11.30郵政ユニオン労契法20条裁判を支える会結成
20条の中味を創る闘いが必要
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一一月三〇日、会場の南青山会館は二〇〇人を超える参集者で文字通りひしめき合った。当初郵政ユニオンは五〜六〇名規模の会場を予定していたがその後二〇〇名規模の会場に変更、それでも予想を超える参集者でうれしい悲鳴が上がっていた。
「労働契約法二〇条裁判をたたかう郵政原告団を支える会」結成総会。司会は郵政ユニオンの女性中執、長崎中央郵便局で働く、自身も期間雇用社員さんだ。
会は郵政ユニオン日巻委員長のあいさつから始まり、中執の中村氏から経過報告、東京地評の松本秀典副議長、及び東京全労協副議長の中原純子さんからは「支える会」の運営委員としてあいさつを受ける。会の共同代表として西谷敏さん(大阪市立大学名誉教授)、竹信三恵子さん(ジャーナリスト・和光大学教授)、宮里邦雄さん(弁護士・前日本労働弁護団会長)の三人。その内竹信氏と宮里氏は所用のため参集できずメッセージの代読が行われた。西谷敏さんからは「労働契約法二〇条裁判をたたかう意義」として簡単な講演が行われた。
「皆さんの闘いを
応援している」
冒頭、「私は労働法の研究者として本来中立の立場で物事を考え発言していくような仕事を負っているのですが、今回に限っては皆さんの側に立って発言しなければなりません」と切り出される。
西谷さんは、そもそもこの改正労契法二〇条は、憲法一三条(すべて国民は、個人として尊重される→生命、自由及び幸福追求の権利)及び一四条(法の下の平等→人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない)に基づくものであるから、学者としての立場からも皆さんの闘いを応援しなければならないと述べる。しかし、この労契法二〇条は成立してまもなく、従ってそれに添った判例はまだ一つもない。その法の具体的な運用はまさにこれからの闘いいかんにかかっていること。何よりもその法の中で述べられている「不合理な労働条件の禁止」というその「不合理」という基準が具体的に何を指すのか定まっていない。それが曖昧なまま法制化されてしまったという当時の政治状況の限界があるだろう。二〇条は、まさにこれから私たちがその具体的な中身を創っていく法律だと言えるだろう、と。
西谷さんは、労働法学会における権威とも言える菅野和夫さんが、いち早く資本の側に寄り添うかのような解釈を行っていることに危惧を漏らす。菅野氏は、その最近の著書(菅野『労働法』第一〇版)の中で、格差とは法的に否認すべき程度に不公正に低い場合に限定するとの見解を表明している。その根拠として「正社員と有期社員との労働条件の相違が日本の雇用社会の在り方に密接にかかわっており、日本の雇用制度全体と労使自治の在り方にかかわっており、不合理であるかどうかという司法の介入は謙抑的であるべき」とする。つまり、正社員と非正規というシステムはすでにこの国の産業構造に深くビルトインされており、その「紛争」はあくまで労使間の自治、すなわち「話し合い」で決めるべきものだというのだ。ならば二〇条を法制化する意味そのものがなくなってしまうのではないかと西谷さんは真っ向から批判する。
民主党の限界と
問われている課題
この郵政ユニオンの三〇日の集会の具体的な様子についてはすでにさまざまなところで報告がなされているので、ここでは西谷氏の報告を受けて、さらにこの二〇条裁判の持つ意義について私なりにもう少し突っ込んでみたい。
裁判はその性格上具体的な項目一つ一つについてそれが「不合理」な格差に当たるのかどうかを審理する場となる。今回については例えば正社員には支給されるさまざまな手当(各種業務手当、年末始勤務手当、早朝・夜間勤務手当、祝日勤務手当、住居・扶養手当等々)の不支給に対する不合理性を問うている。これは同一労働同一賃金の原則を当たり前のものとして適用するよう問うているに等しいだろう。しかしこの同一労働同一賃金の原則は、この国ではこれまで正面から問われたことがなかったということだ。
