4区で西銘を落とそう
総選挙に向かう中で自分が思ったのは、翁長さんが三六万で、仲井真が二六万。それでもなお仲井真に二六万もの人が投票するんだ、ということでした。知事選に勝ったからといって衆院選にそのまま進んで簡単に勝てるとは思えなかった。知事選の時点ではほとんど誰も衆院選を想定していなかったと思います。
安倍首相は、沖縄の知事選の後に解散・総選挙に打って出ることを戦略として考えていたのかもしれませんが、沖縄では「オール沖縄」で、翁長さんの言葉で言えば「イデオロギーよりアイデンティティー」。つまり「自分も保守だけど日本の保守ではなく沖縄の保守なのだから、沖縄の保守として堂々と辺野古の埋め立てに反対する。埋め立てをたやすく受け入れる自民党の県連や仲井真はたんなる国の手先になり下がっているのであって、『沖縄の保守』としてはそんなことを容認できない」と言ってきたわけですね。
その「オール沖縄」のムードそのままで総選挙に突入することになりました。ただ当然ですが候補選びは大変でした。やはり辺野古基地建設に反対している現職の人ということになります。二区は小選挙区で勝った社民党の照屋寛徳さん、一区と三区は実は比例復活だったのですが共産党の赤嶺政賢さんと、生活の党の玉城デニーさん。この三人は現職ですから比較的簡単に決まったのですが、四区をどうするかが問題でした。しかも四区は裏切り自民党議員の大元の西銘恒三郎。西銘と言えば、沖縄では知らない人はいないといえるほどです。
これに対抗できる人は誰か、という時に、本人は全く考えていなかったらしいのですが、二〇〇七年の教科書問題の流れの中で、西銘の選対本部長を「裏切り記者会見」を契機に断った仲里利信さん以外にないということで決まったのだと思います。本人は考えてもいなかったようですが、そういうことなら出ましょうということになりました。
本人は引退して畑をやっていました。西銘の選対本部長をやっており、自民党内では先輩・後輩の関係だったこともあって「やりにくいな」と最初は言っていたようですが、四区すべてを「オール沖縄」のシンボルカラーで統一して翁長選挙の延長上で闘う、そして裏切った四名の自民党議員を小選挙区から引きずりおろすために出るということになりました。つまり公約を変えるような奴を許してはいけない、ということです。
選挙戦の中で、仲井真が取ってきた振興策は素晴らしいというけれど、これは裏がある話で、細かく見ていけばそんなことはないんだということを仲里さんは言っていたそうです。仲井真が振興策で辺野古の埋め立てに簡単に賛成してしまったのは、日本政府のゴマカシなんだということです。スローガンは「ゆくさー(ウソつき)よりはるさー(畑の仕事をする人)」でした。「ウソつきよりお百姓さん」という意味ですね。いま仲里さんは本当に農業をやっているので。仲里さんは、国会に行って首班指名で最初に自分に投票していました。もう「お百姓さん」はできないと思いますが。仲里さんは当選したことが目的なのではなく、そこにはあくまで辺野古に基地を作らせないために「やるべきことをやる」という気持ちが現れています。
「市民ネット」の選挙運動
自分たちは平和・市民連絡会のメンバーでもあるのですが、翁長選挙の時から選挙運動は自分たちでまとまってやろう、ということにしました。平和・市民連絡会のメンバーとして選対に入っていこう、と決めて「市民ネット」というグループを作りました。知事選のための「市民ネット」だったんです。
でも知事選の時は革新と保守で選挙運動のやり方が違うので、選対も別々に活動し、うまくやってこれなかったのですが、自分たちは革新の選対の部屋の隣に部屋を貰って、そこから各地区の選対に手伝いに行ったり、街宣を一つ引き受けたり、朝と夕方の「手振り行動」に自分たちの動員で人を回していくといった関わりをしていました。
話が戻ってしまうのですが、知事選も旧来の保守の人たち、つまり新風会で翁長さんを支えてきた人たちには、全県選挙の経験がないんです。だから全県でのビラ入れ分担とか区割りをきちんとやる、といった経験がなく、そのノウハウは革新系選対の人が出していたのですが、二つの選対の間を担当が行ったり来たりで情報を突き合わせるなど、実は思ったほど計画的ではありませんでした。保守系の選対、つまり企業グループや那覇市議会新風会から革新選対に情報が入り、その情報がまた市民ネットに伝えられて、こことここに行ってほしいという形だったので、スピーディーに動くということではなかったのです。
