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    かけはし2015.年2月23日号

イスラム嫌悪との対決を即時に


フランス

ムスリム敵視のほとばしり前に

シャルリー・エブド攻撃は事態を増幅

ジュリアン・サリンゲ


 以下に紹介する論考は、今まさに闘うべき課題として、フランスにおけるイスラム嫌悪の高まりとその悪質さを取り上げている。日本のメディアではこのイスラム嫌悪を、シャルリー・エブド事件後の懸念されるべき現象として言及することが目立つが、この論考ではまず、それがすでにそれ以前から攻撃的な形で強まっていたことを確認している。筆者は本紙でも何度か紹介しているが、アラブ関係で多くの発言を行っている。なおこの論文は、フランスNPA週刊機関紙「ランティ・カピタリスト」二〇一五年一月一五日号に初出。(「かけはし」編集部)

 シャルリー・エブドへの攻撃以後、フランスには紛れもないイスラム嫌悪、つまり過失の責め立て、さまざまなもののごたまぜ、暴力といったもののほとばしりが生まれている。しかし最低でも言われるべきことは、その土壌はすでに十分に準備済であった、ということだ。

社会の病はすでに進行している

 われわれは、以下のことをほとんど忘れ果てていた、と言ってよいかもしれない。つまり事実として、一月七日朝、シャルリー・エブドへの攻撃の二、三時間前、「フランス・アンテル」の朝の番組における「特別ゲスト」は、二〇二二年のフランスでムスリムの一政党が権力に到達しているという「未来小説」の著者、ミシェル・ウェルベックだった、ということだ。そしてその小説には、家庭に戻された女性、一夫多妻、迫害を逃れるための、ユダヤ人である語り手のガールフレンドのイスラエルへの逃亡、その他が含まれている。そこには、「イスラム化された」フランス社会、極右側とそのイデオローグであるレナウド・カムスによって夢想された「大規模入れ替え」の犠牲者といったものを描く決まり文句で、欠けているものは一つもない。
われわれは、以下のこともほとんど忘れ果てていたと言ってよいかもしれない。つまり、二、三週前には、新聞やテレビやラジオ番組で「一面を飾るニュース」となったものは、ウェルベックの本ではなく、もう一人の不愉快な人物、エリック・ゼモアーによる本だった、ということだ。実際この人物は長期にわたって、イスラム嫌悪を彼の主要な売りにし、「フランスのイスラム化」を彼の戦闘における主要な雄叫びの一つとしてきたのだ。
ゼモアーには、何であれ彼がしたいように考える権利はある。またウェルベックにも、誇大妄想的で人に汚名を着せる小説を書く自由はある。問題は、彼らの作品が受け取る反響であり、それらがメディアで扱われる方法だ。つまり、正常化や問題の理念の陳腐化が、それらが直接にはイスラム嫌悪の極右によって焚きつけられているにもかかわらず、社会の中で正統性をもつ論争という地位を得ているということが、問題なのだ。このすべてが、行動化されたイスラム嫌悪による壊死が起きているフランスの中にある。このフランスには、「フランスのイスラム嫌悪に反対する共同」(CCIF)年次報告によれば、二〇一三年に六九一件のイスラム嫌悪行為(差別事件、礼拝所への攻撃、対人襲撃その他)があり、それは二〇一二年比で四七%増に当たる。

ムスリムであれば少しは有責?


シャルリー・エブド襲撃はそれゆえ、まどろんでいたイスラム嫌悪を目覚めさせることに力を貸したというわけではなかった。つまりそれは、すでに十分に目立っていて、社会のあらゆる諸相を病ませている現象を、増幅したのだ。襲撃の数時間後には、不快な政治メディアの音楽が聞こえてきた。殺人者たちはイスラムの名の下に行動した以上は、ムスリムは彼らを糾弾すべきであり、個人的にも集団的にも、彼らとの「連帯的関係を断つ」べきだと。
しかしながら、彼らと連帯的関係にあることを拒絶せよとのこの訓令は、法外なだけではなく、特別に道を外してもいる。それは、僅かの暗殺者を何百万人という信者と事実として一体化しているがゆえに恥ずべきことだ。それは、何百万人というそうした信者に集団的嫌疑をかけ、暗殺者たちと連帯的関係にはない……と公言しない者たちは、彼らと連帯した関係にあるに違いない、と暗示しているがゆえにあくどい。
連帯的関係を断てというこうした訓令の事例は山のようにあるが、その中でもっとも典型をなすものはおそらく、フィガロ紙の主筆、イワン・リューフルのそれだ。彼は襲撃の翌日RTL(欧州で二番目の大きさのテレビ、ラジオなどの放送会社)で、活動家たちと作家のロクハヤ・ディアロ(アフリカ系フランス人の反レイシズム活動家)は大声ではっきりと、シャルリー・エブドの暗殺者たちとの連帯的関係をどのような意味でも断ち切ったと公言するよう要求した。
これまで誰であれプロテスタントに、クー・クラックス・クランとの、また創世記の一定の読み方を軸に理論化されている白人優越主義の諸理念との、「連帯的関係を断ち切る」よう求めたことがあっただろうか? 二〇一一年七月二二日にノルウェーでアンデルス・ブレイヴィクがしでかした虐殺の時に、そして彼は多文化主義に断固挑戦しキリスト教信仰を長らえさせるために行動していると主張したのだが、誰か聖職者と信者に、彼ら自身に責任を取るよう求めただろうか?
明らかに、そして幸いなことだが、そんなことはまったくなかった。しかし二一〇一五年のフランスでは、ムスリムは常に、「少しは」責を負うべきなのだ。

