2.11「奉祝」に抗して反「紀元節」行動
デモ妨害・不当逮捕に怒り
「帝国日本」賛美に反撃を
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「人質殺害」を
利用して派兵へ
二月一一日、「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11反「『紀元節』行動」が千駄ヶ谷区民会館で行われ、一三〇人が参加した。
安倍政権は、「イスラム国」による「人質殺害事件」を政治利用し、「対テロ」戦争への参戦、対中国シフトを強めながらグローバル派兵国家建設に突き進もうとしている。安倍首相は、ナショナリズムを煽っていくために戦前の「紀元節」(初代神武天皇の即位)を「祝日」としてデッチ上げた「建国記念の日」を位置づけ、昨年に続けてメッセージを発した。
天皇制と日本帝国主義の戦争責任を居直り、「先人たちは勇気と希望をもって新しい時代を切り開いてきた。……平和と繁栄を次の世代に引き継ぐ。一〇年先、五〇年先、一〇〇年先をも見据えた改革に果断に取り組む」と強調し憲法改悪にむけた「ロードマップ」を準備しているほどだ。応援団の産経新聞にいたっては、「中国の領海侵入などで日本の主権が脅かされているばかりか、国際的なテロ組織によって国民の命が危険にさらされてもいる」「紀元節制定時に倣って今こそ、国を挙げ『日本人自身が日本を衛る』覚悟を決めなければならない」(二・一一)と叫んでいる。
これらと連動して右派勢力は、明治神宮会館で「日本の建国を祝う会」(神社本庁、日本会議など一〇〇〇人参加)を行い「憲法改正に向けた動きを加速してゆく」「賛同者の輪を拡大する国民運動を大いに推進する」ことを決議した。日本会議は、その推進役として各地で「建国奉祝」行事を組織化し、「政府主催の式典」の実現をめざしている。
このような安倍政権と右派勢力の野望を許さず、天皇制解体と反「紀元節」を掲げて集会とデモが取り組まれた。
強まる「歴史
改ざん」の流れ
集会は、実行委から集会基調@安倍政権と敗戦七〇年A日米安保の強化、戦争国家化と沖縄の反基地闘争B安倍政権と天皇制について―を提起し、「敗戦七〇年をめぐる言論状況のなかで、いわゆる『安倍談話』をめぐってもすでにあらわれているように、植民地支配と戦争の責任、歴史認識が鋭く問われる年となる。戦後象徴天皇制の総括とも連動して、次なる『Xデー』に向けた平成天皇制の『総仕上げ』のキャンペーンともなるはずだ」と述べ、反天皇制運動を闘っていこうと訴えた。
森正孝さん(映画「侵略」上映委員会)が「安倍極右政権の歴史改ざん主義と中国脅威論」というテーマで講演を行った。
森さんは、「戦後七〇年の二つの核心的課題」について「@歴史修正主義による歴史改ざん問題〈村山談話の全面否定による安倍談話の発出/軍隊慰安婦と南京大虐殺の否定〉」と「A積極平和主義の名による積極的武力主義〈集団的自衛権行使するための一八本の戦争法を成立させる/辺野古新基地建設をめぐる攻防〉」を取り上げ、「ニューヨークタイムス」の「歴史修正主義やナショナリズムの推進勢力と軍事力強化を求める勢力が重複一体となっている。中国との対立関係が強調され、軍事力強化が日本国民に説得力を持っており、東アジアの緊張の原因となっている」(社説)を紹介しながら批判した。
そのうえで「戦争の記憶をどう継承するのか」「当事者世代が消えてもなお戦争の記憶をどうつなげていけるのか」と問い、「映像・ミュージアムの充実、戦跡ツアー、アジアの被害者聞き取りなどを通した戦争の記憶の社会的共有化、戦争体験の歴史体験化、教育現場における歴史教育を充実化させていかなければならない。戦争美化・帝国日本の美化が強まっているなか、史実を繰り返し伝える努力がますますま重要な取り組みになってきている」と強調した。
