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    かけはし2016.年6月6日号

オバマは何を語ったのか


G7伊勢志摩サミットと沖縄・広島

「戦争国家」の盟主としてのふるまい

日米同盟の現在
をどう訴えたか

 五月二六、二七の両日、人権侵害の厳戒体制の下で三重県志摩市で開催されたG7伊勢志摩サミットでは、首脳会議それ自身よりも、サミット直前に明らかとなった沖縄の元米海兵隊員による二〇歳の女性殺害・死体遺棄という残虐な事件に関するオバマ米大統領と安倍首相の緊急首脳会談、そして事前に鳴り物入りで宣伝されていたサミット後のオバマによる広島訪問と原爆慰霊碑での追悼という、日米同盟の現在を象徴する政治的パフォーマンスにメディアの関心が注がれた。
 A4用紙で邦訳三一頁におよぶG7首脳宣言の分析・批判については次号にまわし、ここでは「沖縄」「広島」との関連でのみ見ておきたい。

沖縄の叫びを
意識的に無視
 
 G7を前にして翁長沖縄県知事はオバマ米大統領との面談を要求していた。沖縄県議会は五月二六日、自民党など野党の退席の下で、「普天間基地の県内移設断念」「海兵隊の沖縄からの撤退」「日米地位協定の抜本改定」を反対ゼロで採択した。
 しかし翁長知事によるオバマとの面談要求は無視された。オバマ来日直後の五月二五日深夜に行われた日米首脳会談でオバマは「お悔やみと遺憾の意を表明する」と語ったものの、被害者への謝罪の言葉はなく、在沖米軍基地撤去・縮小や日米地位協定の改定も論じられなかった。つまり、被害者と沖縄民衆の訴えに対しては「ゼロ回答」に終始した。
 島尻安伊子沖縄担当相が会長をつとめる自民党沖縄県連までも「日米地位協定の改定」を訴えていた。しかし安倍とオバマはこの訴えをけんもほろろに突き返したのである。
 「日米両政府は『事態を深刻に受け止めている』(政府関係者)ことを示すため、オバマ氏の来日からわずか数時間後に首脳会談をした。だが肝心の中身ではオバマ氏から事件に対する謝罪もなければ、『再発防止に全力を尽くす』という抽象的な誓いが述べられただけ。翁長知事は『前進は全く感じない。納得できるものではない』と怒りを隠さなかった」(「琉球新報」五月二六日)。
 今回の事件で示されたことは、かつての「米軍基地の着実な段階的縮小」や「日米地位協定の改定」を超えて「すべての米軍基地の即時撤去」が、沖縄の人びとの多数派世論となっている趨勢である。辺野古基地建設をめぐる攻防は、確実に「米軍基地とは共存できない」という意識、「米軍基地撤去は可能だ」という自信を成長させている。

「核なき世界」
は何だったか

 米国大統領としての初の広島訪問と、原爆死没者慰霊碑前での演説は、政治的パフォーマンスとしては、事前に十分に計算されていたこともあって、沖縄をめぐる高圧的な姿勢に比べれば、メディアなどでも歓迎されている。報道によれば世論の大多数も、オバマの広島慰霊碑訪問を歓迎している。
二〇〇九年四月五日、オバマが大統領に就任して三カ月も経たない時、チェコ共和国の首都プラハのフラッチャー広場で行った「核のない世界をめざす」演説は、その年のノーベル平和賞を得るほどの人気を博した。日本共産党の志位委員長は、同年四月二八日にプラハ演説を支持する立場から、「核兵器廃絶を正面からの主題とした国際交渉開始」「二〇一〇年の核拡散防止条約再検討会議において核保有国が自国核兵器の完全な廃絶を達成することを明確に約束すること」を要請した。これに対して、オバマはグリン・T・デイビス国務次官補代理に指示して、志位宛に感謝の返書を送ったという。
しかしその演説は、「共産主義」との闘いに勝利した「自由世界」の代表という立場から、あるいはまた「テロリスト」と闘う「自由の戦士」という立場から、「核兵器を使用したことがあるただ一つの核保有国として」の責任を果たし、かつ新たな「核保有国」(当時、主要なターゲットとなっていたのは北朝鮮ではなくイランだった)の登場を絶対に阻止する、という論調に貫かれていた。
そのことは同年一二月一〇日に行われたノーベル平和賞受賞演説に、より露骨な形で示されている。オバマは述べた。
「第二次世界大戦後の世界に安定をもたらしたのは、国際機関だけではない。条約や宣言だけでもない。事実はこうだ。六〇年以上にわたって、米国は自国民の血と自国の軍事力によって、世界の安全保障を保証する助けをしてきた。……だから戦争の道具というのは平和を保つ上で役割を持っている」「戦争がなぜ不人気なのかは分かっている。だが同時に、願うだけでは平和はかなえられないことも分かっている。平和には責任が必要だ。平和は犠牲が伴う。だからこそ北大西洋条約(NATO)が必要なのだ」。
これはまさに米国防総省の、あるいは巨大軍事産業の立場を正当化し、ストレートに代弁する演説ではないのか。オバマは、プラハ演説による「ノーベル平和賞受賞」に対してオスロでの「戦争演説」においてそのような形で謝意を表したのである。
オバマにおける「プラハ」と「オスロ」の一体性を見れば、オバマが広島で原爆投下への「謝罪」を行わなかったことは、帝国主義アメリカの大統領としてはきわめて「当然」であった。それは沖縄で、度重なる米軍人・軍属の犯罪に対して「謝罪」を行わず、日米地位協定の改正要求に応じない姿勢と一つのものである。

オバマも安倍
も謝罪せよ!


本紙五月二三日号に掲載した田中利幸さんらが呼びかけた「私たちはオバマ大統領に米国政府の原爆無差別大量虐殺について謝罪を要求します 同時に日本政府のアジア太平洋侵略戦争について安倍首相の謝罪を要求します 日本国憲法第九条を擁護する立場から」という広島からのアピールは、米日両政府の相互免責関係を厳しく批判した。それはオバマの広島訪問への歓迎一色となりかねなかった世論の状況に一石を投じた。このアピールについては東京新聞などにも田中氏へのインタビューという形で紹介された。
世論調査では、米大統領としての初のオバマの原爆死者慰霊碑訪問について被爆者をふくむ多くの人びとが肯定的な反応を示した。メディアの多くも、慰霊碑を訪れ、被爆者を抱き寄せたオバマの行為を焦点化した。しかし米国と日本の犯した戦争犯罪へのオバマと安倍による明確な謝罪は、「慰霊」によって帳消しにされてよいものではない。
原爆投下犯罪と侵略戦争に対する日米両政府による謝罪こそ、新たな戦争犯罪を繰り返さない決意の第一歩となるだろう。そうでなければ、「沖縄」「広島」をめぐる米日両首脳合作の政治的パフォーマンスは、G7諸国による「対テロ戦争」を、「平和な世界」構築への礎として受容させる役割を果たすことになってしまうのである。
(五月二八日 純)

 

 


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