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    かけはし2016.年6月20日号

闘いに潜むシステム抜本刷新への力学


フランス

エルコムリ法への反対さらに激化

今もあるものへの深い不信の中
新しい主体の新たな闘い発展


レオン・クレミュー

 フランスの労働者民衆は今、非常事態宣言が延長される中、改悪労働法案に反対して強力な闘争を継続中だ。それは、二〇一〇年の年金改革をめぐる大闘争敗北後のある種の社会的沈滞に、新しい風を送った。しかし先の社会的沈滞を構成するものが消えたわけではない。現在の闘争は、新たな息吹と質と可能性を突き出すと同時に、多くの矛盾と困難に取り囲まれている。以下は、この可能性と困難を、フランス政治・社会の変容という全体背景に関係づけて分析している。(「かけはし」編集部)
「憲法四九条三項は文明に反する。それは民主主義の否認だ」。フランス憲法のこの条文に関して二〇〇六年にフランソワ・オランドが示したこの見解にもかかわらず、マヌエル・ヴァルス(二〇〇八年には彼自身、この条項を無効化するよう提案した下院議員に含まれていた)下の彼の政府は、労働相のミリアム・エルコムリが五月一〇日に提案したこの不人気な法を力ずくで通すためにこの条項を使った。このことは、労働者と学生諸団体の共同委員会から即座の対応を巻き起こした。この共同機関は、五月二六日まで続くものとして五月一二、一七、一九日の、さらに六月一四日のストライキと全国動員を呼びかけた(注一)。
元々は四九条三項を使う政府の決定直前に書かれた以下の論述は、エルコムリ法に対決する運動のその時点までの発展を説明している。この論述は五月二四日に最新版に書き替えられた。

社会党への不信と決起の始まり

 フランスは、五月のはじめ以後新たな情勢に入った。それ以前フランスは、国民戦線、および昨年一月と一一月のテロ攻撃に続いた「国家安全保障」の空気の平行した高まりが及ぼした、政治的分極化によって支配されていた。
これらの要素のどれ一つにも相殺するものがなく、そのすべては現在の運動によって一掃された、と考えるためには、人は何も見ずにいなければならないだろう。
しかしここ何週間かの鍵を握る政治的できごとが示すことは、政治的生活と社会的生活に重くのしかかっている先の二つの要素にもかかわらず、多面的な顔をもつ諸決起の発展が起こり、それはすでに、過去一五年にわたる労働者の大きな決起、つまり二〇〇三年、二〇〇六年、二〇一〇年のそれと比べて遜色ないものになっている、ということだ。
三月以前の数カ月、われわれは社会的衝突の始まりを感じることができた。幅広い共感の流れを伴って、まず最初のものが、エールフランス労働者の決起に対して、昨年一〇月のシャツ事件というエピソード(注二)で示された。同じ時期に、諸々の職場、特に中小規模の職場のストライキと業務放棄の数が、特に義務的な年次交渉を通じた賃金問題をめぐって、かなりの程度増大した。
似たものとして、一一月のテロ攻撃と国家非常事態の導入が街頭決起の機会を壊すことに余地を与えたとはいえ、COP21に際した気候変動に関する動員の強さがあった。ノートルダム・デランデ空港反対の大デモの数々、および移民支援ネットワークの設立もまた、諸団体とソーシャルネットワークを通して協調が図られた何万という若者たちと活動家たちによる行動の結果だった。
これらの反応と決起の第一の教訓は、資本家の利益の社会民主主義による管理、社会党左派が見せる政治的反対の弱さ、諸労組指導部の無気力といったものは、緊縮と失業の諸政策によって厳しく痛めつけられた労働者や若者たちの大きな部分をはじめとする社会全体の、同等と見られた動向や無気力と同じものであることを意味してはいない、ということだ。それとは逆に、情勢は早くから、ここ二〇年を通じて交代で政権を占める、そうした制度的諸政党からの離反とそれらに対する不信という絵柄を示した。近年における棄権と民衆内部の国民戦線支持票の着実な上昇に力を貸してきたものこそ、社会的諸闘争の不在の中での、この不信だ。
社会的領域では、オランドの任期の始まり以後、労働法に関するMEDEF(経営者団体)の数多くの要求が、二〇〇八年に特にフィロン法によって始められた労働者の権利解体という仕事を継続しつつ、マクロン・レブサメン法を通じて実行に移されてきた。「労働コスト」に関する雇用主の信条の社会党政府による適用は、競争力での一致を確定する「全国専門家間協定」に向けた序曲だった。このすべてはまさに、社会的諸権利を押し戻すという点で、フランスを他の欧州諸国と同じレベルに足並みをそろえさせる方向に向けた数多くの歩みを意味した。

