選挙の勝利を生かすため
選挙という政治の場で勝つことができたのですが、その後でみんなが言っていたのは「これで終わりじゃないね」ということです。翁長さんに後を任せて、翁長さんが解決するんだというように考えたらダメだよね、という意見がいっぱい出ている。選挙で押し上げた力をこのまま持続することで、当選した人の活躍の場を自分たちが広げることができると考えなきゃいけない。
安倍は知事選の後すぐに工事を再開しようとしましたよね。なぜか突然止まったんですよね。官邸サイドが動いたとも言われますが、アメリカがやめたほうがいい、と言ったという人もいました。知事選のときのことを見れば、やっぱり安倍は「ほかの選択肢はない」と言っているぐらいだから、すぐに何かやってくるだろう。沖縄県民の全員が反対してもやってくるだろう。沖縄にとっては、二〇一二年以後の流れの中で安倍は最悪な攻撃をしかけている。四・二八の「主権回復の日」のことなんて沖縄のこと知っていてやっているのか知らないでやっているのか、それも分からないような話ですよね。
知事選が終わっても、仲井真が承認したことに基づく追加工事で資材が搬入されるのであれば、そこから止める闘いをしよう。今まで県警は誰の立場に立っているのかというのがゲート前でのみんなの実感だったと思います。県警は基地内から出てきます。県警察は県職員なのに、国家公安委員会の下で動いているような話ですよね。それが県政が変わったことで対応が変わればいいなあ、という話はあります。
県警は若い人が多く、こちらは年配者が多いのでウチナーグチで話しかけるんです。「お父さんや、お母さんから戦争の話を聞かなかったのかい」と。すると上の方は、現場に来る県警を短い時間でどんどん交替させます。県警は県出身者が多いのですが、アルソック(警備会社)は雇われ労働者だから、山城さんは「アルソックに労働条件を守らせろ」と言って、あまりもめなくなった。実際に座り込んだときに物理力を行使するのはアルソックではなく県警です。アルソックは後ろの米軍施設内に車を止めて、そこから出てくる。県警に対しては県政が変わったことで、なにか対応に変化があるかという点には、期待しているところもあります。ただ県知事の権限というより、県警本部長などは国の出向のような形で来るから、期待できるかどうかわかりません。今までは暴力的に対応する警官がいましたのでね。
現場で止める力の強化
海上では海保との対峙ですが、これは県政が変わったぐらいでは影響がないかもしれません。私たちの話の中では、海保の連中はわれわれのことをテロリストと思っているのではないか、と話されるほどの対応だったですね。そのあたりのことを総選挙結果をも含めて、県民の民意だという話を突きつけていくことで、海保の対応が変わることもあるのか、ないのかという話も出ています。
台風でフロートが飛んで以後、海保の対応はきっちりできなくなった。境界がなくなったので、ここから入るなとはなかなか言えず、ドキュメンタリービデオ「圧殺の海」に出てくるような強権的対応は減っているように見えますが。いずれにせよ海保は国の治安部隊ですから、また以前のような攻防になるかとは思いますが。
選挙後の共同通信のアンケートでは、「本土」でも辺野古新基地建設の白紙撤回や見直しという意見が六五%という結果が出ており、「本土」の世論も、辺野古に反対しているのは別に「過激派」ではなく、県民の多くが嫌がっていることを無理やりやるのはどうなのか、という理解が出ている。
今回の「島ぐるみ」の選挙が今までと違うのは、現場の闘いとのつながりの「近さ」であり、それを現場の人も実感したし、そのため候補者として出た人も現場を身近に感じながら議員としてやるべきことをやるという決意につながっている。こういう関係の中での「島ぐるみ」だということが今までと違うことだと思います。
ただ今後のことを考えると安保条約を前提とする勢力と反対する勢力が共同しているわけだから長期的に見れば、その部分を考えなければいけないが、少なくとも安倍政権であるうちは「沖縄の保守のアイデンティティーは安倍政権とは相いれない」という部分を大事にしてやっていくことになるでしょう。その中で少しずつではあれ力関係を変えていくことです。そのためにも現場で止めていく力を誰が担っていくのか、ということが大事です。
今は、少なくとも山城博治さんとか安次富浩さんたちが現場を統率する力を持っており、そのことが重要な役割を果たしていると思います。
沖縄独立をどう考える
――最後になるんですが、現在の沖縄の自治・自決・独立論議についてのご意見を聞かせてください。
