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    かけはし2016.年1月25日号

労働者民衆の富をさん奪する


韓国

財閥社内留保金返還運動

労働者階級政党推進委員会

運動の大衆化の可能性を確認

 労働者階級政党推進委員会が4回総会で決定して開始した財閥社内留保金返還運動の1段階運動を終えた。現在、財閥社内留保金返還運動本部レベルの大討論会方式で、2015年財閥社内留保金返還運動の評価と2016?17年の権力交代財閥社会化闘争の方向に関する議論を開始しなければならない。労働者階級政党次元の評価とともに、地域、現場で財閥社内留保金返還運動を繰り広げてきた同志たちの評価も掲載し、反資本社会化を軸とする政治争点化を推進していこう。
 労働者階級政党推進委は、2015年7月18日4回総会で財閥社内留保金返還運動を決定した。
 8月12日の民主労総、参与連帯、民弁、推進委などが参加した討論会、そして8月18日の全経連の前での返還運動宣言の記者会見によって運動を開始した。2回にわたる公共広報(10万部配布)、ブックレット販売、垂れ幕、ポスター、リレーマスコミ寄稿などの基本的な宣伝活動を行ってきた。また8月からは、労働組合、現場組織団体の懇談会、説明会、講演会などを60回以上行った。われわれが独自の闘争の課題を持ち、公然と大衆運動を展開したということに意味がある。ソウル、京畿、仁川、忠清北道、忠清南道、全北地域で9?10月の期間、毎週週末ごとに宣伝戦を展開した。以前は公然の地域活動が不可能であった大邱と済州地域でも、街頭宣伝活動が行われた。低いレベルから高いレベルに実践行動が拡大、強化された。
 反資本社会化運動の大衆化において、財閥社内留保金返還運動に重点を置き、1万人宣言運動が中心的な実践方法となった。宣伝、懇談会、説明会などの活動の成果を集中させた。11月13日、2つの日刊紙に約7000人の宣言者の署名広告を掲載した。1万人の目標は達成できなかったものの、財閥社内留保金返還運動に自分の名前を掲げて運動の主体として前に出るということは運動の一歩前進と評価する。
 労働者階級政党推進委員会が開始した財閥社内留保金返還運動は、1段階運動の仕上げの時期に開催された11月14日民衆総決起を契機に、全民衆的運動に拡大している。民衆総決起闘争本部は、財閥社内留保金の返還を民衆総決起の主な闘争要求として受け入れた。
 民主労総、全農、貧民解放実践連帯などの基層大衆組織の他13の団体が参加している財閥社内留保金返還運動本部の組織により、労働者民衆全体の大衆運動への拡大の条件が整った。11月14日、各大衆組織の事前集会が重なる困難な状況において200人が参加して、財閥社内留保金返還運動決意大会が力強く開催された。

情勢に対する能動的な対応


財閥社内留保金返還運動は、朴槿恵政権の労働改悪に代表される資本主義経済危機の責任の労働者への押し付けは、「財閥独占利潤社会化」を代替的闘争の要求に掲げた闘いである。
資本主義経済危機が深刻になり、資本と政権がその責任をさらに労働者民衆に押し付ける「危機の社会化」が行われるなかで、財閥社内留保金返還運動が情勢に能動的に対応する闘争であったことをわれわれは確認した。つまり反資本社会化闘争の大衆化の可能性が確認されたのである。
さらに資本主義体制粉砕と社会主義建設を追求する労働者階級政党運動の戦略に合致する「没収社会化」を大衆運動的に展開する今後の可能性を確認したことも、われわれは評価する。そして当面の情勢と連動して、朴槿恵政権の労働改悪に対抗し、労働者民衆が財閥社内留保金返還運動を展開することにより、民衆総決起労働者のゼネスト戦線を強化した。
財閥社内留保金返還運動は推進委にとっては結成企画事業の一環でもあった。このように既存の大衆組織闘争に連帯する活動のレベルを超えて、労働者階級政党推進委員会の独自の闘争を展開し、その闘争が全労働者民衆の闘争に拡大し強化されることで、労働者階級政党推進委を大衆的に印象づけることができた。財閥社内留保金の返還運動の成果は、ただちに労働者階級政党の党員の拡大に直結するものではないにせよ、地域、部門、そして現場の活動家を、今後の党建設の推進力として形成していくきっかけになるであろう。

