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    かけはし2015.年5月18日号

死に行く権力に刃をかざす慣習


浮き雲は暴雨となるのか

大統領任期3年目に始まる「不正・腐敗追及」



 共同通信は4月21日、韓国・聯合ニュースが同日未明、韓国の李完九(イ・ワング)首相が、南米歴訪中のパク・クネ大統領に辞意を伝えたと報じていることを紹介した。自身に対する裏金疑惑が理由と見られるとも伝えている。イ首相は2013年の国会議員再選挙に立候補する際、建設・開発会社「京南企業」ソン・ワンジョン会長から3千万ウォンを不正に受け取った疑いがもたれていた。
 これに先立ち韓国検察はイ・ミョンバク前政権が海外で展開した資源開発事業などに絡む不正資金についての捜査を進めていたが、この過程で取り調べを受けていたソン・ワンジョン会長が4月9日、山中で自殺。その遺品やメモなどから政界関係者の不正資金疑惑が浮上し、イ・ミョンバク政府の関係者だけではなくパク・クネ政府の歴代秘書室長など現政府関係者の名前も登場した。イ・ワング首相の件もその一環だった。韓国では大統領(1期5年制)の任期3年目あたりからレーム・ダック化を恐れる現政権が前政権の「不正・腐敗」を暴くことが「慣行」のように行われてきたが、今回は前政権への批判どころかパク・クネ政府の経済政策の不振、セウォル号をめぐる対応の失態、公安政治への強硬路線などとあいまって現政権への批判が増大する要因となりかねないだろう。(「かけはし」編集部)

 「雲」のように掴みどころのないうわさが立っていたあれこれの話は、どこに流れていっているのか。検察はなぜ、今この瞬間に風を巻き起こし風を煽っているのか。
イ・ミョンバク前大統領をめぐって何年もひどい臭気を漂わせていたさまざまな非理の疑惑についてのことだ。「不正・非理を行った人物は処罰されなくては」。イ前大統領はことさらに淡々とした風情だった。最近、検察が資源外交やポスコの不正資金などイ・ミョンバク政府時代の非理疑惑の捜査にスピードをあげていることに示した最初の反応だ。イ・ドングワン元青瓦台(大統領府)広報首席が「週初めに他の用事でお会いしたところ、このように話された」として3月18日に行われた総合編成チャンネルで伝えた話だ。

このような捜査は「よくあること」

 「雲を掴むような話をするというのか」(昨年12月、「資源外交の国政調査に証人として出席するのか」という記者の質問に対するイ元大統領の答弁)よりは地上の世界へ何段か下りてきた感じだ。MB(イ・ミョンバクの略称)の取り巻きたちは不快な思いを隠してはいない。「政権が変わると(前の)権力の腐敗を引っぱり出す? 契(頼母子講のようなもの)で自分が受け取る番になったというわけでもないのに、なぜいちどきに騒ぐのか」(イ・ジェホ議員)、「実に鳥の頭ほどの思い付きだ。歴代政府はレイムダック現象を反転させたいという意図で(大統領の任期3年目にさしかかると)企業への捜査をしたりしたが成功したケースは1つもない」(チョン・ビョングク議員)。
明らかに検察の動きは尋常ではない。検察は3月13日、ベトナムで100億ウォン台の不正資金を造成した容疑でポスコ建設を、続いて17日にはポスコ建設の協力企業3カ所を相次いで押収捜索した。翌日の18日には資源外交で特恵を受けたという疑惑が起きている京南企業と韓国石油公社を同時に押収捜索した。ソン・ワンジョン京南企業会長は2008年、イ前大統領の大統領職引き継ぎ委員会の専門委員として活動した。偶然ではなく、ポスコはイ・ミョンバク政府の5年の間、イ・サンドゥク元議員、パク・ヨンジュン元知識経済部次官らとゆ着したといううわさが口の端にのぼった企業だ。検察は彼らを同時多発的に訪れた。はたして偶然の一致だろうか。
「資源外交であれポスコであれ、結局はMBを考えて捜査していると見るべきだ。方向が一緒だ。今ならもう『いいのか』という問題を離れて、『よくあること』だ」。ソウル中央地検特捜部出身のK弁護士は語った。検察の背後には青瓦台がいる。「検察はいつも政権の初期には積極的に協力し、中盤にさしかかると政敵を除去し、政権末期になると権力に対していつも一定の距離を維持するというありようを繰り返してきた。特に以前の政権に対する捜査は青瓦台の意志がからんでいると見なければならない」(検察出身のN弁護士)。
実際に検察が押収捜索に乗り出す前日の3月12日、イ・ワング国務総理(首相)は「不正腐敗を根本からなくしていく」という内容の緊急の国民に対する談話を発表した。海外資源開発における不実投資、大企業の不正資金助成などが代表的な不正腐敗として挙げられた。パク・クネ大統領も3月17日の国務会議(閣議)で「今度こそは非理の根っこを追及しなければならない」と強調した。政治権力と検察が事実上、一体となった動き、というわけだ。
そうならば、パク・クネ政府と検察の狙いは何なのだろうか。前大統領とその側近の非理捜査は初めてのことではない。キム・ヨンサム元大統領はノ・テウ元大統領の不正資金事件を断罪することによって軍部政権との線引きに成功したし、イ・ミョンバク元大統領はノ・ムヒョン元大統領に対する検察捜査を利用して自身の政治的危機を突破しようとした。過去と現在の捜査は何が似ていて、何が違うのだろうか。

