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    かけはし2015.年4月20日号

ジャスミン革命から4年―
 チュニジアの今を肌で感じる



世界社会フォーラム(WSF)2015報告(2)

寺本 勉(ATTAC関西)


チュニジアとはどういう国か

 それでは、この世界社会フォーラム(WSF)を迎えるチュニジアの状況はどのようなものだろうか。
チュニジアは、人口一一〇〇万人、このうち首都チュニスには七五万人が暮らしている(二〇一四年)。一九五六年に独立したあと、初代大統領ブルギバは一九七〇年代に入ってIMFの経済調整政策を受け入れ、その後クーデター(一九八七年)で政権を奪取したベン・アリも同様に緊縮財政・対外開放を軸とする新自由主義的な経済政策をとった。ベン・アリによって民営化された国営企業は二〇〇を超える。この間、ヨーロッパ向けの低付加価値製品の輸出を中心とした産業構造のもと、原油やオリーブ油・小麦粉などを輸出する一方で、ガソリンや安い小麦粉など生活必需品を海外から輸入しなければならなかった。
この中でヨーロッパ各国やリビアなどへの出稼ぎ労働者を数多く生み出し、海外に居住するチュニジア人は一五〇万人と言われる。また、対外債務は二〇一一年で二二三億ドルに達し、年間七億ドルの利子を払い続けている。一人当たりのGDPは約四〇〇〇ドルで、アフリカ諸国の中では高いが、失業率も一三〜一五%と高く、その多くが若者層である。これが「ジャスミン革命」以前のチュニジアだった。
二〇一一年一月、ベン・アリ独裁政権が倒されたあと、ベルハッセンさんのインタビューにもあるように何とか政治プロセスは前進した。しかし、政府の経済政策、債務・失業などの経済状況は変わっていない。昨年一〇月の総選挙で、左翼とアラブ民族主義者の連合体である人民戦線は一五議席を獲得したが、全体としての政策を変更させるには至っていない。こうした中で今回のWSFが開かれたのである。

WSF2015は何をめざすのか


二〇一三年にチュニジアで開催された前回のWSFは、二〇一〇年一二月から始まった「アラブの春」によってチュニジア、エジプト、リビア、イエメンなど中東・マグレブ(北アフリカ)地域の独裁政権が打倒されたあと、その革命が進行しているという中で開かれた。しかし、その数カ月後にはエジプトで軍事クーデターが起こり、イラク・シリア両国でのIS(イスラム国)の勢力拡大など、「アラブの春」に対するバックラッシュが続いた。そうした中東・マグレブ地域の「混迷」した状況の中で、再びチュニジアで開かれた今回のWSFは、何をめざしているのだろうか。
WSFプログラムにその点を語ってもらおう。プログラムの前文では、チュニジアの社会にとって「脅威なのは、経済的・社会的危機を確実に深める自由主義的政策を再び押し付ける」ことであり、したがって、「チュニジアの民主化プロセスを成功させるためだけでなく、チュニジア社会における闘争・反資本主義運動、自由主義的グローバリゼーションに抵抗する人々にとっての経済的・社会的オルタナティブを模索するため」にともに闘うことが重要だとチュニジア開催の意義を強調している。

