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    かけはし2016.年4月18日号

アラブ人とクルド人の統一を


シリア

「和平交渉」とロシア軍「撤退」

民主的で包括的な綱領基礎に


 和平交渉を含めてシリアで現在展開している錯綜した情勢について、本誌でもこれまで何回か紹介したシリアの在外左翼活動家がいくつかの情報と評価を伝え、その上で現地の闘いへの国際連帯の必要を訴えている。以下に紹介する。(「かけはし」編集部)

停戦後全国各地
で民衆的なデモ


 「革命は続く」とのスローガンの下、シリアの解放された地域中で過去三週間、大規模な民衆的デモが続いてきた。二〇一六年三月一八日の「尊厳の金曜日」には、この国の北から南まで、数百の抗議行動が記録された。あらゆるところでシリア革命派の旗が振られ、一方ここ何週間かの抗議活動では、サラフィストジハーディスト勢力と彼らのシンボルは不在だった。
 クルド住民が多数の地域にあるいくつかの村や町では、アラブとクルドの団結とシリアの他の地域や都市への連帯を押し進めるいくつかのスローガンに基づいた小さな集会がいくつかあった。三月一二日には、住民多数派はクルド人だが、アラブ人やアッシリア人も住民であるカミシュリ市で、二〇〇四年のシリア内クルド人の蜂起開始一二年を記念する一つの大規模なデモが行われた。このデモには反アサド政権のスローガンも含まれていた。
 イドリブ市近郊の町であるマーレト・アルヌマンでは、ジャブハト・アルヌスラ(シリアのアルカイダ)の権威主義的諸行為に反対する抗議活動が続いている。デモ参加者たちは町の中にあるこの組織の事務所を襲撃し、焼き討ちまで行い、この組織によって投獄されている自由シリア軍(FSA)メンバーと民主的活動家の釈放を要求した。この町周辺の地域は、マーレト・アルヌマンの革命派およびジャブハト・アルヌスラに対する彼らの反対に対し連帯を示した。

ロシア軍は撤退
しているのか?


 シリア内のロシア軍主力部隊の撤退という三月一四日のプーチン大統領による公表は、それでもこの国のいくつかの地域における、特にアサド政権軍を支援するためのモスクワの空軍による爆撃継続、およびいくつかの軍事基地でのロシア部隊の維持、を中断させることにはなっていない。
 たとえばラタキア市南東にあるフメイミム空軍基地は、タルトゥース海軍基地と同じく、ロシア空軍が使用し続ける。プーチンは、陸、海、空からこれらの基地を防衛すると約束した。ロシアのヘリコプター、機甲部隊、長距離ロケット砲部隊、そして五〇〇〇人と見積もられるロシア軍兵員のほとんども、シリアにとどまっているように見える。ロシアはまた、そのもっとも近代化されたS―400対空システムも残している。そしてプーチンは、シリア空域を侵犯する「いかなる標的」も打ち落とすことを躊躇しないだろう、と公言した。
 それゆえロシア軍の撤退は、極めて部分的なものにとどまり、高度に微妙なものになるはずだ。その上プーチン大統領は三月一七日、モスクワはシリア内のその軍事的プレゼンスを数時間内に引き上げることが可能であり、依然「テロリストグループ」を爆撃するだろう、と語った。そして、ロシアは武器、訓練、作戦援助をもってシリア軍の強化をも続けるだろう、と付け加えた。
 ロシアの爆撃はさらに、ラッカ市とその郊外地区で三月一九日、二〇日の週末、一三人の子どもを含む五五人のシリア市民を殺害した。またロシア軍は、ダーイシュに占領されたパルミラ市奪還に向けた現在の攻撃の中で、アサド政権軍の支援も行っている。ロシア軍司令官代理のセルゲイ・ルヅコイは、シリア基地のロシア空軍機はパルミラ攻撃支援のため一日当たり二〇〜二五回の出撃を今も行っている、と語った。

懐疑がつきまと
う「和平交渉」


 ロシア軍撤退の公表は主に、「和平交渉」の新ラウンドを前にした一つの外交ジェスチャーとして登場した。このラウンドは、右翼、自由主義勢力、そしてムスリム同胞団運動が支配するシリア国民運動(アラビア語ではエティラフとして知られている)のシリア反政府派とアサド政権の代表の参加をもって、三月中旬ジュネーブで再開された。シリアの主要なクルド勢力であるPYD(民主統一党)は、この勢力を「テロリスト」集団と規定しているトルコ政府の反対を理由に、交渉のこの新ラウンドには招待されなかった。
 そうであっても、この交渉をめぐる遠慮のない懐疑論は常のことだ。たとえばアサド政権の代表たちは、政治解決の議論に対する一つの基礎として、国連仲介人のステファン・デミストラに一文書を提出した。その中では、政権の公式宣伝が繰り返されている。読者はその中に実際、国家の世俗的性格の維持の必要性(一方でそれは、アサド政権の過去や現在、現実にあったこととはかけ離れているのだが)、シリアの領土的統一性の維持の必要性、テロリズムとの戦闘の重要性を見出すことができる。しかしそれは、政治移行に関しては何一つ語っていない。

