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    かけはし2015.年1月26日号

統合進歩党に解散が宣告された


パク・クネの父を「高木正夫」と呼んだ候補の政党はなくなった

進歩政党14年の歴史を国家が丸ごと否定


  パク・クネ政府が政党まで解散させた。
 パク大統領が意図したにせよ、そうでなかったにせよ結果的には2012年の大統領選挙期間に「日本軍将校だった高木正夫(パク・チョンヒ元大統領の日本名)」と自身の父を指称したイ・ジョンヒ当時統合進歩党候補の政党をなくしてしまったのだ。パク大統領の統治のありようを巡って「(1970年代の)維新時代への回帰」だとの批判もあるが、政党解散の行為に限ってみれば「(1950年代の)イ・スンマン(李承晩)への後退」だ。イ・スンマン政権は1958年に進歩党を解散させ、翌年には党首だったチョ・ボンアムを国家保安法違反によって死刑に処した。チョ・ボンアムは2011年に大法院(最高裁)で無罪判決を受けた。今回の政党解散は、世界各国の法曹人らが国家による政治的多元性侵害の可否を研究する最新版の事例となるだろう。世界にあっておよそほとんど見いだすことのできない政党解散をパク・クネ政府が敢行した結果だ。このすべてがパク大統領の就任2周年の12月19日に繰り広げられた。そこで「法治の場に政治報復が取って替わった日」(ノ・フェチャン前議員)、「憲法裁判所がパク大統領に就任2周年のプレゼントを贈った」(イ・ジェファ弁護士)という嘆息が出てきた。ある大学教授は「(憲法裁判所の)裁判官が9人なので、解散を決定したとしても『6対3』の解散決定程度と予想していたが、8対1の保守的判決が出てきて政治学者としても相当なショックを受けた」と語った。

2審、内乱陰謀は無罪なのに

 統合進歩党の解散まで、ゲリラ的であり速戦即決だった。
国家情報院の大選(大統領選挙)介入の世論が沸き立っていた昨年(2013年)8月、国情院はイ・ソッキ進歩党議員の内乱陰謀容疑を発表し、政局の流れを「イ・ソッキの事態」へと向きを変えた。その年の11月5日、政府は憲法裁判所に進歩党解散審判を請求して政党の空中分解の手続きに突入した。14年1月、憲裁で第1次の弁論が始まり、11月25日に最終弁論が締め括られた。憲裁は最終宣告3日前の12月17日に宣告日を政府と進歩党に通報した。
イ・ハンボン弁護士は「民事・刑事事件の判決日も普通は1カ月前、ダメでも2週間前に知らせてくるが、憲裁が(憲政史上、初めての政党解散審判の宣告日を)3日前に通報するのは余りにも異例」だと語った。年内に早く政党を解散させよという政府の圧迫が作用したのではないのかという疑いがある、という意味だ。その真偽が何であれ、政府が憲裁に解散審判を請求してから13カ月余で解散決定が出たこと自体が相当に早いものだ。
ドイツ社会が暴力革命を企てているとの理由で共産党を1956年に解散させた時も4年7カ月余の熟考期間を経た。特にイ・ソッキ議員の内乱陰謀事件についての大法院判決がまだ出ていないのに、憲裁はイ議員の内乱陰謀行為が党全体の行為とみなされるとし、これを解散の主要な理由とした。2審でイ議員の内乱陰謀が無罪(内乱煽動は有罪)として出てきた結果は、解散を阻む主たる理由として作動できなかった。
正常な速度を離脱したこのような速度戦は政治的目的があるのではないのか疑いを抱かせて当然だ。秘線(秘密ラインのネットワーク)の「実力者たち」による国勢壟断疑惑が年末の政局を強打した状況を突破しようとして進歩党解散の決定をいささか前倒ししたのではないのかとの疑いだ。
ノ・フェチャン前議員は「今回の解散審判請求は国情院の不法大選介入事件によって危機に直面したパク・クネ政府の危機の局面から始まった。そして進歩党解散決定は秘線の実力者たちによる国政壟断事件によるパク・クネ政府執権最大の危機局面にあって、それをそらす役割を果たしている」と語った。このような政党解散がひき起こす社会的波紋をよくよく見ておかなければならない。

