ブラジル
PSOL、多元的党への中心的活動家たちの軌跡(下)
どのような垂直的な党よりも
豊かな政治を実践通して追求
ダン・ラ・ボッツ
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モレノ派からPSOLヘ
アナ・カルバルヘス
アナ・カルバルヘスはサンパウロで生まれ、軍事独裁の最後の年月に一七歳の時活動家になった。彼女はジャーナリストになり、いくつかの重要なブラジル紙で働きつつつつ政治経済学で修士号も得た。彼女は、アルゼンチントロツキストのナフエル・モレノを指導者と仰ぐ人びとの組織、今ではPSTUという名の組織に合流し、多くの年月彼らと共に活動した。彼女はジャーナリズム活動と政治活動を通じて、ボリビアの鉱山地帯(オルロとララグア)で五年間、ペルーで一年、アルゼンチンで六カ月暮らし、これらの活動の結果として、ポルトガル語だけではなくスペイン語と英語も流暢に話す。彼女も以前はその一メンバーであったモレノ派トロツキストを起源とする一グループは、二〇〇二年に本隊から離脱し、PSOL創立者の一部となった。
われわれはカルバルヘスに、PSOLとインスルジェンシア間の関係についてたずね、彼女は「インスルジェンシア(訳注)はいくつかの異なったグループ間で行われた合同の結果であり、第四インターナショナルと提携関係にある。われわれはリオデジャネイロで強くおよそ七〇〇人、そしてPSOL内では重要な役割を果たしている。われわれはこの市政府に一人の代表者をもっている。また、ブラジルの東北部にも影響力をもち、フォルタレザ市にも、ジョアオ・アルフレッドという一人の代表をもっている」と説明した。
またPSOLの内部生活についての質問には、「PSOL内には三つの潮流がある。第一のものは右派の立場をもち、民衆的社会主義行動(APS)と名乗っているが、彼らはスターリニストだ。彼らは現時点で、最新の大会における五一対四九の票決の結果として、党を支配する連合の指導者だ。第二のものは左翼の立場をもち、インスルジェンシアが含まれている。第三のものはMES、社会主義左翼運動だが、このグループもまたオブザーバーとしてFIと提携関係にある。二〇一四年のわれわれの大統領候補であるルシアナ・ゲンロは、南部で強力なこの潮流から出ている」と説明した。
PSOLのような多元的で多潮流的な党のメンバーであることについてあなたはどう考えているかとの質問に対して彼女は「PSOLは、その諸問題すべてを中に抱えつつも、どのような中央集権的な、あるいは垂直的な党よりも豊かだ。どのような決定に達することも、あるいはどのような行動を取ることも困難だ。われわれは恒常的に他のグループすべてと交渉を重ねなければならない。しかしこれははるかに興味深く豊かな過程だ」と語る。
二〇一三年六月の日々の巨大な社会的爆発をどう見ているかとの質問には「運動は経済情勢の結果から来る不満の結果だった。ルラとディルマの政府、そのPT政権は諸条件を少し、まったく少し改善することに成功してきた。しかし今や人びとはわれわれはもっと多くを欲しい≠ニ言った。われわれには仕事があり、賃金がある。しかしわれわれは、高いバス料金など払いたくない。運動が掲げたスローガンの一つは、二〇セントノー≠セった。ところが料金はほとんど二〇セントだったのだ。FIFA(ワールドカップ)はわれわれを必要とするがわれわれにはもっと必要なものがある、医療や教育がわれわれには必要だ。人びとはこのように語った」との答えが返ってきた。
そして「われわれは、PTが不平等という国民的恥辱を克服してはこなかった、ということに鮮明でなければならない。ブラジルは暴力と抑圧と不平等という、ポルトガルの征服にまでさかのぼる長い歴史をもっている。それらの問題は続いているのだ。そして不平等はその上人種的なものでもある。ブラジルには、共にベッドに入る女性と交渉するような、ポルトガルの征服から生じた〈協定の形を取った抑圧〉という歴史がある。われわれはこのように言うことができるのだ。われわれは、階級、人種、さらにジェンダー的暴力に基礎を置く抑圧の歴史をもっている」と続けた。
