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    かけはし2015.年4月20日号

「政府見解」が検定通過条件


安倍改憲戦略と中学校教科書

「政府」の立場を押し付けるな

過去を直視し、アジアの人々と共に


安倍改憲戦略
と学校現場

 安倍自民党政権は、来年(二〇一六年)に焦点を合わせて、憲法改悪へのタイムスケジュールを設定し、そのための準備を周到に進めている。「一八歳以上選挙権」法案(われわれは選挙権・被選挙権年齢の引き下げそれ自体については賛成である)すら、改憲国民投票への準備として位置付けられている。
集団的自衛権行使容認閣議決定、そのための法制化(戦争法案)と今国会での成立の動き、「積極的平和主義」の宣伝と「未来志向」の「戦後七〇年談話」の作成、「竹島」「尖閣諸島」などの「領土」問題の本質が一九世紀以来の植民地主義(日清戦争、日露戦争をふくめて)にあることを徹底的に覆い隠す主張など――安倍政権とその翼賛メディアによる「戦後七〇年」のキャンペーンは、「戦後憲法」体制の残された枠組みを最終的に始末してしまおうとする戦略に裏打ちされている。
その大きな焦点の一つが学校教育をめぐる攻防である。すでに「日の丸・君が代」強制に従わない教員に対する大量処分によって学校現場での自由は大きく奪われてしまっているが、安倍政権の下での教科書への「検定基準」の国家の側からの統制強化も、いっそう目立ったものになった。
安倍首相は、二〇一三年四月に国会答弁の中で検定基準の見直しを提起し、二〇一四年一月に文科省は社会科の検定基準に「政府見解がある場合はそれに基づいた記述」「近現代史で通説的な見解がない数字などはそのことを明示」などを追加することになった。
この新検定基準の下で、二〇一六年度から使われる中学校の教科書に関して文科省は四月六日に検定結果を公表した。たとえば教育出版の「公民」では「戦争時に被害を受けた人びとから現在も補償を求める動き」との記述には「賠償問題は解決済み」という政府見解の追加が求められた。学び舎の「歴史」には、金学順さんが旧日本軍の慰安婦であったことを名乗り出たという記述全体について、元慰安婦が連れ去られる図や証言の記述の削除と「強制連行を直接示す資料が見当たらない」との政府見解記述が求められた。
また清水書院と学び舎の「歴史」の中の関東大震災で殺された朝鮮人が「数千人」という記述に関して「殺された人数に通説がない」との意見が付された。いずれの場合も教科書出版社は、この「修正意見」を受け入れることになった。

イデオロギー
攻勢はね返せ


「領土」問題では、各教科書会社は修正意見を受け入れる以前に、教科書会社の側からの政府見解に沿った「自主的」な記述変更、記述の増大が目立っている。文科省は「学習指導要領解説」に「竹島」と「尖閣」を明記し、日本政府の立場を教えるよう求めた結果、各社とも、これまでの教科書では一ページ足らずだった領土問題の記述が、二〜三ページにまで増えた。「尖閣」の記述はこれまでほとんどなかったが、文科省は「日本が支配し、領土問題は存在しない」との国の立場を明記するよう求め、すべての教科書がそれに従った。韓国や中国の立場について紹介した教科書は一社もなかったという。
帝国書院の「歴史」では、日中戦争の中での日本軍による南京虐殺について「諸外国から『日本人の蛮行』と非難されました」という現行の記述が、「日本人の蛮行」という表現を削って脚注に移し、「調査や研究が続いています」に変えられ、アジア太平洋戦争にかかわる歴史認識でも「近隣諸国からきびしい目が向けられています」から「諸国から意見も出されていますが、より友好な関係を築くことが望まれています」に変わった。これらはいずれも「自主的」な変更である。
また明治政府による「北海道旧土人保護法」(一八九九年)に関する日本文教出版教科書の「アイヌの土地を取り上げて、農業を営むようにすすめました」という記述に対し、文科省から「法の目的は土地を取り上げるのではなく分与することにある」との意見がついたため、「土地を与えて、農業中心の生活に変えようとしました」に変わった。
さらに東京書籍の教科書で一九一〇年韓国併合後の「土地調査事業」について、「土地制度の近代化を名目として日本が行った」との記述(これ自身、土地の収奪という本質を隠蔽するものだが)に対して「事業は近代的土地所有制度を確立するためのもので『名目』という表現は誤解のおそれがある」との意見が付き、「名目」が「目的」に変わった。
こうした教科書記述の変更に見られる、「戦後七〇年」から改憲に直結するイデオロギー攻撃にあらためて注意を払い、ていねいで適切な反撃をつくりだしていくことが重要である。 (純)