いわゆる新自由主義といわれる政策はすでに七〇年代中葉から始まったとされ、八〇年代の中曽根政権もこの流れの上に国鉄民営化、総評解体という攻撃を行った。さらにバブルがはじけて以降、つまり九〇年代以降になってから、特に小泉構造改革と共にそれが極端な形で顕在化することになる。
しかしそれは格差と貧困を増大させたに過ぎないことが明らかになり、それを批判する広範な大衆運動の盛り上がりによって新自由主義政策は一端は根本から批判の矢面に立たされ、その運動の先に民主党政権が誕生、その成果として改正労契法二〇条もあったろう。しかしその政権もその限界と共に政権を手放してしまう。その民主党の限界が労契法二〇条にも色濃く反映している。つまり、同一労働同一賃金の原則は曖昧化され、菅野和夫氏による反動的な解釈の余地を残すような法律になってしまったのだと言える
この民主党の限界とはなんだったのか。一言で言えばいわゆる資本のグローバリズムに根本から立ち向かう理論的支柱を欠いていたということだろう。
資本のグローバリズムとは、その現象を一言で言えば、それは「労働価値」の破壊と言えるのではないか。「労働価値」の破壊とは、分配率の低下、労働者の賃金の低下のことに他ならない。資本と労働者という階級間の力関係をグローバルに世界大に押し広げることで、各国の階級間の力関係を根底から再編・精算すること。つまりそれまでの各国の階級間の力関係によって培ってきた「労働価値」を破壊することを可能とするシステム、それがグローバリズムというものだろう。同一労働同一賃金原則などハナから念頭に置かないということでもあるだろう。
私たちに与え
られたチャンス
であるならば私たちの闘いはこの破壊された労働価値を再度「正常」に「戻す」闘いになるだろうか。同一労働同一賃金の原則をこの国に打ち立てる闘いとなるだろうか。私は敢えてもう一歩先を見据えた闘いを展望できないかと思う。労働価値は、いわば資本によって与えられた価値基準であり、階級間の力関係の妥協の産物とも言えるものだろう。であるならば、価値は、私たち自身が創造するものがあってもいいはずではないか。労働そのものが、それがいかなる内容であれ社会的な価値として、私たち自身が創造し、それを元に社会のありかたを私たち自身が組織し管理していくということ。つまり資本によって破壊された「労働価値」は、もはや資本の手を通すことなく直接私たち自身の手に取り戻す闘いを展望できないか。
非正規労働者はこの国においてもすでに一九〇〇万人に達する。二〇条裁判はこの一九〇〇万人労働者すべての注目するところとなるだろう。「労働価値」を破壊された一九〇〇万人労働者に、資本による価値判断に依らない、私たち自身の「労働価値」の創造を訴える運動を構築する、そのチャンスを今私たちは与えられているのだと思いたい。
最後に、三〇日の集会には東京東部労組メトロコマース支部や全日建連帯労組など先行して二〇条裁判を闘う仲間も駆けつけた。郵政ユニオンを始めこれら三つの労組はそれぞれ独自の個性を持ちその組織文化も相異なるだろう。異なる個性と異なる文化それぞれを尊重しその差異を強みとして共に運動を進めていくということ、それが画一的な「労働価値」を押しつける資本に対する根本的な批判にもなっていくだろうことを、確信したい。(丸池忠努)
社会保障のカットと介護報酬の引き下げ
総選挙の争点から隠す
犠牲は利用者と労働者に押し付け
年の瀬が迫る一一月、安倍内閣は解散総選挙へと踏み切った。
アベノミクス解散と銘打ち経済政策の成果を掲げようとする一方、政局の変動をよそに市民の生活は厳しくなっている事実は、当事者の政府・与党やメディアから語られる様子はみられない。人々の生活や生存権を配慮した政策がとられてきたのだろうか。そして、これから配慮されるのだろうか。
現在、長期にわたり生活に打撃を与えかねない問題、社会保障部門の削減が進行している。その中で今回、注目すべきことは社会保障削減そのものに加え、相次ぐ「政策」の提案は国会ではなく財務省からなされていることである。社会保障を切り捨てる政策を相い次いで遂行する安倍政権ならびに自民党の姿勢を批判的に振り返ってみよう。