闘いの始まり方に重要さがある

 それゆえ基準階層逆転の心臓部に位置するエルコムリ法は、社会的起爆装置になった。明らかにその内容――他にも多くの攻撃を含むが、中でも、優位性原則を廃止する――のゆえに、しかし特に現在の全体背景を構成する他の全要素のゆえに、それは一つの実体的触媒となった(注三)。
今書いていることは、当面の展望を明らかにすることを目的とするものではない。それに、この運動の総括を行うことはまったく早過ぎる。この運動は大規模な対決と一つの政治危機へと至りうるが、しかしまた、そこに現に存在する多くの歯止めを前に、同じく敗北の可能性もあるのだ。
しかしながら、いくつかの要素を特筆することはすでに可能だ。それは以下の物事だ。
?第一は、それが始まった道筋だ。コンブレクセル・レポート(ヴァルス首相が設置した、職場協定推進に向けた労働協約見直しに関する諮問委員会の報告、コンブレクセルは同委員会の座長:訳者)やバダンテール(法律家であり、社会党の元老院議員:訳者)構想に関する、コペルニクス協会やCGTやソリデール労組連合を含んだ、活動家のネットワークによって行われたたくさんの準備的作業があった。しかし立ち上がりの要素、引き金、また三・九デモに向けた呼びかけは、はっきりとまた直接に、「カロリーン・ドハース請願」(注四)として知られるものに基づくソーシャルネットワークの結果だった。
?意義深いものはこの請願の調子であり、それははっきりとエルコムリ法の撤回を要求し、その法をいわば正面攻撃と断定している。その調子は、諸労組指導部による二月二三日の声明と比較されなければならない。実際彼らは、法の撤回をまったく求めなかったばかりか、自分たちを二、三の方策に限定し、特に、対話がなかったことに苦情を言い、結論を政府が彼らと会うこと……に置いた。最小の動員を呼びかけることもまったくなしにだ。
?同様に、数多くのストライキ呼びかけの機会ともなったこの三・九デモ呼びかけは、ソーシャルネットワークから始まったアピールから登場し、先の請願呼びかけ人たちによってすぐさま支持された。
?われわれはこの点を強調しなければならない。なぜならば、つまらなく見えるかもしれないとしてもそれは、労組連合指導部を経由する全般的志向としての受動性を暗示しているからだ(ソリデールの立場は同じ類型に置かれるべきではない)。こうしたことは明らかに、二〇一〇年の最後となった大決起の敗北(それが再度、労組諸指導部の政策に結び付けられた)を受けた、多くの組合活動家たち内部の悲観主義の感情から支持を汲み上げている。しかしその受動性は、二〇一二年以後の、左翼政府に対しあまりに多くの問題を起こすことを拒否することと組にされてきたものとしての、緊縮政策に関する全般的方向性の結果だ。
こうして労組指導者たちはこの法の公表以前には、説明のキャンペーンを行い、情報を提供し、また労働者の問題認識を引き上げることといった、そうしたことによって動員に向け活動家を準備させること、いかなる形でもまったく追求してこなかった。またそこにおいては、二〇一〇年の総括を行い、幅広い統一した運動、政府を後退させるためのゼネラルストライキに向け必要なことを推し進めつつ、より政治的な準備作業を行うことについて、語りかけることすらなかった。
二カ月後の今も、この準備作業の欠落は感じられたままだ。過去三〇年、労働者階級とあらゆる民衆層が、一連の新自由主義の攻撃に続いて、社会的領域で数多くの敗北を重ねてきたがゆえに、先のような準備はなお一層必要なことだったのだ。