こじれた政局解決の「一刀」

 第1に、時期の問題。権力型非理事件、特に前職大統領に対する攻撃は主として現政府の危機状況であらわれる。イ・ミョンバク前大統領は就任してから100日にもならずに火の渦に包まれた。イ前大統領が青瓦台の裏山に登り、デモ隊の歌う〈朝露〉を聞いて国民への謝罪をしてから1カ月余り後の2008年7月、国税庁はテーグワン実業に対して特別税務調査に乗り出した。続いて検察はパク・ヨンチャ・テーグワン実業会長が政・官界の人々に繰り広げた税務調査についての手加減請託のロビー活動を調査するとの名目で、ノ・ムヒョン前大統領の周辺をバタバタと洗った。政治検察の明白な狙い打ち捜査だった。
パク・クネ大統領は今年、執権から3年目にさしかかった。任期5年の折り返し点を回れば、国政への掌握力は急速に低下する。おまけに与党でさえもが不協和音を奏でている。パク大統領は今年初めに支持率が30%以下に下落するとともに危機を経験した。また、失業率を初めとする体感経済指標は最悪だ。「命令」もよく行きわたらない。大統領がこの2月に直接、10大財閥グループの会長団を青瓦台に招き経済再生への協力を求め、チェ・ギョンファン経済部総理が賃金引き上げについて声高に語っているものの、財界の雰囲気は煮え切らない。重苦しい政局を克服していく「一刀」が必要な時だった。
こういう時に登場する定番メニューが、不正腐敗との戦争だ。キム・デジュン元大統領も執権3年目にさしかかる直前の1999年10月、大統領の直属諮問機構である反腐敗特別委員会を設けた。検察も反腐敗特別捜査本部を新設して政権の要求にこたえた。パク・クネ政府が、MBはともかくも財界を圧迫したのは明らかだ。新世界、ロッテ、東部、SK建設などが検察捜査の線上に見え隠れすると、財界はぐっと緊張した。
第2に、対象の問題。検察が非理問題で前職大統領を召喚調査したケースは今日まで全部で2度(5・18特別法の制定によって拘束されたチョン・ドゥファン元大統領と通貨危機の捜査に関連して1998年に検察の書面調査に応じたキム・ヨンサム元大統領のケースは除く)だった。ノ・テウ元大統領は在任期間中に数千億ウォンの秘資金(注)を造成した容疑で1995年11月、大検(最高検)中捜部で召喚調査を受け、拘束された。ノ・ムヒョン元大統領は2009年4月、パク・ヨンチャ・ゲートに関連して大検に召喚された。
目をこらして見るべきは、検察が「死んだ権力」を相手に闘ったという点だ。普通、検察は「生きている権力」に背を向けない。もちろん、燃えさしの火の粉が予想外に撥ねるということもある。トンファ銀行の秘資金事件から触発されたノ・テウ元大統領の秘資金捜査がそうだ。検察は1993年、トンファ銀行の捜査をするとともに「第6共和国の秘資金口座」を発見したものの、以降1995年にパク・ケドン議員が国会でノ前大統領の秘資金口座の紹介表をかざして問題になる時まで本格的な捜査に乗り出さなかった。青瓦台が動けというシグナルを与える時まで待っていたわけだ。
いまだイ・ミョンバク前大統領を「死んだ大統領」と見るには早い。首都圏地域のT部長検事は「政権自体が代わって捜査するというのならいざ知らず、イ・ミョンバク政府の人士たちとパク・クネ政府が完全に断絶したわけでもないがゆえに、捜査はより難しいのだろう。だから政権初期には(MB関連)の捜査ができなかった」と語った。特捜部検事出身のK弁護士も「ポスコは明白な非理が確認されてスタートがたやすかったけれども、そこ(MB)まで行くのかなと思う。イ前大統領にまで達するのは容易ではないだろう」と見通した。

パク・クネ側近にまで及ぶか?


