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    かけはし2015.年1月26日号

反攻の発展へ全欧州の連帯を


スペイン ポデモスの多様性の保持と民衆的統一

生命力強化はいかにして可能か

マヌエル・ガリ


 ギリシャに続いてスペインでも、反緊縮の民衆的抵抗が、新たな左翼政治勢力(ポデモス)の急速な成長として結晶化している。ポデモスは昨年のEU議会選ではじめて登場した左翼政党だが、すぐさま五人の当選を勝ち取り注目を集めた。その後の世論調査ではさらに支持を伸ばし、二大政党の人民党と社会労働党による政治支配、という伝統的な政治システムに大きな動揺を作り出している。その中でポデモス自身にも、今後の政治的、組織的方向性があらためて問われる問題が生まれている。それがどのような問題なのかを含め、この勢力の創出母体のひとつとなった第四インターナショナルスペイン支部のIA(反資本主義左翼)の同志による、この問題に関する観点を以下に紹介する。(「かけはし」編集部)


一二月二〇日、アルベルト・サンフアン(映画・演劇俳優)は、ラ・セクスタTVの朝の番組におけるインタビュー、グラン・ウィオミン(本名はホセ・ミゲル・モンソン・ナバロ、テレビ司会者、ユーモア作家)との対話の中で、「われわれには民衆のために新たな段階を開始する義務があるがゆえに、ポデモスにとっての新たな局面を今開きつつある」「われわれみんながポデモスだ」と語った。
そしてそれこそが、批判することに代えてわれわれが行動しなければならない理由だ。このメッセージに関する限り私は、全面的に同意できるだけだ。しかし問題は、そこには多くの意味が、それゆえ解明されるべき、異なる様々な意味や意味のレベルが含まれている、ということだ。

組織イメージめぐり分岐進展

 活動家の観点からは――私の場合がそれだが――、あるいは少なくとも党員登録されポデモスの想定上の有権者という個人の観点からは、サン・フアンが断言していることはいわば大きな真実だ。われわれは望んだからメンバーになった――われわれの何人かはその始まりから――。そして理由もなく得点を稼ぐためだけに専念するような「ポデモス語族」軍団に加わるつもりはない。しかしながらわれわれにはひとつの見解があり、社会の多数(社会の多数派である、搾取され抑圧されている人びと)にとって最良であるとわれわれが確信するやり方で、党が社会に提案し自らを組織することに向け、行動しようとしている。
第一の問題がここから始まる。ポデモスの構想は今、「選挙戦機構」を基礎において集中された組織モデルを通して――パブロ・イグレシアスの明確な指導性の下に、それは、はっきりさせておきたいが、異議のないかつ争う余地のない指導性だが――、同時に諸々の仕組みによる承認を通して具体化されようとしている。ちなみにその仕組みは実際上、全員投票的なものとなった(メディア上での圧倒的なイグレシアスの露出度を基礎とした、インターネットでの問いかけと回答)。
ポデモスの公式創立後に、そしてEU議会選以前にすでに、一つの対立とポデモスを創出してきた諸部分間での対話回路に関するいわば欠落が結晶化した。ここに挙げた諸部分とは、マドリードのラ・コンプレタンス大学の教授グループ(パブロ・イグレシアスとカルロス・モネデロはそこに属している)と反資本主義左翼(IA)だ。この分裂の表現は、偽りの「理論」がそこら中に広げられた時にもっとも鋭くなった。ちなみにその「理論」によれば、IAが、萌芽的組織の指導部を確保する目的で「クーデター実行」の陰謀をめぐらしている、とされた。
これは、指導部を排他的に固めIAを完全に排除するという目的に基づく、今回は実体をもち想像上のものではない策動を正当化することに導いた。それは二つの党派間に仲違いを引き起こし、それは、私が何回も言ってきたように、この構想には何の助けにもならなかった。