4.4ヘイトスピーチとどう闘うか

人種差別撤廃基本法実現へ

シンポジウムで活発な意見交換


ヘイトスピーチ
とどう闘うか?
 四月四日、東京・文京シビックセンターで、シンポジウム「今こそ人種差別撤廃基本法実現を」が行われた。主催は外国人人権法連絡会。
 丹羽雅雄弁護士の司会で進められたシンポでは、最初に師岡泰子弁護士が発題。師岡さんは「人種差別撤廃基本法が目指すもの」と題して、二〇一三年に「ヘイトスピーチ」問題が社会的に浮上し、反撃の行動が拡大していく中で、昨年やっと国会でも「ヘイトスピーチ」問題に取り組もうとする動きが始まったと報告。昨年二月には「人種差別撤廃基本法を求める議員連盟」が与党・公明党をふくむ超党派で発足した。また、昨年一一月末に外国人人権法連絡会が行った各政党へのアンケートでは、自民党・公明党も人種差別撤廃基本法については否定はせず、「検討中」との対応であるとのこと。
 師岡さんは、「ヘイトスピーチ」「ヘイトクライム」は「人種差別の一形態」であり、「ヘイトスピーチ」とは「特定の民族・国籍を排斥する差別的言動」と規定される、と紹介する。日本の法務省は、「日本人への『差別的言動』もヘイトスピーチにあたる」と言っているが、これは間違いであり、「歴史的・社会的・マイノリティーに対して日本社会が行ってきた構造的差別の問題」が「ヘイトスピーチ・ヘイトクライム」として現れているのであって、日本が構造的に植民地主義を克服していないことを捉えかえす必要がある、と師岡さんは強調した。
 この中で、在特会による「京都朝鮮学校襲撃」事件に対する昨年七月の大阪高裁判決と同一二月の最高裁決定は、「憎悪表現」を「人種差別」と明確に規定し、「表現の自由」として保障される範囲を超えている、と規定している。そしてこれは「表現規制」の問題ではなく、人種差別の最大の責任は国にある、と師岡さんは確認した。
 師岡さんはさらに、日本の現行法・制度がこうした差別を「人権侵害」として救済するものにはなっておらず、「人種差別撤廃の基本政策すらない」と指摘。ヘイトスピーチ問題に対して、自民党などが「現行法の枠の中で対処」と言っていることに対し「現行法の枠内では無理だ。地方自治体では人種差別撤廃法への一定の前進が見られるが、国の側は従来のように法務省ではなく、内閣府が責任をもって主導する必要がある」と訴えた。

制度形成をどう
実現すべきか?
シンポジウムでは田中宏さん(一橋大名誉教授)と藤本美枝さん(弁護士)、金哲敏さん(弁護士)が発言。
田中さんは、二万人いる「人権擁護委員」が日本国籍の人のみで外国籍は一人もいないこと、最高裁が外国人の生活保護受給資格を否定し、「ジャパニーズオンリー」としていることなどに示される日本の法務行政の「度しがたい現実」、さらに政府自らが朝鮮人学校を授業料無償化から排除するなど「人種差別」を行っていることを厳しく批判。この状況で政府が「国連常任理事国入り」をめざしていることを批判した。
藤本さんは、「ヘイトスピーチ」の法的規制について、「刑罰がすべてではなく、今ある制度を使って救済する措置も必要」だと語る。また「人種差別扇動をする集会をやらせない」とする場合、「表現の自由」の事前抑制については厳格に条件を定める必要があり、マイノリティーの人権のために「表現の自由」を規制することには乱用にならないようにするための明確な基準が必要、と指摘した。
討論の中では、ヘイトスピーチの規定を「人種に基づく」というだけでいいのかという意見や「マイノリティー差別」のすべてを「基本法」によって解決することはできないという意見も提起された。しかしきわめて露骨な排外主義扇動・ヘイトスピーチが、政治家やメディアからも垂れ流される日本の状況の中で、「人種差別撤廃基本法」というサイドから世論形成、制度形成を作り上げていくことの重要性は確認できるだろう。(K)

コラム

不思議な夢

 最近、スローテンポの流れるようなピアノジャズを聴きながら眠るようになっている。不眠で眠れないわけではない。You TubeにUPされたレコードで、聴いてみたいものがあり、すっかりハマってしまったのだ。現在ではほとんど聴くことが出来ないような演奏が、魔法の箱のように出てくる。しかも往年のS盤を聴いているような響きでこれまた懐かしいかぎりだ。iPadだがけっこう音質は良い。気に入りの曲を聴きながら美味しい酒を呑むのも格別である。
 同じ頃から、不思議な夢を見るようになった。
 知人や友人達が日替わりのように登場するのだ。それもアットランダムで何の法則性もない。背景も時代もバラバラなのだ。時には集会やデモの中であり、あるいは山を歩き、海で泳ぎ、居酒屋で酒を酌み交わしている。将棋盤や碁盤を囲みながら談笑している姿など多種多様である。知人や友人達は私に何かを語りかけているのだが、その声は聞こえない。
 かなり日々が過ぎたが、未だこの夢は終わらない。何時終わるのかも分からない。恐らくは記憶の闇に沈んでいて、未だ逢えていない誰かが居るのだろう。どうやら私の過去の何かを捜しているのか、あるいは過去を整理しようとしているのか、のように思われるのだが。
 夢は「潜在意識」「無意識」にその源があると言うそうだが「何の必要性があって」その夢を見るのかについては、十分には解明されていないのではないかと私は思っている。「夢の解釈」については様々な理論があるようだが人間はなぜ夢を見るのか、なぜその夢でなければならないのかについては明確な理論があるようには思えない。解釈だけで、その必然性の領域については、未だ手づかずのようである。その領域が理解されなければ、「夢」は真に解明されたとは言えないのではないだろうか。
 最近の脳科学では「脳は騙される」ことが科学的に証明されつつあると言う。それは「錯視」という実験を通じて立証された。脳は自分が間違っていることを理解しても、その錯視を修正することは出来なかったのだ。これは驚くべきことである。言語の領域では、古くから「誤解」「勝手読み」「錯覚」などの言葉があり、ある程度は意識はされていたようなのだが。
 どういうことなのだろうか。私たちの夢には、脳が騙された結果としての「偽物の夢」が混ざっているということなのだろうか。その真偽はどうやって確かめるのだろうか。私が今見ている夢はどうなっているのだろうか。フロイトやユングはどうなるのだろう。脳科学の今後の発展を待つしかないようだ。  (灘)


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