もどる

    かけはし2016.年1月1日号

気候を変えるな システム変えろ


寄稿

COP21対抗アクションに参加して(上)

パリ協定は解決策ではない

 COP21(気候変動枠組条約第二一回締約国会議)がパリ郊外で開かれ、予定を一日延長し「パリ協定」を採択して一二月一二日に閉幕した。その詳しい評価についてはいずれ本紙で掲載する予定だが、フランスではデモ禁止の中で、COP21に対抗してさまざまな創意工夫ある行動やイベントが展開された。一二月上旬にパリを訪れて、対抗フォーラムなどに参加したATTAC関西の寺本勉さんにその報告を寄稿していただいた。(編集部)

COP21での合意は前進を意味するか?


COP21で合意された「パリ協定」について、日本では政府や一部のマスメディアは「画期的」「歴史的」などの形容詞を多用し、その意義を強調している。本当に「パリ協定」は気候変動を食い止めるための前進的一歩なのだろうか。
一二月一四日付の毎日新聞夕刊は、「『全員参加』を優先した結果、パリ協定は『自主的な』取り組みばかりの緩やかな枠組みになった」とした上で、「最貧国の環境NGOメンバーは『削減に向けた義務が担保されていない。悪い合意で、悲しい日だ』と痛烈に批判した」と伝えている。
世界の主要な社会運動団体も「パリ協定」に異議を唱えている。COP21開催中の一〇日に行われた記者会見では、各団体の代表がCOP21の「合意」内容を「間違った解決策」であると批判し、気候変動をもたらしている政治・経済システムへのオルタナティブを作るために引き続き闘うことを呼びかけた。そのいくつかを紹介する。
「パリ合意は、われわれに子どもたちの誰を生き延びさせるのかを選択させるものだ。なぜなら三℃気温上昇した世界では、全員が生きることは不可能だからだ」(パブロ・ソロン、元ボリビア国連大使・気候変動交渉代表)。
「間違った解決策は飢えと窮乏化を促進するだけだ。アグロエコロジーと食糧主権こそが地球の気温をさますことができる。われわれは気候を変えるな、システムを変えようと訴えつづける」(エベルト・ディアス、ビアカンペシーナ・コロンビア)。
「合意」が報じられたあと、ATTACフランスのHPにアップされた記事も「パリ合意は、一・五℃あるいは二℃の気温上昇に留める道筋を何ら決めないまま、三℃以上の地球温暖化を確定させたものだ。積極的側面があるとすれば、それは参加国が非常に弱いものだが、気候変動についての国際的枠組を維持することに合意したことだけである。五年ごとの自主的な排出量削減目標の見直しも各国の善意に任せている。歴史的に見て気候変動に責任がある国々はその責任を逃れようとしている」などと厳しく「パリ協定」を批判している。

今回のパリ訪問の目的


パリで大規模なテロ襲撃が起こってから二週間。関空からのエールフランス便は空席が目立っていた。パリで降りる日本人はほとんどおらず、街角でもほとんど日本からの観光客を見かけない。旅行案内所の人の話では「ツアー客は減ったどころではなく、ほとんどいない状況です。回復には半年くらいかかるでしょう」とのこと。
私の周囲でもパリ行きに反対する人は多く、同時期に行く予定でキャンセルした人もいた。にもかかわらず、パリに行こうと思ったのはいくつかの目的があったからだ。
その一つはもちろんCOP21である。COP21は、気候変動の脅威がすでに現実のものとなっている中で開かれたが、テロ対策を口実にして環境保護団体などによる大規模なデモが禁止されてしまい、市民社会の側からCOP21に圧力をかける重要な機会の一つが失われてしまった。その一方で、対抗イベントが活発にとりくまれ、COP21が「先進」国政府や多国籍企業によって牛耳られ、気候変動を食い止めうる法的拘束力を持った合意が妨げられていることに異議を唱えた。ぜひ対抗フォーラムに参加して、COP21の持つ問題点をつかみたいと考えたのである。
二つ目の目的は二〇一六年三月、日本(東京・福島)で開かれる「核と被ばくをなくす世界社会フォーラム」(No Nukes WSF)の準備と宣伝である。パリで準備会合を開いた他、週末にパリ郊外モントロイユ市で開かれた「民衆サミット」でのワークショップや「グローバル・ヴィレッジ」での宣伝用ブース(テント)などでNo Nukes WSFへの参加を訴えることになっていた。
テロ襲撃が起こったことで、もう一つ目的が加わった。それは、非常事態宣言がさらに三カ月間延長された中で、フランスの社会運動や労働組合の活動家がどのように考えているのか、意見を聞きたいということだった。