やはりこの間、復帰前後とは違う独立論の世代と潮流が出てきていると思います。その背景は、沖縄がどれだけ言ってもヤマトの人たちは聞かないんじゃないの、という絶望感があって、沖縄が自分たちのことは自分たちで決めるという時に、それを日本の制度の下できちんと認めさせるのが一番いいわけだけど、それが難しければ国際世論に訴えてもやるべきだということになる。国連先住民会議に出て行ったりという取り組みもあります。沖縄のことを沖縄が決めるという時には、日本とは相対的に違う文化や社会があったということが根拠として大きなものになっている。独立学会などで沖縄と日本とはもともと違う歴史や文化があるという主張が出ているのは、復帰前後とは違う次の世代の特徴だと思う。
「本土」の人たちとの連帯した闘いの展望がなかなか見えてこない中で、自己決定権を行使するための方法として、独自のアイデンティティーをきちんと立ててやっていこうという気持ちがあるんじゃないかと思います。本当にその中に、具体的・短期的展望で沖縄を独立国にしようという人がどれくらいいるかは、見えてこない。ただ安倍政権のようなものが圧倒的に信任を得てしまうことが何度も繰り返されていくと、絶望感や、つきあっていられないよという気分が感情的には出てくるでしょう。
ゲート前では、独立論議などはあまりありませんけれど、いろんな人が発言する中で「本土」と沖縄の意識の落差、たとえば今度の選挙でも対称的な結果が出ているということで改めて違いを自覚するという発言をする人は多いですね。ただ独立をめざす政治勢力として先鋭化していくというようなところまではいっていないのではないでしょうか。
私と一緒に組合運動をしてきた中でも、公務員などでは、日本の制度とは関係なく全然別個に考えればいいということにはならない。復帰して半世紀近くなりますと、日本とは全然別という感覚を持っている世代はあんまりいないんじゃないか。言語の独自性と言ってもウチナーグチ復権というには難しい要素が多いと思います。県内でも言語が分かれている訳だし。実際にしゃべる言葉としての独自言語を使える人はあまりいなくなっている。三〇代、四〇代の人たちと話すと、ヤマトから来て長い間沖縄に住んできた人間よりウチナーグチについて知らないという逆転現象があります。沖縄に独自の言語と文化があったので保存しておきたいという気持ちがあるのは当然だし、いいことだと思うんですけれど、それを政治的独立に結び付けていくのは、自分たちがやってきた運動の中ではほとんど出ていないと思うんです。
「自己決定」強化のために
この間取り上げられている独立学会についても、沖縄の自己決定権をこの国全体にどう認めさせていくかという進み方に応じて、中身は少しずつ変わっていく可能性があるし、そこの議論を活発化させるためにいろいろやっている人たちとして受け止めたいという気持ちです。「独立なんてとんでもない」ということではなく、かれらが言うことは当然、一理がある。そうしたことをやっていく意義はあると思います。沖縄の人が沖縄のことを自分で決めるという時に、沖縄には日本「本土」と違う過去があることを誰にも分かる形で日本全国に提起することで、自己決定の権利を補強していく活動ではないのかなと思います。
地域の問題を自分で決定していく、つまり住民による根本的自治ということでいえば、「沖縄アイデンティティー」という言い方とは違っていて、どこにもそういう問題はある。しかし沖縄には過去に違った歴史や文化があるということが大きな武器になっている。今の対立の構造は「本土」政府・「本土」世論と沖縄の「民意」という対立軸になっているので、ますます沖縄の独自性が強く意識されている時期の特徴として出ている、というのが私の個人的意見です。自分の仲間と話しているかぎり、そうした印象です。独立学会で活動している人たちに悪い感じを持っていることはありませんが、逆にかれらが政治的に独立国家の樹立に向けて政治的に純化していくとも思っていません。
「琉球国の過去」にこだわった場合、琉球国の過去がどういう「過去」だったかという問題も出てくると思います。首里王朝は、沖縄全体の歴史の中では一時期のことに過ぎない。統一以前にはいろんな王族がいたし、八重山が版図外だったのを武力で制圧しているといった関係もありますし、宮古は宮古、八重山は八重山での独自の文化もあるし、ましてや言語は通じない。四〇〇キロ離れているなら当たり前ですよね、過去にさかのぼればさかのぼるほど、全く別の地域だったということになりますので。どこまで突き詰めていっても簡単には解けない問題だと思いますね。そいう議論に入っていくと大変だから、かれら自身もそういう議論を後にして、基本的に今の問題について自己決定の強化をまず最初にしようということだと思います。
いま本当にウチナーグチを話せる人は七〇歳以上という状況ですから。象徴的な話ですが有銘政夫さんという反戦地主会の役員で、昔は中部地区労の委員長とか沖教組の役員で、今もピケット前に来る方が、来るたびに琉歌を書いてくるんです。その時々の状況にあった琉歌です。山城博治さんがそれに感動して有銘さんの歌を紹介するのですが、山城さんですら読めないことがあります。そのたびに山城さんは有銘さんにその意味を確認するのですが、有銘さんはごく自然にウチナーグチで琉歌を書いてくるんです。そういうことはゲート前にいる人には新鮮な体験になっています。