ロジャバ民主的
連邦システム


 二〇一六年三月一七日、この国の北部にあるPYD支配下領域内で「北部シリア―民主的連邦システム」が公式に設立された。シリア北東部のルメイラネ市におけるクルド人、アラブ人、アッシリア人からなる一五〇人以上の代表者の会合に続いて参加者たちは、クルド民衆居住者が多数を占める三つの「県」(アフリン、コバニ、ジャジーラ)の連合を支持する投票を行った。アサド政権と国民連合双方はこの公表に反対を声明し、他方でワシントンは、PYDに対するその支持にも関わらず、トルコと共に、この連邦体を認めないだろうと宣言した。シリア外務省は、「シリアアラブ共和国政府はシリア人民とその国土の統一性を掘り崩すことを図る者には誰であれ警告する」と談話を出し、「そのような公表のすべてには法的価値がまったくなく、それがシリア人民全体の意志を反映していない限りは、どのような法的、社会的、経済的な影響も及ぼさないだろう」と付け加えた。シリア国民連合は、PYDのイニシアチブを「正統性がない」そして「受け入れがたい」とした。イスラム軍、イスラム主義者、FSA諸部隊を含む六九の軍事グループもまた、PYDが支配的なクルドの連邦主義構想に反対する声明に署名した。
 シリアにおける連邦システムを求める要求は、この国のクルド諸政党のほぼ多数派に近い部分の要求だ。しかし、クルド民族会議を軸に結集する他のクルド諸政党は、先の公表に反対した。理由は、彼らによれば、シリアのアラブ人反政府派の主体に対する説明と討論に続いて設立されるべき、というものだ。そしてシリアのアラブ人反政府派の圧倒的多数は、三月一八日のデモにあった多くのプラカードに見られたことだが、先の構想を分離主義と分裂に向かう一歩と見ている。
 これに加えてPYDのアサド政権に対する政策は、二〇一一年に始まった蜂起以後も連絡回路を閉じずに維持すること、カミシュリとハッサケ両市で政権軍と共存すること(PYDの軍事部門であるYPG〈人民防衛部隊〉が、カミシュリのアサド政権治安部隊メンバー六〇人以上を逮捕した際の最近のような、時たま起きる衝突にもかかわらず)、さらにPYDの軍部隊が支配する領域でのシリアアラブ人文民に対する数多くの専横と人権侵犯、といったものを含み、シリアのアラブ人住民の一部に疑いと反対を引き起こしている。

クルド民衆の自
己決定が不可欠


 われわれは同時に、シリアクルド諸政党による連邦システムに対する要求は、一つの民族を基盤とした何十年にもわたる国家の抑圧(「アラブベルト」の枠組みにおける植民地化政策、および文化的抑圧)に、同様に社会―経済に根をもっている、ということを理解しなければならない。この国のもっとも貧困化された地域はジャジーラでのように、クルド人がもっぱら居住する地域だった。
 ジャジーラは、二〇〇四年の干ばつが起きる以前にこの国の貧困人口の内五八%を占める、貧困率また非識字率が最も高い水準にある地域だ。デシュッテル・レポート(食料を得る権利に関する国連人権委員会に対する報告、デシュッテルは、経済的、社会的権利を専門とするベルギー出身の法学者:訳者)によれば、二〇一〇年には、貧困はジャジーラ住民の八〇%に達するほどひどく高まった。
 これに加えてジャジーラ地域は、たとえばこの国の穀類の三分の二(小麦の七〇%)、また炭化水素の四分の三を産出している。そうでありながら、全部門のたった七%の構成比にしかならないという形で産業設備が地域に不足し、たとえば地域ではシリア綿花の六九%を産出しながらそこで紡がれる綿糸は一〇%だけというような、ジャジーラの産業の低開発が重要だ。もちろんこの地域のすべての住民、アラブ人、アッシリア人、そしてクルド人が、貧困とサービスを欠落させた国家に苦しんでいた。
 つまり私が確信することとして、われわれはシリアと他の場所のクルド民衆の自己決定に対して、それがPYD指導部や他のすべてのクルド政党の政策に無批判であることを意味することなしに、無条件の支持を与えなければならない。その中で、アサド政権とイスラム原理主義の反革命諸勢力に対決して彼らの自由と解放を可能とするのは、民主的で包括的な綱領という基礎の上で、アラブ人とクルド人を含むシリア民衆の統一である、ということを徹底して鮮明に言明しなければならない。
 自由と尊厳のために闘っている最中のシリア民衆に対して今なお欠けている、世界中の民主的、進歩的組織の国際的な連帯は、絶対的に必要なことであり、強化されなければならない。(二〇一六年三月一六日、ピースニュースより)(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年三月号) 

 


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