決起へエネルギー加えた回路


しかしこの国には、それと逆向きの他の諸要素があり、今回の決起が支えを引き出したのはそれらからだ。それは以下のようなものだ。
?フランスの情勢は今もなお、他の欧州諸国が経験しているものと一致していない。それらの諸国では、資本主義の絶対的力がはるかにずっと有害なことを行ってきたのだ。フランスには、諸々のサービス、社会保障、雇用の諸規制、また労働法の分野でなくすべきでないものに関して、今なお保持されたまま残っている幅広い意識がある。
この観点から見ると、社会党の新自由主義的文化革命は、その選挙での支持層や活動家ネットワークの中で残されているものの中でさえ、数多くの障害に直面している。社会党異論派や先の請願呼びかけ人の反応は、社会党や左翼戦線(社会党から離脱したメランションやフランス共産党を軸として社会党の左の政治主体を生み出す運動を展開している:訳者)に近い諸サークルの自己保存というこの反射作用を表現している(注五)。
?全体としての社会運動活動家たちは、諸々の敗北の記憶を心に留めている。しかし同時に、労働者と若者の強力な決起の記憶もとどめている。二〇一〇年までこの国は、一九九五年、二〇〇三年、二〇一〇年には年金改革に反対する労働者による、また二〇〇六年には大学生と高校生から強さを引き出しCPE(初期雇用契約)に対する勝利に導いた強力な運動という形で、全面的な規模の対決を定期的に経験してきたのだ。
ドビルパン政権に対決した二〇〇六年の勝利は、政府が憲法四九条三項を使うことでその法を通そうとすることを迫られた後に獲得されたが、それは強調されなければならないことだ。政府が今少なくとも六月末までかかると予想される(必要とされる元老院通過、そして国民議会への再送に基づくと)同じ手続きにしたがっているからには、この教訓は忘れられてはならない(注六)。
?異なった系譜の中では、民衆居住区の多くの人々、若い人もそれほど若くはない人も、都市郊外反乱の記憶を保持している。それは、シー・ス・ボワでのジエドとボウナの死を受けて二〇〇五年一〇、一一月に四週間、こうした民衆居住区の若者たちが率いた反乱だった。
この反乱は、極左のいくつか(LCRを含んで)を除いた、実際上は全政党と若者との間に深い断絶を引き起こした。特に若いアラブ人と黒人――あらゆる法と秩序キャンペーンによって標的にされ、しかしまた失業と職の不安定さでは第一の犠牲者でもある――に関して、当時サルコジによって烙印を押された(注七)居住区とのこの断絶は、近年しつこく続いてきたが、二〇一五年一月以後この国にすっかり広がったイスラム嫌悪の波と混ぜ合わされてきた。この断絶は、現在の運動の中でも見えるものだ。他方で逆説的だが、ここの若者たちは、先の反乱から二、三カ月後に起きた二〇〇六年の運動では、CPEに反対し極めて活動的だった。

新しい活動家たちは何が違うか


?社会的組織構造、政治的組織構造、また労働組合の諸構造の解体がある。一九九〇年代後半(それゆえ二〇世紀遅く……)まで、その政治的翼を含む労働者の運動は、多くの糸から構成された、そして多くのほころびをその中に伴った一つの布地を作り上げていた。しかしその構成体はなおも、その歴史と「偉大な」戦闘を起源とするいくつかの共有された参照点を保持していた。
二〇〇〇年からの一〇年と社会民主主義の政権への復帰は、先の布地の中にある以前のほころびを深い切れ目へと転換した。これは特に次のことを意味することになった。つまり、しばしば急進的な、移民の闘争や反ファシズムの闘争あるいは気候変動の闘争に関わっている、特に不安定労働の分野にいる活動家の新たな世代は、いわば現存してはいない「労働者の運動」の一部であるものとしては、彼らの闘争を実行していない、ということだ。
矛盾したことに、制度的政治に吸収された古い世代の活動家たちが彼らの革命的希望を投げ捨ててしまっているのに反して、同じ伝統的な因習を身につけていない新しい世代は、しばしば資本主義の残酷さという悪について強い自覚を持ち、革命的変革の必要性に関する政治的主張には常に好意的だ。この意識はしばしば、本物の民主主義に対する要求と、また決定策定の委任――スターリニズム並びに社会民主主義者の諸政権の大失敗、という遺産――に対する拒絶と、組になっている。
これらのより若い諸世代内部には深い異質性がある(存在しているのは「青年」ではなく、若い人びと……だ)。明らかにある種の社会的分裂があり、それは、自身を黒人、アラブ人、またムスリムとして境界を定めるようレイシズム的社会によって駆り立てられた、民衆居住区出身の若者の分裂によって強められている。若い人びとのすべてがシャルリーだったのではない……。現在の運動はこの分割の多くを克服させる可能性はある。しかしそれはまだ起きてはいない。
?産業と諸々のサービスにおける経済的布地の再編は明らかに、組織化の諸困難と意識の原子化に極めて大きな作用を及ぼしている。労働者運動の政治的分解に加えて、客観的な組織の分解過程があり、労働組合運動はその諸作用に対してはまだ、実のあるものとして立ち向かっていない。動員と多くの分野への拡張に関する諸困難は、明らかにこの現実に関係し、それがさらに、同じ階級に属しているという意識を弱めている。