さらに「それゆえ、あらゆるものに反対する、つまり政府や政治家や労働組合に反対し、あらゆる政党に反対し、われわれに反対する社会的爆発が起きた。しかし興味深いことだが、チコ・アレンカールやマルセロ・フレイショがデモに出かけると、彼らは抱擁されたのだ。彼らは知られており、そこにいたがゆえに、人びとは彼らを愛した」とも語った。
その上で「左翼ではない人びとは、それは若者だけの運動だった、と考えている。しかしそれは労働者の運動でもあった。六月の終わりには、多くの中産階級の人びとは運動から撤退した。そして残ったのは労働者階級だけだった」「六月のこの幅広い運動に加えて、いくつかのストライキもあったことを理解することが重要だ。小学校の教員たちが何カ月のもストライキに立ち上がった。それは、リオの市長に対決したストライキであり、一万人の教員が参加した。あらゆる左翼グループがそれに参加した。そのようなストライキはこの三〇年でははじめてのものだった。何千人にも上る教員とその支持者たちのデモが多数あり、国中の教員からの連帯もあった。このストライキは引き分けに終わったが、非常に大きな運動が行われたのだ」と指摘。
さらに「次いでゴミ収集労働者のストライキがあった。このストライキは二月のカーニバル期間に起きた。そしてゴミは街頭に積み上げられ、富裕層は、一般の人びとがこのストライキを支持したことに驚かされた」「五月にはこれに続いて、毎日三〇〇万人を運んでいる地下鉄でストライキが起きた。地下鉄を遮断するということは、リオを止めるということだ。この運動は、七〇人の労働者が解雇され、労組に罰金が科せられるという形で厳しく弾圧された」と続けた。
この六月の日々、アナーキストが重要な一潮流を表現した。われわれはカルバルヘスに、インスルジェンシアとPSOLはアナーキストとどのような関係をつくったのか、と質問し、「われわれは、政府から刑事訴追を受けたアナーキストは防衛している。逮捕され法廷に送られた二三人のアナーキストがいる。彼らを犯罪者とすることは間違いだ、とわれわれは確信し、彼らを防衛する運動に参加している。しかしわれわれは、彼らの行動の方法には同意しない。彼らは運動の会合に出かけるが、その集団に対する責任感を感じることはまったくないのだ。彼らはそこから離れ、やりたいことを何でもやる」との回答を得た。
二〇一三年六月、街頭には八〇〇万人の民衆がいた。しかし今ブラジルは静かだ。運動に何が起きたのか、この問に彼女は「運動は概して後退した。運動の一部は極右、アナーキスト、またブラックブロックへと向かった。少数部分が社会主義的左翼、PTSUのような諸グループやインスルジェンシアに向かった。六月の諸々のできごとや階級闘争の高まりは、様々なグループがインスルジェンシアを形成するために結集することを可能にしたものだ。一点を上げればわれわれは、七〇〇人を超える若者たちと共に青年キャンプができた」と語った。
今日の社会運動の状態に関する質問に対しては「LGBT運動は、ブラジルで最大かつもっとも重要な社会運動であり、それは本当に印象的だ。環境運動と女性運動は両者とも非常に小規模だ。とはいっても、六月の運動に参加した若い女性たちは、そう言って良いと思うが、無自覚なフェミニストである、ということが興味深い。たとえば彼女たちは、彼女たちを利用する男たちを許さない。そして男が何かを専横にやるとすれば、彼女たちはそれを押し返す」と語った。
ブラジル社会党からPSOLへ
クラウディオ・セリッチョ
クラウディオ・セリッチョは国営石油企業のペトロブラスで働き、また環境活動家でもある。彼はPSOL加入にいたるまで、当時はエジュアルド・カムポスが率いたブラジル社会党(PSB)の党員だった。PTの環境政策に関するわれわれの質問に彼は「ルラがはじめて大統領になった時、彼は環境活動家のすばらしい一団を指名した。しかし一年も経たないうちにこのグループは、経済的利害からなる権力が原因で麻痺させられた」と語った。