ドイツ共産党解散時には


まずは進歩党1つを解散することで終わるのかという、「公安的不安感の拡散」に対する憂慮だ。これはキム・キチュン青瓦台秘書室長、ファン・ギョアン法務部長官、パク・ハンチョル憲法裁判所所長など公安検事出身の3人が進歩党解散請求(政府)や解散決定(憲裁)の主体として乗り出した象徴性のゆえだ。チョ・グク・ソウル大法学専門大学院教授は「憲法裁判所内外の公安派の完勝」と批評しつつ、「(パク大統領が執権3年目となる)2015年に従北の局面へと一切を押し進めるものと見られる」と展望した。パク大統領は2015年には経済の再生を前面に押し出すだろうが、一方では進歩党と直接的または間接的に結びついた人々を従北勢力として孤立化させる「公安的攻勢」を通じて政府批判の世論の糾合を阻もうとするだろうという意味だ。
ドイツでも共産党の解散にとどまらず、解散以降に共産党の関係者12万人余を捜査し、このうちの6〜7000人を刑事処罰した前例がある。進歩党のある関係者は「ドイツ共産党解散の後の政治的嵐に見られるように、政府が国家保安法を振りかざして進歩党の主要な党役員や専従および党員、2012年の党比例代表候補の選出の際にイ・ソッキ議員を推した人々の一部を拘禁しようとして乗り出すのではないだろうか心配」だと語った。
進歩党弁護人団の一員であるイ・ジェファ弁護士は「進歩党解散請求は進歩党だけを標的にしたものではない。進歩党の前身である民主労働党出身の政治人たちも違憲政党のレッテルを付けられることになり、進歩党と選挙の連帯をした新政治民主連合も(従北攻勢の状況から)自由ではあり得なくなった」と語った。政府側の代理人として踏み出した検事たちは、進歩党の人々が暴力革命という隠れた目的を持っているとし、彼らの頭の中の考えまで予断しようとして思想・良心の自由を侵している。進歩党側の弁護人団は、こう反論している。
今回の解散決定は、市民らがいかなる政党を選択するかの権利だけではなく、選択しない主体的権利をも政府が強制によって奪い去った非民主的措置だとの批判もある。ある政党が今にも暴力を伴い社会体制を転覆しようとしているのではない以上、政党の政治的行為に対する判断は市民に委ねるべきだ、ということだ。進歩党弁護人団団長のキム・ソンス弁護士は「わが社会の主流的立場と異なった主張をしているからと言って、政党を政治的公論の場から(強制)追放するというのは民主主義の放棄」だと指摘した。アン・チョルス新政治民主連合議員も「政党解散の決定は憲裁ではなく国民と有権者が投票によって審判すべき領域」だと語った。