第5共和制の行きづまり近づく


この間の数週間はまた、政治的危機のレベルをも白日の下にさらすことになった。明らかに、何よりもまず制度的諸政党の危機がある。政府と社会党に対する永久的否認は、自身の政策に対する支持投票に向け自分自身の議員を獲得できないという形で(エルコムリ法に関する議会討論の最終結果がどうであれ)、政府が自らをそこに見出している行き詰まり情勢の中に反映されている(注八)。
この不信はまた世論調査にも映し出されている。そこでの趨勢は否認しがたいものであり、それは世論調査上、おそらくは第五共和制発足以後ではもっとも広範に、この政府とオランド―ヴァルスのカップルの拒絶に導いている。
この必然的結論は明確に社会党の内部危機となる。それは、左翼を軸とした予備投票という考えをめぐる異様な論争――それは共産党の危機を目立つものにする――、およびエマニュエル・マクロンが占めようとしている場(注九)によって分かる形で示された。社会党を大急ぎでイタリアにおけるマッテオ・レンツィの党(イタリア共産党の後継党であるイタリア民主党は、前トリノ市長であるレンツィを党首に選出することでさらに右に移行している:訳者)のフランス版にしようとのヴァルスの構想ですら、右翼の立場から先を越され、その実質をなくそうとしている。
この危機にはその対称性を示す釣り合い重りがあり、それは共和党の危機の中に見出せる(注一〇)。……そして分析の結論としては、そこには同じ理由があるということだ。
今日、欧州の主流的政党すべては、グローバリゼーションが強要する変化、および二〇〇八年以後に残酷な形で強要された新自由主義改革によって厳しい攻撃を受け、打撃を受けている。ギリシャ、イタリア、またスペインの後、フランスはそれ相応に、警戒信号を発信しているこれら先の諸政党に対する不信のレベルを経験しつつある。こうしたことは明らかにブルジョアジーに対し、時代遅れに見える諸々の垣根を壊しつつ、彼らの政治機構を再構築する必要を提起しているのだ。
フランスでこの危機はまもなく、諸制度と政治システムそれ自身のより深い危機をもたらすかもしれない。第五共和制の諸制度は、一政党が支配する、つまり強力な大統領と強力な体制を軸として、元老員と国民議会とエリゼ宮(大統領官邸:訳者)に同じ政党、というシステムに向けて設計された。
ドゴール主義と有力な二党制の危機を契機に、二〇〇一年の改革導入が必要となった。つまり、議会多数派と大統領を貼り合わせる大統領体制の創出という改革だ。それは、コハビタシオン(共存、大統領と議会多数派が異なる政党で占められる体制をこう称した:訳者)という気まぐれに対する一つの危機対応だった。しかしこれはあらためて、有力諸政党の覇権維持を意味していた。
今日、棄権レベルと国民戦線の上昇、社会党と共和党(LR、前UMP〈前政権党の民衆運動党:訳者〉)に対する不信は、この体系をもろいものにしつつある。それはまた、フランスが――イギリスと並んで――、「共和制の諸価値」にもかかわらず、小選挙区制の選挙に基づき、比例代表制を完全に欠いた、もっとも古風な選挙制度をもつ国である、ということをも例証している。強力な政治権力を保持する一人の大統領の直接選挙がこの国を、EUの主要国中、一人の君主が実質的に率いる唯一の国にしているからには、フランスはイギリスよりも悪いとさえ言える。