さらに「ルラ政権は東北地域の渇水問題に取り組み、非常に費用がかかり数々の問題をはらんだサンフランシスコ川からの流域移転計画を押しつけた。多くの調査が行われ、何十億レアルもが費やされた。しかしそれらは諸問題に対処することはなかった。ルラ政権は、農産品輸出ビジネスのために遺伝子操作の大豆とトウモロコシの導入を許可した。われわれは巨大な規模にのぼる農薬使用を今見ている。その上ルラは、核計画の拡張と五基の原子力発電所建設計画を認めた。そしてそれは、フクシマを理由としてはじめて停止された。PTは環境問題に関しては後退することになった」と続けた。
セリッチョは、ブラジルのそれほど多くの人々が感じているいらだちを「われわれが二〇一三年の数々のデモの中で見たことだが、基本的なスローガンの一つがナオ ノス レプレセンタム≠ナあった。立法者たちはわれわれを代表していない。われわれは完全な袋小路にいる。彼らは自分自身のためにだけ法律を通している。彼らは社会福祉、保健、あるいは教育を前進させる法を通さない。大規模農業と大化学業界の利益は社会の環境的健康を改善させる諸方策と対立している。われわれは現在、解決策を全く見ていない。人びとは新たな多数派について話しをしているが、当面、政治を通して彼らの利益を前進させる道筋を全く見ていない」と説明した。
その上で「われわれはまた、諸企業から金銭を獲得し、その結果環境に対してよりも企業から得る金銭により多くの関心を寄せる環境グループ、という問題も抱えている。環境運動よりも公的な環境告発機関や環境法廷の方がもっと力を発揮しているということは、今興味を呼ぶ事実だ」と付け加えた。
若いアフリカ系ブラジル人石油労働者の指導者
ギルヘルメ・モレイア・ダ・シルバ
三一歳になるこの人物は、全国石油労働組合(SINDEPETRO)の支部となる、バヒア州のサルバドールにある地域労働者組合の指導者だ。彼の父親は空港で働き、母親は主婦だった。彼はフォルタレザで生まれ、そこで学校に行き、高校時代に彼の妻であるリンディアニーに出会った。その後彼は工科大学に進み、機械工学を学び、国家石油企業(ペトロブラス)に職を得た。
モレイアの組合は、彼が石油化学産業の精製施設建設の中で働いているバヒア州で、八〇人の技術労働者を代表している。
モレイアは「ブラジルの労働運動は非常に断片化されている。それはいくつかのナショナルセンターに分割され、そのセンターの多くは労働者に否定的な影響を及ぼしている。もっとも重要なナショナルセンターはPTと連携関係にある中央労働組合評議会(CUT)だが、これはまったく官僚化してしまっている。次に、PCBと連携関係にあるブラジル労働者連合(CTB)がある。左翼の様々なグループはこれらのナショナルセンター、特により左翼的なセンターおよびそこの傘下にある諸労組に関わっている」と語った。
そして「第一に、PSOLの一分派であるMESと同じく、モレノ派インターナショナル(LIT)傘下のPSTUが参加しているCONLUTASがある。第二に、PSOLのインスルジェンシア分派が参加し四〇の傘下労組をもつインテルシンディカルがある。第三にCONATがある」と続けた。こうした左翼の諸連合の合同に向けここ五年間挑戦が続けられてきたものの、それらは失敗に終わっている。それでも依然モレイラは、労働者左翼の中での統一を押し進めることが重要だと確信し「私自身のペトロブラス組合では、左翼――PSOL、PSTU、CUT左派――は共同の政綱を提起している。労働者左翼の者たちが共に活動する時はじめてわれわれは相互信頼と自信を高めることができる、私はそう信じている」と続けた。
ブラジルにおける階級闘争の状態に関する質問にモレイラは「二〇一三年六月まで、階級闘争の水準は非常に低かった。その後その水準は高まったが、非常に不均質になっている。より古い産業グループ――たとえば金属労働者、銀行労働者――は、動員がより難しくなっていることが分かった。彼らは行動が遅くなっている。交通労働者、教員、その他はもっと行動的となり、彼らの雇用主、また彼らの課題を取り上げることができずにきた労組指導者の両者に対して闘いを挑んだ」と説明した。
