書評
ミシェル・ワルシャウスキー著、脇浜義明訳、柘植書房新社 3800円+税
『国境にて』
イスラエル/パレスチナの共生を求めて
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イスラエルの
反シオニスト
著者であるミシェル・ワルシャウスキーはイスラエルに本部を置くAIC(オルタナティブ・インフォメーション・センター)の通称ミカドと呼ばれる中心的活動家である。AICは今も世界中にBDS(イスラエル製品のボイコット、投資引き上げ、制裁)運動を呼び掛け、ガザ支援船運動を展開している。
彼の著作『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』(二〇〇三年、柘植書房新社)は、すでに日本に紹介されている。本著『国境にて』は前著の続編にあたるもので、前著が「民族共生国家」の考え方・理念に力点が置かれているのに対して、『国境にて』はそのためにいかに実践したのか、いかに闘ってきたかに比重が置かれている。一九六〇年代後半からのグループ・マツペン(月刊誌『マツペン』〔羅針盤〕を発行し、グループの綱領はイスラエルの民主化、脱シオニズム)での活動に始まり、オスロ合意以降は新たにつくられたAICでの経験と実践に基づいて語られている。
圧巻なのは一九八二年のイスラエルのレバノン侵攻、サブラ・シャティーラ難民キャンプでの虐殺を契機に広がった平和運動に対する彼とマツペンの果たした役割である。予備兵士であったワルシャウスキーがレバノン行きを拒否するとそれに呼応したり賛成する兵士が全国で数百人も出現し軍に大きな動揺をつくり出した。さらにイスラエル国内に初めて和平派と呼ばれる「ピースナウ」が出来、イスラエル国内だけでも三〇万人を超すレバノン戦争反対のデモが起こる。この「ピースナウ」の中心にはシオニズムを担ぐ労働党の若い第二世代も多く存在したと書かれている。さらにこうしたイスラエル国内の大衆運動に触発され、パレスチナ民衆の中で第一次インティファーダが広がるのである。
危機感を持ったイスラエル政府はこうした運動の中心に位置したワルシャウスキーを一九八七年に「違法団体ほう助罪」(テロリスト支援嫌疑)で逮捕・起訴した(著者は弾圧を通してユダヤ人には寛大だが、パレスチナ人には厳しいイスラエルの「民主主義」の現実を暴露している)。この裁判で著者は懲役三〇カ月の刑を宣告されたが、裁判中に彼が考えたこと、浮かび上がった一つの概念の中心がこの本のタイトルとなった「国境」である。
「国境」を歩む
意識的な選択
彼は本著の冒頭で次のように述べている。「実際、三五年間の私の人生は、国境を歩む長い道のりであった。イスラエル国とアラブ・ムスリム世界の国境……越えてはならない国境もあれば、むしろ破るべき国境もある。ユダヤ人アイデンティティという国境は、私にとって大切に守るべき国境であるが、社会主義は国境をもってはならない。アンチテーゼ関係にある価値観の間には通過不可能な国境があるが、人や文化の交流や共存を禁じる国境は否定すべきである」。
同時に、彼の国境を歩む道のりを支えたのは、連れ合いであるユダヤ人弁護士である。彼女はマツペン以来の同志であるとともにイスラエルに弾圧されたパレスナチ人のために警察署・刑務所に精力的に出向き、惜しみない弁護活動を行った。彼女もまた「国境の壁」を打ち破る闘いを続けたのである。
彼は「ユダヤ人的アイデンティティ」を非常に大事にし、時には対象を判断する「ものさし」にもする。シオニズム、イスラエル国家の有様に対しては、この「ものさし」で鋭く切り込んでいる。これは一九六〇年代前半、一六歳でフランス北部のアルザスからタルムード(ユダヤ教の口承法典)を学ぶためにイスラエルに来たことに深く由来していると思う。その一方で彼は「私や同志たちが、ユダヤ文化や歴史を再認識し、自らのルーツとしても取り入れ始めたのは、一九八〇年代に入ってからだ。……シオニズムがパレスチナとユダヤのディアスポラの廃墟のうえに築こうとしている集団アイデンティティとは異なる集団アイデンティティ、その根拠や基盤となる説話や歴史物語が、やはり必要だと思うようになったのである」と述べている。「民族の共生」のためにユダヤ人的アイデンティティは必要不可欠だと主張しているのであり、新しい問題提起だと思う。
コンセンサス
とその崩壊