さらに「安倍首相の右翼人脈、何をやってもOKという状況に入っている。民間右翼は、『憲法改正を実現する一〇〇〇万人署名』(美しい憲法をつくる国民の会)など草の根右翼運動と対決する取り組みが求められている」が、とりわけ「中国脅威論」(尖閣諸島〈釣魚諸島〉問題/軍事力強大化/南シナ海領有権問題/米国と中国の関係)のウソを暴き出し、歴史的に批判していくことが必要だ」と指摘した。
連帯アピールとして、「二〇一五・三・一独立運動96周年集会実行委員会」、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、福島原発事故緊急会議、警察の人権侵害を許さない会などから行われた。
原宿署に弾圧
抗議の緊急行動
集会終了後、渋谷に向けてデモに移った。天皇主義右翼は、事前に参加団体に対して天皇制批判をやめろなどという「脅迫状」や「いやがらせ電話」をかけ、反天皇制運動の破壊を試みてきた。この日もデモ破壊をねらって突入を行ってきた。挑発に乗らず、毅然とデモを展開しぬいた。
ところが警察権力は、デモ出発時から過剰な規制、弾圧準備のためのビデオ撮影を強行し続けた。「右翼警備」を口実にしながら参加者に対して不当な挑発を繰り返し、不当弾圧の「チャンス」をねらっていたことは間違いない。デモに平行して歩道にいた「不当逮捕」を任務とする赤ヤッケを着た私服警察部隊が、突然、仲間たちに襲いかかってきたのだ。部隊の突入に続いて機動隊が介入し、デモ破壊を行いながら、そのどさくさで一人の仲間を不当逮捕し、原宿警察署に連行した。その「素早さ」は、事前に計画されていたのではないかと思わせるほどだ。右翼を先兵にした警察権力の闘争破壊、仲間の不当逮捕を許さない。
デモは解散地点の神宮通公園で集約。原宿警察署に不当勾留されている仲間への激励行動が取り組まれた。原宿署の二次弾圧策動をはねかえし、「不当逮捕糾弾!仲間をすぐかえせ!」を繰り返した。ただちに救援会の準備に入り、奪還の取り組みを開始している。仲間の早期奪還のための支援・連帯を行っていこう(翌日、釈放をかちとった。別掲声明参照)。 (Y)
【声明】
2・11反「紀元節」行動での弾圧を許さな い! 警視庁・原宿署に抗議します
2015年2月14日
「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ」
2・11反 「紀元節」行動
私たち「敗戦70年と象徴天皇制の70年を撃つ 2・11 反『紀元節』行動」の集会とデモは、130名以上の参加を得て、天皇制と日本国家のあり方を批判する行動を行なうことができました。
しかし今回の行動では、警察の極めて大規模な警備弾圧が実施され、デモが出発して間もなく、1名の参加者(以下Aさん)が不当逮捕されたのです。逮捕直後から弁護士が接見を試み、デモの終了後、逮捕を実施した原宿署に対する抗議行動を行ない、救援体制もつくり、差し入れも始めました。そして翌日の12日夕方、完全黙秘のまま、被弾圧当該を元気に取り戻すことができました。
逮捕当日の夜、産経新聞は警察情報垂れ流しの記事を流しました。そこには「逮捕容疑は11日午後4時25分ごろ、東京都渋谷区神宮前の路上で、警戒にあたっていた50代の男性警部補の胸を肘で殴打するなどの暴行を加えたとしている。警部補にけがはなかった」などとあります。
これは全く逆転した報道です。Aさんが暴行を加えた事実はありません。逆に、この警部補が一方的に暴行を加えた挙句に、Aさんを逮捕したのです。事実は以下の通りです。
私たちのデモに対しては、日常的に警察のビデオ撮影が実施されています。さらに、機動隊による縦列規制もかけられ、それらによるデモの監視・規制は今回も厳しいものでした。実行委はデモ申請のたびに、思想・信条の自由、表現の自由という権利を、街頭で安全に行使していくために、またそのことを前提に集まってくる参加者の安全を守るために、警察に対して申し入れを行なっています。