シリア問題についての対照的な二つのワークショップ

 参加団体の開催するワークショップなどは、六つのゾーン(領域)に分けられて、そのいずれかに属する形で開かれていた。それぞれのゾーンは会場も近くにまとめられていた。六つのゾーンとは「市民権の交差路」「国境を超える交差路」「地球についての区域」「社会的公正の広場」「平等・尊厳・権利についての区域」「経済とオルタナティブの広場」である。
今回のWSF参加にあたって、私が特に注目していたことがあった。それは、核エネルギー問題の課題別フォーラム日本開催をめぐる動き、「アラブの春」以降の中東・北アフリカ情勢、ギリシャ、ウクライナなど今日的に焦点となっている国の問題の三つである。まず第二点目について、参加したワークショップを紹介したい。
二五日にシリア問題に関する二つのワークショップに参加した。一つ目は「シリア革命は進行中だ」というワークショップで、主催は「シリア革命と連帯するグローバル・キャンペーン」という団体。しかし、実質的には「国際主義労働者同盟・第四インターナショナル」というモレノ派トロツキストの国際組織(ブラジルPSTUがよく知られている)が仕切っているようだった。この国際組織は、ラテンアメリカに拠点を持ち、PSTUは二〇〇五年のWSFポルトアレグレでは、並行して別のフォーラムを開催していたと思う。
三〇分ほど遅れて参加したので、どういう運営になっているかはわからなかったが、西サハラの女性、ブラジルのBDS(イスラエル製品ボイコット運動)活動家などが発言していた。フランスNPAのメンバーが発言を求めて「フランスでは、三〇年以上の歴史を持つパレスチナ連帯運動ですら難しい状況にあり、チュニジア連帯運動も非常に弱い。アメリカの侵略に反対している人々が、アメリカの空爆を批判していない。われわれは、シリア人民を殺傷しているアメリカ、フランスの空爆を批判している」と発言。彼は、数年前に日本を訪れたNPA代表の友人だとのことだった。当事者からの発言はなかった。
私は、タイトルの「シリア革命は進行中だ」や「シリアが直面している問題は他の中東諸国と同じだ」等々の主張に非常に違和感を感じた。革命の主体となる民衆の状況がどうかについてほとんど言及されていなかったことに苛立ったのか、カナダの女性(「シリア連帯運動」というアメリカにある団体のメンバー)が「昨年、シリアに三回行った。行ってみて、シリアの人々と交流すると、革命は一体どこにあるのか、と感じた。いま進行しているのが革命だとすれば、革命が民衆の生活を破壊し、民衆を殺している。シリア民衆にとって、革命は生活を破壊し、命を奪うものとしてしか考えられない。こうした現実のどこと連帯するのか」と発言したのが印象的だった。

「自治政府樹立をめざす」
と西クルディスタン代表


二つ目のシリア関連ワークショップは、オーストリア社会フォーラム主催のもの。タイトルは、「シリアにおける平和はまだ可能か?」で、このタイトルのつけ方がワークショップの性格を現していると思った。これには、シリアから四人のゲストスピーカーが参加。うち一人は西クルディスタンからきたクルド人で、他の三人と彼とは明らかに主張が異なっていた。
おそらく反政府勢力の代表と思われるスピーカーが「政府に対する反対派の統一が必要だ」と訴えていたのに、クルド人のスピーカーは「自分たちは政府と反政府派との間で中立的な立場をとっている。目標はクルド人による地方政府の樹立だ。内戦が始まって四年経つのに、いまだに反政府派が統一を訴え、はっきりとした見通しを持っていないことは驚くべきことだ」と言いきった。また、コバニの戦闘でクルド人女性が自爆攻撃したことへの質問には、「なぜ自爆攻撃したかは聞いていないが、革命は女性にとっての革命でもあって、男性と女性が責任を分けあうのは当然だ」と答えていた。
主催者の一人と思われる大学教員が、今後の方向性として「国際的な圧力とそれに呼応した九九%のシリア民衆の団結によって、アサド政権を穏健化させ、内戦を終了するための平和プロセスを始める。アサド政権をどうするかは、将来の課題として残すことにすればいい」と提案した。この主張は、ワークショップのコーディネーターが呼びかけ人の一人となっている「シリアのための国際的平和イニシアティブ」の考え方のようである。これにはゲストスピーカーや参加者から、質問や疑問が出されていた。
前述のカナダの女性がこのワークショップでも「武器を置いて、政治的解決を目指して話し合うしかないと考えるが、それは可能か?」と質問。これに対して、反政府派のスピーカーは「四〇年間、政権に対して変化をもたらそうと努力してきたが、何の変化もなかった。国際的な財政的、軍事的な支援が政権を支えている。これをやめさせなければ変化は起こらないし、平和的プロセスにも入れない」と答えていた。
こちらのワークショップは、少なくともシリアの当事者を招いて、討論している点に誠実さを感じた。

