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    かけはし2016.年5月2日号

全国から沖縄へ、交流と連帯の深化を


沖縄連帯行動・現地報告(上)

4.10 普天間返還合意から20年

運用停止カウント・ダウン!


 四月一〇日、宜野湾市大山の友交園(フレンドシップ・パーク)で「普天間返還合意から二〇年 運用停止カウント・ダウン! フェンスを取り払おう!とり戻そう普天間大集会」(実行委員会主催)が行われ、二〇〇人が参加した。集会を呼びかけたのは、建白書を実現し未来を拓く島ぐるみ会議・ぎのわん。
一九九五年 九月四日の米兵三人による少女暴行事件を契機に沖縄民衆の米軍基地撤去・事件糾弾の怒りが爆発した。日米政府は、民衆の怒りをなんとか抑えつけるために当時の橋本首相とモンデール駐日大使が普天間基地を「五年から七年以内に返還する」と合意したことを発表した(九六年四月一二日)。しかし、すでに二〇年も過ぎるというのに運用停止さえも行っていない。島ぐるみ会議・ぎのわんは、オール沖縄の建白書(オスプレイ撤去・普天間閉鎖・辺野古断念)を再確認し、日米両政府の沖縄差別を許さず、繰り返される女性暴行、凶悪犯罪、無法な虐待をなくすために集会を行った。

伊波洋一さんが
開会のあいさつ
集会は、伊波洋一さん(同会議・ぎのわんの共同代表)の開催あいさつから始まった。
「九六年普天間基地返還合意を沖縄県民は喜んだ。ところが県内移設の条件付だった。あれから二〇年もたっているが、普天間はあれからはるかに危険になっている。二〇〇三年の最終期限に宜野湾市長に就任した。過去のデータを調べてみたら、九六年には飛行回数が二倍も増えていた。海側はヘリ等の旋回はなかったが飛ぶようになった。しかも防音対策をしないエリアだったにもかかわらず、騒音がひどくなっていた。政府は、一刻も早く危険除去と言っていながら、危険を拡大しているのが現状だ。この間の米韓軍事演習では、宜野湾市内全域が夜中の一一時までオスプレイ、ヘリが飛び回っていた。米国は、辺野古移設まで暫定的に使っていると言っている。辺野古を止め、フェンスを取り払おう! とり戻そう普天間を再度確認しよう」。伊波さんはこう訴えた。

「基地移設」は
日本政府の思惑
安富次浩さん(沖縄・ヘリ基地建設反対協議会共同代表)は、つぎのように語った。
「普天間基地の県内移設に集約されていくのは、日本政府の思惑が入っていることだ。海兵隊が様々な地域に展開していき、新しい基地を作り、日本政府がカネを出すということは、自衛隊をそこに入れ込もうというのがねらいだ。二度と戦争被害を出さないために基地反対を取り組んできた。普天間基地を即時閉鎖せよ、辺野古に新しい基地を作るなを言い続けなければならない。米国は、国内の基地の縮小を行っているが、ならば沖縄米軍基地を持って帰れと言いたい。国内の基地を減らして沖縄に基地を作るのか。この論理矛盾を突いていこう」。
「今回の県議選、参議院選挙は、非常に重要なポイントになってきている。二〇年かかってオール沖縄が実現している。普天間基地閉鎖、オスプレイ撤去、新しい基地を作らせないことは、オール沖縄の到達点だ。安倍政権は、『辺野古が唯一の解決策だ』と言い続けている。『和解工作』が続いているが、現場の闘いは続いている。新しい政権を登場させるために県議選、参議院選挙に勝ち、安倍政権を打倒していこう。沖縄の基地を撤去させよう。がってんならん」。

普天間基地の
無条件返還を
桃原功市議(島ぐるみ会議・ぎのわん事務局長)は経過報告し、「実行委員会は佐喜真淳宜野湾市長、二三自治会長にも招待状を送った。普天間基地・オスプレイ撤去のために座り込みを行った。野嵩ゲートでの抗議行動参加者を選別して市民駐車場使用を禁止し、米軍への抗議行動を妨害された。人権侵害を許さない」と発言した。
リレートークに移り、安保関連法に反対するママの会@沖縄、シールズ琉球、宜野湾市民、ダグラス・ラミスさん(那覇市)、辺野古支援弾丸ツアー(大阪)などが発言した。
最後に集会決議(@普天間基地ピーター・リー司令官は、国際法違反の居座りと憲法違反の人権侵害を止めろ!A宜野湾市は日米政府に対し、辺野古[県内移設]を条件としない普天間基地の閉鎖返還を求めよ!)を参加者で採択した。集会後もミュージックライブが続き交流を深めた。(Y)

コラム

パワースポット

 伝統的な産業や、名所旧跡を再評価する「地域おこし運動」が活発である。町歩きなどのイベントを通じ、その地に息づく「モノづくり」を体験させるツアーが、若い人たちの注目を集めている。
たとえば東京の下町、台東・墨田・荒川地区。区独自の企画で人集めを狙う構想もあれば、近隣と連携して活性化を図る動きもある。
新聞に大きく載っていたスタンプラリーに、連れ合いと参加した。名づけて「奥浅草パワースポット寺社めぐり」。台東区今戸、橋場、清川など浅草寺北東のエリアを「奥浅草」と呼ぶらしい。地元の商店街が主催し区が後援。構成する町会や観光協会が協力した。
自宅からは通勤や入院中の母親との面会で、頻繁に訪れた土地柄である。都バスと徒歩で約三〇分、今戸神社に着いた。受付前から境内には行列ができていたが、先に来た高齢の一団が、遅れてきた仲間たちを割り込ませた。いくら苦言を呈してもどこ吹く風。彼女たちは大声で騒ぎながら出発していった。
若い母親たちは、受付で家族分の用紙を受け取ると、子供を自転車に乗せ、颯爽と走っていった。実は、指定寺社八カ所を回った先着百人には、商店街で使える商品券千円分がプレゼントされるのである。私もそれを当てにはしたが、それよりもポイントの一カ所である「お化け地蔵」なるミステリアスな場所に興味があった。
周辺をゆっくりと散策して江戸の趣に触れる。そんな期待は捨てざるを得なかった。地理に精通する地元住民らの、家族総出の自転車攻勢に勝てるはずがないのだ。
それでも一時間弱で踏破した。景品交換場所である妙亀塚公園は、福引抽選や商品券引換えを求める人でごった返していた。スタッフは茶封筒を裏返してトランプのように広げ、「好きな一枚を」という。賞金が一律同額なのに、なぜなのか。
開封して理由がわかった。封筒の宛名面と同封の商品券には、参加商店のゴム印が押してあり、その店でしか使えない金券になっているのだ。つまり肉屋や洋品店など傘下の店が、平等に換金するシステムなのである。そうしないと人気店にばかり客が集中することになる。
私の券には「鳥清」の押印があった。会場には多数の出店があり、焼き鳥もこの券で買えるという。「でも本店のほうが断然美味しいですよ。ここのは湯通ししてから焼いてるから」――役員が耳打ちする。連れ合いには文房具店の印。訪れてみると休みだった。
終えてみれば、寺社の歴史を学ぶどころではなかった。パワーを感じたのは、神様仏様ではない。町内せましと元気に走り回る子供たちからだ。連休前の半日行動。ささやかな楽しみを、ひとつ見つけた気がした。  (隆)


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