その一つに、警察による参加者への撮影による肖像権の侵害と威嚇 に対する抗議もあります。
それにもかかわらず、この日の警備においては、赤いチョッキを着た警察官が、ビデオ撮影する警察官とコンビで動きながら撮影を実施していました。彼らは、車道を進んでいるデモの隊列の中にまで割り入って、参加者を押しやりながら堂々と撮影を続けたのです。
これに対して、Aさんとその周りにいたデモ参加者は、傍若無人の警察官に抗議しながらデモを歩いていました。
Aさんたちの強い抗議で、ビデオ撮影をしていた警察官は、 いったん歩道に上がりました。しかしもう一人の警官(警部補) は、そのままデモの隊列を歩き続けていました。「警察はデモに 入ってくるな」という当然の抗議に逆ギレした警部補は、Aさんが手にしていたハンドスピーカーを手ではたき、その拍子に態勢を崩したAさんを転倒させました。その時、多くの公安警察が 一斉にデモの隊列に乱入しました。「公務執行妨害」「あの女をとれ!」と指示がとび、Aさんは警官に囲まれて連行され、そのまま逮捕されてしまいました。それまでデモは何の混乱もなく、 まったく突然のできごとでした。
今回の逮捕は、この警部補のAさんに対する暴行を正当化するために、逆にありもしないAさんによる暴行をでっち上げようとしたとしか思えないものでした。警部補は大柄で屈強であり、Aさんは痩せ型の女性です。Aさんが一方的に暴行を加えられた様子は、多くの目撃者がいます。したがって警察の側も、今回の弾圧には強弁しうる正当性のかけらさえないことを、十分自覚せざるをえなかったのではないでしょうか。逮捕翌日の12日夕方には、Aさんを釈放せざるをえませんでした。
釈放は勝ち取りましたが、Aさんは「被疑者在宅による任意捜査」に切り替えられた状態です。事後弾圧や、出頭攻撃など予断を許さない部分もありますが、今回の弾圧にたいしては、確かな反撃をかちとることができています。
今回の反「紀元節」行動に対しては、事前に右翼団体から、私たちのデモに対する襲撃予告とも思われる文書が送りつけられ、警視 庁は、会場周辺を含めた大規模な警備体制を実施していました。決して私たちの本意ではありませんが、反天皇制運動のデモは、ここ数年、今回同様に右翼団体からの暴力的な攻撃や挑発、「右翼対策」を口実とした警察のデモ隊に対する過剰な規制をともなう警備態勢、ひたすら混乱を作り出す公安警察の動きなどが絡まりあって、錯綜しながら、きわめて異様かつ抑圧的な状態の中に置かれている現実があります。また、天皇制に批判的な人々に対して、公安警察による尾行やつきまといなどの人権侵害もおきています。天皇制批判という表現の自由がおかされること、警察による具体的な人権侵害にたいして、ひとつひとつ抗議の声を上げていかなくてはならないと考えます。
敗戦70年の今年は、さまざまな行動が多くの人びとにより準備されています。その中で、今回のような弾圧は、誰に対しても実施されうるものであり、事実至るところで現実化していることです。
すべてのみなさんに、今後も、熱く堅いつながりをともにつくりあげていくことを呼びかけます。
2.11いま「強制拒否」の意味を考える
戦争へ導く教育はアカン!
「日の君」NO! 450人で集会・デモ
【大阪】「日の丸・君が代」強制反対・不起立処分を撤回させる大阪ネットワークが主催する集会が二月一一日、大阪市立西区民センターホールで開かれ、四五〇人の市民が参加した。主催者を代表して、黒田伊彦さん(大阪ネットワーク代表)が、建国記念の日に反対し、「日の丸・君が代」強制を拒否する基調を提起した。
「建国記念日」
に反対しよう!