闘争能力の限界と連帯の強化


一方で、財閥社内留保金返還運動において解決していかなければならない課題も多い。
財閥社内留保金の概念において、資本側と運動陣営の一部の問題提起に対する議論がうまくまとまらなかった。労働者民衆の生存権に関する問題を解決しなければならないという点において幅広い同意が得られたものの、既存の政治勢力の課税方式とは異なる「還収」方式がどのように実現可能かについての疑問が組織の内外で提起された。現在の政治構図内での手続き的な方法についての問い、そして守勢的な力関係の下での返還が可能かについての問題が提起された。
「財閥社内留保金の返還特別法」の制定運動を手続き的、代替的に提起したが、運動における具体的な反映がおこなわれなかった。所有と統制の問題をそのまま残したままの「独占利潤返還」は、予想どおりの右傾化批判を呼び起こした。しかし、財閥社内留保金返還運動は、財閥の根本的解決策として提案されたのではないため、議論の対象にはならない。労働者階級政党推進委員会の独自の闘争能力の限界も明らかになった。10・24全国集中集会、11・14返還運動決意大会など、会員や活動家を結集させる方式の独自の闘争の組織化が未だ不十分であった。闘う政党を掲げる労働者階級政党としては、解決しなければならない課題である。独自の闘争パワーの強化、また労働組合闘争や連帯、連合の強化について、今後われわれは最善の方法を模索していかなければならない。

大衆実践方案などが必要


1万人宣言運動と11・14決意大会を最後に、1段階返還運動が終了した。今後はもう一歩踏み込んだ内容で2段階返還運動を展開していかなければならない。そのためにはまず、1段階の返還運動で課題として提起された問題を解決していかなければならない。より深みのある政策代案を提出しなければならない。財閥社内留保金の用途と蓄積方式の政策研究を進めて行かなければならない。特に5大財閥それぞれの社内留保金の分析をもとに、労働者民衆の生存権に関する問題の解決策を具体的に提出しなければならない。
返還方法の現実的な代替手段として「財閥社内留保金の返還特別法」の制定運動を具体的に検討すべきである。法制定運動への変節を警戒しつつ、財閥社内留保金の返還特別法制定のための全国民署名運動を展開する場合、1段階の1万人宣言運動を超えるためには、大衆実践方案が必要である。財閥社内留保金返還運動が運動の大衆化に重点を置いて始まったため、1段階運動の1万人宣言運動よりさらに一歩進んだ大衆実践方案を用意しなければならない。
青年の失業と連動して「青年失業解決の代替、財閥社内留保金の返還運動」をテーマにした2016年新学期大学巡回講演運動の展開も模索していくべきである。「青年よ怒れ」は時代の要求と結合して、青年学生たちから反資本社会化運動が大衆的にわき起こる可能性を見いだす必要がある。
重要なのは、独占利潤の社会化運動で所有と統制の問題を内包している財閥社会化への進展である。労働者のゼネストの状況の直後から、財閥社内留保金返還運動本部レベルでの大討論会方式によって、2015年財閥社内留保金返還運動の評価、2016?17年の権力交代財閥社会化闘争方針を議論しなければならない。2016?17年の権力交代期の韓国社会において、何を最大の政治的争点をするか?
財閥社内留保金に対する韓国社会の階級的問題意識を基礎として、反資本社会化を軸とする政治争点化が行わなければならない。米国の金利引き上げによる資本主義的な経済危機の爆発と責任転嫁が予想される情勢において、われわれが財閥社内留保金返還運動を反資本社会化運動に発展させることができる可能性は非常に高いといえる。

【訂正】本紙前号(1月18日付)5面下から3段目右から1〜2行目の「一つとである」を「一つである」に、6面下から2段目左から14行目の「一三」を「一三年」に、訂正します。

セウォル号惨事特別調査委

善と悪の平凡性

「思い出せない」「よく分からない」

 セウォル号惨事特別調査委員会が(2015年)12月15日と16日にわたって聴聞会を行った。聴聞会において海警の責任者たちは、救助が遅れた理由を問う質問に「思い出せない」「よく分からない」という答弁で一貫した。事後に自らに戻ってくる批判や処罰を未然に防止しようとするかのように、彼らは「責任」という言葉から最大限に遠ざかろうと努力しているかのようだった。