現システムの非民主制を暴露

 ヴァルスとオランドはここ何週間か、この政治的危機を抑制しようと、さまざまな方法で試みてきた。
まず、社会党とその議会グループを黙らせようとの試みによって。エルコムリ法の第一読会(国民議会での最初の討論)における採択のための四九条三項利用は明らかに、公然とした政治論争を中断させようとすることに狙いがあった。そうした論争は、政府をさらに掘り崩すと思われたのだ。しかしそれは同時に、少数派の「異論派」社会党議員を抑制し、服従か、あるいは不信任動議の提出とそれへの投票(注六)を通じた公然たる分裂か、そのどちらかを選択させようとするものでもあった。
事実としては、社会党内反対派は当分のこととして問題をごまかした。その動議を議題にすることを支持した社会党議員は二八人(四〇人以上の異論派の内)にすぎなかった。不信任動議案は、票決に回されるためには議員総数の一〇%の支持獲得が必要なのだ。左翼の動議は、五八人の代わりに五六人の支持を集めただけだった……。いずれにしろ社会党は、さらに危機へと沈み込んだ。
その上に政府は、政治的に弱体化する中、それだけになおのこと、抑圧を通したその権威のごり押しを追い求めつつある。ここ何週間で見られてきたことは、警察国家の権力の肯定であり、警察の暴力が次第に強化されその水準を高めていることだ。それは、非常事態宣言の延長によって強められ、その宣言は今、この運動、諸々のストライキとデモに直接向けられている。政府と大企業が握っているメディアは、運動の犯罪視を追求する中で反「暴徒」キャンペーンを合奏しつつ、警察の暴力に蓋をする宣伝回路としてその役目を果たしている。
この権威主義は、現政府と社会党の弱さの隠蔽を意図するものだ。その弱さとは、まさに、その民衆的基層における弱さ、国民議会における弱さ、それ自身の社会基盤における弱さだ。
こうしてこの運動を特性付ける最後の要素は、特にニュイ・ドゥブゥの諸論争の中に見られるものだが、民主主義の諸要求の間の、統制を受けない役人によってではなく関係者によってなされる決定の選択と、システムとその諸制度の現実との間にある、底深い溝だ。この政治システムは深く非民主的であること、また真の権力は明らかに被選出諸機関の外にあること、この双方が鮮明に見えている。諸々の銀行と多国籍企業、資本主義権力の諸中心は、法を作るだけではなく、自らを、それを尊重することから解放することまでしているのだ。
金融システム、エネルギー選択、国境閉鎖、失業と不安定労働という諸政策に対する拒絶は、この政治システムに対する拒絶、しかしまた資本主義システムそれ自身に対する拒絶をも生み出しつつある構成要素となっている。これは社会に潜んでいるものだが、人々が自らを表現している諸々の場で、ニュイ・ドゥブゥが例証するように独特の形で見えるものになっている。
こうしてこの運動は数多くの強さと弱さを含んでいる。これからの数週間は、どちらが有力となるかを語るだろう。

抑圧された者をどう代表するか

 このことはただ一つ、共有された一つの力を作り上げるものは何かに焦点を絞ることから離れないことによって、先に挙げたさまざまな要素すべてを統一する、そうした議論と行動を携えた政党に対する必要性とその不在を浮き立たせる。そしてその共有された力が一つの共通の目標を定めなければならない。パナマ文書、カレーの劣悪な難民収容キャンプ、エーゲ海で殺害された数千人の移民、気候の攪乱、安全の阻害、社会的悲惨……を生み出した政治システムに対決する全般的闘争、という目標だ。
発展中のこの運動は、資本主義の経済的かつ社会的システムとその目的の両者に異議を唱え、権力がある諸々の場の現実、および政治的生活と決定策定の反民主的な諸々の決まりを厳しく非難している。
それゆえそれは、搾取され抑圧された者たちの政治的代表の問題、また登場しつつある諸要求を満たすことができる社会の構想という問題を提起する。ここ数ヵ月の社会的諸闘争(気候、移民、ノートルダム・デランデ、エルコムリ法、そして数々のストライキに関する)は、システムに対する抵抗の全要素を突き出している。つまりそれらは、原理的でありまた直接的でもあるその双方で、諸要求を突き出し、一つの社会に向かう道筋の輪郭を描いている。それは、社会的必要を満たすことで導かれ、これらの要求を達成するための政治的用具、選択や論争や決定を含む本物の民主主義の用具を提供することになる道筋だ。社会闘争と政治的展望(選挙政治ではない)はその消えることのない一部となるだろう。
闘争と抵抗のこれらの要素すべては、搾取を維持し高めようと決意を固めた残酷な階級社会に、またシステムを維持しあらゆる種類の民主的で民衆的な統制から一層逃れることに全面的に捧げられたものとして、一国のまたEUの諸機関を拘束を受けない力ある者のたちの席にすべくでっち上げ、またあらためてでっち上げつつある階級社会にぶつかることになるだろう。
ギリシャの経験、移民の拒絶、パナマ文書、またTAFTA(大西洋間自由貿易協定)は、一年も経たないうちに、この社会が本当に機能しているやり方に関する多くの要素を例証することになった。これらの問題をめぐる論争は、何年もの間社会運動の活動家であった者たち内部で絶対必要なものとなっている。そしてそれは、もっと若い世代内部でも絶対必要になっている。この世代は今、異なった諸々の道筋を経由して同じ戦略的な問題を提起しつつあるのだ。
このことは、資本主義搾取システムの心臓部を攻撃する、システムまた同時に諸機構と政治的システムの非民主的な決め事を組織立てている社会的抑圧を攻撃する、そうしたものとしての「過渡的」諸要求の推進を求める。資本主義の搾取から解放された、そして抑圧のあらゆる形態を排除できる一つの社会、それに向かう道筋を形作る過渡的諸要求を、だ。

