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    かけはし2016.年1月25日号

これ以上の愚弄を許さない


12.5

国連人権勧告の実現を! 集会・デモ

政府は根本的な政策転換を

さまざまな闘い総結集

 晴天にめぐまれた彩り豊かな並木に包まれる代々木公園に、韓国のプンムルと沖縄のエイサーの太鼓囃子が鳴り響いた。代々木公園野外ステージで「国連・人権勧告の実現を!12・5集会&デモ」が行われ、朝鮮と沖縄の二つの民族舞踊からスタート。つづいて長谷川和雄さん(高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会)が主催者あいさつし、日本政府に対しては国連人権委員会から様々なイシューの人権問題について勧告がだされているが、日本政府は勧告に従う義務なしという閣議決定まで行っていることが報告され、課題をつなげて日本政府のスタンスを変えて行こうと提起した。

国連調査ドタ
キャンの暴挙
集会は最初に、国連・表現の自由特別報告者のデービット・ケイさんの来日調査を直前になって日本政府が「ドタキャン」した問題について、藤田早苗さん(エセックス大学人権センターフェロー)からの特別報告が行われた。藤田さんはデービットさん来日スケジュールの調整などを担ってきた。
「デービット・ケイさんは一二月一日から八日までの公式訪日調査をしているはずだった。日本政府は『日程の調整がつかない』として訪日二週間を前にした突然のキャンセル。国連人権理事会は四一のテーマについて特別報告者がいるが、そこには通報制度というのがある。二年前の秘密保護法の制定の際に、私は法案を英訳してこの制度を通じて国連に通報し、ケイさんの前任者が日本政府に法案の危険性を指摘した経緯がある」。
「人権理事会ではNGOからの発言も認められているが、枠や時間などが限定されており、どのNGOの発言を取り上げるのか、いつも競争になる。そのなかでケイさんが日本の表現の自由の問題に着目し、来日して日本政府や関係NGOなどに調査することを取り上げてくれた。それは、メディアの自由度ランキングで日本が一一位から六一位に急落したことに象徴されるような状況があったからだ。今年七月に来日調査を申し入れ、一〇月には日本政府は受け入れ承認した。それが来日予定の二週間前に突然のキャンセル。政府が承認したスケジュールをキャンセルすることなど、よっぽどの独裁国家でなければこれまであり得なかった。国連の特別報告者は一年にせいぜい二カ国ほどしか訪問調査しかできない。大変おどろいている。国際的にも日本はどうなってしまったのかという大問題である」。

日本政府は確信
犯的に人権敵視
国内人権権機関と個人通報制度について、伊藤和子弁護士(ヒューマンライツ・ナウ事務局長)が発言した。
「特別報告者制度は昔からあったが、最近は日本に来たいという特別報告者が増えている。それは民主党政権の時の数少ない改革として、特別報告者はすべて受け入れることを表明したからだ。今回のドタキャンは日本政府の国連軽視の表れ。日本政府は国連勧告に対して無視、それどころか敵対してきた。二〇一一年には人権規約委員会で原発事故対策についての勧告が出ているがそれも無視。死刑制度についても何度も勧告を受けている。わたしは奥西死刑囚の弁護人を担当してきたが、彼は無実を訴えながら亡くなった」。
「国家が人権を保障しない場合、個人が国連に訴えることができる個人通報制度と国内人権機関を設置すべきであり、それを定めた人権規約の選択議定書を批准すべきである。アジアの多くの国々、たとえば民主化が進むミャンマーなどでもこの議定書を批准して国内人権機関を作っている。日本はアジアでもいつのまにか人権後進国になってしまった」。
外国人人権法連絡会の師岡康子弁護士は人種差別撤廃基本法の制定を提起した。
「国会に提出された法案は八月から審議が始まった。人種差別撤廃条約には二〇年前に締結している。しかし国内法としての基本法はずっと制定されてこなかった。それどころか近年のヘイトスピーチや朝鮮人学校襲撃事件など、むしろ差別は拡大している。日本の人種差別について、国連はこれまでも二〇〇一年、一〇年、一四年と三度も勧告を出してきた。日本政府が一三年に提出した政府報告では一〇年勧告をまったく踏まえないものであった。国連人権委が一四年に出した勧告では冒頭で日本政府の勧告無視を厳しく批判している。そしてこのような日本政府による勧告無視こそ、近年たかまっているヘイトスピーチや民族差別の最大の理由だ。人種差別撤廃基本法案をさせなければならない。同法案は日本も批准している人種差別撤廃条約の義務を履行させるというだけのものだ。具体的な中身は運動で作っていく必要がある」。

