枯れ葉は再び蘇るのか
進歩党の第1段階の実験は失敗
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「1987年の民主化以降の第1段階としての進歩政党の実験は失敗」した。
2015年1月現在、わずかな痕跡だけが残っている大韓民国の進歩政党に下した専門家たちの診断だ。ここで進歩政党と言うのは、今は解散されてなくなった統合進歩党および当初、彼らと同じ根っこから出てきた正義党、労働党、緑の党などを指す。第1野党である新政治民主連合は、ここから除外する。「汎進歩」と呼ばれたりもする新政治連合は厳密に言うならば、進歩と言うよりは中道保守に近いからだ。余りにも長い独裁体制を維持したわが国特有の政治的歴史的状況の中で、新政治連合のルーツが「反独裁勢力」であるということの故に、これまで便宜的にこれらの人々を「汎進歩」と呼んできたにすぎない。新政治連合は今なお明確な路線を決めることができないまま、進歩と中道路線の間でウロウロしている。
沈没を自ら招いた事情隠せず
これらの人々を除いた「本物」の進歩諸政党について語るならば、彼らは自ら崩壊した。もちろん政権の弾圧もあった。穴の開いた船をキチンと修理できないまま沈んでいたこれらの人々に近付いていき、船を直接うち壊し強制的に沈没させたのが憲法裁判所の「政党解散決定」だった。成り行きのままに沈没するか、あるいは自ら穴を塞いで再び航海することのできる機会をはく奪したという点において憲裁は批判されている。そうだからと言って統合進歩党が自分たちの船に穴を開けて沈没を自ら招いた誤りが覆い隠されるわけではない。
2012年、統合進歩党の問題を共に解決することができず跳び出した正義党にも一抹の責任がある。正義党は統合進歩党を出てきた後も少数の「スター政治家」の知名度にのみ頼りきったまま、脆弱な党組織や低い支持率などの限界を克服できていない。2008年に民主労働党から分派した労働党も、現在まで大衆政党としてこれといった役割を果たせずにいる。
これらの人々の問題とは何なのだろうか。今から15年前の2000年に民主労働党が創党された時、彼らは希望に満ち満ちていた。2002年の大選(大統領選)の候補討論会でクォン・ヨンギル民労党候補が語った「暮らし向きはちょっと良くなりましたか」という発言は空前のヒットを記録し、2004年の総選挙では初めて国会議員10人を当選させるという快挙を成し遂げた。恐らくその時が進歩政党が最も輝いている時期だったのだろう。
しかし2006年の一心会事件(民労党の一部の人々がスパイ行為をした事件)を契機として2008年に第1次分党が行われた。2011年末の総選挙を前にして再び合流したものの、総選挙直後の比例代表競選における不正の事態によって第2次分党が起きた。2012年の総選挙で野圏の連帯を通じて史上最大となる13議席を占めたことは、「選挙用の野合」という与圏の攻撃や競選における不正の事態によって、色あせてしまった。その後、2013年のイ・ソッキ統合進歩党議員の内乱陰謀疑惑がわき起こり結局、昨年12月に党が解散されるに至った。
何度かの分党の事態を経つつ進歩陣営は内部の深刻な問題を外部にさらした。自主派(NL)と平等派(PL)という民主化以前の狭量な運動路線間の葛藤を繰り返したばかりではなく、一部政派の「北韓(北朝鮮)無批判主義」を党内でキチンとけん制できなかった。結局は一心会事件、イ・ソッキの事態などによって吹き出すとともに進歩陣営全体に「従北のレッテル」を張りつける致命的な契機として作用した。
この過程にあって進歩政党が初期の頃から掲げていた無償教育、無償医療など有権者の心をつかんでいた「福祉国家」というイシューはセヌリ党に奪われてしまった。
「政治」ではなく「運動」を続けた
特に専門家らが進歩政党失敗の最も根本的な理由として挙げたのは、彼らが民主化以降も依然として運動圏的習性を捨てられないままに、「政治」ではなく「運動」を続けたという点だ。