しかしそんな選挙体制でも街頭に出て手を振れば、住民の反応は全く今までと違っていました。最後に五八号線にみんなが並んで、蛍光ライトを振って「オナガ」と叫んで、歩道を行ったり来たりするだけだったのですが、車がクラクションを鳴らしたり、通行人みんなが手を振ったりしていたので、ああこれなら勝てそうだな、と感じましたが、選挙運動については自分たちとしてはあまり経験がないので不安でしたね。
「政党色」出さなかった共産党
衆院選でもにわかづくりの選対が多いので、こうした問題を引きずっていました。準備期間もなかったのでテキパキとできたとは到底思えません。でも最後は自分たちの判断で残っているビラを取って自分たちの判断でポスティングをしに行くといった関わりをしました。県知事選の体制をそのまま市民ネットとして維持して総選挙をやったのですが、総選挙での判断は二区と三区は大丈夫ではないか、ということでした。二区は照屋寛徳さん、三区は相手が比嘉夏美さんですが、大した発言もしないような歯医者さんだった人が、前回パッと出て当選しただけだったのに対し、前回比例復活で当選した玉城デニーさんは国会での質問もそれなりに多く、活動的だったし、前回小選挙区で負けたのも小差だったので、そういう場合リベンジできるケースも多いし大丈夫ではないか、という判断でした。
次に一区はどうかという判断です。一区は共産党の赤嶺さんで、「オール沖縄」と言ってきた人が共産党に投票するかという判断だったのですが、一区の選挙戦術を見る限り、共産党は今回大きな決断をしたんじゃないかと見えました。統一したシンボルカラーを掲げることを積極的に守りました。
県知事選と同日に行われた県議補選、那覇市長選、那覇市議補選でも、「うまんちゅの会」として取り組んだのですが、共産党は自分たちの党出身の候補だけではなく知事選、那覇市長選、県議補選、那覇市議補選の流れで新風会出身の候補の選挙にも同等に取り組み、それで新風会の信頼を得ることもできたんじゃないかと恩います。そのことが総選挙の一区での赤嶺さんの選挙にも対応していたのではないかと思います。
街頭宣伝でも「比例は共産」とは全く言いませんでした。ほとんど「オール沖縄の翁長さんを支える赤嶺です」という演説でした。それまでは無所属の候補を支援する場合でも「日本共産党の赤嶺です」と言ってきましたが、今度の衆院選ではそういうことをすべてやめて「オール沖縄の候補」と訴えてきたので、知事選以来のやり方を踏まえて一区では共産党の人がしっかりやるだろうと思いました。やはり僕たちと違って共産党は選挙をきっちりやるだろうと判断したのです。
それで僕たちの多くは那覇市在住ですが、市民ネットとしては四区に集中しようということにしたのです(四区は、糸満市、豊見城市、南城市など沖縄島南部と石垣、宮古などの先島区域)。
ゲート前からも総力で
そこで仲里さんのチラシを撒いていると、「今回は西銘は落ちるよ」という声が聞かれました。そういう声は仲里さんのことを知らない自治体からも聞こえてくるのです(仲里さんの地元は島尻郡南風原[はえばる]町)。幸いなことに四区の候補者は、西銘と仲里さんだけになった。だから西銘に入れたくない人は仲里と書くしかない。
僕らは「辺野古基地建設を止めるために仲里さんは、西銘と訣別した。公約を裏切る人を支持できない。仲里さんは翁長さんといっしょに闘う人です」と宣伝しました。でもビラでは「元県議会議長」と書いてあるだけで、こんなビラを南風原町以外で配っても誰にもわからないんじゃないか、というものです。票数で言えば糸満市とか豊見城(とみぐすく)市とか票数の多い自治体があるわけですから、そういうところに入って行きましたが「市民ネット」で独自に作ったリーフレット以外に、「四人組と石破」について批判する独自のチラシなどを作ってポスティングをしました。その時、できるだけ相手と話をして「西銘さんではなく今回、仲里さんを勝たそうと思っているんです」と話をしながらリーフを手渡しする活動をやってきました。
最終日は南風原町と那覇市の境にある大きな交差点で、仲里さんの写真の載っているポスターを掲げました。同じ場所で少し前に西銘陣営の打ち上げをやっていたのですが、そこに島尻安伊子(自民党参院議員)が来ていたので、「最後に残った裏切り者」だということで、みんながそこに仲里さんのチラシを配りにいったそうです。
向うの動員は公明党の組織動員しかきいていないような印象を受けましたね。西銘恒三郎が選挙演説していたら、聴衆から「バカヤロー」と言われたというようなことを自分でしゃべっているんですよね。あとノボリに×を付けられたとか落書きされたとか。
