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    かけはし2015.年1月1日号

原発被害者切り捨てを許すな


福島県知事選と衆院選結果から求められていること

復興資金に群がった相乗り県知事選

県民の新たなつながりが必要

 一二月一四日投票の衆議院選挙は、自公与党の大勝、共産党の倍増、民主の微増、維新の微減という結果となった。この事態をどうとらえ、われわれが何をすべきか、何をなしうるのか、議論の一助として、福島の現状と一〇月二六日の県知事選挙そして今回の衆議院について分析を試みたい。

低い投票率

 自・公・民・社・維相乗りの内堀前副知事当選の報道が流れると、「福島県民の選択には失望」「福島の人は、原発でひどい目にあっているのになんで……」……ネットにはそんな書き込みがあふれた。選挙の結果が出るたびに「県民の民度の低さ」「国民の意識レベル」が指弾されることが多くなった昨今であるが、ここは、まず事態を見つめよう。
今次県知事選の投票率は過去二番目の低さで四五・八五%、棄権者は八六万人を超えた。半分以上が投票していない。避難地域の双葉郡の投票率は、四五・九〇%で郡内八町村の内、富岡町四一・二七%、大熊町四四・〇四%、双葉町四六・八五%、浪江町四二・五六%と特に低かった。
衆議院選挙の県内投票率は五二・五一%と戦後最低を記録、前回を六・三五ポイント下回った。そして双葉町四五・二二%、富岡町四四・六〇%、浪江町四四・二四%、大熊町四三・九六%と県内で下から四位までを占めた。
避難者の住民が福島県知事選で投票するには、投開票日に決められた投票所で投票、仮設住宅などに設けられた期日前投票で投票、避難先の自治体で不在者投票などがある。しかし日時の制約があり、不在者投票は「不在者投票請求書・宣誓書」に必要事項を記入し住民票のある市町村選挙管理委員会へ郵送(メールやFAXは不可)などしなければならず、選挙参加への物理的負担が大きい。しかも、選挙公報などは避難先まで郵送されるが、選挙の立候補者が避難先まで遊説に来るとは限らず、先の見えない避難生活を強いられ疲弊している中で投票に向かう気持ちを高めるには、幾重もの障壁がある。こうして、ひどい目に合えばあうほど、政治的選択の機会が奪われることになっているのだ。
それは福島県全体についてもいえる。衆議院選挙においてずっと全国平均を上回る投票率(概ね七〇%台)であったが三・一一以降に急落した。もう一つ、注意深く見ると女性の投票率低下がある。参政権獲得後から女性の投票率は伸び続け、高度成長期を経てからは男性と並ぶ投票率で来た。しかし、三・一一以降衆院でも参院でも女性は男性を下回った。知事選では、一九七〇年代初頭に逆転して以降、三〇数年間女性が高かったが、二〇〇六年以降は男性に追いつかれた。若年層が最も多い郡山市ではどうか。二〇〇六年県知事選四八・九八%が二〇一四年に三九・六九%、二〇〇五年衆議院選六七・八一%が二〇一四年に四七・五四%へと激減している。
これらの数字を見るとき、投票率の低下が、雇用や労働条件の悪化―非正規(女性と三五歳以下の青年層では半数以上)の低賃金労働者の急増に加えて三・一一以降の厳しい生活状況によってもたらされていることが容易に想像できる。そしてこの低投票率が選挙の結果に大きく影響していることは、多くが指摘しているところである。こう見ると、福島県民の「民度」が問題なのではないこと、選挙への「啓蒙」活動が重要課題なのではなく、選挙権を悠々と行使できる人権が保障された環境こそ必要だなどということがわかる。

