4.17
安倍首相と翁長知事が「会談」
沖縄の民意はゆるがない
官邸前で「がんばれ翁長さん」のアピール
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「問答無用」は
行き詰まった
四月五日、那覇市での翁長雄志沖縄県知事と菅義緯官房長官との会談に続き、四月一七日には首相官邸で翁長知事と安倍首相との会談が実現した。沖縄の闘いが安倍政権を引きずり出したのである。
昨年一一月、沖縄県知事に一〇万票という大差で当選した翁長さんは、幾度も上京して政府との会談を求めたが、安倍政権は一貫して会談を拒否し、辺野古埋め立てを認めた仲井真前県知事には大盤ぶるまいで報いた安倍政権は、振興予算の削減という報復措置を講じたのである。
「辺野古新基地建設」を認めない知事に会う必要などない、という安倍政権の対応は、何よりも辺野古新基地建設のためのボーリング調査強行、洋上抗議行動に対する海上保安庁を使った暴力、さらには現場の指導的メンバーへの刑特法を使った逮捕という強硬な態度に示されている。
「辺野古移設が唯一の解決策」「粛々と工事を進める」という「問答無用」の姿勢は、辺野古新基地のための作業中止支持を出した翁長知事に対して、林芳正農水相に「効力一時停止措置」を出させた安倍政権の対応に示されている。
未来をつくる
チャレンジだ
こうした安倍政権の強圧政治に対して、沖縄の「島ぐるみ」の闘いは、ついに政府との正面戦に入る状況をこじあけつつある。昨年の県知事選で翁長陣営に参加した沖縄の経営者たちは「ヤマト」政府との闘いを支える「辺野古基金」を呼びかけた。「本土」の学者・知識人たちは「辺野古米軍基地建設に向けた埋め立て工事の即時中止を要請する」緊急声明を発し、支持者を募っている。四月から沖縄県はワシントンに代表を駐在させ、沖縄の声を直接米国に届けようとしており、五月末か六月初めには知事自ら訪米して米政府に働きかけようとしている。
翁長沖縄県知事は四月一七日の安倍首相との会談で、「沖縄の米軍基地は、沖縄県民が差し出した土地ではなく、米軍によって強制的に奪われたものだ。それをなぜ『負担軽減』を口実に新しい基地を米軍に差し出さねばならないのか」と強調した。そして四月二六日からの訪米で、沖縄の声をオバマ大統領に届けるよう求めた。
もちろんのこと安倍首相が、オバマ米大統領に「沖縄の声を伝える」ようなことはない。
そうだからこそ「ヤマト」の人びとは、安倍政権に対して辺野古新基地建設の断念、普天間基地の閉鎖、すべての米軍基地の撤去の訴えを多くの労働者・学生・市民の中に広げるとともに、辺野古現地の攻防に参加しよう。
二〇〇人が緊急
行動に起つ!
四月一七日、前日深夜の緊急の呼びかけにも関わらず、午後一時から首相官邸前で「辺野古に基地を作るな、翁長さんがんばれ、政府は沖縄の民意に従え」をテーマに集会が行われ二〇〇人が参加した。呼びかけたのはキリスト教平和ネットと戦争をさせない・憲法九条を壊すな総がかり行動実行委員会。二〇〇人が参加した。
海瀬戸豊さんのアピールにつづき、共産党、社民党などの国会議員から次々に発言し、翁長知事に届け!とシュプレヒコールを繰り返した。
五月一七日の沖縄県民集会、五月二四日の国会包囲アクションを成功させよう! (K)
新基地建設阻止のための
「辺野古基金」を創設
四月九日、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設の阻止を目的とした「辺野古基金」が創設された。基金の共同代表には前嘉手納町長の宮城篤実氏、金秀グループの呉屋守将会長、かりゆしグループの平良朝敬CEO(最高経営責任者)、沖縄ハム総合食品の長浜徳松会長、元外務省主任分析官の佐藤優さん、俳優の故菅原文太さんの妻・文子さんの六人が就任した。記者会見には翁長沖縄知事も同席した。
県内外の賛同者から資金数億円を集め、新基地建設阻止活動を展開する。創設メンバーは普天間飛行場の県外・国外移設を掲げる県政の側面支援に力を入れ、辺野古移設反対を国内外に発信する。
創設メンバーは五月にも総会を開き、使途などを協議する。米紙や全国紙などへの意見広告掲載を通じた世論喚起のほか、米国でのロビー活動など、多様な活用法を検討している。
翌日の四月一〇日には、事務局の金秀本社には問い合わせや激励の電話が三〇〇人からあり、沖縄県外からが八割であったという。辺野古新基地建設を阻止する新たな全国運動として、支援をしていこう。(M)
新基地反対「辺野古基金」の振込先
「辺野古基金」の振込先は次の通りです。
?沖縄銀行県庁出張所 店番号012 口座番号1292772
?琉球銀行県庁出張所 店番号251 口座番号185920
