もどる

    かけはし2015.年3月2日号

この人が殺人をするはずがない


日常生活を伝える映像

2.6人権のつどい江東

「映画づくりと人権」

金聖雄さんが(『SAYAMA』映画監督)講演

 
 二月六日、江東区・カメリアプラザで、「人権のつどい江東」が行われ、『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』(ドキュメンタリー映画)の監督を務めた金聖雄さんが講演を行った。映画『SAYAMA』をどのような思いで作ったのかを自分史を紹介しながら語った。狭山事件は何回か映画化されたが、それまでの映画は石川さんの無実を自白と証拠との矛盾をつくことに主眼が置かれるものであった。金さんの映画は、石川さんと早智子さんの日常生活を通して、石川さんは犯人ではないことを浮き彫りにするものであり、冤罪事件に陥れられた夫婦の愛の物語でもある。
 金監督の講演を紹介し、一人でも多くの人が映画『SAYAMA』を見て、石川さんの無実を晴らすために協力していただけたらと思う。      (M)
?『SAYAMA』2月21日〜3月6日、『花はんめ』3月1日、『空想劇場』2月28日、
上映館 渋谷アップリンク

金聖雄さんの講演から

人を大切に思いを
寄せる映画づくり

自分のアイデンテ
ィティと本名宣言
私は一九六三年生まれ、狭山事件が起こった年だ。大阪の鶴橋で生まれた。鶴橋はどういう所か。焼肉の匂いがただよい、国際マーケットでは民族衣装や食器を売っているごしゃごちゃしている所。朝鮮市場には食材が並んでいる。昔の闇市が残っている。かつて「朝鮮部落」と言われ、「あそこに近づいたら、あかんぞと言われていた」。
今、五一歳。二五歳まで鶴橋で育った在日二世。父が光州、母が済州島出身で、出稼ぎで日本に来た。私の通った公立小学校は六割が朝鮮人だった。一九八〇年代、指紋押捺拒否の運動が盛り上がった。そこで、在日としてどう生きるかが問われた。韓国語もできない、自分のアイデンティティが見えない。韓国に帰る意識はなかった。仲間たちはハングルを勉強したり、民族楽器を習う人も出てきた。学生時代はロックやサーフィンにあこがれた。またキムチが食べられなかった。
高校二年まで、日本名を名乗っていた。本名を名乗らなければならないということに違和感があった。高二の時、民族名を名乗ったがようやく今馴染んできた。
高二の夏、両親がクリスチャンだったので韓国教会の夏季合宿に参加した。それまで朝鮮人を隠して生きていた。親には「日本人と結婚したらいかん」と言われていた。
先生が合宿の最初に、「お前らは犬か、なぜ名前が二つあるのか」と衝撃的な発言をした。まとめの会になり、号泣しながら、「ウソをついてごまかしてきた。本当は本名で生きたかった」と発言があり、次々と連鎖した。二〇人ぐらいが発言した。すごい迷ったが、私も本名でいくと発言した。
高校はヤンキーな男子校だった。二学期に本名でいきたいと先生に申し入れると手続きが面倒だからやめたらどうかと止められた。三学期になり、ホームルームで本名宣言をした。生徒の反応はしらっとしていた。まだ、ピントが定まらない。それはしんどい差別にあってこなかったからだと思う。

 

ドキュメンタリー
映画を撮るまで
日本人との間に子どもができた。子どもの名前をどうするか。連れ合いと話し合い、名前にこだわろうとなった。日本語と韓国語と同じ読みの名前をつけた。それを届け出ると役所は「金」という苗字は受け付けられないと突き返してきた。一九八五年に国籍法が改正され、二重国籍が認められ、二〇になったら選択できるようになった。成人までは母親の籍に入り、母親の苗字を名乗るとされていた。役所は裁判をしてくれと最後に言ってきた。とても裁判まではできなかった。金姓を名乗ってなにか不都合があったか。小学校の卒業式の時、校長が二つの卒業証書を出して選んでくれと言ってきた。今でも二つの卒業証書はとってある。
就職して企業のPR映像やテレビ番組を作った。この仕事をしながら、これを超えたかった。そして、『花はんめ』を作った。はんめは「ばあちゃん」の意味。在日一世のいる川崎・桜本に通った。七〇歳から八〇歳のはんめたちはデイサービスになじめない、読み書きができない、ひとりぽつんとしてしまう。そこで、トラジの会をつくり、民謡や食事交流を行った。四年間撮り続けた。そうするとパワフルで、元気。浮き浮きした明るさ。歴史的なことは説明しなかった。テーマから入らない。ドキュメタリーの一本目は在日、二本目は知的障がい者、三本目がSAYAMA。言葉で人権と言うと、遠のいていく。「空想劇場」で描いた知的障がい者が「障がい者ミュージカル」と言われるのが一番いやがった。文章にできない、なんにも言えない、雰囲気を伝えた。

