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    かけはし2015.年6月1日号

「大阪市解体」住民投票は辛うじて橋下構想に拒否の意思を示した!


5・17大阪市住民投票結果を分析する (上)

人びとはどのように反応したか

今後の課題をどう設定すべきなのか



 大阪市解体・特別区設置(いわゆる「大阪都構想」)への賛否を問う住民投票が五月一七日に行われ、わずか一万票の差ではあったが、反対が賛成を上回り、「都構想」は否決された。テレビの速報では開票率九八%まで賛成票が上回っているという薄氷を踏む勝利ではあったが、この住民投票勝利の意義はきわめて大きなものである。もし負けていた場合にどういう事態が進行していたであろうかを想像すれば、そのことがよく分かるだろう。
 ここでは、この住民投票の分析を試みるとともに、前哨戦としての地方選結果の分析、住民投票勝利の持つ意味、今後の課題などを考えてみたい。

地方選では決着を持ち
越された「都構想」

 大阪の統一地方選は、住民投票の前哨戦として大きな注目を浴びていた。結果として、ここでは明確な民意が示されたとは言えず、決着は住民投票に持ち越されることとなった。つまり、橋下・維新は、大阪府議会、大阪市議会、堺市議会で第一党を占めたが、いずれも過半数には至らず、後半戦においても府下の市議会選で上位当選をほぼ独占したものの、吹田・八尾・寝屋川の市長選で三連敗したからである。
統一地方選の結果をもう少し詳しく見てみよう。まず当選者数を見ると、維新は大阪府議会(定数八八、今回から二一削減)で四二(さらに選挙後に一人が会派入り)、大阪市議会(定数八六)では三六、堺市議会(定数四八、前回より四減)においても一四議席を獲得した。いずれも第一党だが、前回は過半数を制した府議会でも過半数には至らなかった。これに対して、自民は府議会では二一と八議席増だったが、市議会、堺では微増にとどまった。公明は三つの議会でほぼ現状維持。しかし、民主系は府議会でわずか一議席(改選前一〇)、市議会では全敗(改選前一一)、堺でも二(改選前五)と大惨敗であった。全国的には議席を伸ばした共産も、大阪では議席を増やすことができなかった(府三、市九、堺六)。
後述する住民投票との関係でより重要なのは、各政党の得票数であった。二〇一四年一二月の総選挙結果(比例)と大阪市議選とを比べると(投票者数はどちらも一〇二万人台)、全選挙区に候補者を立てた維新は約三七万票で、総選挙の比例票よりも四万票上積みしている。自公民共が候補者を立てず、ほぼ信任投票となった昨年の大阪市長選で、橋下市長は三七万七〇〇〇票を獲得しているから、三五万プラスマイナス三万程度が維新の固定票ということができよう。
一方、共産はほぼ比例票と同じ一四万七〇〇〇票(七〇〇〇票増)。選挙協力したと言われる自民・公明は、合計すると三万四〇〇〇票減らして、三八万票である。民主は、立候補した選挙区では、惨敗した総選挙の比例票にまったく上積みできず、「敗れるべくして敗れた」という結果となった。
地方選の後半では、各市議選で維新の各候補が他を圧倒する高得票を得て、軒並み上位当選した。しかし、得票数で見ると、いずれの市でも、総選挙の比例票を下回る票数だった。もし住民投票で特別区設置が決まると、堺市を含む他の市町村でも、市域を分割しない限りは議会での多数決で特別区への移行を決めることができる。したがって、住民投票の結果次第では公明のさらなる動揺を誘い出して、維新・公明で過半数をとっている堺市の特別区移行という「悪夢」が現実化する恐れもあった。