(二〇一四年一二月二九日 東京で)
12.21『レイバー・フェスタ」香港からのゲストに聞く
「占拠」はいかに実現されたか
「市民的不服従」はつづく
一二月二一日、「レイバーフェスタの香港からのゲストにじっくり聞く会」が東京・水道橋の「スペースたんぽぽ」で行われた。この「会」は、香港で民主的な直接選挙を求めて八〇日間にわたって街頭を占拠し、世界中で大きな反響を呼び起こした「雨傘運動」の活動家が一二月二〇日の「レイバーフェスタ2014」に参加するために来日したのを機会に、もっとじっくり香港の運動の話を聞こうとレイバーネット日本が企画したもの。
討議を通じて
意識の発展へ
参加したのは香港の労働団体「街坊工人服務処」のタム(譚)さんと、「独立媒体(メディア)」の運動に関わっているマルコさん。
民主的直接選挙を求める香港の運動は、香港行政当局の弾圧、オキュパイを呼びかけた三人の大学教授らが「自首」したことなどによっていったんは収束したように見えるが、しかし「市民的不服従」の闘いは継続する。
二〇一七年の行政長官選挙で導入される直接選挙に立候補できるのは、主に業界団体などからなる一二〇〇人の選挙委員会の過半数の支持を得た候補者だけだ。この一二〇〇人を選ぶのも、香港の三五〇万人の有権者のうちわずか七%にすぎない。一二〇〇人が選ぶ行政長官候補は二〜三人で、選ばれるのは中国政府の息のかかった人だけ、ということになってしまう。
こうしたインチキな選挙制度に反対する運動はまったく自発的に始まった。どこかのだれかが指示を出す運動ではない、とタムさんは語る。こうした自発的な学生を中心とした運動が弾圧を受けたことで市民の怒りが巻き起こった。
オキュパイした若者、学生たちは自分たちのスローガンを前面に掲げたわけではなく、討議を通じて参加者の意識を発展させていくという手法をとっていた。そしてそこに市民が積極的に参加し、オキュパイの拠点アドミラルティー(金鐘)では、政府庁舎近くに二〇〇〇のテントが張られるようになっていった。
しかし当然、矛盾も出てくる。生ぬるいことをやってちゃダメだ、もっと過激に、ということで一一月三〇日には政府ビル封鎖・包囲行動も行われた。ここでは、人びとの思いだけでは無理で、多くの人びとをまとめて行動を作り出すことにはならなかった、とタムさんは語る。中国政府の介入への反発だけではなく、中国の人びととの文化的交流も排撃しようという「排外」的感覚も出ており、国境を越えた人びとの動きが重要だと、タムさんやマルコさんは語る。
未来を獲得する
若者たちの希望
二五歳のマルコさんは、学生たちがこの運動にどう関わったか語った。一部には、学生たちの占拠運動に海外からの資金提供があったという誹謗が流された。しかし運動の規模は、そうした一部の人間たちの動きで説明されるようなものではない、はるかに巨大なものだった。政府庁舎の前の市民広場を政府が封鎖したことも運動が大きくなった要因だ。
はじめはそれほど多くの人たちが座り込んでいたわけではない。催涙弾を使った弾圧が市民の怒りに火をつけたのだという。
なぜオキュパイが八〇日も続いたのか。街頭占拠で政府の譲歩を引き出そうと平和的にオキュパイが行われた。日常生活の隣にオキュパイがあった。オキュパイの中で人間関係や生活空間が作られていく。そうしたコミュニティー空間が形成されたのだという。街路樹のそばで農作業のようなことをやる人もいたし、ボランティアの医療班もあり、勉強する自習室もできた。さまざまな空間の中で、いろんな活動が始まった。モニュメントや関帝廟のようなものも造られ、さまざまなアート活動も始まった。
市民メディアが果たした役割も大きい。政府で働いている人からのメール、内部告発も受け取るようになった。自分たちの香港は自分たちで作る、という意識が作られた。
台湾の「ひまわり」運動(国会占拠)の学生の中心部分は香港に入ることはできなかったが、事前に知らせず香港に入った後に交流があったという話も聞いている。
労働者はどうだったか。支援のストライキを呼びかけた労組もあったし、教員、ソーシャルワーカー、飲料水メーカーのストもあったが、長くは続かなかった。どうも短期的展望しか持てない労組指導部が多い、という。
マルコさんは、香港の行政長官が米国のメディアのインタビューに答えて、「行政長官が直選になれば、貧しい人のための施策が巨額になってしまう」と語ったというエピソードを紹介した。金持ちのための政府でいるためには民主的直選であってはならないということだ。
多くの市民が行政長官の発言によって政治と経済の密接なつながりを自覚した。マルコさんは、若い世代は自分たちの未来、そして次の世代はますます厳しいものになるという感覚を持っている、と言う。
若い人たちが未来を取り戻すための行動が始まった、と彼は語っている。(K)
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