「建国記念の日を祝うのは、天皇主権国家を受け入れることだ。安倍の伊勢神宮参拝は、日本国憲法の政教分離の原則に反する行為である。美智子皇后が、神話を民族共通の先祖の話だとすることと五日市憲法を賛美することには、相通ずるものがある。五日市憲法を起草した千葉卓三郎の思想の根幹には『君民共治』の思想がある」。
「大阪府の『国旗国歌強制条例』は憲法違反である。大阪府教委は不起立処分を、不起立は悪いことと感じさせ、権力への服従を当然視させ、天皇への敬愛と国を愛する心を子どもたちにすり込むために利用している。卒入学式で『君が代』を斉唱させるのは、戦争への精神大動員運動だ。パワハラ中原府教育長は辞任すべきだ」。そのように述べ、「戦争を廊下の奥に立たせないために、闘おう」と黒田さんは訴えた。
知花昌一さんが
語る沖縄の闘い
続いて、知花昌一さん(沖縄県在住、反戦地主、真宗大谷派僧侶、元読谷村村議会議員)が講演した。知花さんは、自らを闘う僧侶と位置づけている。
辺野古の海で防衛省・海上保安庁を相手に闘われているカヌー隊の隊員として、二番目に高齢の隊員だ。(彼の出身地である)読谷村は、毎週金曜日に村を挙げて辺野古浜・キャンプシュワブゲート前に行っている。
知花さんは、日本政府が現在行おうとしている「第五の琉球処分」を絶対にさせてはいけないと熱く語った(別掲)。
続いて、谷次郎弁護士が報告した。処分は、「日の丸・君が代」条例、教育長通達(彼らは職務命令書といっている)、職員基本条例の三点セットを根拠にしていること。ZAZAに結集している一二人の被処分者のいろいろな思い、人事委員会・公平委員会審理や訴訟の現状。強制力はないが、人権救済申し立ても有効であること。人権救済は、教職員、卒業生・保護者の他、不本意に起立させられようとしている者も該当すること。三回戒告でクビだというやり方は、脅しによる押しつけであり、おかしい。などなど。
ZAZAの一二人が登壇し四人が発言した。
?ある校長は、「君が代」はずっと前からやっていたというが、九八年頃までは「君が代」はゼロで、国旗国歌法が成立してから少しずつ増えていった。
?人事委員会審理の結論は処分の承認だった。それはある程度予測していたが、ほとんど最高裁判決の引用だった。そんな内容にどうして二年半もかかるのか。
?中原教育長は口元チェック指示を撤回し校長の裁量にまかせると言った。校長はそれに従い、起立について、職務命令は言わないと言った。職務命令がないのに処分された。
?肢体不自由生徒を起立させるのはおかしい。付き添いの教師は、片時も目を離せないのでなければ起立せよという。
東京からも
連帯の訴え
休憩を挟んで全国、大阪地元から諸団体のアピールが続いた。
全国からは、?被処分者の会・東京「君が代」裁判原告団(全国から都教委に団体署名を集中してほしい。停職・減給処分は取り消されたが、戒告は違法とはならず。減給処分取り消しの者には、新たに戒告の再処分を出した。金銭的にはこの方が重い)
?河原井さん(二〇一二年一・一六東京地裁判決では河原井さんの停職一カ月処分を取り消し、根津さんの停職三カ月処分を適法とした。そして、河原井さんの損害賠償請求については、二〇一二年一一月七日東京高裁差し戻し審判決で東京都の責任を認め、この判決は確定した。教育の営みについて判示したのは画期的だが、分断を打ち破り粘り強く闘おう)。
?「日の丸・君が代」強制反対・予防訴訟を引き継ぐ会(自衛隊駐屯地での都立高校の宿泊防災訓練は、具体的には起床・点呼・整列・行進・清掃などの集団行動。東京で始まることはやがて全国に波及する。都の円卓会議には大阪の中原教育長も参加している)。
「人質事件」の
教訓はなにか
地元からのアピールは、「入れ墨処分」不当処分撤回を求める会、朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪、高校問題を考える大阪連絡会、とめよう原発!関西ネットワーク、子どもに渡すな!危ない教科書大阪の会、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク、秘密保護法廃止!ロックアクション、靖国合祀イヤですアジアネットワーク、反ヘイトスピーチ・反「在特」高槻市会議員、のそれぞれが行った。