予想を超えた投票率の高さ

 今回の住民投票は、大阪市をなくし、五つの特別区を新たに作るという協定書案に対して、「賛成」あるいは「反対」を投票用紙に書くという二者択一の選挙だった。先行する諸選挙での投票率を考えると、当初は「低い投票率の中、賛成が多数を占める」という事態が予想され、われわれの運動も「投票所に足を運ぼう」という訴えから始まるという側面があったくらいである。しかし、フタを開けてみると、四月二七日の住民投票告示以降、まず期日前投票の出足が好調だった。結果としては、有権者の一七%にあたる三五万九二〇三人が期日前投票を行った。これは、投票総数の約四分の一に相当する。しかも、通常の選挙ならその多くが期日前投票に行くと言われる公明党支持者がほとんど期日前投票には行かなかったという情報もあり、この多さは注目すべきものだ。連日繰り広げられる激しい選挙戦は多くの市民にとってかなりのストレスであり、早く投票に行って気持ちを楽にしたいという心理が働いたのかも知れない。
住民投票の投票率と先行した選挙の投票率を比較したのが表1である。
総選挙や市議選と比べると、二〇%近く高く、橋下・平松の一対一で熾烈な選挙戦が展開された四年前の市長選挙(知事とのダブル選挙)よりもさらに高い投票率である。われわれの予想では、投票率が上がれば賛成票(維新の支持者に限られる)は過半数に届かないだろうと考えていただけに、この高い投票率で接戦となったことは驚きだった。

基礎票から大きく
上積みした賛成票


住民投票での賛成票は六九万四八四四にのぼり、有効投票数の四九・六%だった。これは、従来の選挙で示された維新・橋下の基礎票から大きく上積みされた票数である。表2には、先行する選挙での維新・橋下の票数を示した。
ちなみに二〇一一年の市長選挙では橋下は七五万票を獲得しているが、このときは自民・公明が橋下を支持しており、また、当時の民主党政権に失望した層の支持を結集していたので、維新・橋下の基礎票はそれほど多くなかったと想定される。
地方選分析の項でも書いたように、橋下・維新の基礎票は三五万プラスマイナス三万程度である。出口調査の結果を見ると、維新支持層の九六・九%が賛成票を投じている。したがって、今回の住民投票では、この基礎票とほぼ同数の賛成票が新たに上積みされたことになる。
この賛成票は、どこから来たのかを考えてみたい。その際の資料となるのは、当日の出口調査の結果である。ここでは、共同通信、毎日新聞、毎日放送、産経新聞、関西テレビによる共同調査を使う。ただし、期日前投票についての出口調査結果は明らかにされていないので、期日前と当日の投票行動は同一であるとの仮定に基づいて、維新以外の政党支持者からの賛成票を計算してみよう。
この表3で特徴的なことは、自民党支持者が維新によって大きく切り崩され、四割以上が賛成に回っていることである。これは、保守層が維新・自民に分裂している中で、安倍首相や菅官房長官が「都構想」に理解を示す発言を繰り返し、選挙戦終盤には菅が「(自民と共産が同じ宣伝カーに乗っていることに対して)個人的にはまったく理解できない」などと発言したことが影響していると思われる。
橋下・維新の基礎票にこれら政党支持者からの賛成票を加えると、残り約二二万がいわゆる「無党派」層からの賛成と考えられる。

何とか過半数を保った反対票


一方、反対票は七〇万五五八五だったが、それを分析してみると、以下の表4のようになる。
したがって、出口調査から考えられる維新以外の党派からの反対票は四九万票足らずとなる。差し引くと、二一万強がいわゆる「無党派」層からの反対と考えられる。いわゆる「無党派」層は出口調査回答者のうち三三%を占めていて、その賛否はほぼ拮抗していた(賛成五〇・八%、反対四九・二%)ので、以上の量的分析の数字と一致していることが分かる。
この中では、投票日直前まで、「自主投票」を決めた創価学会からの圧力によってほとんど表だった反対運動に取り組めなかった公明党支持者が共産党支持者とほぼ同じ反対率であることが特徴的である。維新からは創価学会へのさまざまな働きかけが行われた。最後には、特別区設置が可決された場合に公選となる特別区の区長の枠を譲るから、賛成票を回して欲しいとの申し入れもあったらしい(「読売」五月一九日付)。
公明党議員へは「目立った反対運動をするな」「党員でない創価学会員を運動に参加させるな」と創価学会から圧力がかかり、支持者を集めたミニ集会をするにも大変だったという。創価学会からは、下部学会員へ「都構想」の説明もなく、反対運動が「解禁」されたのは投票日の三日前とのことで、チラシもそのあと一万枚だけ印刷したと伝わってきた。にもかかわらず、公明党支持者の最後まで反対が崩れなかったのは、橋下・維新への反発がそれほど強かったことを示している。