「不運だが決して
不幸ではない」
あまり知識がなかった。二〇一〇年に石川一雄さんに会った。殺人犯というレッテルがあり、ほんまはどんな人だろうかと、想像して緊張した。会ってみるとまっすぐな方で、朗らかであった。連れ合いの早智子さんは素敵だ、なんて素敵な二人だろうと思った。五二年経った今もなんで無実を叫んでいるのか、どうしてだろうと思った。雑談している時、「自分の人生は悔いはないんだ」と石川さんが言った。三二年間獄中に入れられた、どう切り取っても不幸だ。三年間撮影して、ひもとけてきた。石川さんは被差別部落出身。貧乏で鳥の餌を食べた。着る物はひとつだけ。下駄もひとつで、裸足で生活した。小学四・五年生で子守り奉公をしていた。一八歳まで職業を転々とした。読み書きができないがゆえに犯人にデッチあげられていく。脅迫状が書けるはずがない。
獄中で刑務官と出会う。その刑務官に字を教えてもらった。獄中で字を覚えていく。言葉の意味が分かっていくと差別の意味が分かる。小さい頃受けていたことが部落差別だと理解していく。言葉を獲得していく。狭い獄中にいるから世界が広がってゆく。豊かであった。千葉刑で、布川事件の桜井さん、杉山さんといっしょだった。そして足利事件の菅谷さんとつながった。時々、いっしょになり、カラオケをする。どんな話をするか。難しい話はしない。石川さんが無罪になったら、選挙に無所属で立候補しよう(無所属のむしょ=刑務所のこと)。今まで冤罪被害者が横につながることはなかったが、足利事件、布川事件の冤罪被害者たちは同じ苦しみをもった者を支えようとしている。
そして、菅谷さんたちは自分たちは見たら分かる。石川さんはやっていないから、やっていないと言い続けられる。なかなか分かってもらえないが。こういうのが友情だと思う。
もう一つ大きいのが早智子さん。被差別部落に生まれた。獄中の石川さんを支援し、恋におちた。二人を見て幸せそうに見える。置かれている状況は「不幸」だ。幸せとは何だろうか。友情とはなんだろうか。人とはなんだろうか。振り返った。石川一雄さんは不運だが決して不幸ではない。得ているものが大きい。二人のラブストーリーができればいい。

映画「袴田巌」
のプロジェクト
なぜ、解決しないのか。再審が始まらないのか。権力、警察、裁判官が薄汚いと思い知った。背景に部落差別がある。それを認めたくない。その問題だけではない。「証拠をすべて出してくれ」と石川さんは言う。都合の悪いものを隠しているのではないか。証拠リストが提出されたがまだまだあるのではないか。
映画で伝えたかったこと。真相に迫る、その点に深く入っているわけではない。「日常生活を写した、この人が殺人をするはずがない」と分かってもらう。
何ができるのか。出会った素敵な人、友達のような感じ、その人が今も苦しんでいる。それが耐え難い気持ちになり、二人を何とか無罪を勝ち取るまで支援したい。映画をひとりでも多くの人に観てもらい。真犯人を突き止めることはできないが石川さんが無実であることを分かってもらいたい。
次回作として、映画「袴田巌」を撮りはじめている。袴田さんはボクサーくずれとして犯人にデッチ上げられ、四八年間死刑囚として獄に閉じ込められた。いつ、死刑執行されるか分からない状況に置かれてきた。拘禁症がひどいが、少しずつ日常を取り戻しつつある。私と将棋を指すようになった。袴田さんに強いてきたことはなんだろうと考えている。作り続けていく。結果的に人権へとつながる。人を大切に思う。人に思いを寄せる。(発言要旨、文責編集部)

