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    かけはし2016.年2月1日号

再稼働のためにだまし撃ち


寄稿

原発の免震重要棟
建設撤回は許さない

林 一郎

金をかけない「安全対策」


 二〇一六年一月七日、東京新聞が九州電力「川内原発一、二号機の免震重要棟建設撤回」を報じた。いわゆる、原発過酷事故時の「緊急時対策所」をどのような構造として建設するかのきわめて重要な問題である。
川内原発は当初、原子力規制委員会に対して、設計変更認可申請、工事計画認可申請においては緊急時対策所を「免震構造」として申請し川内原発一、二号機の再稼働の許可を得た。その後の報道で、四国電力の伊方三号機、関西電力の高浜原発、美浜原発、大飯原発などが、「免震構造から耐震構造に変更する」と次々に発表した。こうした経緯を見ると、電力会社、原子力規制委員会、経済産業省の完全な出来レースである。
九州電力の変更方針に対して、原子力規制委員会の田中俊一委員長は「お金を節約するということなら厳しく審査する」と述べているが形だけの国民向けのパフォーマンスであることは明らかである。
二〇〇七年七月の新潟中越沖地震が柏崎刈羽原発に重大な事故を発生させたために、新潟県知事である泉田裕彦(元経済産業省・資源エネルギー庁の官僚であり、原発事情に詳しい)が東京電力に対して「免震重要棟」建設を要求し、柏崎刈羽原発、福島第一原発に設置されたのである。福島第一原発においては、三・一一事故の八か月前に完成し、コントロールセンターとして機能していたからこそ、何とか事故対策が出来たのであり、二五〇キロ圏住民避難に及ぶかもしれない重大事故被害を最小限に抑え込むことが出来たのである。後に東京電力社長は国会での喚問の中で「あの施設がなかったらと思うとゾッとします」と答えている。
「緊急時対策所」に要求される機能は「実用発電用原子炉及びその付属施設の技術基準に関する規則」によれば「冷却材喪失事故発生時、関係要員が必要な期間滞在でき、原子炉制御室の運転員を介さず事故状態を把握でき、通信連絡設備、発電所外との通信回路維持等々の設備を有する」という巨大な自然災害に対する最後の命綱である。
そもそもこうした「勝手に変更」という事態が起きてくるのは「原子炉等規制法」及び関連法規、「新規制基準」が抜け穴だらけであり、免震構造として「緊急時対策所」建設が義務化されていないし、フィルター付ベント設備と同じように「五年間設置の猶予期間」などという、原発再稼働をとにかく優先させる政策の結果である。 

免震構造と耐震構造

      
それでは原発過酷事故時の「緊急時対策所」はなぜ免震構造が要求されるのであろうか。
「免震構造」とは建物と地盤の間に積層ゴムなどの装置を入れ、建物自体の揺れを軽減し、壊れにくくする構造であり、室内の機器などの保護に重要な構造である。免震構造は地震時の揺れを通常の二分の一から三分の一程度にまで抑えることができる構造であり、発電設備に甚大な被害を及ぼす短期地震動には効果のある構造である。
「耐震構造」とは建物自体の柱、梁等を地震に耐えられる強度で作られるが、地震のエネルギーが直接、建物に伝わる為に、建物や、設備に与える影響は大きいのである。
もちろん免震構造建築物の方が耐震構造建築物よりも工事費はかかる。昨今の高額マンションは「免震構造」を売り物にする物件も多く、プレハブ企業も免震構造の開発と販売に力を入れているのである。
単に「耐震構造である」というだけならば、二〇〇六年改定の「発電用原子炉施設に関する耐震設計指針」以後の建築物は全て「耐震構造」であり、建築基準法では一九七八年六月の宮城県沖地震、一九九五年一月の阪神・淡路大地震により改定、再改定された一九八一年六月および二〇〇〇年六月以後の建築物は一定の規模以上であればすべて「耐震構造」である。
要するに問題は原発関連施設が地震などにより被害を受けても、緊急時対策所は被害を受けない構造でなければならず、そのような構造を「耐震構造」に求めることは極めてむつかしいことであろう。要は「金をかけずに大儲け」したいだけである。        