辺野古と福島の
鮮烈なアピール
集会実行委員の森本孝子さんからのカンパアピールをはさみ、テーマ別アピールに移った。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの青木初子さんは「翁長雄志沖縄県知事が九月に国連人権理事会で、沖縄の人権と自己決定権がないがしろにされていると発言した。辺野古ではシュワブゲート前や海上で基地建設反対の島ぐるみでたたかっている。それに対して日本政府は東京の警視庁機動隊員や全国の海上保安庁職員を投入して弾圧している。翁長知事は大浦湾の埋め立て許可承認を取り消し、国はそれに対して代執行で臨もうとしており現在裁判闘争に入った。問われているのは日本の民主主義だ。沖縄差別を許さない。沖縄は負けない」と訴えた。
原発いらない福島の女たちの黒田節子さん。「原発事故から五年近くが経過しているが、福島では、政府による不安軽減と称して放射能被害矮小化と被害者切り捨てという人権侵害が行われている。事故当時一八歳未満の県民すべての検査で一五二人が甲状腺がんの疑いがでた。いわき市に隣接する北茨城市の独自検査で三人の子どもが甲状腺がんと診断された。安全に生活したいというのは普遍的人権だ。にも関わらずなぜ原発の再稼働なのか。福島では不安を語る自由がない雰囲気だ。脱原発テント裁判は負けたが私たちは負けない」。

朝鮮学校差別
へも抵抗続く
急用で参加できなくなった西山千恵子さんからはリプロダクティブヘルツの危機的状況を訴えるメッセージが寄せられた。
「女性は最後の『植民地』といわれます。いま日本政府は女性を『子を産む機械』とみなしています。菅官房長官は芸能人の結婚にふれてたくさん子どもを産んで国に貢献してほしいというひどい発言をしています。議会で女性議員に対する結婚や出産に関する差別野次が後を絶ちません。保健授業の副読本では若年期の出産リスクが少ないという間違ったデータに基づいたグラフが採用されています」。
朝鮮大学校の金奈奈さんは、「高校二年生のときに朝鮮学校も無償化対象になることをみんなで喜んだのもつかの間、二〇一二年暮れに誕生した安倍政権はすぐに省令を改悪して朝鮮高校だけを無償化の対象から外しました。私は高校の後輩たちにこれ以上苦しい思いをしてほしくない、親の負担を少しでも軽減したいということで大学に入っても無償化実現の取り組みを続けています。二〇一三年五月から毎週金曜日には文科省前で若い仲間たちによるアピール要請が続けられてきました。一四年七月には二人の朝鮮大学生を国連人権委員会に送りました。日本政府に対しては何度も無償化実施の勧告がだされています。これは私たちだけではなく、日本全体の人権状況改善のための取り組みでもあるのです」。

精神医療にも
人権無視体質
世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク理事の山本眞理さんは、「日本は精神病床数、収容期間ともに世界トップとなっており、三万六千人が二〇年以上も入院させられているという、まさに収容列島です。多くの患者がひどい人権侵害を受け続けており、今年七月には、二名の看護師が傷害致死の容疑で逮捕されています。日本は二〇一四年に障害者権利条約を締結しましたが、強制入院は一〇年前にスタートした「心神喪失者等医療観察法」でさらに強化されています。新規入院もこの三年で急増しています。人権委員会も勧告を出して、国は精神障碍者が地域で生きていけるサービスを提供すること、非自発的入院は最小限にすることなどを勧告しています」。

学校も人権を
守る場でない
学校における日の丸・君が代の強制について、新井史子さん(教育の自由裁判をすすめる会)からは、二〇〇三年一〇月に都教育委員会が卒業・入学式での君が代斉唱時の起立とピアノ伴奏を義務付けるという通達以降、これまで処分を受けた教職員が四七四人に達していることが報告された。「〇六年の教育基本法改悪以来、教育に対する国の介入はすごい勢いで進んでいる。日の丸・君が代の国立大学への強制、道徳の教科化、教科書から慰安婦記述の削除や政府見解の強制や育鵬社・自由社の教科書の採用など。都立高校では宿泊防災訓練に自衛隊施設での訓練に参加している。〇八年以降、国連人権委員会に対して思想良心の自由の問題として訴え、議題の一つとして取り上げられる成果を上げている。」。
羽田空港から集会に駆けつけた寺中誠さん(東京経済大学教員)は、国連人権勧告を守る義務はないという閣議決定をした安倍政権のスタンスを強く批判した。最後に集会アピールを採択し、渋谷の繁華街をデモ行進して、日本政府が国連人権勧告を守るよう訴えた。        (H)