パク・サンフン・フマニタス代表は、「民主主義は(1987年の)民主化以前と民主化以降は違わざるを得ない。民主主義以前の段階の進歩は大方、運動の形態によって体制に立ち向かうことになるが、民主化がなった後は本人たちも体制に参与することのできる機会を持つことになる。その時に民主主義を実践する方法は、民主化以前に運動によってやっていた方法とは異ならなければならない。ところが民主化以降も、かつての民主化前の運動論の延長で民主主義を考えるやり方が依然として進歩の内部で支配的だった。それが成果を生み出せなかった原因だった」と語った。
進歩政党の運動圏的習性が何なのかについてノ・フェチャン前・正義党代表は最近出版した「大韓民国の進歩、どこに向かうのか?」において、こう説明した。「運動圏の進歩は存在する方式と行動する様式があるが、存在する方式はNPとPDという政派であり、行動する様式はハチマキを締め集会に出て行くというあり方だ。今や追求する価値、存在する方式、行動する様式まで運動圏の進歩とは異ならなければならない。進歩の脱運動圏が今もって実現されていない理由については「運動圏の文化、情緒、慣行の中で『政治をやる』と言えば、それを出世主義と見たからだ。政治を1つの課業(任務)と考えられないのだ。(民主化運動をやった人々は)今なお、そのおぼろげな思い出にしがみつき、古い勲章であるかのように恋々としつつ自分たちが犠牲となって運動する時、運動しない多数に優越意識や選民意識を持っている」と指摘した。
この本では進歩政党の運動圏的習性を「政派覇権主義、理想と現実の区切り、運動と政治の混在、閉鎖的な組織文化と大衆的検証の回避、北韓無批判主義、最大綱領主義、理念志向主義、道徳的優越意識と選民意識」などとして整理している。
それならば今、進歩政党が歩まなければならない道は何なのか。何よりも急がれるべきは、かつての運動圏的習性を捨てることだろう。これは重ねて言うならば大衆との乖離を克服し、本格的な「大衆政治」へと踏み出さなければならない、という意味だ。
チョン・ヘグ聖公会大教授は「(民主化以前の)運動においては『路線』が極めて重要だった。だが(民主化以降の)政党へと変わった時は路線も重要だけれども、まずは政党は『支持』が極めて重要だ。運動としての政党から早く脱け出し、大衆の支持を受けなければならない。政党は元来、大衆の支持を土台として作ったものではないのか」と語った。
最小限10年以上の基礎づくり
進歩政党が大衆政党へと踏み出そうとするならば、これまで維持してきた「少数政党」の地位を捨て「授権政党」の基盤をうち固めなければならないとの意見もあった。シン・ジヌク中央大教授は「労働党、正義党、緑の党などが各自、労働や福祉、環境などに焦点を置いた1つのイシュー政党として存在することはできるけれども、それが充分な効果を発揮するのは議院内閣制(多党制)の下でだ。だが(2党体制が強固な)韓国では進歩政党が第1野党を圧迫することのできるほどの自らの立地を確保した時に政治的影響力を発揮することができる」と指摘した。彼は、このために進歩政党が労働・分配など社会的経済的不平等の問題だけではなく、経済成長や外交・安保の分野にも関心を持つことを注文した。
シン教授は「労働・分配、経済、外交・安保は政治において重要な3大軸なのに、韓国の進歩政党は3本の柱の中で労働・福祉など社会的経済的部分だけをいじっている側面がある。経済や外交・安保の分野において不完全性を脱する方向へと踏み出すときのみ、労働と分配の側面でも信頼や支持を受けることができる」と語った。
進歩政党がキチンと立ちあがることは一朝一夕にしてできることではない。現在の状況からすぐさま新しい党を作り出したり、バラバラになっていた進歩政党の再編を急いだからといって進歩政党がキチンと位置づくことができるわけではない、という意味だ。最近、繰り広げられている「国民の集い」や「社会民主主義フォーラム」などなど、新たな進歩政党創党を念頭に置いた様々な進歩的集まりに対して専門家らが生半可に肯定的意見を示さないのも、このためだ。キム・マヌム韓国政治アカデミー院長は「多様な進歩勢力が出てきているが、未だ方向などは明確でない。これらの人々と既存の進歩政党との関係もまだ整理されてはいない。このように様々な勢力では簡単ではないだろうと思う」と語った。