嫌悪から敵対行動へ転化始まる


それゆえ少しも驚くことではないこととして、そのような背景とそのような混ぜあわせをもって、行動に移されたイスラム嫌悪の事例がますます数を増して現れてきた。シャルリー・エブド襲撃から五日のうちに、イスラム嫌悪の行動が六〇件記録された。礼拝所銃撃、モスクへの手投げ弾攻撃、各地のモスクへの落書き(アラブ人へ死を=Aドイツ語によるわたしはシャルリ=Aシャルリバティ=qシャルリ―とリバティを掛け合わせた造語か?:訳者〉、殺人者=A汚いアラブ人=A鍵十字)、礼拝所のドアにつり下げられているのを発見された豚の頭と内臓、そして言葉での嫌がらせと肉体的いじめという数多くの事件であり、現時点ではそれらを数え上げることは不可能だ。
そしてこれこそ、ニコラス・サルコジが一月一二日の彼のツイッターアカウントに、静穏のためとする以下のとんでもないアピールを掲載することを選んだタイミングだ。すなわち「移民とイスラムの問題がはっきりと提起されている。それらは冷静に、またすべての者を関与させることによって問われなければならない」……と。そしてこの言明に関して問われた社会党指導者たちの当惑した反応が、懸念に根拠を与えている。
換言すれば、レイシズムとイスラム嫌悪の混合物、またそれらに付随している暴力、これと対決する闘いが今まさに始まりつつある。

▼筆者は反資本主義新党(フランスNPA)並びに第四インターナショナルのメンバーであり、政治学研究者。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年二月号)

ギリシャ

チプラス、議会で挑戦的演説

正面衝突が間近に迫る

スタシス・コウヴェラキス

 ギリシャに強要された緊縮政策をめぐって、SYRIZAとEU諸機構・諸政府との厳しい綱引きが続いている。その中で、新たにギリシャの首相となったチプラスが二月八日議会で行った演説が、その断固とした姿勢で波紋を広げた。ギリシャとEUとの関係の今後については予断を許さないが、SYRIZAの指導部メンバーが、先のチプラス演説を全面的対決を呼び掛けるものとする評価を発表した。今後を考える一つの見方として紹介する。(「かけはし」編集部)

支配階級の安直
な期待に冷水が


アレクシス・チプラスによる今夜の全体政策に関する声明の後には、国内における、また欧州諸政府による双方の――また疑いなく米国内部でも――特別な注意が続いた。国内では、ECBの脅迫とEU指導者諸々の連続的な攻撃に続いて、抑えきれない興奮の空気、尊厳という新たに見出された感覚の空気、そして脅迫に直面している政府を支持する、またいかなる後退も阻止するために圧力を行使しようとの、この両者の決意がこもった空気が広がっている。海外では、特に支配階級内部で、公表されているあらゆる言葉と特にあらゆる方策が、首相と彼の政府の決意を判断するために注意深く天秤にかけられつつある。
支配階級のほとんどは、今週の欧州サミットでの「譲歩」を助けると思われた、退却の前兆となるはっきりした曲がりを予想していた――そしてそれは実際にも、彼らの指令に対するギリシャのいわば屈服となると思われた――。彼らは今回、確実に失望を味わうことになった。なぜならばチプラスは現実に、実質的な譲歩はいかなるものも行わなかったからだ。確かに彼は、「債務の帳消し」という用語は使わなかった。しかし彼は強力に、債務返済の実行不可能な性格を力説し、その「削減」と「再編」を要求した。