多元性と多様性殺す手法に懸念


マドリードでの市民評議会(二〇一四年一〇月)に続いて組織モデルが承認されたやり方を前提とすれば、重要な諸制約を弱めることを強制されることなくポデモスのあらゆる部分が行動できる、と言うことは容易ではない。しかし私が懸念することは何よりも、内部的指導諸機関選出に向けたリスト準備の中で一つの実践が確立されてきた、という事実だ。そしてそのリストは、イグレシアスを軸とした指導的中核が承認しない者たちの代表選出を困難にしている。
定員すべてを満たしたリスト、個人化された投票、この構想に関する論争の制限、そのすべては、指導部の威信とマスメディア利用と平行して、一色の市民評議会選出に結果した。この手法は、自治体市民評議会選出でも繰り返され、国家レベルの市民評議会に対してはパブロ・イグレシアスがトップに置かれたそのリストと同じ名前をもつ、単一の「正式な」地方の立候補だけがある、という方式に結晶化した。
有権者にとっては諸理念をもつ団体が身近だ。したがって実践上、指導部の絶対的多数を保持しているポデモスの多数派は、自らを組織された傾向として構成する過程にある。もっともこれは、彼らの意図ではなく、それが公然と周知されあるいは表現されることもなかった。多くの場合、七五%の票を得るものはどれでも自治体評議会(ポデモスの地方組織)の部署一〇〇%を確保すると想定されているが、そのことを合わせれば、そしてこの方式が固定化すれば、ポデモス内部に存在している多元性と多様性、ポデモスの豊かさと強みの一部であるそれらは、指導部内に存在しないことになるだろう。
これらの機関への多少とも比例的で多元的な参加を欠けば、内部的多元性の統合はより困難となる。自らをポデモスへの全面的な参加者とみなすことに大きな困難をおぼえる部分が出てくることになるだろう。

新しい局面で多彩さ回復の道

 私が常に確信してきたことだが、指導部はこの問題に関して、実践と方式の領域で変更を行うだろう。そしてそれは、組織全体に利益をもたらす可能性があるだけだ。そうでなければポデモスは「生物多様性」を失うだろう。そしてそれはポデモスを、疫病や悪疫の流行に対しもっと隙だらけにするだろう。正しい方向に動く内部的な変化が起き、多声音楽や多様なものの混じり合いを可能とすれば、ポデモスは新たな挑戦や攻撃――ポデモスが政権を得ればなおのことそうなる――に対して自身を強化するだろう。そしてその攻撃や挑戦は、ドイツ連邦銀行、欧州中央銀行、EU委員会、IMF――死を呼ぶ新たなカルテット――によって支援され、資本と一九七八年体制(フランコ体制からの安定した「退出」を作り出した一つ)間の神聖同盟から来ようとしているのだ。
次のリストづくりでは――内部機関に対してか、予備選や一般選挙に対してか――、ポデモス指導部と制度的な代表の内部にいるあらゆる部分の、全面的な参加や合同の参加を候補者提出システムが妨げないようにわれわれが何とか切り盛りする、こうしたことがもっとありそうだ。そしてもちろんそれは望ましいことだ。この目的のための手続きや仕組みが諸々あり、それらは組織の組織的基準に一致している。
こうしたことに向けては、テレサ・ロドリゲス(IAメンバーである、ポデモスの五人のEU議員――その女性二人のうち一人――の一人)のアンダルシアでの立候補に対するパブロ・イグレシアスの支持公表は極めて励みになるものだ。これは、内部的協力におけるいわば「赤字」の段階の終わり、そして組織内部の異なった諸見解の存在を正常なこととするもう一つのあり方の始まりを示し得るものだろう。ポデモスは次いで、その活動に多様性が含まれる局面に入ると思われる。政治勢力のあらゆる構成部分が他の部分との関係で公正で友愛的なやり方で行動するならば、多元的で民主的な論争がより効果的で統一した行動を可能にするだろう。

「1%vs 99%」と固い基盤の軽視

 われわれは、先の多重的な意味をはらんだ定式、すなわち「われわれすべてはポデモス」に第三のレベルを加えなければならない。それは社会の全体にかかわっている。ポデモス指導部が勝ち取ろうとつとめている社会的基盤とは何だろうか? 彼らはどのような選挙基盤を作り上げようとしているのか? 私が思うに、ポデモス内の多数派の分析は以下の考え、つまり「一%に反対する九九%」という考えに依拠している。
しかしこの取り組み方は、社会を横断している敵対的な戦線すべての理解を妨げる。そしてその社会では不幸なことだが、一%が、経済的な理由からだけではなく、社会的吸収力やイデオロギーに関係した理由から、人口の広範な諸層内部に安定した連携者を諸々保持している。
ポデモスの現在の戦略には、選挙上の諸々の必要や有力な「常識」とポデモスが向かおうとしている住民多数の意識レベルへの、その主張の順応が伴われる。その構想は今、「カースト」に対して、「寡頭支配者」に対して分極化した民衆、を軸として選挙での多数派をまとめ上げようとの大望を抱くものになろうとしている。それには、その主張と綱領への社会的で政治的な要求の統合を戦術的な選挙上の選択に従属させる傾きがある。それゆえそれは、身近な関心事で特徴づけられている。選別の基準は、次期の総選挙で勝利するために、可能な限りもっとも幅広い国民的―民衆的統一を築き上げる点で、それが役立つかどうかとなっている。
ポデモスは、その建設の中への地方評議会の精力的な参加と内部的論争を通してしっかりと固められた基盤、を熱望しているとは見えないような、そうした新たなタイプの選挙政党として構築されようとしている。それは、ますますプラグマチックな、いわゆる中産階級内部での支持を勝ち取ることに向けられた、そうしたより一層具体的な諸提案の定式化をもって、社会的変革というその構想と選挙上の諸々の必要による継続的な再調整の慎重を要する精確さを、その社会的支持基盤の確定回避と組み合わせている。それは、政治勢力としての「社会的信頼性」を強めようと狙っている。この意味でポデモスは、諸社会運動と組織の関係を第二級のレベルに引き下げている。
われわれはこうして、ブルジョアジーに敵対的な勢力としての民衆の力を追い求める中で民衆的統一を築き上げる、ということを放棄しつつある。私に関する限り私は逆に次のように考える。つまり、選挙の勝利と、地方レベル、自治的なコミュニティーのレベル、そして中央国家(スペイン国家は幅広い権限を有する一七の自治的コミュニティーから構成されている)のレベルにおける左翼政権の形成に向けた努力を、下部から始まる民衆的統一、組織化、動員の強化と推進に関係づけることが必要、ということだ。これら二つの進展は、ポデモスが政府を形成することがあれば拡大するはずの、反動的な反攻に対処できること、またそれらの障害に打ち勝つことを目的として、互いに強め合わなければならない。