世論調査、出口調査と
投票結果

 今回の住民投票では、事前の世論調査と投票結果との間に著しい乖離が生じた。たとえば、投票日一週間前の世論調査では、共同通信、毎日新聞、毎日放送、産経新聞、関西テレビの共同調査が反対四七・八%、賛成三九・五%、朝日新聞が賛成三三%、反対四三%、その他・答えない二四%であり、読売新聞にいたっては賛成三四%、反対五〇%という数字で、反対が賛成を大きく上回っていた。しかし、実際には僅差となった。
同様の乖離現象は、イギリス総選挙においても見られ、調査方法の問題が指摘されていた。住民投票をめぐる世論調査についても、同じように調査方法に問題があると指摘されている。それは、世論調査が固定電話を対象にして無作為に番号を抽出して行っているため、維新・橋下の中心的支持層である三〇?五〇代の男性が対象となりにくいという点である。
さらに、出口調査では、賛成五一・七%、反対四八・三%と賛成が多く、これに従えば賛成が反対を三万五〇〇〇票上回っている計算になる。にもかかわらず、開票結果は反対多数となった。これには、二つの理由が考えられる。つまり第一には、出口調査は男女同数で行うので、女性が男性よりも一〇万ちかく多く投票し、かつ出口調査では反対と答えた人が多かったことが反映されていない。
そして第二に、期日前投票で反対票が多かったという理由である。事実、期日前投票の前半では四:六で反対有利という出口調査結果が伝わってきた。しかし、実際には投票日が近付くにつれて、一転して賛成有利が多くなっていったと言われている。