最後に、「イスラム国の正体を暴く」として、人質事件の教訓についてフリージャーナリストの西谷文和さんから特別アピールがあった。シリア内戦開始後四度にわたりシリアに入っている西谷さんは、「米国がテロとの戦いで取ってきた北風政策は失敗している。空爆では多くの市民が死亡し、そのことがイスラム国をも生んでいる。貧しい人々は他の選択肢を奪われイスラム国にいく。にもかかわらず米国が空爆を続けるのは、戦争すれば儲かるからだ。この戦争の仕組みを理解しないとだまされる。日本は米軍と一緒の北風政策ではなく、太陽政策が必要だ」、という趣旨の話をした。
そして、集会決議と行動提起が事務局からあり確認し、集会を終えた。集会後、なんばまでデモ行進を敢行した。 (T・T)
知花昌一さんの講演から
なぜ「日の丸」を焼いたか
沖縄戦が闘いの原点
4度におよぶ
「沖縄処分」
第一の処分は、一八七九年の廃藩置県。第二処分は、一九四五年敗戦で米民政府による植民地統治。第三処分は、一九五二年サンフランシスコ条約による沖縄の日本からの切り捨て。第四処分は、一九七二年本土復帰。核も基地もない、平和憲法への復帰と思ったが、実際は違っていた。沖縄施政権の日本への返還だけで、基地の自由使用はそのまま残った。基地を維持するための復帰だった。そして今、新たな琉球処分が行われようとしている。
いま、日本政府は沖縄の民意を代表する者に会おうともしない。民意は無視され続けている。復帰後の沖縄はいままでに一〇万人規模の県民集会を四度やっている。一九九五年少女暴行事件のとき。日本軍による集団自決という記述の「日本軍による」という六文字が高校教科書から削除されたことに抗議した二〇〇六年の集会。辺野古新基地建設に反対する二〇一〇年の集会。オスプレイ配備反対の二〇一二年集会だ。人口比で考えると、東京で一〇〇万人の集会が開かれたことを考えてくれればいい。
構造的差別を
打ち破るには
沖縄差別は構造的だ。これに打ち勝つため、みんなは一人になろう。みんなになるな。自立した一人一人になろう。みんなになると、支配者は統治しやすい。世間の中では苦しいが、自立が必要だ。
私が沖縄国体のとき「日の丸」を焼いたとき、多くの村民は「気持ちはわかるが、やり過ぎだ」と言った。出る杭は打たれると言うが、出すぎる杭は打たれない。「日の丸」は復帰のシンボルであり、国旗と思っていた。主催者の思いは国旗だったが、実際には国旗国歌法ができるまでは国旗ではなかった。
沖縄戦では、「日の丸」は日本軍のシンボルであり、米軍が読谷村に上陸したのも日本軍がいたからだ。国体で「日の丸」が覆い被さってくるのはいやだった。読谷村も「日の丸」は揚げないといっていたが、揚げなければ国体は開かないといわれ、当時の山内徳信村長は揚げるなら、県旗・村旗・国体旗がありその一番端に揚げるということになった。ところが、国体当日の朝行ったら、旗の入れ替えが行われていて、「日の丸」は中央に揚がっていた。そのことを許せなくて、「日の丸」を引きずり下ろした。よくやったという者、ぽかーんと見ている者いろいろだった。逮捕はされず、後でこちらから出頭した。「日の丸」の強制に反対するという村民の署名(村民の人口の半分)も教育委員会に提出されていたが、無視された。裁判の判決は、器物破損だった。その後、商工会の副会長などの役職もおり村会議員になった。
翁長知事や県議会議長だった仲里さんたちには、沖縄戦体験が原点にある。私は、現在六七歳で戦後の生まれだが、追体験することで問題が明らかになる。沖縄問題は沖縄の問題ではなく、日本の問題だ。でも、問題だと思うだけではダメだ。問題は、自分の課題だと思ったときから解決に向かう。バルト三国のことを最近テレビが放映していた。ソ連から独立するとき、六〇〇キロメートルに渡り一〇〇万人が手をつないだ。ソ連兵はそこに発砲し一〇人が犠牲になったが、それ以上は打たなかったという。みんながひとりになればつながることができる。(発言要旨、文責編集部)
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