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    かけはし2016.年3月28日号

クルド人民の解放闘争と連帯を


公開状

トルコ・エルドアン政権の政治的ねらい

PKKをテロ組織とみなす米国、EUの思惑


 
 「諸々の独裁、帝国主義の攻撃、そしてダーイシュに反対して決起しよう。われわれは、国家安全保障、レイシズム、緊縮という政策を拒否する」との声明(本紙昨年12月21日号掲載)の署名者に向けられたこの公開状は、先の声明から幾分遅れてインターナショナルビューポイント(IV)に今掲載されている。ところで、トルコではこのところ爆弾テロ攻撃が連続し、エルドアン政権はそれをクルド勢力、特にPKK(クルディスタン労働者党)によると主張、同勢力への攻撃を激化させている。しかし特に昨年総選挙での期待はずれの結果以降クルド敵視を強化した、そのエルドアン政権の姿勢には大きな疑問符がつく。この公開状は、その疑問を解き明かすヒントを提供している。(「かけはし」編集部)

アラブの春から
長い冬の夜へ
昨年一二月一一日にインターナショナルビューポイントに掲載された、シリアとイラクの情勢に関する国際声明(前記)は現在(一月四日現在)、五大陸に広がる四〇以上の革命的社会主義組織によって署名されている(注)。
われわれは左翼からのこのように幅広い共同声明の出現を極めて喜ばしく思う! われわれは、革命的左翼とその成果に密接につながっていると感じている個人として、このタイプの国際的イニシアティブを将来もっと多く見ることを期待している。それらは、革命的諸勢力間の国際的協調の強化に、それによってわれわれをもっと可視的な社会、政治勢力にすることを助けることに、貢献できるからだ。われわれは、この国際声明に向けイニシアティブを発揮した同志たちに感謝したいと思う。またこの声明の分析と要求も共にする。
しかしながらわれわれは、この声明がクルドの革命やロジャバにおける特有の民主主義実験に関し絶対的に何一つ語っていないこと、またそれらとの連帯も明言していないことを見て、深く失望している。われわれの観点では、これは、革命的左翼の一定部分がロジャバ、クルド革命、PKKとの連帯に関し抱えている諸困難を表している。それゆえわれわれは、この機会をつかんで、以下に提起された諸問題に関する国際的討論を始めるという期待の下に、先の声明に署名した諸組織に向け一つの公開状を作成した。
アラブの春は、アラブの冬の長い夜へと滑り落ちた。その中で、アラブ世界の民主的反乱が反動諸勢力から潰されることなく、その代わりに新たな民主的政治形態の確立へと導いた唯一の実例は、シリザ北部のクルド領域であるロジャバだ。そこでは、シリア革命の推進力がこの地域諸国内すべてのクルド住民を包含するクルド解放運動と結びついてきた。PYD(民主統一党)の指導性の下ロジャバの民衆は、ジェンダー平等、社会的公正、さらに環境の尊重を謳う、民主的、世俗的、そしてエスニック的に多様な社会モデルを実験してきた。その指導勢力は自らを社会主義勢力と表しているとしても、ロジャバの革命は確かにそのような革命ではない。しかしそうであったとしてもそれは、民主的な革命、民族的抑圧と対決した革命、そしてある種のフェミニズムの革命だ。そしてそのことで、ジハーディストのテロと内戦と帝国主義の介入につきまとわれたこの地域で、もっとも希望があり、人を鼓舞するできごとだ。この二、三年の民主的な反乱では他のどこでも――タヒール広場からオキュパイや南欧の広場の運動まで――、ロジャバで達したようなオルタナティブな社会モデルに凝縮したものは一つもなかったのだ。それは、この地域の他のところに対して、オルタナティブな役割モデルになる可能性をもち、他の諸闘争を鼓舞するかもしれない。そして民主革命の勢いは常に、社会主義革命に導く一つの潜在的エネルギーをもっている可能性があるだろう。しかしながらそれゆえにこそまさにロジャバは、ダーイシュのテロまたトルコの亜帝国主義の標的と――同じように、この地域の進歩的運動と左翼運動に対する国際的連帯の最重要点と――なったのだ。

トルコのPKKと
シリアのPYD
PYDは、シリアにおけるPKKの姉妹党だ。そしてPKKは、そのスターリニズム的、民族主義的ルーツから、一つの中心目標として女性の解放を明記した、民族国家の限界を超えた「民主的連邦主義」の社会主義が鼓舞する解放のモデルへと移行する形で、過去の年月を通じて相当の転換を経験してきた。PKKはこの何十年かで、何百万人もの支持者をもつ多民族的な大衆的革命組織を建設してきた。それは疑いなく、この地域全体でもっとも重要な左翼勢力だ。
トルコでは、PKKとその姉妹諸組織は、エルドアンの新自由主義的専制と闘っている。彼らはシリアでは、アサド政権に反対し、この政権を強いてロジャバから撤退させた(シリア中の蜂起がすでに体制を相当な圧力の下に置くことになった後で)。そして今は、ダーイシュの最大の敵となっている。イランでは彼らは、ムラーの独裁に反対している。イラク北部で彼らは、ダーイシュと闘い、腐敗し親帝国主義的なバルザニ体制(イラク北部のクルド自治地域を統治している:訳者)に対する反対派として立場を示している。トルコでは、クルド運動とトルコ急進左翼、ゲジ公園運動、女性とLGBT諸運動の間の連合であるHDP(人民民主党)が、左翼を再活性化し、国会議席獲得要件である得票率一〇%を超え、この国の歴史上そうしたことを行った最初の左翼政党となった。トルコのクルド地域でPKKが率いた反エルドアンの闘争はその間に、「民主的自治」を求める公然たる民衆的蜂起の形をとることになった。
NATOメンバー国であるトルコは、昨年六月、PKKとその姉妹諸組織が示した強さの成長への対処としてクルド運動に対する新たな戦争に乗り出し、北部(トルコ領)クルディスタンの民衆蜂起への残忍な抑圧を開始し、その一方でイラク北部にあるPKKのいくつもの基地は今も爆撃を受けつつあり、トルコ国家によるロジャバに対する軍事侵攻の危険が続いている。
PKKはダーイシュと対決する前線で戦っている(そしてエルドアン、アサド、ムラー、バルザニに反対している)にもかかわらず、この組織は今なおテロ組織と見なされ、米国やEU、そして多くの他の国によって非合法化されている。ISISのもっとも戦闘的な敵であるPKKに対する現在進行形の迫害以上に、西側の対ISIS戦争のうつろさをはっきり示す事例はほとんどない。

