1.16雇用共同アクション厚労省前行動
長時間労働・過労死推進だ
連合会長も抗議の発言
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形式的論議で
審議打ち切りへ
一月一六日、労政審労働条件分科会の今年最初の審議が行われ、厚労省はこの場に、労使の意見が真っ向から対立していることを承知の上で、「残業代ゼロ」制度創設などを内容とする骨子案を提案した。
「残業代ゼロ」制度部分では、「特定高度専門業務・成果型労働制(高度プロフェッショナル労働制)」などという名称の下に、対象業務を、従来言われていた金融商品の開発やディーリング業務、コンサルタントや研究開発業務といった専門業務だけにとどめず、「時間と成果の関連性が強くない」業務を含むように拡大した。この拡大部分の規定はまさにあいまい、明らかに、将来のデスクワーク全般までの拡大に向けた布石と考えられる。そして年収要件として一〇七五万円と明示された。しかしそれらの業務や労働者の範囲は省令での規定とされ、先の業務規定拡大のあいまいさといい、対象労働者の拡大が今後いくらでも可能になる仕組みであることは歴然だ。
その上で働き過ぎを防止するとして、企業に一定の仕組みの導入を求めるとされたが、あくまでも「求める」であり、内容的にも企業を縛る具体性は極めて薄い。そもそも提案されている制度が企業に労働時間管理責任を免れさせるものである以上、どのような仕組みであれそれが実際に機能しているかどうかは結局、その制度下に置かれた労働者の自己責任にされてしまう論理が潜んでいることを忘れるわけにはいかない。要するに、長時間労働防止と「残業代ゼロ」はどこまで行っても水と油であることは、この厚労省案が逆に照らし出しているとさえ言える。
一方裁量労働制の見直しも提案された。対象を一部の営業職に広げたり、この制度導入の要件となっている労基署への届け出を本社一括届け出とするなどの手続き簡素化だ。いずれも労働者にとっては何の必要性もなく、「使い勝手が悪い」などの使用者側の不満に応えたにすぎないことは明らかだ。しかし裁量労働制にもその実態に踏まえ、不払い残業の偽装を含んで長時間労働を促進する問題ある制度として、長く批判が続いてきた。見直しするならば本来、その廃止を含めて、厳格な労働時間規制でなければならず、ここでも企業都合への迎合はあからさまだ。
労働者の健康をむしばむ長時間労働が蔓延する現実の労働実態も、労働者委員の意見も完全に無視する悪辣とも言えるこの提案に対し、当日の審議では、使用者委員が歓迎を明らかにする一方、労働者委員は当然猛反発、労働時間上限規制やインターバル規制の導入を厳しく要求した、と報じられた。しかし厚労省の目的は明らかに、この日の骨子案提案で労政審審議の形を整えること。次回で建議とりまとめに強引に持ち込む腹づもりだとも伝えられる。あまりに人を侮蔑したやり方であり、絶対許すことはできない。さすがにマスメディアにも批判的な論調が出ているが、何よりも、広範な反対の声を具体的な行動として突き出すことが決定的に求められる。
1月30日の
決起集会へ
まさにそこに向けて「安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション(雇用共同アクション)」は、この日も労政審に対する抗議行動を厚労省前で展開、小田川義和全労連議長、柚木康子全労協常任幹事を先頭に、さらに四人の争議団、労組の代表がリレートークのマイクを握り、「残業代ゼロ」制度などという非道で労働者の権利を無視した制度は決して認められないと、強く訴えを響かせた。八時間労働制の原則を厳しく徹底し、企業の違法・脱法を許さないこと、さらに時間短縮を進めることこそ必要、労働者の意見や現場の実態を完全に無視する厚労省の姿勢は許さない、などまさに怒りを込めて声が上げられた。
そしてこの日、雇用共同アクションに先立って、連合も同じ場所で抗議行動を展開し、審議に入る労働者委員を激励した。その中では古賀伸明連合会長がマイクを握り、労働者保護ルールの改悪には絶対反対と強調、一部で流された大筋合意の報道を否定した。
労働時間法制をめぐる闘いはまさに決定的な局面を迎えた。通常国会への法案上程に強く固執しつつも、政権側には社会的反対の強さへの自覚があるのか、次回の労政審日程はいまだ公表されていない。何としても全労働者的な反対の行動を実現しなければならない。そこに向けて雇用共同アクションは、一月三〇日午後六時半から、文京区民会館での決起集会を呼びかけている。この集会の大衆的結集での成功を踏み台にさらに大きなうねりを作り出そう。そのために全力を尽くそう。 (神谷)
12.29〜1.5
15山谷越年越冬闘争
排除に抗する団結の力を発揮
仲間で協力して
炊き出しを開始
一二月二九日から一月五日の早朝まで、今年も山谷越年越冬闘争が行われた。
一二月二八日には毎週日曜日に行われている共同炊事を通常通り行い、夕方からは越年越冬闘争実行委員会で越年に向けた最後の詰め。それから上野、浅草などに越年闘争への参加を呼びかけるパトロールに出発した。
翌二九日は正午に山谷労働福祉会館に労働者や支援者が集まって打ち合わせを行い、いよいよ越年闘争に突入。会館から城北労働福祉センター前へ物資を運び込み、設営を開始。