チュニス市内をめぐるのに便利なメトロとタクシー


チュニス市内の交通手段としては、路面電車(メトロ)、バス、乗合バス(ルアージュ)、タクシーなどがある。特に便利なのがメトロで、WSF会場の大学へも、毎日メトロで通った。市内に五路線あり、二つのターミナルで乗り替えることができる。六両連結でほとんどは古い年代物の車両だが、たまに新造車両も見かけた。
料金は、距離別に決められていて、ホテル近くから大学までで、約〇・五ディナール(約三五円)。「約」と書いたのは、特に料金表が掲示されているわけでもなく、切符売り場の係員によって、一ディナール出してもらえるお釣りが違っているからである。ある時は、これだけしか小銭がないと、〇・三五ディナールを差し出すと切符を売ってくれた。ただ、改札というものがなく、検札にあったこともないので、無賃乗車をどうするのだろうと余計な心配をしてしまった。もちろん時刻表もないが、結構ひんぱんに運行されていた。ただ、ある日に限って一時間近く待たされたことがあって、「どうしたのかな」と思っていると、途中でレールの交換作業をしていて、その区間が単線で交互通行していたからだとわかった。
タクシーは黄色に塗られていてすぐわかる。基本的にはメーター制で、初乗りが〇・四七ディナールだった。「基本的に」というのは、空港や大通りで外国人旅行者を待ち構えているタクシーは、その限りではないからである。ちなみに、空港からホテルまで、行きは二〇ディナール、帰りはメーターで四・七ディナールだった。住所表記は、通りの名前プラス番号の組み合わせになっており、通りの両側が奇数と偶数に分かれている。夜になるとこの住所表記が見にくくなり、タクシー・ドライバーは車から降りて、番号を確認していた。

郊外電車とカルタゴ遺跡、
シディ・ブ・サイド

 メトロと似たようなことは、郊外電車のTGMでも経験した。TGMは、ブルギバ通りの西端にある「チュニス・マリン」駅からカルタゴやシディ・ブ・サイドなどの観光地を四両連結の電車が結んでいる。WSFが終わってから、カルタゴ遺跡とチュニジアンブルーの建物で有名なシディ・ブ・サイドを観光したときに私も利用した。このとき、「チュニス・マリン」駅で一時間近くたっても電車が来ないので少々苛々していると(ガイドブックには二〇分に一本と書いてあった)、ホームで待っていた乗客がどんどん駅の外へ出ていく。慌ててついていくと、停まっていたバスに誘導され、電車の切符を見せると「乗れ」との仕草で、バスに乗り込んだ。どうも振替輸送のバスらしかった。その原因がやはりレール交換などの工事で、途中の五つの駅の区間が単線になっていたからだった。そのため、全線でおそらく二編成くらいしか運行されていないのだ。帰ってからネットでチェックすると、昨年の八月時点ではほぼ全線が工事中で、シディ・ブ・サイドから先はバスの振替輸送だったようなので、少しは工事が進んだことになる。
TGMのことを書いたので、TGMに乗ってカルタゴやシディ・ブ・サイドに言った時のことも書いておこう。前述したように、行きは振替バスに乗った(乗せられた)のだが、どこで降りるかがわからない。気が付いてみると、あれほど一杯だった車内には数えるほどしか乗客がいない。アナウンスなどはもちろんないし、バス停(はきちんとある)にも停留所名がアラビア語でしか書いていないので、乗り越してしまったのだ。慌てて降ろしてもらって、やむなく流しているタクシーをつかまえて、カルタゴ遺跡のある地区まで戻った。近くには大統領官邸があるため、通りには五〇m間隔で私服や制服の警官が立っている。私も持ち物を調べられたが、それが済むと至って親切で、ていねいに道を教えてくれる。わからないと警察無線で問い合わせてくれる。大体において、チュニジアの人々は外国人にフレンドリーだ。
カルタゴ遺跡は、TGMの「カルタゴ・ハンニバル」駅周辺に広範囲に散らばっている。私はそのうちカルタゴ博物館のある遺跡を訪問した。遺跡の中は、自動小銃を持った迷彩服の兵士が警戒していた。ハンニバルで有名なカルタゴ時代の遺跡はわずかに住居跡があるくらいで、残りはローマ時代の遺跡である。近くにはローマ時代の野外劇場もあり、補修して照明や音響設備を備えて、いまでもコンサートなどで使用しているらしい。
一方、シディ・ブ・サイドはカルタゴからタクシーで一〇分くらいの観光地で、チュニジアンブルーと言われる真っ青な扉や窓枠と白い壁のコントラストが見事な家が立ち並んでいる。通りを歩くと、「コンニチワ」など日本語で客引きしてくる。地中海を見下ろす坂のカフェで飲むレモンジュースは、ことのほか美味しかった。(つづく)


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