進歩政党が民主化以降の第1段階の失敗を克服し、第2段階の成功へと踏み出そうとするのであれば少なくとも10年以上の間、民主主義政治の基礎を鍛えることが必要だというのが専門家たちの診断だ。シン・ジノク教授は「選挙で勝利すれば執権の条件において多くのことをすることができるという発想のゆえに、選挙で負け続けているという点を認識する必要がある。
いつも昆虫カゲロウのように来年の選挙、その後の選挙を見越すそのような思考の限界のゆえに、この10年余りの間、ずっと進歩の危機が深まってきたという点を考えてみる必要がある。進歩政党の存在の意味は第1野党を圧迫し競争的な相手として浮上できるぐらいの政治的力量を育むことにある。少数政党として残り続けているかのように見える進歩政党ならば、選挙の際に第1野党が必要とする(選挙連帯の)道具的パートナー以上の力を持ちがたい。そのハードルを超えなければならない」と指摘した。
ソ・ブッキョン西江大現代政治研究所研究教授は「1987年システムが第1段階が整理された時点で進歩政党だけではなく、セヌリ党と新政治連合を含む第2段階の政治システムが新たに作られるだろうと思う。この過程において相当期間、各自徒生(それぞれ生きる道を図る)過程があるだろう。それが有権者の立場からは、あきあきし、うっとうしい状況にならざるをえない」と語った。
今後は何をするのか
進歩政党は再び蘇ることができるのだろうか。明らかなことは進歩に対する国民の渇望は依然としてあるという点だ。パク・サンフン代表は、こう語った。
「進歩政党の第1段階の実験は、いったんは失敗したと評価できる。だが完全に崩れ去ったと言うことはできない。韓国の民主主義にあって進歩政党が何らかの役割をすることを望む有権者がいなくなったわけではなく、ただ第1段階の実験において有権者の冷静な評価があったというだけだ。これらの人々は今後も既存の2大独寡占政党に対して批判的態度を維持するだろうし、進歩政党が本来の役割を果たすことになれば依然として再び支持する準備ができている」。
「そうであるがゆえに第1段階は進歩政党自らの失敗だったけれども、その失敗は韓国進歩政治の未来まで封鎖した失敗ではない。歴史的にも進歩政治の第1段階は失敗するケースが多い。西欧の大部分の民主主義国家において初期の進歩政党の実験は失敗した。重要なのは失敗からいかなる教訓を得ることができるのか、だ」。
勝敗は、その時にこそ分かたれることになるだろう。(「ハンギョレ21」第1044号、15年1月12日付、ソン・チェギョンファ記者)
【進歩政党*の歴史】
2000年1月 民主労働党創党
2004年4月 民労党、総選挙で10人当選
2006年10月 一心会問題
2008年2月 民労党分党(第1次進歩分裂)
同3月 民労党脱党派(シム・サンジョン、ノ・フェチャン、チョ・スンスら)、進歩新党創党
同4月 民労党、総選挙で5人当選
2011年12月 統合進歩党創党、民主労働党、国民参与党、新進歩統合連帯が合党および進歩新党の一部人士(シム・サンジョン、ノ・フェチャン、チョ・スンス)再入党
2012年3月 緑の党創党
同4月 統合進歩党、総選挙で13人当選
同5月 統合進歩党、比例代表競選での不正および中央委での暴力の事態
同9月 統合進歩党分党(第2次進歩分裂)
同10月 統合進歩党脱党派(シム・サンジョン、ノ・フェチャン、ユ・シミンら)、正義党創党
2013年6月 進歩新党、労働党に党名変更
同8月 統合進歩党、イ・ソッキ議員の内乱陰謀事件
2014年12月 憲法裁判所、統合進歩党の解散決定
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*統合進歩党、正義党、労働党、緑の党
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