途中で、消防と警察が路上で火を使うなと介入を試みたが、これを一蹴した。消防は炊き出しのかまどがアスファルトを傷めないように台を入れて浮かせてあること、側に水を入れたバケツを常に用意してあることなどを確認し帰っていった。集団野営のためのテントの設営と平行して夕食の準備も進めて行く。
五時ごろには設営も、食事の準備も整い、越年最初の夕食。この日も人民パトロールを行い、出会った仲間も合流し、集団野営。
被ばく労働問題
の学習会を開催
翌一二月三〇日は「はじめての山谷講座&被ばく労働問題学習会」と題した講座を行った。初めて山谷を訪れたという人も含めて多くの人が参加し、夕食の共同炊事をともに行った。共同炊事で使う野菜は三里塚などからの、モツなどの肉は芝浦と横浜の屠場労組からのカンパ、魚は業者の方が同業者に趣旨を説明し、集めてくれたもの。
寝床の布団や毛布も全国から送られてくる。多くの人々の支援に支えられて越年も毎週日曜日の共同炊事も成り立っている。
越年中、合計
四回の餅つき
三一日からは各地に繰り出しての餅つきだ、三一日は毎週の共同炊事を行っている隅田公園。隅田川の両岸に最盛期には一〇〇〇軒以上あった野宿の仲間のテントも度重なる追い出しで、一〇分の一ほどにまで減っている。その分テントを持たずに、駅や路上で夜だけ寝る仲間が増え、貧困ビジネスが跋扈している。東京都の統計には「ホームレス」として計上されない人々だ。しかし、それでも多くの仲間が集まって、元気よく餅つきを行った。一日は東京都の越年期の山谷対策である、なぎさ寮。二日は江東区竪川。三日の上野公園では公園を訪れた多くの外国人も餅をつき、国際交流。
越年中、合計四回も餅つきを行った。センター前で作っていったモツ煮込みの中に、ついた餅を入れるモツ雑煮はすでに越年名物となっている。
大晦日には、これも恒例となった「さすらい姉妹」の路上芝居、そして年越しそばには三里塚のワンパックの卵をのせる。
渋谷区役所の公
園閉鎖に抗議
一月一日は、なぎさ寮での餅つきの後に渋谷へ。今年渋谷区は宮下公園、美竹公園、神宮通り公園の三公園を年末年始に完全封鎖した。いずれも渋谷の仲間たちが越年闘争や、毎週の炊き出しなどで活用してきた公園である。
これが越年闘争つぶしであることは明白であるが、渋谷区は批判の声が広がるや、封鎖はハロウィンなどで若者が渋谷の町で騒いだりしたため、などと後付けで釈明したようだが、ハチ公前の交差点ならいざ知らず、三公園に若者が集まって騒いだりはしないのである。
今回の渋谷区の事態に象徴されるように、東京オリンピックを名目とした都市再開発によって野宿の仲間を初めとした弱者、貧困者の排除が進行している。
越年闘争は五日の早朝まで続けられ、センターの開く前の六時にはすべての撤収を終えた。五日には台東区福祉事務所で生活保護の集団申請行動を行い、希望者全員が保護を勝ち取った。 (板)
コラム
忘れられない映画
誰にもかけがえのない思い出や思い入れのある映画は一本か二本は存在する。私の場合、その一本は『飢餓海峡』だ。内田吐夢監督の映画『飢餓海峡』を観たのは高校三年生の時で、今から五〇年近くも前だ。この時私は水上勉の原作も読んでおらず、映画のストーリーも全く知らなかった。友人に「映画に行こう」と誘われて付いて行ったに過ぎなかった。
映画は、強盗殺人犯を三国連太郎、彼を助ける娼婦役を左幸子、それを執念深く追い掛ける老刑事を伴淳三郎。この三人を軸にドラマは進行し、戦後の貧困と高度成長の裏側を北海道から下北半島、そして越前への描写を通してえぐり出し、私はぐいぐいとスクリーンに引き付けられたことを覚えている。私はこれを契機に水上作品を読むようになった程だ。
そして更に決定的なのは、映画の後に入った喫茶店での友人の一言であった。「毎年花を持って函館に行くんだがおやじはこの海で死んだと分かっても、どのようにして死んだのかは全く想像がつかない。そのためにどうしてもこの映画が観たかったんだ」。
彼の父親は彼が小学校一年生の時、「青函連絡船・洞爺丸の沈没事故」で亡くなった。その後は毎年九月に母親や兄といっしょに学校を休んで追悼に出掛けていた。「沈没事故死」という事実は知っていたが、彼の胸の中にそれ程までの思いがあるとは毎日のようにいっしょにいたが露ほども想像したことはなかった。彼は水産高校を卒業後、無線士としてタンカーに乗っていたが、ある時「今、函館にいます。明日から長万部、蘭越、雷電海岸、岩内と『飢餓海峡』の舞台を旅行します。ようやく念願がかないます」という手紙をもらった。二人で映画を観に行った時のことを思い出して涙が出た。
先日、高倉健の映画を特集している雑誌を見ていたら、なんと映画『飢餓海峡』に老刑事に同行する若い刑事役で高倉健が出演していると書かれていた。全く知らなかった。おそらく『砂の器』の森田健作のような役だとは思うが記憶にない。映画が制作されたのは一九六五年だから、彼は銀幕スターには遠い端役だったろうから知らないのは当然といえば当然だが、この雑誌まで高倉健と『飢餓海峡』を取り上げた映評を見たことがなかった。
私が観た高倉健の映画に『君よ憤怒の河を渡れ』『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』に続いて今回四本目が加わった。記憶というのは結構主観的であいまいなものだ。近いうちに『飢餓海峡』のDVDでもう一度確かめようと思う。 (武) |