「勝てば官軍」 安倍の手法

 県知事選挙は低調だった。その最大理由は、自民党本部が、県連の擁立した独自候補に出馬を断念させ、内堀を自民、民主、公明、社民、維新相乗り候補としたため、対立構造が見えにくくなってしまったことだ。自民党は、沖縄知事選をにらみながら福島県知事選で「負けない選挙」を選択したことが功を奏した。
福島県の二〇一四年度の予算総額は一兆七〇〇〇億円余、二〇一〇年度まで約九〇〇〇億円だったので約二倍。この金額が四年続いてきた。このうち復興関連の予算が八七〇〇億円でこれまでの累計で四兆を超えた。他に、東電の支払った賠償四兆四〇〇〇億円など、一〇兆円に及ぼうとする巨額の国費が福島県に投入されている。県政最大与党の位置を継続することで、三・一一以降膨張したこの巨額の県予算の配分に関与し続けることができることになったのだ。県の土木部予算は年間約三〇〇〇億円、「機動的な財政政策(による公共事業)」が進められ青息吐息だった建設土木業界が盛り返し、「大胆な金融政策(賠償)」で預金が増加し、コンビニや飲食店にも客が多くなった。
一見、アベノミクスが実現されているかのような(もっとも、こうした金は、国・県・業者・銀行・国の関係者に利益を落としながらその間をぐるぐる回っているだけで、生産活動と常用雇用の増、県民生活向上にはつながってはいない)この地を政治的意地で自民党が手放すわけはない。内部対立や卑怯の誹りは、「実利」の前に、雲散霧消する。この選挙で市町村会やさまざまな利益団体―商工観光、農林漁業、労働団体合わせて二三〇〇団体―が内堀陣営に馳せ参じたという。公的資金から利益を求める組織が幾重にも存在すれば、傘下の人々は内堀の名前と顔に接し、運動の熱気はなくとも票は出てくるという選挙だった。
同様に、衆議院選挙でも、まさに奇襲、不意打ちで相手の用意が整っていないうちにやっつければ勝てる、勝ってしまえばこっちのもの、「勝てば官軍」という手法を安倍はとった。一般に、選挙は民主主義の実現、民主主義そのものととらえられることが多いが、安倍らにとっては権力闘争であり、闘争に打ち勝ち権力を維持し続ける一手段にすぎないのだろう。
「大義」「道義」「公正」といったフレーズが通じる心をもってはいないのだ。安倍は「福島県知事選の結果、原発再稼働が否定されなかった」と手前味噌発言を行い、再稼働に向けた手続きを進める姿勢を示した。「経済」を前面に押し出し、「改憲」を後景に退けさせての衆院選挙であったが、そこに踏み出すのは遠い日のことではない。

熊坂さんの選挙戦と共産党

 福島県出身の医師で宮古市長を三期務めた熊坂義裕さんが県議会与党相乗り候補の対抗馬となった。「原発被害対策の総見直し(原発事故子ども被災者支援法の尊重、避難者帰還者の生活再建支援、被災者賠償訴訟の積極支援、事故情報の全面開示など)」「原発に依存しない経済社会づくり」「少子・高齢社会の対応強化」「未来につながる産業・雇用創造」を政策とし、「本当にこのままで良いのですか」と県内各地で決起集会を開催し、「鉛筆一本の勇気」を合言葉に県政の刷新を訴えた。
高校の同窓生らを中心とした「ふくしま県民のわ・ネットワーク」をつくり勝手連的な選挙スタイルで戦った。各地区の集会では、全国勝手連、嘉田前滋賀県知事、佐高信、菅原文太、把瑠都、ゼロノミクマ、新党改革荒井参院議員などが日替わりで登壇した。福島市で一〇〇〇人集会、郡山市で五〇〇人集会、会津若松で二〇〇人集会だった。ミニ集会も積み上げた。しかし短期間で、広い福島県を回り県民にその名と政策を浸透させ支持を広げるまでには至らなかった。
結果は、内堀四九万票(六八%)に対し、熊坂が一三万票(一八%)、四候補一〇万票(一四%)だった。二〇一〇年選挙では佐藤雄平六一万票(八八%)、共産候補が七・九万票(一一%)であり、今回は反対派票が三倍となった。
この選挙で特筆すべきことは、共産党系が三八年ぶりに独自候補を出さず、熊坂候補を勝手連として支持し運動を展開したことだ。三・一一以降、「原発の安全性」を求める運動から「原発ゼロ」を求める運動に転換し、保守系著名人と連携して「福島原発全基廃炉」を掲げた「一点共闘」のオール福島の集会や署名、生業裁判等を進めてきた帰結として、県知事選での熊坂応援となったのだろう。報道では共産支持層の六割が熊坂に入れたといわれている。この転換ととりくみは、左右問わず好感をもって迎えられ、衆議院選の得票増にもつながったと思われる。
他方、内堀候補が県内全基廃炉のみで県外再稼働問題や脱原発についてはなんら表明しなかったにもかかわらず、社民党が安倍与党とともに内堀選挙にとりくんだことには、党員・支持者内外で非難の声が渦巻いた。選挙後、社民党県連幹部が集会で「県知事選に勝利した」と発言すると「誰に勝利したの!」との声が飛んだという。衆議院選挙比例区の県内得票は二万六〇〇〇票、二〇〇九年が六万票余りであったから五年で半分以下となってしまった。むべなるかな、と言うほかない。