生きぬくための反原発

原発事業者はすでに三・一一福島過酷事故を忘れたのであろうか。それとも国民に対して忘れるように、大した事故ではなかったと宣伝していると、自分も自己暗示にかかったのであろうか。昨年四月の高浜原発三、四号機再稼働差し止め決定をした福井地裁裁判官は「事故は起きるもの、自然災害は予測できない」との認識から出発し「原発事故が起きたら取り返しがつかない程の人格権の否定につながる」として差し止め判決を下した。しかしその決定に対して関西電力は異議申し立てを行い、最高裁から派遣された御用裁判官は昨年一二月、「安全神話」に基づき「事故は起きないもの」として、差し止め決定を覆した。
高浜原発再稼働に反対する闘い、伊方原発再稼働に反対する闘いは現地住民、三〇キロ圏住民を中心にして全国闘争として闘いは進行している。特に伊方での戦いは再稼働を問う住民投票を求める運動にまで高まっており、一〇カ月に及ぶ個別訪問の成果として闘いは進行している。しかし再稼働に反対する側もまた、五年前の福島事故を忘れていく傾向がある。
こうした中で安倍政権、経済産業省の官僚たちは二〇三〇年のベースロード電源を原子力発電、二〇%維持方針を掲げているのである。二〇%ということは四〇年経過の老朽原発を使用することであり、原発の新増設建設が必要になるということである。さらに安倍政権と、カジノ資本主義は経済的行き詰まりを巨大な利益を生む原発の輸出、武器輸出に求める路線をひた走るのである。資本主義最後の手段である軍事ケインズ主義路線として生き延びようとしているのである。
安倍政権の仕事とは、こうした資本の先兵として、自国の原発の「安全神話の再建」「原発の商品価値を上げる」ものとして原発の再稼働は手放すことはできないのである。
もう一つ原発再稼働の目的として核開発のために必要なプルトニウムの再生産を維持することは「日米原子力協定」の中心的課題でもあるのだ。今後とも原発再稼働に反対する闘いはますます「官民原子力共同体」との非妥協的な闘いにならざるを得ないのである。
今後の反原発運動は紆余曲折の国民運動的性格を持ちながらも、原発現地の過疎化の問題、第一次産業の生き残り問題を抱えながら、「人民の生きる権利の問題」として戦争法制反対闘争、辺野古基地建設反対闘争と共に今後の民衆運動の一翼を担うことになるであろう。今年も三・一一が迫っている。福島の現実に向き合いながら今年も戦い抜こう。     

論評

安全を無視する資本の論理

スキーバス事故から見える
規制緩和と高齢労働者問題

可視化された
業界の問題点

 一月一五日発生したスキーバス事故により、大学生を含む一五人が亡くなった。事故原因は調査中だが、乗客の生命を預かる運行業務にもかかわらず、この悲劇を引き起こすに足りる要因が、次々と明らかになっている。
 事故を起こしたバス会社では、安全のための運行規定が日常的に無視され、従業員との三六協定も取り交わさない労基法違反状態にあった。また当然ではあるが「格安ツアー」にあっては、バス会社が法定料金を大きく下回る額で旅行企画会社から受注しなければならないという状況下にあり、仮に法定内料金で受注しても多額のリベートを旅行企画会社へバックする商慣行が露顕した。結局、格安のしわ寄せを、現場労働者が担わされるわけで、低賃金―人手不足―過重労働の悪循環となり、事故へつながっていると考えられる。
 もう一つ、運転手の高齢化がある。同事故で亡くなった運転手は六五歳で、一カ月前に契約社員として入社したばかりだという。

規制緩和と労
働者の高齢化


すでにマスコミも、バス事故の背景には規制緩和の影響があると報じている。二〇〇〇年の規制緩和により、貸切バス事業者数は約二三〇〇社から、現在では約四五〇〇社へとほぼ倍増。その一方で、国交省調査によると、業界全体で九七%のバス事業者が「運転手不足により何らかの影響が出ている」と回答している。国土交通省の交通白書(二〇〇二年)では、規制緩和により「貸切バス事業への新規参入事業者は、タクシー事業者等の異業種からの参入もみられ、事業の合理化・効率化等経営改善の取組みが積極的に行われている」などと手放しで喜んでいる始末だ。しかし、この規制緩和による価格破壊こそが、まさに人件費と安全コストを押し下げ、先に述べたように大事故へと発展させた元凶と言える。
そしてこの人手不足により、全産業の労働者平均年齢が四二・八歳なのに対し、バスの運転手は四八・三歳となっており、六人に一人が、六〇歳以上となっている。高齢の労働者が、徹夜を含む遠距離輸送に従事することは、肉体的にも精神的にも厳しく、安全輸送へも影響を与えているはずだ。
亡くなられた運転手の生計事情は不詳だが、国民への年金受給開始時期が先延ばしされ、さらに年金だけでは生活できないという高齢者は今後も増え続ける。昨年の調査では、非正規労働者のうち、六割以上が四〇歳代以上の中高年である。
政府は年金政策の失敗を糊塗するため、高齢者雇用安定法改正で、企業に対し、@定年の六五歳以上延長、A定年の廃止、B再雇用のいずれかを採用するよう義務づけている。しかし@とAを採用する企業はほとんどなく、Bの再雇用でも労働者の年収は四〜五割以上ダウンし、一年契約の有期雇用がほとんどだ。六五歳以降の年金生活も、よほどの蓄えでもない限りおぼつかないのが実状だ。

貧困・収奪の
構造と対決を


安倍政権は、少子高齢化に真正面から挑むという「一億総活躍社会」や「同一労働同一賃金」「富の配分」などを掲げているが、もはや虚言でしかないことを、大衆は見抜き始めている。
フェイスブックに安倍晋三のページがあるが、興味深いことに安倍シンパですら規制緩和見直しの声を寄せている。ひいては竹中批判や消費税増税をやめるような嘆願も出始めた。ネット右翼であっても、労働者や零細企業家からは、市場原理主義や大企業優先税制に対する拒否の声が上がっているのだ。
この事故で若者が亡くなったことは痛ましい限りで、彼ら彼女たちの葬儀には一〇〇〇人もの参列者がその死を悼んだ。一方の運転手は、期日に遺族が病院に現れず、彼の亡骸を引き渡せなかったという。我々は労働者の高齢化から貧困と収奪を見抜き、労働問題として闘っていく必要がある。
(大望)


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