思惟の無能力と
語ることの無能力
私は彼らを見ながら、ハンナ・アレントが書いた「エルサレムのアイヒマン」という本を思い浮かべた。アレントはユダヤ人虐殺の執行者であるアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴して書いた本の中で「悪の平凡性」という概念を提示している。誤解なきよう言っておくが、私は海警の責任者たちがナチ戦犯のごとき虐殺者だと言っているのではない。
アレントはアイヒマンを精神異常の殺人魔だと見てはいない。アイヒマンは上部の命令を遂行する平凡な官僚だった。アレントによれば、彼には致命的無能力があった。「語ることの無能力、思惟の無能力、そして他人の立場から考えることについての無能力」が、それだ。この無能力が、アイヒマンを「自分がいかなることをしているのか全く気付くことのできない者」へと仕立てた。
セウォル号聴聞会に登場した官僚たちは心底「自分がいかなることをしているのか分からない人々」のように思えた。人々を乗せた船が水底に沈んでいた。自分たちの言葉や行動の1つ1つが、寸刻を争いながら人々の命と直結していた。彼らは命を救うことに失敗した。彼らの失敗は生ける人々の無数の人生を地獄へと変えてしましった。
聴聞会での彼らの言葉は、責任を免れようとすることがその大部分だった。彼らは命と直結した自身の仕事と、その仕事の失敗について思惟する姿を示さなかった。その失敗がもたらした災央を全身で受けとめつつ真実を明らかにしようとする遺家族たちの前で、彼らは弁明することに汲々とした。遺家族たちは彼らの言葉に批難と絶叫とで反応した。

公務員たちと全
く反対の潜水士
ところで、聴聞会にはまた別の人々がいた。海警と同様に命を救うことのできる能力を持った人々、けれどもやはり救助に失敗した人々がいた。彼らもまた平凡な人々だった。ほかならぬ救助作業に参加した潜水士たちだった。そのうちの1人が以下のような話をした。
「私は国民であるがゆえに、そして私の職業が有する技術が現場の仕事をすることができるがゆえに、そこに行ったのです。私は愛国者でもなければ英雄でもありません。…高位の公務員たちにお尋ねします。私どもは忘れることはできないし、骨身にしみています。ところが社会の指導層であるあの方々は、なぜ覚えていないと言うのか、ノガダ(建設労働者、作業員)である私よりも立派な方々なのに…」。
潜水士たちは事件以降、命令に従ってではなく、自らの決断によって全羅南道珍島の彭木港に残っていた。危険を甘受しつつ水中に飛び込み、また飛び込んだ。自分たちが、犠牲者の家族に残された最後の希望だということを全身でひしひしと感じていたからだ。
聴聞会での潜水士たちの言葉は、とつとつとしていた。けれども「自分が何をしていたのか」、考えに考えながら出てきた言葉だった。何よりも彼らの言葉は、遺家族たちの立場を考慮し配慮した。話をしている彼らは泣いていたし、その言葉を聞いている遺家族たちも泣いた。彼らが語り終えるやいなや遺家族らは大きな拍手をした。

「そうせざるを
得なかった」
私は潜水士たちの言葉を聞きながら、もう1つの本を思い浮かべた。エバ・フォーゲルマンという学者が、ナチ治下で困難に直面した他人たちを救ってやった人々を研究して書いた「良心と勇気」という本だった。フォーゲルマンによれば、彼らは英雄的犠牲精神や信念の所有者ではなかった。彼らは語った。「そうせざるを得なかったし、同じ状況が再び訪れても再びそうすることだろう」。
彭木港の潜水士たちがそうしていたように、彼らにとって善行というのは余りにも平凡でありながらも至極、必然的な行動だった。フォーゲルマンが自身の本で提示した概念は、まさに「善の平凡性」だった。(「ハンギョレ21」第1092号、15年12月28日付、「ノーサンキュー」欄、シム・ボソン/詩人・社会学者)(イラストレーション、イ・ガンフン)


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