衝突を前提とした路線設定必要


体制の現在の諸危機、何よりも二大政党(ラホイの人民党と「若い」ペドロ・サンチェス率いるスペイン社会労働党)の下降によって提供された好機の窓を利用しようとの、正統かつ必要な大望は、ポデモスの立場諸々の急速な進化を引き出そうとし、二〇一四年五月のEU議会選にその下でポデモスが立候補した綱領の決定的な諸問題に関する穏健化に導こうとしている。このような姿でポデモスは、国家の諸々の責任を果たし、各領域で専門家である最良の人びとが政府の一員となる、そうした現実主義的なオルタナティブ政権として現れることを意図している。民衆諸勢力の綱領を参加型で発展させることは語られていない。また将来の政府が民衆諸組織の強化とその直接的参加を支援し、またそれによってささえられる必要も語られていない。
ポデモスの選挙綱領とその主張の穏健化は、選挙に関する期待の高まりと一つの考えに向けた進化を伴うことになった。それは、組織に焦点が合わされないならば、一切合切を抱え込んだ政党というモデルを模倣することで終わることになるような考えだ。われわれは、住民の幅広い部分を病ませた中心的テーマを押し出すことを通して、思想的な提携関係を超えた「中心性」を追求することから、政治的「中道」に向けて社会労働党と張り合う試みへと進んでしまっている。こうして、EU議会選の選挙綱領のより左翼的な過去を消し去る目的で、新たな社会民主主義のイメージが押し出されている。二人の大学教授(経済理論的にはケインジアンであり、政治的には社会民主主義者であるホアン・トーレスとビセンス・ナバロ――訳注)がその責任を負った経済綱領案が、この作戦遂行に向けた道具となってきた。指導部が民衆との間で確立したいと思っている関係のモデルは、有権者との直接的で媒介者のいない関係の中で、それが非常に様々なメッセージを組み合わせることを可能にする、ということを意味している。
この第三のレベル、社会全体のレベルでは、われわれすべてはポデモスではない。社会の内部には、九九%に対置される一%をはるかに超えて伸びる割れ目が諸々あるのだ。階級闘争は存在し、その進路にしたがっている。ポデモスの経済綱領に向けた提案に関する専門家であるトーレスとナバロの文書は、この諸方策の実行は「市場の憤り」を伴うことになる、ということを忘れているように見える。
対立を想定することなしに、ブルジョアジーは新たな協定(独裁からの脱却に際して作られた、一九七七年のいわゆる「モンクロア協定」のような)を必要としておらずそれを欲してもいないということを考慮しないで、社会的多数のための綱領を政府レベルで確定できる、というようなことは考えられない。社会のさまざまな層の間には利害の対立があるがゆえに、この国ではわれわれは、全員がポデモスではないのだ。
ポデモスである者たちは、一九七八年の改革から現れた体制と「アウステリサイド」(殺人的緊縮)を清算することに理由をもつ者たち、社会的多数に利益となる変革のために活動する者たちだ。これこそが、ポデモスの内部的統一を強化し、それ以前の進展の中でこうむり加えられた傷を治す素材をわれわれが見出すところだ。われわれは、民衆のための新たな段階を開く義務を負っているがゆえに、ポデモスのための新たな段階を開きつつある。

訳注)この両者を含んだ著者による経済提言書『もう一つの道はある』が、つげ書房新社から邦訳出版されている。
▼筆者は労働組合活動家であり、第四インターナショナルスペイン支部の元指導者、「ビエント・スル」誌編集委員でもある。(「インターナショナルビューポイント」二〇一五年一月号)



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