本著は第一部「砂漠」、第二部「ひび割れ」、第三部「内なる国境」、の三部構成である。第一部の第一項「国境の街」では少年時代を過ごしたフランス北部のストラスブールで体験したユダヤ人社会とその社会観に始まり、第二項の「ダビデがゴリアテとなる」から第八項の「捕らわれた人々、追放された人々」までは建国時代のシオニズムに主導されたイスラエル国家の有様と彼が活動を開始することになった出発点が具体的に明らかにされている。
第二部の「ひび割れ」では、一九六七年の六日間戦争の勝利によって一九四八年の建国以来初めて左派も含んだ国民統一政府ができ、「欺瞞的国民的コンセンサス」も形成された。しかしこの欺瞞的コンセンサスは一九七三年の戦争におけるシリア・エジプトの不意打ち的奇襲で無惨に打ち破られた。これを「(マスコミは)『総崩れ』『システムの崩壊』という言葉を使って、軍の兵士がこうむった屈辱感を代弁した。一九六七年戦争以降の至福感が吹き飛び、イスラエル軍の無敗、無敵という幻想が崩れた」のである。
この国民的コンセンサスの崩壊がどれ程のものであったかは、第二部第九項の「地震」の中で彼は次のように書いている。「実際の地震と同じように、余震はその後数年間続いた。余震第一波は、一九七七年、三〇年間続いた労働党政権が終わり、メナヘム・ベギンの右派政権が誕生したこと。第二波は、エジプトのサダト大統領の和平攻勢がきっかけになって、イスラエル内に『ピースナウ』と呼ばれる和平運動が登場したこと。……十万人規模のデモの成功、政府がシナイ半島からの撤退と同地の入植地解体に踏み切らざるをえなかった」。
だが余震はこれで終わらなかった。敗北を相殺し、あらためてイスラエルの強さを誇示するためにベギンとシャロンによって強行されたゴラン高原とレバノンへの侵攻に対し、前に述べたように市民三〇万人のデモと兵士の出兵拒否が起こり、さらにパレスチナ民衆のインティファーダが始まった。この結果、イスラエル政府は「和平」の方向にかじを切ることが迫られた。オスロ合意に向かわざるを得なかった経過は第一四項の「左派植民者」の中で極めて具体的に述べられている。
第三部、「内なる国境」の冒頭になる第一五項「ついに決別」では、「オスロ合意はシオニズム運動とイスラエル国家のパレスチナ人への態度の歴史的大転換を示すものであるはずであった」が、それがどのようにして反故にされ、逆に七日も経たない間に(幻想)は音をたてて崩れていき、一層分断と排除の攻撃が強められたのかが、ひとつひとつ歯ぎしりするかのように記されている。
その点からすると第三部は著者の活動と闘いの反省であり総括でもある。「正直に言って、当時私は実に無邪気にも、本書の第一部『砂漠』、第二部『ひび割れ』に続く第三部の表現を『新たな地平線』とし、そこでイスラエル住民を敵対する二陣営に分けていた壁が急速に崩壊していく有様を描こうと思っていた」が、今や「イスラエルは再び建国後二〇年間のときと同じように国民的(民族的)コンセンサス社会へと戻ってしまうだろう。そればかりかもっと悪いことに、宗教的原理主義が支配的となり、その結果公民的自由権や個人の基本的人権が脅かされる社会となるであろう」。
このワルシャウスキーの指摘するイスラエルの政治構造は、現在の日本の安倍政権が押し進めている新自由主義と右翼的な「戦争する国家」にそっくりである。検討に値する主張である。
シオニズムは
どこに行く?
本著の重要性はすべての問題についてイスラエルに焦点を据えていることである。それもイスラエルの中で弾圧にあいながら闘っている活動家が自らの言葉で語るという貴重な一冊である。
多くの場合、私たちは無意識のうちにパレスチナの側に立ってイスラエルを批判することが多いように思う。確かにパレスチナ問題は出発から今日に至るまで「イスラエルがパレスチナ民衆を弾圧し排除して国家の建設を進めてきたのである」からパレスチナ側に立つのは当然だが、問題を引き起こしているのはいつもイスラエルである。訳者も指摘するように「イスラエルの変革なくしてパレスチナ問題の解決はない。……その意味で、イスラエルを国民全体が同質的な一つの悪の単位と見るのではなく、様々な人間が存在する、矛盾と、ある意味では機会が存在する社会と見て歴史や文化や階級闘争や社会問題を知り、研究することも、それもパレスチナ支援闘争になるのではないか」。
なによりも本著がすばらしいと思うのは、シオニズムをイデオロギーとしてのみではなく、現実の社会の中でどのように具体的な役割を果たしているのかを理解させてくれる点である。第三部の第一六項「ユダヤ人とイスラエル人」の中で彼は次のように述べている。「シオニズムは誕生の瞬間から、ユダヤ教ばかりか、ユダヤ人そのもの、いや少なくともある種のユダヤ的なものを拒否する要害を内包している。それはシオニズム・イデオロギーによって欠陥を誇張されて戯画化されたユダヤ人イメージだった。……シオニズムは、そういう悪いユダヤ人像をヨーロッパから駆逐し、代わって近代的で文明化した強力なイスラエル像をつくり上げたかったのである」「シオニズムと反ユダヤ主義的反動政権・後にはイスラエル国家と反ユダヤ主義的反動政権との間に奇妙な協力関係が生まれた」……「シオニズムが反ユダヤ主義を必要としたのは明らかである」。