政治的信念の萎縮を強制


憲裁が、民労党の創党から進歩党の解散まで続いた進歩政党の14年は「暴力革命を試図し、北韓(北朝鮮)式社会主義を追求した時間」という政府側の主張を受容することによって、進歩政党の歴史も国家によって丸ごと否定されることになった。少数・弱者を代弁する進歩の価値に呼応した党員や市民も従北政党を支持したという社会的烙印を押されることになったとの憂慮さえ出てくる。憲裁の9人の裁判官のうち唯一、進歩党解散に反対したキム・イス裁判官は「進歩党を解散すれば被請求人(進歩党)を支持した国民を反国家団体の支持者だと規定すること」だと語った。
政治学者のチョン・サンホ・ソウォン大教授は「民労党の時から進歩政党に票を投じてきた有権者は(結局、暴力革命という隠れた目的を知らないまま)まやかしに乗せられた愚か者になるのだ。進歩政党を支持した有権者の政治的選択を貶めたもの」だと語った。政府が政党を解散したのは市民たちの判断能力を信頼できない政府の過度な介入だということだ。
今回の解散決定がもたらす危険性のうちの1つとして進歩的用語使用の退出と政治的信念の萎縮も挙げられる。政府は弁論の過程で進歩党の綱領に込められた進歩的民主主義、「自主・民主・統一」が北韓で主に使用している言語であり、民衆主権と「働く人々のための政党」などは特定階級(高所得層)の権利をはく奪しようとする意図を盛りこんでいるとして違憲政党であることを一貫して強調してきた。
憲裁が政府側の主張を受けいれることによって、進歩的民主主義、自主・民主・統一、民衆主権など長きにわたって進歩平和を追求してきた人々が用いた言葉がわが社会において言語的存在感を失うことになるのではないのかという憂慮を招く。「人民」という言葉が北韓でしばしば使用されるという理由で、わが社会にあっては心理的タブー語になったのと似たような効果が生じかねないというのだ。
進歩政党に票を投じていた有権者の所信の投票にも一部に影響を及ぼしかねないとの意見もある。チョン・サンホ教授は「(これまでの総選挙で)地域区は当選が有力な政党に投票し、政党投票は自身の所信にふさわしい信念投票をしていたが、このような有権者の選択が萎縮しかねない」と語った。特にチョン教授は正義党という院内進歩政党が残っているとは言うものの、働く人々の政党を掲げた「民主労働党→統合進歩党の14年」が潰え去るとともに政治圏において労働問題を代弁する政党が弱まったのも大きな問題だと指摘した。彼は「韓国政治において労働の代表性が砲撃を受けることになった。今や労働が(労働者の数に比して)過小に代表される問題をどう復元するのかが(進歩改革勢力に)課題として残されるところとなった」と語った。市民社会の元老であるキム・サングン牧師も「民主主義は進歩と保守が2つの翼で飛ばなければならないのに、今それが潰えさる危険な境界線に来ている」と心配した。

食事を無料提供し就任2周年を祝う


けれどもわが社会に対する政府の公安的管理は一層強化される可能性がある。チョン・ホンウォン国務総理は進歩党解散直後、国民への談話を発表し「政府は自由民主主義体制を棄損したり、これに挑戦するいかなる試図や行為も決して受けいれはしないし、これに断固として対応していくであろう」と語った。政治の多元性が萎縮したこの日、パク大統領は青瓦台の構内食堂の食事を職員すべてに無料で提供し、就任後2周年を自ら祝った。だが同じ日、パク大統領に対する国政支持率は就任後最低値となる37%を記録した世論調査(韓国ギャラップ)の結果が発表され、国政に対する世論の不安感も同時に表れた。(「ハンギョレ21」第1042号、14年12月29日付、ソン・ホジン記者)

【統合進歩党解散の過程】
2013年8月28日 国家情報院、内乱陰謀容疑でイ・ソッキ進歩党議員室などを押収捜索
9月4日 イ・ソッキ議員退歩同意案国会で可決
9月5日 水原地裁、イ・ソッキ議員に対する拘束令状発布
11月5日 進歩党解散審判請求案、国務会議通過。政府、憲政史上初の政党解散審判を憲法裁判所に請求
2014年1月28日 憲裁、政党解散審判1次公開弁論。ファン・ギョアン法務部長官、イ・ジョンヒ進歩党代表直接弁論
2月17日 水原地裁、イ・ソッキ議員に適用された内乱陰謀・煽動、国家保安法違反すべて認定、懲役12年・資格停止10年宣告
8月11日 ソウル高裁、原審破棄しイ・ソッキ議員の内乱陰謀は無罪、内乱煽動および国保法違反は有罪認定、懲役9年と資格停止7年宣告
11月25日 憲裁、18次(最終)公開弁論。ファン・ギョンアン法務部長官、イ・ジョンヒ進歩党代表が最終弁論
12月19日 憲裁、進歩党解散および議員職喪失宣告

【訂正】本紙前号(1月19日付)3面関西連続講座の上から6段目右から15行目の「一九八九四年」を、「一八九四年」に、4面沖縄インタビューの上から6段目左から9行目の「西銘」を「仲里」に、同じく4面下から4段目右から2行目の「恩います」を「思います」に訂正します。


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