「地域間」「世代間」の差を
強調するメディアでの言説


表5は、各区ごとの賛否を示したものである。網かけした部分は、他と比べて高率、ないしは低率になっていることを示している。これを見ると、北区で賛成が反対を一八%上回っているのが目立つが、それ以外は賛否の差はおおむね一〇%以内におさまっていることが読みとれる。メディアの一部やネット上では、大阪市内の南北格差を指摘したり、「高齢者の多い区は反対多数」「生活保護の多い区は反対多数」などの言説が飛び交っていたが、それほどの差はないと言っていい。むしろ各政党の基礎的な組織力や今回の運動での重点の置き方で説明がつく範囲だろうと思われる。
また、「都構想」を擁護する論者たちからは、「シルバーデモクラシー」とか、「老人が若者の夢を奪った」とかの言説もまき散らされている。
たとえば、これまで出演番組を通じて幾度となく橋下を持ち上げてきたテレビキャスターの辛坊治郎は、投票日翌朝の生番組で「やっぱ高齢者の方で、生活保護受けてて、いまの大阪市のゆるい生活保護基準だから生活保護受けられるけれども、きめ細かい行政で行政単位が小さくなって生活保護受けられなくなっちゃあ困るとか」「市バスとか地下鉄、高齢者がタダだったやつを橋下徹が一部カネ払わなきゃいけなくなって、それだけでも腹立ってんのに、今後さらに市のタダのバス……若干払ってますけど、タダのバスとか地下鉄の切符を取り上げられたらたまんねー!っていう人たちが、もう圧倒的に反対派の方向に舵をきったというのが、結果ですね?」と高齢者や貧困弱者を攻撃した(読売テレビ・一八日早朝番組「朝生ワイド す・またん!」)(注)。
これに対しては、ネット上でも「現役世代の投票率が少なすぎたのです。今、現役で働いている世代こそ、一番、大阪『都』構想に白けきっていたと。少なくとも、今バリバリ働いている人たちも、『大阪都構想こそ大阪の未来のためになるから積極的に実現させよう!』という気はなかったということです。橋下維新の敗北は、シルバーデモクラシーではない。シルバー世代の意見が通ったのではない。彼らの大阪『都』構想が、現役世代にとって魅力がなかった、現役世代を説得できなかったのが敗因なのです」などと反論も展開されていた。
もう一つ見逃せないのは、この住民投票が橋下に対する信任投票的側面があったことをメディアは意図的に軽視ないしは無視しているように思える点である。実際、選挙戦終盤では、「橋下徹を見殺しにするな」(維新の党・江田代表)など、維新の側から橋下への信任投票に持ち込んで、劣勢を挽回しようという動きが見られた。出口調査でも、橋下に対する支持・不支持と住民投票の賛成・反対は、九〇%以上リンクしていた。しかし、関西メディアは、記者会見で執拗に橋下市長の引退言明を覆そうとする質問を繰り返した読売新聞を筆頭に、おおむね橋下再登場待望論なので、この側面に触れないようにしているのではないだろうか。
(注)同じ番組では、辛坊は「まあ、西成区なんかは生活保護が極めて多いところということで、まっ、どっちかっていうと大阪でも、うーん、微妙な言い方をしますけれども、弱者と見られる人が多いところは反対が多数になった」とも言っている。ジャーナリストとしての最低限の節操すらない輩である。

住民投票勝利の歴史的意義

 僅差とは言え、住民投票に勝利したことの意味は大きい。最初にも書いたように、勝利と敗北とでは天と地ほどの差がある。この住民投票は、安倍首相・菅官房長官が改憲のパートナーとしての橋下を擁護したこと、大阪市以外の自治体の首長からも「都構想」への期待が語られていたことから、全国的な焦点ともなった。もし、橋下・維新が勝利していたら、それはすなわち安倍政権の勝利でもあり、一気呵成に改憲へと突き進む勢いが生まれたことは間違いないであろう。また、新自由主義的な自治体再編に弾みがついていただろう。この勝利は、そうした勢いをいったんストップさせ、一定の歯止めをかけたことを意味する。つまり、安倍=橋下ラインによる改憲への流れを瀬戸際で食い止め、われわれにとって束の間の「時間稼ぎ」をすることができたのである。
特に、今回の住民投票が、最初から改憲国民投票の「予行演習」として位置づけられていたことを忘れてはならない。橋下は公然とそのことを語っていたし、われわれも十分意識していた。負けられない闘いだったのである。選挙戦において、橋下・維新は九種類のCMを制作し、告示前の四月中旬から投票日当日までテレビで流し続けた。維新が作ったビラは一二〇〇万枚以上、使った宣伝カーは五〇〇台に達した。大阪市内のすべての固定電話に、コンピュータで自動的に電話をかけ、橋下の肉声テープを流す宣伝活動も行った。維新の投じた資金は五億円を超えたとも報じられている。その出所は大半が政党助成金であろうと想定される。
こうした宣伝攻勢に対して、都構想反対の諸政党が支出できた選挙資金は、数千万円ずつは使っただろうと言われる自民党、共産党を含めて、一億円にも満たないだろう。空中戦、正面戦では圧倒的に劣勢だったのである。にもかかわらず最後に勝利できたのは、政党だけでなくさまざまな草の根的な人々の運動の盛り上がりなしには考えられない。同じ一七日、沖縄で三万五〇〇〇人の県民集会が開かれ(さらに言えばハワイでオスプレイがまたも墜落し)たことはまさに象徴的であったと言わなければならない。
(つづく)