この彼の論理はオスロ合意以降、イスラエル政府がパレスチナ民衆との共生・連帯という「和平」の方向ではなく「高い隔離壁」をつくり、次々に入植地を拡大していくことを明らかにしているだけではなく、レバノン侵攻の際には和平運動の中心を担った「ピースナウ」やラビン首相が暗殺されたにもかかわらず、労働党やシオニストがなぜ極右政権を支持していくのかということを論理的に解き明かしている。彼はこれを労働党が持っていたシオニズムの矛盾の結果だと喝破し、オスロ合意後、「強くなったイスラエル」の中でシオニズムは方向を失ったと結論付けている。
そして彼は「イスラエル国が誕生すると、国家そのものが自己目的化し、もはや迫害、差別からの避難所という役割がなくなった。……『イスラエルを強固にするためにイスラエルへ』」に変わったと述べている。そして今日イスラエルは「強国」となったことによってシオニズムは新しい方向を探し始めたのだ。
彼の著作にはユダヤの伝説、説話、タルムードからの引用が多く『イスラエル=パレスチナ 民族共生国家への挑戦』では、読み進む段階でその都度止まってしまったが『国境にて』では「原注」だけではなくそれを倍化する「訳注」が付けられているため非常に読みやすかったことを付け加えておきたい。訳者に感謝です。
(松原雄二)
2.6雇用共同アクション厚労省前行動
残業代ゼロ制度絶対許さない!
取りまとめやめ、審議やり直せ
規制をなくして
「過労死対策」?
二月六日午後、厚労省前に、残業代ゼロは絶対許さない、と労働者の怒りの声が響いた。悪辣な労働時間規制つぶしの残業代ゼロ制度導入を強引にとりまとめようとする厚労省の狙いに対する強い抗議だ。
二月五日の各紙では厚労省の労政審議とりまとめ案が一斉に報じられていた。省令で定めるとされていた対象者の年収基準を「平均給与額の三倍超」として法令に書き込むことや、深夜勤務回数の制限など、対象者の安易な拡大や長時間労働野放しという批判を考慮した、というのが厚労省の言い分だ。
しかし、まさに生命と尊厳を守るために、労働者が血のにじむ闘いで築き上げてきた労働時間規制を、その概念そのものから壊すというこの制度の根幹にまったく変わりはない。現行労働基準法の下ですら過労死にまで至る長時間労働が蔓延している。その不十分な規制をも壊しておいて、少々の規制を付け加えて働き過ぎを防止するなど、ブラックジョークでしかない。
そのデタラメへの怒りと危機感は、過労死遺族の方々からすでに何度も明らかにされてきた。遺族の方々は、その危機感を毎回の労政審傍聴という行動でも示してきた。そしてこの日の行動では、過労死等防止対策推進全国センター代表幹事の森岡孝二さん、寺西笑子さん、川人博さんの三人連名による、「労働時間規制の根幹を覆す『プロフェッショナル労働制』に反対します」という、二月五日付の声明が配布された。残業代ゼロ制度の暴挙、非人道性はもはやごまかしようもなくなっている、と言わなければならない。
8時間労働制
の完全確立を
この日の労政審日程が明らかになったのは二月四日。行動は雇用共同アクションの緊急呼びかけに応えたものだったが、この暴挙を絶対につぶすとの決意を込め、春闘諸行動の合間を縫って多くの労働組合、労働者がかけつけた。そして、井上久全労連事務局長、中岡基明全労協事務局長をはじめ数多くの現場から続いた発言を通して、厚労省に向け、また審議に向かう委員に向け、審議をはじめからやり直し、労働現場を真摯に見つめたまじめな検証を行え、との声が次々に浴びせられた。
特に、労働側の規制強化を求める意見については労使の一致がないとして切り捨てる一方で、同じく労使の意見が完全に対立している残業代ゼロ制度や裁量労働制の規制緩和を平然と採用するとする論理の無茶苦茶さには、強い怒りのこもった批判が加えられた。
労働現場の実態は厳格な時間規制の必要をこそ告げている。残業代ゼロではなく過労死ゼロを、尊厳ある労働を保証する労働時間規制を、八時間労働制の完全確立を、の声を大きく高め残業代ゼロ制度導入をつぶすと共に、その要求に基づく現場からの力強い労働時間闘争を今こそ組織しよう。
なおこの日の労政審でも、労働側委員の強硬な反対によりとりまとめは先送りとなった。 (神谷) |