安倍首相「施政方針」演説批判
政権打倒へ共同行動のうねりを
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「2020年の日本」とは?
本来ならば通常国会の冒頭に行われる安倍首相の施政方針演説が、開会してから二週間以上たった二月一二日に行われた。今国会の大きな焦点が、四月の統一地方選後に決定される予定の日米新ガイドラインや、昨年七月に閣議決定された「集団的自衛権」行使容認関連の海外での「戦争遂行」関連の法案であることは間違いない。
「イスラム国」(IS)に囚われた二人の日本人(湯浅遥菜さんと後藤健二さん)が極めて残虐な方法で殺されたことを利用して、安倍政権が海外での「邦人人質救出」作戦に自衛隊を派兵する法改悪を持ちだし、さらに二〇一六年の参院選以後に、いよいよ改憲国民投票に踏み込む意思を政権として明らかにしたことにより、そのことを多くの人が実感している。
しかし「施政方針演説」そのものの中身は「アベノミクス」に体現された「戦後以来の大改革」の断行や、「経済再生と社会保障改革」、「誰にでもチャンスに満ち溢れた日本」、そして「地方再生」を前面に押し出して、人びとに「チャレンジ」を求め、日本を「世界で最もイノベーションに適した国」(これは、「世界で最も企業が活動しやすい国」という露骨なフレーズの言いかえだろう)にしようというものになっており、それに続いて「外交・安全保障の立て直し」=「あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする安全保障法制の整備」を打ち出す組み立てになっている。これについてマスメディアでは「安保・改憲踏み込まず」、「『安倍色』抑え改革連呼」(朝日新聞 二月一三日朝刊)といった見出しで性格づけている。ここでは「改革」と改憲戦略が切り離されている。
だがわれわれは、安倍首相の語る「戦後以来の大改革」と「戦争国家法制整備」や改憲が切り離すことのできない一体のものであることを改めて強調しなければならない。
安倍は冒頭の「戦後以来の大改革」の項で岩倉具視の言葉を引き合いに出したのを皮切りに、「改革断行」の項で岡倉天心と吉田松陰を、そして最後の「二〇二〇年の日本」の項で吉田茂の言葉を引用して「改革」への施政方針アジテーションを締めくくった。被災地・福島の「復興」、昨年末に小惑星に向けて飛び立った「はやぶさ2」の帰還、そして東京オリンピックの開催と結びつけた「二〇二〇年の日本」とは、「戦後レジーム」を転換し、「九条」を改悪して改憲をやりとげた「新しい日本」になっている――安倍の施政方針演説はまさにそうした構成になっているのである。
「やるかやらぬか」の突きつけ
バブル崩壊後の一九九〇年代からリーマンショックを経て現在にいたるまでの二〇年以上におよぶ新自由主義的グローバル資本主義は、「規制緩和」を掲げた権利の剥奪と貧困・格差がかつてない規模で進行した過程だった。日本では企業中心で不十分きわまるものだった「福祉国家」の諸制度も解体されていった。とりわけ若い世代や高齢者、そして女性の格差・貧困は急速に拡大し、もはや支配階級の側にとっても無視できない状況となっている。ピケティの『二一世紀の資本』が日本でも大きな注目を集めていることは、その現れである。
安倍首相が今回の施政方針演説で、「若者への雇用対策」「すべての学生が、無利子奨学金を受けられるようにしてまいります」と言及せざるをえなかったこと、また「子どもたちの未来が、家庭の経済事情によって左右されるようなことがあってはなりません。子どもの貧困は、頑張れば報われるという真っ当な社会の根幹に関わる深刻な問題です」と語ったことは、支配階級にとっても新自由主義的資本主義の二〇年間が「社会の解体」をもたらす「真っ当」ならざる現実を作りだしてしまったとの危機感を示している。
しかし言うまでもなく資本主義支配階級の政治的エリートである安倍は、この現実の是正、格差の解消をもたらす政策ではなく、「チャンス」を与えるための「改革」、すなわちグローバル資本にとっての活動しやすい部門を作り上げる対処方針で、展望を与えようとするのである。
農協・農業委員会制度の改革、「農業生産法人の要件緩和」すなわち企業の農業経営への参入、TPP交渉の妥結、法人実効税率の大幅引き下げ、医療制度の改革と混合診療、原発依存政策の継続――これらに関して安倍の所信表明演説は「経済のグローバル化は一層進み、国際競争に打ち勝つことができなければ、企業は生き残ることができない。政府もまた然り。オープンな世界を見据えた改革から逃れることはできません」との恫喝で、あらゆる抵抗を突破しようとする決意表明を行っている。
安倍は「知と行は二つにして一つ」という吉田松陰の言葉なるものを引用しながら野党に次のように突きつけている。
「成長戦略の実行。大胆な規制改革によって、生産性を押し上げ、国際競争力を高めていく。オープンな世界に踏み出し、世界の成長力を取りこんでいく。なすべきことは明らかです。要は、やるか、やらないか」「この国会に求められているのは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です。『改革の断行』であります」。