(JRCL関西地方委/大森)

5.21狭山事件再審求める市民集会

不当逮捕50年―証拠開示バネ
に事実調べ、再審開始を


最大終のヤマ
場をむかえて
五月二一日、東京日比谷野外音楽堂で「不当逮捕52年!証拠開示バネに事実調べ・再審開始を!」狭山事件の再審を求める市民集会が同実行委の主催で開催され、全国から部落解放同盟や解放共闘の仲間たちが集まった。
四角佳子さん(元「六文銭」)のミニコンサートが開会前に行われた。組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)が開会のあいさつを行い、政党から福島みずほさん(社民党)、福山哲郎さん(民主党)がそれぞれ連帯のあいさつを行った。
石川一雄さんが「寺尾判決以降最大級の山場を迎えている。石川一雄の無罪を。今年中に結論が出るために、事実調べをさせなければならない。犯行現場近くにOさんがいた。ご高齢だが法廷で証言して確かめてほしい。そうすれば警察によって犯行現場が作られたことが分かる。見えない手錠をはずさなければならない。大きな風を吹かしてほしい」と訴えた。
中北龍太郎さん(狭山弁護団事務局長)が開示された証拠から、石川さんの無実が明らかになっていることを紹介した。
「再審に向けて着実に前進している。二〇一四年一〇月に裁判長が証拠物リストの開示を検察に要請し、二〇一五年一月に東京高検は二七九点の証拠リスト(未開示の44点を含む)を開示した。どんな証拠があるか明らかにされた意義は大きい。万年筆が発見された略図問題がある。石川さんに万年筆の隠し場所を書かせ、それに基づいて捜査し、万年筆を発見したことになっている。二回の捜索で発見できなかった。略図が改ざんされたことが開示された取り調べテープによって明らかになった。取調官は略図はいらないと言っている。それゆえ自白調書に添付されていない。家の中の見取り図しか書いていない。捜査本部幹部が鴨居の上にあると図に書き入れ、その後捜査を指示し、発見した。略図は改ざんされた。略図は三年間たらい回しにされ、隠されていた。狭山署、浦和地検などが証拠を持っている可能性がある。取調べテープによってすべてのウソが明らかになっていて、非常に重要だ。自白は信用できない。でっち上げである」。

えん罪被害者の
連帯アピール
西島藤彦さん(部落解放同盟中央本部書記長)が基調提案を行った。
「@東京高裁・高検への要請ハガキの取組みA事実調べを行わせるために、さらなる証拠の開示が必要。世論の広がりをつくる。映画『SAYAMA 見えない手錠』の全国上映運動をさらに行う」。
えん罪被害者らの連帯アピールが行われた。袴田巌さん、お姉さんの秀子さん、山崎俊樹さん(袴田さんを救援する清水・静岡市民の会)。四七年七カ月死刑囚として拘禁されていた袴田さんは「自分が宇宙を支配している。えん罪者を救出する」と宣言した。
菅家利和さん(足利事件)は「いまだ警察・裁判官を許せない。これは一生消えない」と語った。杉山卓男さん(布川事件)は「石川さんの仮釈がなかったら、無期の判決を受けて無実を訴えている我々に仮釈はなかっただろう。私は心臓が悪くて手術する。がんばって戻ってくる。再審開始決定を受けて喜びあいたい」と話した。桜井昌司さん(布川事件)は「四二年間闘って三回やめようと思った。えん罪仲間として力をつくしたい」と述べた。
次に、神田香織さん(講談師)が市民の会としてアピールした。東京高裁前で二〇人から三〇人で毎週行動している仲間たちが横断幕を掲げて運動の報告を行った。集会アピールを採択し、鎌田慧さん(市民の会事務局長)がまとめのあいさつを行い、銀座・東京駅方面に向けてデモ行進を行った。狭山第三次再審を実現しよう。    (M)



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