そして「私の組合や他のところで政府の戦術は、一時だけのボーナス、われわれの場合では五〇〇〇レアルのボーナスと合わせた少額の賃上げを提供しながら、労働者を交渉に引き入れるというものだった。銀行労働者も類似のもの、利潤の分かち合い方式としてとはいえ、銀行利潤の僅かなパーセンテージを提供された」と具体的事例を上げた。
モレイラはまたブラジルの黒人運動である「ブラジル・モビメント・ネグロ」にも関わっている。それは彼が暮らすバヒア州では強力だ。彼は「バヒアは最大の黒人人口をもつ州であり、サルバドールは最大の黒人人口比率をもつ都市だ。私は、黒人運動、女性運動、さらに環境運動を結集しているブジオス研究所で活動している。われわれは自己を、バヒアのアフリカ系住民に及ぼしたフランス革命の影響の表現であった一八三五年のサルバドール反乱〔マレ反乱あるいは大反乱としても知られている〕と同一視している」と語った。
そして「肌の色は一定の影響力をもっている。ブラジルには、実際問題としてはそういう民主主義が存在しているわけではないが、〈人種主義的民主主義〉という一つのイデオロギーがある。たとえば、“ショッピング業界”の多くでは、彼らは黒人あるいは黒人労働者を雇わない。それゆえわれわれは、混血や黒人の労働者を雇えと要求し抗議を行っている。PT政権の下には人種平等省があり、彼らはそのトップに非常に名高く著名な黒人の人物を指名した。しかしその省庁には、多額の予算が付くことも強力な権限が与えられることもない。われわれが見ているのは行動ではなく、写真撮影用の諸々の場面づくりだ」「学校入試や公共サービス雇用試験には人種割り当てがある。一〇年前これらの割り当てがはじめて実施に移された時、突然多くの人々は、割り当てを受けたのは黒人だ、と言った」と続けた。
その上で「黒人運動が最強である地域はバヒア、リオデジャネイロ、リオグランデドスル、そしてサンパウロだ。一九六〇年代と一九七〇年代には『統一黒人運動』を生み出した黒人運動があった。そしてその組織は今も存在しているがかつてほどには強くない。五年前、コンドムブレ教を広めている宗教組織や黒人女性グループを含んで数多くの組織を結集した『黒人運動全国会議』が行われた。不幸なことだが、当局は政府との協力にいくつかを獲得し、このグループを分断することに成功した」と現状を説明した。
さらに「『モビメント・ネグロ』は政治教育と訓練のための組織だ。われわれは、黒人運動の歴史と現在の課題を教育している。現在は、『黒人ジェノサイドに反対する第二回国際行進』への参加を計画中だ。われわれの運動は、米国のブラックパンサー並びに他の諸国における他の諸経験から影響を受けてきた」「『モビメント・ネグロ』は多様なグループから構成されている。そのほとんどは社会主義者ではなく、ある人びとは、資本主義の廃絶がなくても人種主義の廃絶は可能だ、と信じている。われわれ社会主義者は、人種主義廃絶のためには資本主義の廃絶が必要だ、と信じている」と語った。
豊かさと効率性の同居、果して
PSOLは、私がすでに述べたように、ブラジルで政治を行う新しい道、政治的多元主義を基礎に置いたそれを表現している。それは、アナ・カルバルヘスの数語を思い起こすことで締めくくるのがいいと思われる。つまり「PSOLは、その諸問題すべてを中に抱えつつも、どのような中央集権的な、あるいは垂直的な党よりも豊かだ。どのような決定に達することも、あるいはどのような行動を取ることも困難だ。われわれは恒常的に他のグループすべてと交渉を重ねなければならない。しかしこれははるかに興味深く豊かな過程だ」と。問題は、このより豊かでより興味深い過程が同時により効率的でもあり得るか、だ。(『ニューポリティクス』二〇一四年一一月一一日付)
(訳注)PSOL内第四インター派は「エンラス」(結合)グループを形成していたが、二〇一三年に他の潮流と共に「インスルジェンシア」(反乱)を形成。
▼筆者は米国のソリダリティ全国委員会メンバー。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年一一月号)
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