注一)「団体間共闘」参加団体は、CGT(伝統的に共産党に近い労働総同盟)、FO(労働総同盟)、ソリデール(主には一九八〇年代に創出された労働組合グループ)、FSU(元々は教育部門の諸労組、現在は地方行政機関被雇用者を含む)、UNEF(学生連合)、UNL、FIDL(二つの高校生連合)。
注二)レイオフ計画に反対するエールフランス従業員による抗議の中で、会社役員二人がシャツを破られた。そのうちの一人が逃げ出すために、空港の安全確保フェンスをよじ登ろうとする中でのことだった。メディアと政界が示した憤激は、多くのフランス民衆が共有するものではなかった。
注三)優位性原則にしたがえば、産業別協定や職場の協定は、労働者にとってより高いレベルでの規則よりも有利な場合にのみ可能なものとなる(職場協定は、産業別協定よりも有利なものでなければならず、産業別協定は法的な定めよりも有利でなければならない)。そして、より有利な諸条件が適用されなければならない。雇用主の要求に沿った今回の法案は、この階層を逆転している。職場協定は、法的な定めや産業別協定よりも被雇用者にとって有利なものではなくなる可能性がある。
注四)フェミニストグループ指導者、元社会党活動家、そして女性の権利相であるナジャット・ヴァロー=ベルカセムの協力者であるカロリーン・ドハースは、提案された法に反対するオンライン請願を二月一九日に開始した。
注五)異論派社会党員あるいは「反逆者」とは、社会党政府の新自由主義緊縮政策に反対している社会党の議員グループ。
注六)憲法四九条三項は、政府が国民議会での票決なしに第一読会で法案を通過させることを可能にする。それに対抗する唯一の方法は、本会議による政府不信任動議の採択だ。政府は、エルコムリ法を通過させるために五月一〇日にこの条項を利用した。「反逆者」の左翼反対派と左翼戦線の議員は、彼らの「左翼」不信任動議を支持する一〇%の議員を獲得することに失敗した。右翼の動議は、「反逆者」が党から除名で脅され続ける中その動議を支持しなかった(共産党とは異なり)がゆえに、敗北した。
注七)サルコジは、ゴミとして高圧放水で彼らを一掃するよう要求した。
注八)この記述は五月一〇日の四九条三項利用以前に書かれた。
注九)オランド―ヴァルス政府の経済相であるエマニュエル・マクロンは、もはや社会党員ではなく、自ら彼の親ビジネス姿勢を誇っている。かれは「アン・マルシェ(市場で)」という政治運動を発足させ、二〇一七年大統領選挙候補者として立候補する意志を公表するばかりになっている、と広く噂されている。
注一〇)共和党は主流右翼政党。二〇一五年五月にその党名をUMPから変更、ニコラス・サルコジが再度党指導者になっている。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年五月号) 
 

英/仏

ケン・ローチ メッセージ送る

仏スト労働者に連帯表明

「もう一つの欧州は可能だ」

 ケン・ローチは、ルアーブルの精油所を封鎖しているストライキ労働者にメッセージを送った。ケン・ローチの挨拶文は下記のとおり。このメッセージは労働者の大衆集会に向けて読み上げられたが、その時の反応はビデオ映像にされている。
 「労働者はついに、職の安定、賃金、諸条件に関する攻撃への反攻を進めている。
 英国でわれわれは、大企業の使用人として行動しつつもいまだ自身を社会主義者だと称している政治家について、長い経験をもっている。彼らは、意のままに雇い解雇できる従順な労働力を欲している。これは、資本主義が変わることなく求めてきたものだ。
 あなたたちの闘争を通してわれわれは、相互の支援と協力に基づく、そしてそこではあらゆる者たちが尊厳の下に働くことができ、きちんと報われることができる、そうしたもう一つの欧州が可能であることを見ることができる。
 フランス労働者に連帯」。
(ストライキ労働者の全体総会による歓迎を映したビデオより、「インターナショナルビューポイント」二〇一六年六月号)

 


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