号が飛び、「国を挙げて基地負担の軽減に取り組む」との安倍の言葉には「本当にそう思っているのか」、あいさつを終え帰る際にも「県民は怒っている」「いいかげんなことをするな」「帰れ」などの野次があちこちから飛んだ。黙祷では、翁長知事をはじめ参加者全員が頭をたれて厳かに黙祷しているのに、安倍は横柄にも頭をたれずただ突っ立って目をつぶっているだけだった。

6・23国際反戦沖縄集会

魂魄(こんぱく)の塔横で

350人が結集

 飢餓とマラリアが蔓延した米軍の収容所から解放された人々の「戦後」の歩みは、荒廃したふるさとの野山や畑、ガマや海岸に散らばる遺骨の収集から始まった。沖縄戦終焉の地となった糸満市摩文仁一帯の遺骨は、米須の海岸沿いに集め大きな穴を掘ってその中に収めた。遺骨があまりにも多くて骨の山を築いたため、石灰岩で周りを囲んで二段に盛りあげた。最終的に三万五〇〇〇体の無名の遺骨が納骨されたといわれるこの慰霊の塔は「魂魄(こんぱく)の塔」と名づけられた。建立に尽力し命名したのが、当時の真和志村長の翁長助静さん、翁長知事の父親である。
すさまじい戦場の中亡くなった犠牲者の遺骨を捜すことができなかった遺族は多い。骨壷には骨の代わりに小石が納められているという。魂魄の塔には、早朝から多くの人が訪れ、祈りを捧げた。
一坪反戦地主会などからなる実行委員会は毎年、慰霊の日に魂魄の塔横の広場で六・二三国際反戦沖縄集会を開いている。第三三回目となる今年の集会のテーマは「NO!辺野古新基地、NO!高江ヘリパッド、NO!戦争法」。約三五〇人が結集した。司会には「シールズ琉球」の玉城愛さんと小波津義嵩さんが登壇した。
幕開けは海勢頭豊さんのミニコンサート。撃沈された学童疎開船をうたった「嗚呼対馬丸」、着弾地に突入して演習を止めた闘いを歌にした「喜瀬武原(きせんばる)」などに大きな拍手がよせられた。続いて、子供の戦争体験を通して沖縄戦の悲惨な実相を描いた大型紙芝居。朗読する城間えり子さんの優しい声に、親と一緒に参加した子供たちも聞き入った。
高江からの報告は「ヘリパッドいらない住民の会」の儀保昇さん。「軍事訓練場をそのままにした自然遺産登録はまやかしだ。六月まで工事はないが、請負業者がしばしば現れ、七月から再開の動きがある。高江に来てください。夜空の星は最高ですよ」と呼びかけた。
県の追悼式に参列していた糸数慶子さんと伊波洋一さんが集会に来て一言ずつ挨拶。糸数さんは、空虚で欺瞞ばかりの安倍の挨拶とは対照的に翁長知事の一語一語に参加者の大きな拍手が沸いたことを紹介。こうした県民の意思を国会の場で主張するため、ぜひ伊波さんと一緒に仕事がしたいと訴えた。
辺野古の報告は辺野古カヌーチームの金治明(キム・チミョン)さん。カヌーチームをはじめ海上行動隊は、埋め立て工事中止の中でも次に備えて訓練を続けていることを紹介した。
石垣島出身の前花雄介さんによる戦争マラリアの悲劇を歌った「忘勿石(わすれないし)」、「普天間基地の前でゴスペルを歌う会」による「サトウキビ畑」「ウィシャルオーバーカム」、在日朝鮮人三世のきむきがんさんによる「アリラン」・「人間を返せ」の歌声の合い間に、「恨(ハン)之碑の会」の沖本富貴子さんから、沖縄に強制連行された朝鮮人の犠牲者について、実態調査が事実上放置され、平和の礎への刻銘が進んでおらず、刻銘を希望する遺族の願いが戦死認定の壁に当たって実現できないでいる、今後とも県当局と交渉を行っていく、との報告がされた。
閉会あいさつに立った「わんから市民の会」の長堂さんは、「まずは目の前の参議院選に勝とう」と檄を飛ばした。はじめて一八歳選挙権行使となる参院選を控えて、司会と歌のゲストが若返り、若者の参加も目に付く、いつもとは少し違った雰囲気で進行した今年の六・二三集会だった。

6.22参院選―伊波候補が出陣式

新都心にとどろく必勝の決意

未来を切り開く闘いだ!

 参議院議員選挙が公示された六月二二日朝、那覇市新都心おもろまちで、伊波候補の出発式が行なわれ、約三〇〇人の市民が応援に駆けつけた。
宣伝カーの屋上には、イメージカラーの黄色の鉢巻をしめた赤嶺政賢、照屋寛徳、玉城デニー、仲里利信の四人の沖縄選出衆議院議員、糸数慶子参議院議員、翁長知事、城間那覇市長とならんで、伊波洋一さんが奥さんと共にあがり、それぞれ選挙戦を闘う決意を語った。「沖縄の声を国会へ」「公約を破り辺野古新基地を推進するユクサー(うそつき)よりマクトゥー(真実の人)」「翁長知事と共に沖縄の自治と民主主義を守ろう」
伊波さんのお母さんは沖縄戦で家族九人のうち両親、祖父母、姉兄など七人を失なった。そして自身も従軍看護婦としてかり出されて負傷し片目の視力をなくした。伊波さんは母子家庭で苦労して育ったが、琉大理工学部を卒業して宜野湾市役所に勤めた後、県議二期、宜野湾市長二期を勤めた。市長時代には、普天間基地のクリアゾーン問題を調査して明らかにし、普天間基地閉鎖・撤去に向けた動きの先鞭をつけた。「基地のない平和な沖縄」をつくろうとする熱意と政治経験では誰にも負けない、参議院議員にうってつけの人だ。
六月二四日の世論調査では、タイムス系、新報系とも「伊波リード、島尻追う」となっているが、決して油断はできない。相手は「赤いエプロン」を身につけ庶民の味方であるかのようなイメージを振りまきつつ、沖縄担当相の肩書きを利用して浸透をはかっている。
これまで沖縄選出の衆参議員で、公約で辺野古容認を打ち出して当選した議員はひとりもいない。衆院比例区の自民党四人と参院の島尻沖縄担当相も選挙のときは辺野古反対を公約に掲げていたが、当選後に公約を破り辺野古容認に転換した。ところが今回、島尻は辺野古容認を打ち出している。島尻が当選すれば、日米両政府は「間近の民意は辺野古容認」として、辺野古埋立の強行姿勢を強めるだろう。絶対に島尻を通してはいけない。
今回の選挙は本当に沖縄の未来がかかっている。基地の固定化か、基地撤去へと歩みだすのか! この選挙での意思表示が未来を切り拓く。いっそう結束と団結を強めなければならない。翁長知事、県議会与党多数派、選挙区選出の四人の衆議院議員、糸数慶子参議院議員と共に、伊波洋一参議院議員を誕生させ、普天間基地の閉鎖・撤去、辺野古新基地建設反対、海兵隊の撤退を要求する黒潮の流れのような沖縄の民意を示すときだ。
確信を持って投票に行こう! 参院選勝利に全力を傾けよう!



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