COP21会場を訪れて


COP21の会場は、国連に登録されたNGOメンバーだけが入場できる「カンファレンス・センター」と誰でも入場可能な「クライメート・ジェネレイションズ・エリア」に分かれている。何はともあれ一度はCOP21会場まで行ってみようと思い、北駅からRER(高速郊外鉄道)に乗った。RERの車輌は日本の私鉄と比べると一・五倍くらいの長さがある。三駅目の「ル・ブルジェ」からは二両連結のシャトルバスが切れ目なく運行されていた。
会場に着くと、参加国・地域の国旗がプリントされた数多くのポールがまず目に入る。いくつもの白い大きなテント(と言っても本格的な建物のようだ)があり、一番奥が「クライメ―ト・ジェネレイションズ・エリア」。中に入る時には、空港と同じような持ち物チェックがあった。
このエリアには、各団体のブースが置かれていて、レストランやカフェ、ステージ、置きビラコーナーなどが配置されている。チベット独立派らしい「中国の誤った政策がチベットの気候変動を促進している」という絵ハガキに似た宣伝ビラも何種類か置かれていた。行き交う人々やブースのスタッフの服装がWSF(世界社会フォーラム)のブースと違って、小綺麗というか、スーツにネクタイ、あるいはタイトスカートという人も結構いて、雰囲気の違いを感じた。何か商品の展示みたいなブースやグーグルが提供している映像上映スペースもあり、「多国籍企業に牛耳られている」という批判の一端を垣間見た気がした。
ブースの中に一つだけ、日本から来ている団体があった。アパートを借りて自炊しながら、二週間頑張るつもりという話を聞き、大きなスペースを占めているNGOがいる一方で、手作りのブースにはとても好感が持てた。中国は政府系NGOがいくつか出展していて、なぜか「釣魚台」という文字の入ったポスターが掲示されていた。

盛況だったグローバル・ヴィレッジ


週末の一二月五日、六日に開かれた「民衆サミット」と「グローバル・ヴィレッジ」の会場となるモントロイユ市は、エコロジスト、社会運動の活動家が多く居住しているところで、ロマの人々やマリからの移民労働者も多いとのこと。昨年から若い共産党系市長が就任し、今回のイベントも市が全面的に支援している。市庁舎には、「民衆サミット」の横断幕がかかっていた。
「グローバル・ヴィレッジ」のテント村はメトロの駅周辺でおこなわれ、一一のテーマごとに場所が決まっている。会場を見て回ると、自由の女神が煙を吐いていたり(持っているプラカードには「汚染の自由」と書いてある)、ノルウエーから来た人たちが「北極海を守れ」という横幕を掲げ、シロクマのぬいぐるみを着てアピールしているのが目立った。パレスチナ、ソリデール(SUD系のナショナルセンター)、ATTACフランス、CADTM(第三世界債務帳消し委員会)のブースもあった。WSFでもよく見かけるエスペランチストのブースも。おそらく百を超える団体・グループがブースを出しているだろう。
主催者のアルテルナティバによれば、二日間で二万八〇〇〇人の人が訪れたそうである。この「グローバル・ヴィレッジ」は、大道芸やバンド演奏、有機栽培の野菜や加工品(ジャム、チーズ、ハムなど)を売る露店など、全体としては巨大な「お祭り広場」みたいな側面も持っている。その一方で、ブースの中では真剣な質問や議論も行われていて、非常に面白い企画だと感じた。