2.17秘密保護法廃止で東京弁護士会がシンポ

検察・裁判所にこの法律の暴走が止められるか


違反事件捜査の
危険性や問題点
 二月一七日、東京弁護士会は、「動き出した秘密保護法-検察、裁判所にこの法律の暴走が止められるか?」をテーマにしたシンポジウムを弁護士会館クレオで行い、一〇三人が参加した。
 東京弁護士会秘密保護法対策本部は、秘密保護法施行(二〇一四年一二月一〇日)後のポイントとして@秘密保護法関連の捜査は、警備、公安警察が主導して行われるA社会的影響が絶大なだけに、警察は、捜査開始から終結まで、地検、高検、最高検と打ち合わせをしながら進めることになるB検察・警察の暴走に加担する裁判官に設定し、秘密保護法違反事件捜査の危険性や問題点、今後の反対運動にむけて共有化していくためにシンポジウムを行なった。
 開会のあいさつが高中正彦さん(東京弁護士会会長)から行われ、「憲法違反の秘密保護法に対して、施行後の運用面に焦点をあて、とりわけ検察・警察・裁判所の暴走をいかに止めることができるのかという観点から論議を深めていきたい。秘密保護法廃止に向けて奮闘していこう」と発言した。
 真山仁さん(小説家)が「『売国』と特定秘密」というテーマで基調講演を行った。真山さんが執筆した小説「売国」(文藝春秋/二〇一四年)は、疑獄事件と陰謀、大物政治家の暗躍などの「事件」が発生する状況を生々しく描いた社会派小説だ。
 真山さんは、「小説は、東京地検特捜部を主人公に宇宙開発をめぐる謀略を描いた。その中で特定秘密保護法を取扱い、結果として秘密保護法を扱った初めての小説となった。秘密保護法に対して注意喚起するのが私の役割だろう」と述べたうえで「秘密保護法は、国民の知る権利を制限する。しかも施行する側の裁量によよって広範囲に運用してしまう危険性を警鐘したかった。『特定秘密とは何か』と問いただしても、『特定秘密だから言えない』と繰り返される。秘密にすればするほどおかしくなる。だからこそ情報開示の取り組みは重要だ」と指摘した。
 「『イスラム国』によつて湯川遥菜さん、後藤健二さんが殺された。この事件に関して政府は、国会で『特定秘密に関することは答えられない』と答弁した。政府の対応について点検されるため、秘密保護法によって隠蔽しようとする現れだ。拡大解釈することはいけないということを言いつづけていかないとだめだ」と強調した。

国際テロ・公安
警察が動きだす
パネルディスカッションは、清水勉弁護士(東京弁護士会秘密保護法対策本部委員)のコーディネーターで始まった。
原田宏二さん(元北海道警察釧路方面本部長)は、「国際テロ・公安警察が動きだす」をテーマにして、「秘密保護法の所管は公安警察だ。警視庁外事課三課は、イスラム国関連の北大生の私戦予備陰謀罪デッチ上げ事件で常岡浩介さんに対する不当捜索を行った。外事三課データ流出で明らかなように情報収集活動が曖昧な法的根拠で行われている。『チェック機能』と言われる公安委員会、検察・裁判所、マスコミの形骸化が公安の暴走を許している」と批判した。
常岡浩介さん(フリージャーナリスト)は、「二〇一四年一〇月六日、イスラム国関連の北大生の私戦予備陰謀罪デッチ上げ事件で不当捜索を受け、取材器具・データ一切を強奪された。取材妨害だ。北大生に私戦予備陰謀の嫌疑がないこと、起訴が不可能であることは分かったうえで、それでも九月二四日に国連安保理で決議された『イスラム国への義勇兵阻止の義務』を果たしたかのように偽装するため、存在しない事件をデッチあげた。警察による犯罪だ」と糾弾した。
さらに「八月二六日、私と同志社大客員教授・中田考氏のところにイスラム国の司令官オマル・グラバから『湯川を裁判に掛けるので立ち会って欲しい』というメッセージが送られてきた。脅迫動画が公開される前の、水面下での連絡の時点で交渉することが、人質を救う唯一の機会といっていい。湯川さん、後藤さんを死に至らしめた第二の責任者は公安外事三課にある」と断言した。
堀敏明弁護士(東京弁護士会秘密保護法対策本部委員)は、常岡さんに対する不当捜索に対して捜索差押許可の裁判の取消を求めた代理人の立場から東京地裁が警察の言い分を追認し、「準抗告」を棄却したことを批判した。
清水さんは、「私戦予備・陰謀罪は、明治時代につくられた法律だが、一度も適用されたことがなかった。まさか使われる場面がいまどきあるとは、だれも考えなかった。それを公安部は平然と実行した。社会的避難の集中砲火を浴びることはないという自信があったのだろう。現にマスコミは公安警察批判をやらなかった。公安にもらったネタをそのまま記事にしている。秘密保護法の解釈運用でも、私戦予備・陰謀罪事件捜査と同じように自由に振る舞うだろう。裁判官、裁判所、検察庁、マスコミも同じように追随するだろう。厳しく監視し、発言していかなければならない」と訴えた。
最後に柴垣明彦さん(東京弁護士会副会長)が閉会のあいさつを行った。(Y)


もどる

Back