だが検察がいつ、だれに照準を合わせるのかは分かりようのないことだ。検察は政権末期になれば「生きている権力」も狙う。キム・ヨンサム政府の末期には韓宝グループに特恵貸し出しをしてやるように斡旋した容疑で息子のキム・ヒョンチョル氏が拘束され、キム・デジュン政府の末期にも息子のキム・ホンオプ、キム・ホンゴル氏が相次いで拘束された。
「腐敗の一掃は検察本来の使命だ。検察は証拠に基づき『非理』を捜査するだけであり、企業や特定人を対象として全方位的捜査をしているわけではない」。資源外交やポスコ捜査の陣頭指揮をしているチェ・ユンス・ソウル中央地検第3次長検事が3月19日の夕刻、記者たちに送ったメールだ。これもまた、どこかでよく聞いた「つかみどころのない雲」のような話だ。(「ハンギョレ21」第1054号、15年3月30日付、ファン・イエラン記者、キム・ソンシク記者)

注 秘資金。企業の公式的な財務監査でも表れず、税金の追跡も不可能なほどに特別管理している不正な資金を総称して指す言葉。主として貿易や契約などの取引において慣例的に発生するリベートやコミッションおよび会計処理の操作などを通じて造成される。

 検察による前職大統領関連捜査の沿革

@検察の捜査方向(※は検察捜査ではない)、A捜査結果。

ノ・テウ政府 @※第5共和国非理聴聞会:1988年Aチョン・ドゥファン前大統領百潭寺隠居
キム・ヨンサム政府 @ノ・テウ前大統領秘資金捜査:1993年トンファ銀行秘資金捜査から始まり1955年に捜査本格化A1995年11月、ノ・テウ前大統領検察召喚調査・拘置所収監
キム・デジュン政府 @※通貨危機の責任糾明のための経済聴聞会:1997年Aキム・ヨンサム前大統領聴聞会への証人出席拒否、側近ら起訴
ノ・ムヒョン政府 @対北送金特検:2003年Aパク・チウォン、イム・ドンウォンらキム・デジュン大統領側近らが起訴
イ・ミョンバク政府 @パク・ヨンチャ・ゲート捜査:2009年Aノ・ムヒョン前大統領召喚調査、ノ前大統領逝去

コラム

遥かなるクルディスタン

 マスメディアの小さな光がクルド人に当たるとき、そこにはいつも悲惨な光景がつきまとう。
 たとえば一九八八年、フセイン政権はクルド人の町ハラブジャを化学兵器で攻撃し、一五〇〇〇人以上を殺傷した。また一九九一年、イラク北部で反フセイン蜂起に参加したクルド人約二万人が殺害され、トルコやイランに逃れたクルド人難民は一五〇万人とも二〇〇万人ともいわれた。そして今日、シリアとイラクの北部で、クルド人は民族の存亡をかけて「イスラム国」と戦う決死の戦線を築いている。
 クルド人が民族的多数派を形成する地域(クルディスタン)の面積は日本の一・八倍におよぶ。その人口は、二五〇〇万人から三〇〇〇万人と推定され、中東ではアラブ人、ペルシャ人、トルコ人に次ぐ民族集団だ。
 クルディスタンは、一四世紀から一八世紀にかけてオスマン帝国とペルシャ帝国が対峙し合う位置にあり、諸々のクルド侯国は、オスマン(一部はペルシャ)内の自治侯国だった。一九世紀に入ってオスマン帝国が弱体化するとともに自治権剥奪に反抗する各クルド侯国による絶え間ない反乱が続いた。その後、第一次大戦によってオスマン帝国が解体される過程で「クルド自治領」をつくる動きはあったが、クルディスタンは、イラン、イラク、シリア、トルコに分割されてしまった。
 しかも、「トルコ建国の父」とされるケマルは、「祖国解放戦争」の中で「トルコ人とクルド人の共和国をつくる」としていたが、権力を掌握すると一転して「トルコにクルド人はいない。かれらは山岳トルコ人だ。クルド語はトルコ語の一方言にすぎない」と、クルド民族の存在そのものを抹殺する苛烈極まりない弾圧を始める。
 以来、クルド人は、分割された地であるイラン、イラク、シリア、トルコのいずれかの政府(さらに米・ソ)と協力あるいは対立しながら、パワーポリテックスに翻弄され続けてきた。そこには、部族主義を民族的利益の上におく傾向がクルド人政治勢力の中に強かったことも作用していた。
 こうした状況に転機をもたらしたのが、一九七八年のクルディスタン労働者党(PKK)の創設とそのもとで八四年から開始された武装闘争だった。トルコ政府の過酷な弾圧下でPKKがとった個々の戦術の是非について、私は判断できない。だが、ひたすら耐え忍ぶしかなかったクルド人にとって、PKKの闘争が「私はクルド人だ」と自己表現する民族的覚醒の重要なテコになったことは確かであろう。PKKは一挙にクルド人の間で最も影響力を有する政治勢力となった。
 PKKは、「民主主義、女性の権利拡大、民族自治」を追求している(「分離独立」は九〇年代から「広範な自治」要求に変えられた)。この点で、中東では特異な、大衆的影響力を有する進歩的政治勢力のひとつといえよう。またシリアでは、PKKの影響下で民主統一党(PYD)が創設され、その武装部隊、人民防衛隊(YPG)がアサド政権や自由シリア軍と一線を画しながら「イスラム国」と戦っている。
 なお、マスメディアの光が当たりにくいクルド人の全体像を学ぶための本を一冊だけあげるとすれば、『クルド人とクルディスタン』(中川喜与志、南方新社)だろう。 (岩)


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