ダーイシュと
戦うPKK
この情勢の中で国際的左翼には、PKK迫害に反対する強力なキャンペーンを、特に帝国主義の中心部で建設することによって、中東におけるもっとも重要な左翼勢力との具体的な反帝国主義の連帯という任務が課せられている。
われわれは、前掲した声明署名者から、この連帯もまた期待している!
革命的社会主義者にとって、解放運動との連帯は決して無批判的であってはならない。PKKとPYDに関してはその過去の問題について、また現在についても、たとえば社会主義的変革の中心主体としての労働者階級の拒絶、社会主義を主に倫理的に理解していること、アブドラ―・オジャランの理論の歴史的基礎、彼を取り巻く個人崇拝的傾向、PYD支配領域における反対派デモへの攻撃など、批判すべきことが多くある。帝国主義の諸介入に起きている変動的地域配列間での、変わることのないPKKの策謀もまた、批判的に評価されなければならない。
そうであってもわれわれは、中東情勢に関する声明において、革命的社会主義者がロジャバやクルドの革命、またPKKの闘争に触れることすらしない、ということは受け入れられないと考える。それは、中東におけるもっとも重要な左翼勢力に関する政治的な無知をさらけ出すものだ。彼らの戦闘に対する連帯はむしろ、この地域の進歩勢力に対する左翼の連帯にとって統合的戦略展望にならなければならない。
われわれは以下を要求する(前述の声明に含まれた要求への補足として)。
*ロジャバ、クルド革命、PKKに関する、革命的社会主義勢力内部での公開論争。
*ロジャバにおける革命と北部クルディスタンにおける蜂起に対する精力的な支援。
*PKK非合法化に反対する国際的な革命的社会主義者のキャンペーンの開始、あるいは現在あるキャンペーンへの革命的社会主義者の参加。(以下に、ISLのアンゲラ・クラインを含んで主にドイツの活動家を中心に八人の署名者)

注)この声明は最初、レバノンのウェブサイト「アル・マンシュア」に公表された。(「インターナショナルビューポイント」二〇一六年二月号)

コラム

かけはし読者会にて

 その人の人生のなかで、自分がどのくらいの時間を、その人のどの時期から共に過ごしたのか。それによって、その人への見方も変わる。私は直近の一〇年。けっして長くはない。
 「学生時代はスターリンと呼ばれていたんだぞ」――ある仲間は真顔でいう。真偽は知らぬ。官僚主義と恐怖政治の権化。冗談混じりの不名誉なレッテルも、今では他愛のない思い出に埋もれている。
 川出勝さんが急逝した。あまりに突然の訃報だ。一報を受けた翌日には、彼との主たる議論の場である本紙の読者会を予定していた。
 会議室に誰よりも早く到着し、参加者が集まるのをじっと待っていた。進行役は毎回ジャンケンで決めた。勝った者が司会を務める。「グー」を出せば必ず勝てた。
 学習のための素材や資料は、いつ準備したのか。読みやすくレイアウトされたレジュメを、きちんと人数分用意してきた。編集者としての技量が凝縮された大量の文書を、私はついに読み切れないまま、永久の別れとなった。
 自分の考えを他者に押し付けず、不明な点は潔く打ち明け、問いかけるように議論をまとめ、次回の課題を探った。周囲の世代を意識し、より格下の、経験の浅い者への思いやりや配慮を欠かしたことはなかった。
 公式の会議の場での議題を、その後の酒席で補うというのは、極めて日本的である。むしろそちらに真実を見出してすらいる。駅前の居酒屋を転々として、私たちは語り合った。出自や経歴に謎が多く、近くて遠い人物に思えた。
 閉鎖した都心の仕事場はきれいに整理され、几帳面な性格がうかがえた。壁には自身が撮影した写真が飾られていた。自営業を順調にこなしながら、行く先々での旅情を楽しむ。そんな彼に対し、羨望と嫉妬が入り混じった感情が、なかったとはいえない。
 学生たちのおおらかさ。知識を競いながらも節度を持って百家争鳴する自由さ。当時の時代の空気を、今なお体現しているかのような言動が、彼の持ち味だった。二〇一六年二月一日号の当欄コラム。現代を考察する材料を、古典から引き寄せようする得意の論理展開。最後に取りあげたテーマは、重くて深い。
 すらりとした長身、背筋をピンと伸ばして歩いた。国会前に通い続けたことも、新刊の準備に忙殺されていることも、誇示することはなかった。年齢以上に、健康そのもの見えた。
 うまくて安い冷酒を何杯も飲んだ。顔をくしゃくしゃにして照れくさそうに笑いながら、ロシアの革命に夢を重ねていた。そんな晩年の川出さんから、私はもっともっと、貴重な歴史の証言を聞きたかった。心からそう思う。
 部屋のドアに一番近い席。カメラ片手に取材に出かけた川出さんの帰りを、今度は私たちが待っている。 (隆)


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