「196脚の椅子サミット」

 一二月六日には、モントロイユ市庁舎近くで「一九六脚の椅子サミット」が開かれた。租税回避に一役買っている銀行から持ち出した一九六(COP21参加国・地域数)脚の椅子を並べて、「民衆議会」的なイベントとなった。
このイベントは、気候変動対策のために必要な資金を、租税回避(欧米の銀行が主導して行っている租税回避の総額は二〇兆ドルにのぼる)をやめさせることで捻出しようというのが狙いで、これをCOP21に対する民衆側からの提案にするためである。
それに先立って、一二月三日一〇時からBNP本社前で、ATTACフランスなどがアクションをおこなった。約三〇〇人が集まり、本社正門前の集会と同時にバスティーユのBNP支店から別動隊が六脚の椅子を持ちだしたとのこと。このあたりは日本の感覚では理解しにくいのだが、椅子を持ちだしても特に警察が呼ばれることもないようだ。私は、行く場所を間違えたらしく、その場に参加できず残念な思いをした。
六日正午からの「一九六の椅子サミット」では、トラックで運び込んだ一九六脚(以上)の椅子を抱えながら、スローガンを叫んで会場まで運んだ。私も一脚かついで、列に加わる。スタッフが広場の中央に誘導し、地面に書かれた三重の円に沿って隙間なく椅子を並べていく。「サミット」開会後、まずスーザン・ジョージがあいさつ、「銀行が持っていた椅子が人民のものになった」と宣言して大きな拍手を浴びた。
続いてバスク地方の歓迎のダンスがバイオリン伴奏で披露された。さらに、この「民衆議会」の宣言がフランス語と英語で読み上げられた。ペルーのビアカンペシーナのメンバーもスピーチ。その中で、掛け合いのシュプレヒコール、” I say People, you say Power” ”People!” ”Power!” を全員で叫んだ。最後に、男性の歌手が歌を披露し、サビの部分をみんなで唄った。これでイベントは終了。みんなで椅子を運んで、後片づけした。これも非常にユニークな発想のイベントで、運動の多様性を実感できた。

パリ・コミューンゆかりの地


一二月二日午前中、ペール・ラシェーズ墓地を訪問した。この墓地には、パリ・コミューンの最後の戦士が虐殺された「連盟兵の壁」がある。パリ最大の墓地として、多くの著名人のお墓があって、好きな人にとってはそれを回るだけで一日過ぎてしまうだろう。
「連盟兵の壁」は壁に沿った細い道を歩いていくと、墓地の一番奥にあった。パリ・コミューン敗北の日(一八七一年五月二八日)、最後まで墓地に立てこもって抵抗を続けた一四七人が倒れた場所である。壁には記念プレートが嵌め込まれ、今でも訪れる人が絶えないのか、花束が置かれていた。
「ぺエル・ラシューズは、午後四時に敵の包囲に陥ちたが、六時まで敵の進出を食い止めた。十門の大砲と二百名の連盟兵が立てこもっている。(略)六時になると、墓地の正門を大砲で破砕し、墓石の陰に隠れたコミューン兵に攻撃が加えられた。逃げ場はない。所嫌わず白兵戦を展開し、夕闇が迫った後にもこの絶望的な戦闘が続けられた。そして最後まで闘って捕虜となった戦士たちは、墓地の東南隅の石の壁の前に立たせて順に銃殺された。『連盟兵の壁』と名付けられ、毎年、パリの労働者が集まって花で埋るのが、この場所である」(大佛次郎「パリ燃ゆ」、朝日新聞社)。
近くにはナチス・ドイツに抵抗したレジスタンス闘士のお墓もいくつかあった。パリ・コミューンやレジスタンスの闘いに思いをはせ、しばし黙祷を捧げた。