?沖縄海邦銀行県庁内出張所 店番号102 口座番号0082175
?沖縄県労働金庫県庁出張所 店番号953 口座番号3406481
4.12
天皇のパラオ「慰霊」訪問を問う
責任隠蔽儀礼を許すな
彦坂諦さんが講演
天皇・皇后は「戦後七〇年」に合わせて四月八日、九日の両日太平洋のパラオを訪問した。九日には、一万人の日本兵、一七〇〇人の米兵が戦死したベリリュー島で日本政府が建てた「慰霊碑」に深く頭を下げて「慰霊」の行事を行った。
皇太子時代の沖縄訪問にはじまり、戦後五〇年(一九九五年)の東京大空襲や「広島・長崎」の死者への「慰霊の旅」、さらに戦後六〇年の二〇〇五年、サイパン・「バンザイクリフ」(米軍の攻撃から逃げた日本人女性が海に身を投げた崖)での頭を垂れる儀式など明仁天皇と美智子皇后の「戦没者慰霊」への執着は、何を意味しているのだろうか。
そこには明らかに天皇の名において行われたアジア・太平洋侵略戦争と、この戦争によって殺された数千万人にのぼる死者への責任を歴史的に隠蔽する意図があらわになっている。
パラオ「慰霊の旅」にあたっての天皇の「おことば」は次のようなものだ。
「……先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深くしのばれます。私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします」「このたびのパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、さらなる発展に寄与することを念願しています」。
この「おことば」では、天皇の命によってパラオに送られ、殺された兵士たちは「祖国を守るべく戦地に赴いた兵士」とされているが、その兵士たちの具体的な死のありようは消されている。またそこでは第一次大戦以後の南洋諸島の「国際連盟の委任統治」を名目にした植民地支配の過酷で差別的な現実が隠蔽されてしまっている(天皇制日本帝国主義の南洋植民地支配の実態については本紙二〇〇五年六月六日号、一三日号、平井純一「天皇・皇后のサイパン『慰霊』訪問糾弾」参照)。
この天皇・皇后のパラオ「慰霊」訪問は、これまでにも増して各メディアで大々的に報道された。そして「産経」から「朝日」に至る各新聞の論調は、「慰霊」にかけた天皇・皇后の「思い」を競ってほめたたえるという点では全く同じだった。この「慰霊」訪問が戦争国家法案=改憲戦略と一体となった「戦後国家清算」である、安倍の「戦後七〇年談話」とタイアップしていることには、大手メディアは何の言及もしていない。
決着をつけては
いけない「歴史」
四月一二日、象徴天皇制の七〇年を撃つ4・29反「昭和の日」行動と反安保実行委が共催し、東京・水道橋の韓国YMCAで「天皇のパラオ『慰霊』の旅→責任隠蔽儀礼を許すな!4・12集会――殺し殺されるということ」が行われた。集会には五〇人が参加した。
主催者を代表して天野恵一さんがあいさつ。天野さんは、メディアは天皇の「慰霊」を通じて「国民的一体感」を演出しているが、そこで隠蔽されているものは「国際連盟の委任統治」という第一次大戦後の「スマートな植民地支配」の矛盾的実態である、と指摘した。
講演は文学者の彦坂諦さん。彦坂さんは「国際連盟の委任統治」という新たな形態の植民地主義が一種の詐術だったと指摘するとともに、ぺリリュー島での戦闘が、日本軍の徹底抗戦により米軍にも多くの死傷者を出し、上陸から終結まで二カ月半を要した死闘となったことを紹介。しかしそれは日本兵にとっては「全滅」への時間を引き延ばすための「犬死に」に他ならなかった、と述べた。
戦死した将兵は、つねに時の国家権力に利用され、「慰霊」「顕彰」の対象となるが、その時、死の具体的真実は覆い隠されてしまい、ひとくくりに美化され、靖国神社に祀られて意味づけられてしまう。
彦坂さんは、天皇のパラオ「慰霊」報道で、マスコミが「総産経化」している現実を批判するとともに、慰霊のしかたが日本軍人中心から「敵も味方も民間人も」「加害者も被害者もいっしょに、わけへだてなく」という方式に変化している、と指摘。明仁天皇・美智子皇后の行動や言説には、安倍首相の歴史観や国民の歴史忘却への危機感が見られるのかもしれないが(一〇年前のサイパンでは韓国人慰霊碑にも頭を下げた)、「悲しい歴史」というその言葉は、つけてはいけない決着をつけてしまうものではないかと提起した。
質疑応答の後、沖縄の高里鈴代さんを招いた四・二八集会と四・二九反「昭和の日」行動への参加が呼びかけられた。 (K)
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