「言葉ではなく行動」。この突きつけで安倍首相は批判を封じ、新自由主義的「改革」路線を強行し、「雇用破壊」・「残業代ゼロ」法案を押し付けるとともに、まさにそれと表裏一体である「積極的平和主義」の名の下での「戦争国家」法案の成立に突進しようとしているのだ。
「積極的平和主義」と戦争国家
安倍は施政方針演説の第6項「外交・安全保障の立て直し」の項を、海上自衛隊の練習艦隊がガダルカナル島で収容された一三七柱の遺骨とともに昨年一〇月に帰還したというエピソードから説き起こしている。「戦死者たちの尊い犠牲の上に、私たちの現在の平和がある」といういつもの文脈においてである。「戦後七〇年」にあたり「『積極的平和主義』の旗を一掃高く掲げ、日本が世界から信頼される国となる。戦後七〇年にふさわしい一年としていきたい」と続けるおなじみの論法だ。
そして戦後の「平和国家としての歩み」を「更に力強いものとする」ために「国民の命と幸せな暮らしは、断固として守り抜く。そのために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする安全保障法制の整備を進めてまいります」として、「集団的自衛権」行使容認と日米ガイドライン改定に対応した一連の「戦争国家」法案を意味づける。
安倍はそのために「日米同盟」が「基軸」であることを強調して、在日米軍再編を進めながら「学校や住宅に囲まれ、市街地の真ん中にある普天間飛行場の返還を、必ずや実現する」と強調し、「引き続き沖縄の方々の理解を得る努力を続けながら、名護市辺野古沖への移設を進めてまいります」と述べ「裏付けのない『言葉』ではなく実際の『行動』で、沖縄の基地負担の軽減に取り組んでまいります」と強調する。
そう。沖縄の人びとは、「言葉」ではなく、実際の「行動」で「ヤマト」政府の真意を見抜いてきた。そして「ヤマト」政府の「実際の行動」とは、沖縄の総意で選ばれた翁長新知事に会うことすら拒否することであり、辺野古現地で住民に対してふるわれる海上保安庁などの暴力なのである。
安倍の「地球儀俯瞰外交」の内実も、湯川さん・後藤さんが「イスラム国」に拘束されている時、二人の身柄の解放にまったく無為無策であったこと、それどころか「イスラム国」に対する「対テロ作戦支援」のために二億ドルを拠出すると公言して、かれらに口実を与えてしまったことに示されるように、ただただ米国の世界軍事戦略につき従うだけのものに過ぎないことがはっきり示されている。
問題は、安倍政権が今回の惨劇を「邦人救出」の軍事作戦や、対テロ「有志連合」への参加、さらには戦闘行為への支援を正当化するために利用していることである。「ODA(政府開発援助)大綱」に代わる「開発協力大綱」閣議決定(二月一〇日)で、「我が国の平和と安全の維持、繁栄の実現といった国益の確保に貢献する」と明記し、他国軍への支援(軍事目的は除くとしているが、それはきわめてあいまいである)を認めたことも、安倍の「積極的平和主義」が、軍事・非軍事の垣根を乗り越えた(これもシームレス、つまりすべてに「切れ目」がなくなっている!)国家戦略であることを明らかにするものだ。
そしてこのような戦略の延長線上に「憲法改正に向けた国民的な議論を深めていこうではありませんか」という所信表明演説での呼びかけが発せられているのだ。
「世界の中心が日本」なのか!
安倍は、戦後七〇年にあたって日中・日韓そして日ロ関係の改善についても呼びかけている。安倍は戦後五〇年にあたっての「村山談話」は「引き継ぐ」と主張している。しかし「村山談話」の個々の「キーワード的」文言を継承するかどうかについては言及を避けた。
「積極的平和主義」についての安倍の歴史観は、むしろ昨年五月にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での安倍本人の基調演説の中に示されている。
「自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。これからの、幾世代、変わらず歩んで行きます」。
「何世代にもわたって」。つまり安倍の祖父である岸信介元首相(東条英機内閣商工相)やさらにそれ以前から、という含意がここには当然ある。すなわち安倍首相にとっては中国侵略や「大東亜戦争」は「ひたぶるに平和を追求する一本の道」に沿ったものなのである。(内田雅敏「浅薄な歴史認識は何をもたらすか 歴代政権の歴史認識と安倍談話」、『世界』2015年3月号参照)。
こうしたウルトラな「大東亜戦争肯定論」に立つ安倍は、「世界の真ん中で輝くことができる。その『自信』を『確信』へと変えていこうではありませんか」と施政方針演説の最後で呼びかけている。「世界がうらやむ日本」といった巷にあふれる「自己肯定・自己賛美」的気分に同化することによって、「戦後レジーム」を払拭した「新憲法」へのイデオロギー的土台を確固たるものにすることを安倍政権は狙っているのだ。
この流れを逆転させる労働者・市民の共同行動を、大きく作りあげよう。
(平井純一)
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