パリでの食事雑感


バスティーユ広場近くのカフェで、日本からの参加者やパリ在住の仲間とともに、パリで初めてのランチ。「本日のムニュ(セットメニュー)」は、チキンの煮込み、細切りにした野菜添え、ライスのプレートで一一ユーロ、食後にショコラ(ココア)を頼んで三・五ユーロだった。日本円でプレートが一五〇〇円近くするのは高いという印象だが、ヨーロッパでは安いほうだと聞いてびっくりした。
初めての夕食も、会議終了後八時過ぎから同じカフェで、フランス人参加者も交えてのディナーとなった。ムニュが売り切れで、私はフランス在住の方々のお薦めもあり、「血のソーセージ(ブダン)」を注文した。
この料理は「食肉加工処理の際にとっておいた豚の血を挽肉など他の材料とともに、腸などのケーシングに詰めて加熱して作る」のだそうで、フランスで普通に食べる家庭料理とのこと。付け合わせは、マッシュポテト、リンゴの煮物。もちろん初めての経験である。食べてみると、思ったほど生臭さはないものの非常に癖のある味。言われなければ「血」を食べているとは思わないかもしれない。でも、最後までは食べ切れずに残してしまった。
これが一一ユーロで、アルザス地方のビールと赤ワインを少し飲んで、二〇ユーロの支払いだった。この後、結局フレンチは一回も口にすることなく、もっぱらホテル近くのコリア料理、中国料理の店で夕食をとることになった。それだけ「血のソーセージ」の印象は強烈だったのだ。

SUD―PTTの活動家とのインタビュー

 今回の目的の一つを果たすべく、SUD―PTTの事務所にお邪魔して、組合専従のケレンさんにインタビューした。SUD―PTTは独立左派系の郵政関係労働組合で、事務所はパリ東部ベルヴィルの高台にあって、パリ市街がきれいに見下ろせるロケーションである。三階建ての建物をSUD―PTTパリ支部、全国本部、SUD―テレコムなどが使っている。
フランスでは、労働者による投票での支持率に応じて、企業から労働組合の専従費などが支出される仕組みで、ケレンさんの賃金も郵政当局から出ていると聞いた。
非常事態宣言延長後の人々の反応について、ケレンさんは以下のように説明してくれた。
「非常事態宣言に対する世論や人々の反応は少々複雑だ。テロの翌日は、圧倒的多数の人々が非常事態宣言に納得していた。延長に際して、五七七人の国会議員のうち、緑の党の五人(一七人中)、社会党の三人が反対投票しただけで、共産党は賛成票を投じた。ただ、三カ月間の延長によって政治的社会的自由を制限し続けることに対しては、CGTもSUDも異議を唱えている。これを裁判官の司法組合、人権連盟、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、フランス弁護士組合などが支持している。一般市民も、宣言を延長して言論や行動の自由を制限することについて考え始めている。テレビのコメンテーターも、最初と違ってだんだんとおかしいと言い始めている。しかし、多国籍企業所有の右寄り民放テレビ・新聞を見ている人たちの多くは、今なお非常事態は全く当然のことで問題ないと確信している」。
また、原発に対する労働組合のスタンスについては、「私たちは、原発は恒久だというプロパガンダの国にいる。電気の七五%が原発によるものだ。メディアは、フランスは原発のおかげで地球をそれほど汚染していないと主張している。チェルノブイリや福島を見ても、政府とメディアの宣伝によって世論に大きな変化はない」。
「ソリデールは『Sortir du Nucléaire』という脱原発運動体の創設メンバーで、福島の事故以前から活動してきた。SUD―エナジーというエネルギー関係の労働組合があり、フランス電力会社員が主流で、原発の安全面、下請け会社の労働条件など原発労働者を守る活動をしている。最近はウラン鉱山があるニジェールでアレバ(フランスの原発企業)が何をしているかを追及して頑張っている。しかし、原発部門の労働者を組織するとき、脱原発を大々的に打ち出すのは簡単ではない。エネルギー部門では大きな力を持つCGTは原発賛成である。共産党も『エネルギーの独立性』という名目でフランスの原発維持に賛成しているので、それゆえに左翼戦線も原発に対する明確な主張を持つに至っていない」との説明だった。
(つづく)


もどる

Back