12.20

19日行動、福島でも開始

野党共闘! の声会場圧す

行動は県内各地で

【福島】一二月二〇日、福島県教育会館で「戦争法反対!一九日行動福島県民集会」が開かれ七五〇人が参加した。福島県9条の会、憲法をいかす福島県民の会、改憲阻止福島県連絡会、安全保障関連法に反対する福島県大学・短期大学研究者の会の県内主要四団体が共同して開いたもので、九月の法案反対集会に続く統一集会だ。
集会では「この夏を忘れない―武器、原発輸出を国家戦略とするような国にしてはならない」と題する内田雅敏さん(弁護士・戦争させない1000人委員会事務局長)と、「労働法制の改悪・福祉破壊・国民生活をめぐる諸問題と憲法」と題する今野順夫さん(福島大学名誉教授・元福島大学学長)の講演に続いて、民主党、共産党、社民党の代表が「戦争法」廃止のために力を尽くすと連帯のあいさつに立った。
会場からは「野党共闘!野党共闘!」の掛け声が起こり、三党代表は、取り合った手を上げ応えた。集会後のデモ行進では、「戦争法廃止!」「九条壊すな!」「戦争する国許さない!」「安倍政治を許さない」のシュプレヒコールを福島市の街頭に響かせた。この「一九日行動」は会津若松市など各地で開かれ、郡山市では月一回第二金曜日に駅前広場での行動が続いている。
(世田)

コラム

いなごの佃煮


今年も絶品の「いなごの佃煮」が届いた。この佃煮はこれまで食べてきたものと比べ格段にうまい。多くの人が苦手とする硬い足も、歯触りの悪い羽も丁寧に取り除かれており、甘からず、しょっぱからず、最高。
私の周りではほとんどの人がいなごの佃煮を食べない。形が気味悪いというのがその理由だ。私は東北の米作地帯で育ったから晩秋になるとよく食べたし、どこの家の食卓にも漬物と同じように並んでいた。
特に懐かしく思い出すのは稲刈り休暇時のいなご捕り。小学校低学年であった一九五〇年代後半、田植え休暇と稲刈り休暇という農繁休暇がまだ残っていた。友人に聞くと群馬や長野では養蚕休暇という形で存在していたという。
稲刈り休暇の時、家が農家でない者はその期間中毎日小学校の校庭に集められ、五〜六人でチームを作り午前中いなご捕りに行くことが決められていた。腰にいなごを入れる竹筒を下げ、背中に竹筒が一杯になった時に移し変える籠と水筒を背負う。昼に校庭に戻ると大きな鉄釜でお湯が沸かされており、先生がいなごを受け取り釜の中に放り込む。煮上がる頃、町の佃煮屋さんが来て買い取って行くという具合。
ある時、同級生が働いている田んぼに行くと彼の両親が田んぼの真ん中だけを残し、周囲の稲を刈ってくれていたことがあった。いつもは籠の三分の一も捕れないのに、この時は行き場を失ったいなごが捕り放題で昼を待たずに籠が一杯。二学期の終業式、校長先生が壇上から「いなごの代金で図書○○冊、体育館の飛び箱を○台購入しました」と発表するのが恒例で、その時ばかりはちょっと鼻高々であった。
こうした経験から私は初めて蜂の子を出された時も、信州の伊那谷の旅行で「ざざ虫」というイワナなどを釣る時のエサにする川虫を見た時も食べることになんのちゅうちょもなかった。ただざざ虫の佃煮はコップよりも小さな瓶で三〇〇〇円もするのでなかなか手が出せない。
この絶品のいなごの佃煮を届けてくれるのは元大学相撲部の監督であった御仁。彼は年三回の東京場所に教え子(今は現役を退いて部屋付親方らしい)を激励に出掛ける。その際、国技館内のお茶屋さんのお土産のひとつがいなごの佃煮なのだ。残念なことに彼は東京育ちでいなごを食べる習慣はなく、結果私の所に回ってくるという次第。
二一世紀中半に全般化すると予想される食糧危機を救うひとつが昆虫だと言われている。もし生きていたら私はこの食糧危機に立ち向かえるのだが。        (武)


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