ふくしまスクラムの登場


今回の知事選にあたって、原発爆発と放射能汚染から命を守り、東電と政府の責任を追及し、脱原発の運動を最先頭で担ってきたと自負する県民有志は、二〇一四年初春から議論を始め、六月に「人間の復興と原発廃絶!ふくしまスクラム」(略称ふくしまスクラム)を結成し独自候補を模索してきた。ホームページを立ち上げて賛同者を公募、また「佐藤雄平知事による二期八年福島県政の検証」を作成し、記者会見等を実行し県民に呼びかけた。
会議には、自分たちが望む知事の誕生のために毎回、県内各地から集まって議論を重ねた。前二本松市長の三保恵一氏に立候補を要請していたが見送りとなり、投票一カ月前に熊坂さん支持を決定し、選挙運動の一翼を担った。スクラムのメンバーが熊坂氏と面談を重ねる中で、宮古市長時代の三期一二年実績や、震災後の「よりそいホットライン」の活動を知り、「1mSvを堅持する」「子ども被災者支援法に則った政策を国に求める」「原発再稼働も海外輸出も反対」「国に物言う戦う知事になる」など、望む知事像に概ね一致していることを確認したからだ。短期間の取り組みで大きな成果が得られなかったとはいえ、市民運動勢力が、県知事選挙に挑戦し、勝手連的にでも公然と選挙運動にとりくみ、県民同士の新たなつながりを作り出したことの意義は大きい。

二〇一五年統一地方選挙に向けて


知事選とりくみに至るまでには、一九九〇年からの闘う労働戦線の維持、九〇年代後半からの地方自治体議員選挙への「市民派」としてのとりくみ、いわき市、郡山市での議席獲得、大熊町長選・県議選での挑戦、そして、二〇一三年参議院での「原発難民」木田せつこさんを擁しての緑の党選挙、二〇一四年初頭の喜多方市長選挙の取り組みがあった。これらは、脱原発や放射能汚染との闘い、命と健康、生活、自然環境を守る運動と結びつくことで力を増し前進してきた。
投票率低下の背景に生活・労働条件悪化があることを前述したが、アベノミクスと原発被害者切り捨て政策の下でその状況はさらに深刻化しつつあり、このままでは、生活に余裕がある富裕層や大企業管理職・上層労働者層のみが政治的に発言・発信することができる社会となり、選挙はまさに資本と資産を持つか高賃金を得る層の支配の道具と化す。このような事態に抗するわれわれに求められているのは人権を侵され、貧困と困難な生活を強いられている人々が団結・連帯する政治的・社会的運動の空間を創り出すことである。そのために日々困難な状況に追い込まれている人々、避難住民や被曝労働者、非正規労働者、高齢者・女性・青年の課題を共有し、安倍式戦争できる国づくり、労働の規制緩和、社会保障の削減、農業の解体に対する闘いを共に担い、支えあいながら共同戦線を強化することが必要である。
二〇一五年地方自治体選挙に向かう過程と選挙そのものをそうした人々の意思をはっきりと表現する場として、連帯を築く場として実現していかなければならない。従来から議席のある地域だけでなく、可能な限りの地域で候補者擁立の取り組みと、議席獲得のための運動展開を進めていくことが、全国の仲間たちに求められていよう。そして福島の運動は、その先頭に立つだろう。
(二〇一四年一二月一五日 中路良一)


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