西銘は総務副大臣だから宮古に行った時には、「市町村長が政府に陳情に行った時には、自分が必ず合わせる。予算も私は総務副大臣だから、ちゃんと取ることができる。無所属の仲里さんに何ができますか」と言ったという。それが逆に反感を買ったと思いますよ。
それから私の見たところでも、選挙最終日に仲里側が立てたのぼりが撤去されて西銘ののぼりに替わっている。仲里陣営でそんなことをやった人はいません。そういう点でも西銘の側はかなり追いつめられていた。それでも交差点の反応を見るまでは、仲里さんが本当に勝てるかどうか心配でした。そして、勝利の結果が出て、この選挙運動をやった人に大きな充実感があったと思います。
そして翌日、当選した四人そろって辺野古のゲート前に行って勝利のあいさつをしたんです。今までは選挙と現場の闘争はなかなか結び付かなかった。選挙は好きな人が行ってよ、といった雰囲気がありました。今回に限っては最後の一週間では辺野古のゲート前に行くのを休んで選挙運動をやりましたので、ゲート前は山城博治さんを中心に少数の人間で現場を守ってもらって、あとは全部選挙運動へ、ということで、かえってゲート前をあけて選挙に来た人が多かったですね。勝利の結果が出て、本当に現場と結びついた形での選挙運動ができたんだと思いました。その充実感がゲート前を満たしていた、という話です。(つづく)
1.5 辺野古実が新年防衛省行動
安倍政権は沖縄の民意
に従え!工事の断念を
職場からも
現地に派遣
一月五日午後六時半から、防衛省前抗議行動が辺野古への基地建設を許さない実行委員会の呼びかけで行われた。月一回の定例行動ではあったが、一部情報では仕事初めの日から辺野古埋め立てのための海底ボーリング調査を再開するとあった。「闘い始め」の日として、沖縄の人々と連帯し、抗議・怒りの声を安倍政権・防衛省にぶつけた。
最初に、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)が「第三次安倍政権は明文改憲を表明し、二年後の参院選を受けて、その翌年に国民投票をする目標を立てている。これを絶対に許してはならない。一月二五日午後二時からの国会包囲行動、一月二六日午後六時半の国会包囲行動、そして一月一七日午後一時から『女の平和』を求めて国会ヒューマンチェーンがある。参加を」と訴えた。
沖縄大学卒業生が「ボーリング調査・仮桟橋への土砂の投入を予定していることに満身の怒りを表明したい。オスプレイの飛来の時、普天間基地の包囲に参加した。この時感じたのは沖縄ではオール沖縄で基地撤去闘争が闘われているのに、なぜ本土ではそれができないのか。この落差を自覚しながら、本土のなかから闘いをつくりあげたい」と熱く語った。全国一般東京労組の仲間は「平和行進に参加して、職場の仲間に闘いを伝えてきた。現地に行き肌で感じてくると人は変わる。労働組合がきちんと機能しないといけない。あきらめず闘いをつくっていく」と表明。
基地のない沖縄
実現へ正念場
沖縄から安次富浩さん(ヘリ基地反対協)が電話でアピールした。
「ウチナンチューは良い正月を迎えている。選挙で連勝し、基地NOを意思表示した。しかし、安倍政権は翁長新知事の表明訪問を拒否した。しっかりと翁長知事、稲嶺名護市長を支えていく。そして新たな闘いへ突き進む。今日から作業を始めるとの情報があったが、始まらなかった。どんなことがあっても非暴力抵抗闘争でボーリング調査、仮桟橋への土砂投入を阻止していく。こちらではゲート前に午前・午後と百数十人が集まり声をあげた」。
「防衛相の中谷は九州に新基地を持っていけばよいが反対が大きくてそれはできないので、沖縄へ、と発言した。ふたたび沖縄占領の腹づもりだ。アメリカにも行って反対運動を広げる。再び戦場(いくさば)を沖縄につくりだす腹黒い仕業を許さない。戦後七〇年、戦争への道か、平和・環境・人権か、岐路に立たされている。ここでくじけたら戦前回帰になってしまう。叩かれながら沖縄は闘い続ける」。
一坪反戦地主会・関東ブロックが一月二五日国会包囲行動への参加を訴え、「バスストップから基地ストップ」の会の仲間が申し入れ文を読み上げ、シュプレヒコールを行った。工事再開の場合緊急行動が予定されている。引き続き、京都・宇川のXバンドレーダー米軍基地の撤去を求める1・5行動が行われた。 (M)
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