緊縮諸方策の撤
回を個々に確認


もう一つの点として彼は、最低賃金の二〇〇九年水準(七五一ユーロ)への即時復帰を公表しなかったが、二〇一五年中にはそうすると約束した。その他に関して彼は、テッサロニキ綱領のあらゆる諸項目を確認した。すなわち、人道的惨禍(食料、電力の再配電、全員に向けた交通と医療のサービス)に取り組む緊急諸方策、労働法の回復、土地に対する不公正な税の廃止、富裕層に支払いを課する税制改革、税控除所得の一万二〇〇〇ユーロへの引き上げ、解雇された公務員の復職、民間メディアに与えられた特権の取り上げ、ERT(公共ラジオ・テレビ局)の再開、国家所有銀行株式の有効性回復、公共財産(港湾、インフラ、エネルギー)売却の停止、そして民衆決起に対する警察の弾圧の停止だ。
戦略的な諸項目としてチプラスが何度も繰り返したことは、現行の「資金投入救済計画」とトロイカの監督の延長を求めることを拒絶するということであり、その上で彼は、ギリシャの債務に関しユーロ圏の諸銀行があげた利益の還流を基礎としてギリシャの諸銀行に与えられる流動性の延長、並びにギリシャ政府の借入限度額の拡張を要求した。最後に彼は、債務の弁済に使い道を定められた、そして緊縮を繰り返すことになる財政の法外な基本黒字確保を拒否し、均衡予算の必要性を力説した。しかし、均衡予算に対するこの約束ですら、乏しい税収を背景とすれば、公表された社会的諸方策と両立可能とはほとんど見えない。
高度に象徴的な改革は、ギリシャで生まれた移民の子どもたちすべてに市民権を与える国籍条項の改革だった。彼はその改革に熱を込めて賛意を示した。彼はまた、人権と民衆の尊厳の防衛におけるその役割を強調しつつ、一方でこの領域でのEUの政策変更を求めつつ、新たに創設した移民省の役割を長々と詳説した。これは、何か必要だとすれば、政府への独立ギリシャ人(ANEL)の参加が、これらの課題に関するSYRIZAの立場を少しも変更してはいない、という証拠だ。

「街頭」の呼び
かけに等しい


事実においてメモランダムの核心部分は一掃された。切断はそこでは決定的だ。そしてチプラスはそれを多くの形で銘記させた。彼は何よりも特別に明示する形で、ギリシャ内の動員の役割と国際連帯に言及した。そしてそれを、政府が今押し進めている最中の戦闘の中で、断固として称賛した。また彼は、民族の主権と民主的な主権の回復、さらにギリシャ民衆の尊厳の回復は交渉の対象にできるものではない、という事実についても極めて確固としていた。これは現在の文脈の中では、結論的に街頭に出ることの呼びかけに帰着する。そしてわたしは、ギリシャでまた欧州で、それが聞き届けられつつあることに疑いをもたない。
付言すれば彼は、彼の演説の最後、ギリシャ民衆の闘争の長い歴史に対する思いを込めた讃辞に続いて、ドイツに対する戦争賠償の問題をテーブルにあらためて載せ、政府によって展開されるこの問題のキャンペーンの責任者にマノリス・グレゾスを指名した。われわれは今、これがドイツの指導者たちにとってはいわば本物の「闘牛の赤い布」であることを知っている。

国内外の諸動員
が決定的鍵握る


全体を見ればわれわれは、アレクシス・チプラスが国内と国外の双方に断固さと戦闘性のこもったメッセージを送った、と言うことができる。彼は、早々と降伏に導く譲歩の下り坂に賭けていた者たちの期待に失望を与えた。欧州の指導者たちがギリシャ議会を前に今日示された先の諸政策を何らかの形で黙認できるということは、まったく問題外のことのように見える。
それゆえわれわれは、十分にかつ真実に、衝突というシナリオを前にしている。そしてそれは、欧州サミットと街頭での諸動員の組み合わせをもって、今週中に決定的な転機を迎えるだろう。われわれはおそらく、ギリシャと欧州におけるできごとの今あるコースをひっくり返す可能性をもつ、大きなできごとの前夜にいる。
あり得る勝利の「魔法の定式」が見出される可能性は、ギリシャの指導部の決意、民衆の決起、そして国際的な連帯、これらの組み合わせの中にある!(二〇一五年二月八日)

▼筆者はロンドンのキングス・カレッジで哲学の教鞭をとっているが、SYRIZA全国指導部の一員。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年二月号) 


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