財務省が決定した削減の一部は以下の通り。@生活保護の予算を削減A四〇人学級に移行し、教師の雇用と人件費を減らすB介護報酬の六%引き下げ。
教職の現場では生徒の学習や学校生活の質の低下を危惧する声が上がり、福祉の関係者、サービスを受ける方や現場の職員にも影響をもたらすもので、削減の提案に対して全国老人保健施設協会からも抗議が出ている。現場の声に応えない姿勢への怒りが表れている。
自民党内部の厚生労働省と結び付きのある「厚生族」 からも財務省への批判がなされたことも注目される。介護報酬の引き下げという重要な決定を現場の近くから聞き取ることなく決めたのである。政府は多くの方々の生活や人命を左右しかねない重要な決定を、財政のバランスシートから見渡しているのだろうか。
介護保険法改正
が検討されている
介護報酬引き下げの問題を少し掘り下げることとする。 介護報酬とは介護サービスを行う事業者が利用者にサービスを提供した場合に事業者へ対価として支払われるものであり、介護事業の継続と一体化したものである。 介護事業を必要とする方々、労働者の置かれている現状を述べたい。
高齢者の生活は厳しい。現在、周囲からの支援を受けることが難しく介護保健制度を必要とされる独居の方は増加しており、生活する人々に直接寄り添う、よりきめ細やかな支援が求められる。六五歳以上の独居の人々は介護保険制度が始まった二〇〇〇年には三五五万六〇〇〇人、二〇一〇年には四七九万一〇〇〇人、となり、来年二〇一五年には五九八万八〇〇〇人が予想される。
並行して定期的に行われる介護保健制度の改定が来年に行われ、特別養護老人ホームへの入居も要介護3以上へ限定する方向で事態が進行している。
さらに財務省は特別養護老人ホームの多床室の室料を保険給付から外し、入所者の自己負担とすることも求めた。次の介護保険法改正に向けては、「@軽度者に対する訪問介護の生活援助(掃除、調理など)を地域支援事業に移すA在宅サービスで価格競争を促す仕組みを作るB利用者負担の引き上げの検討も求める 」とも述べた。
高齢者の施設への入居という選択肢をはじめ、介護保険制度を活用する幅が狭められる懸念がますます強まっている。介護報酬の一方的な削減に代わる政策が必要である。
財務省の決定の影響が懸念されるもう一つは介護労働者に対してである。介護労働者の生活に関わる問題の一つは給与の問題である。介護報酬の引き下げを決めるのは財務省だが、実際に待遇を決定するのは事業主の側であり、発言が確実に履行される保障はない。介護労働者の待遇向上を謳っているものの、具体的な方法を明文化していないのが現状だ。
このまま決定されるならば、介護報酬が給与面の待遇向上に直結し難く、進行している増税の議論により、手取りがさらに低下する可能性は大いに考えうる。
内部留保問題と
市場原理の弊害
そして、介護報酬の引き下げが取り上げられた理由として引き合いにだされるのが、介護施設の内部留保である。介護事業者が内部留保に始まる損益を重視する経営を行う背景には、市場原理に大きく頼った介護保険制度の弊害が露呈した側面がある。
介護保健制度は介護を必要とする人が多くおられる状況を予測しながら、公的なサービスよりも利益を原動力にしてきた。施設経営においても「利益がのぞめる」との理由から市場に参入してきた事業者が多いことも相関性があるのではないか。今回の内部留保問題は、システムの維持に「役立てられた」市場原理の弊害が生じているのが明白となったに過ぎない。
問題の根本的な克服のためには、今まで手をつけなかった市場原理への無批判から脱却しなければならない。その中で資本を蓄積する要因である施設の運営で生じる利益が少なく、ほぼ満床でなければ維持が危ぶまれるという問題の克服に現場が向き合うことが出来るようになる。
利用者と労働者に寄り添う介護業界にシステムの切り替えが求められている。
個人の生存の権利の保障や自己決定の権利が不変のものならば、政治の主権は財政や国家ではなく市民一人一人にあることが必要だ。介護報酬削減をはじめとする社会保障のカットは今年の一〇月に行われたもので、今回の選挙の争点に取り上げられてしかるべきものだが、与党は取り上げる様子もない。
市民に対して問題をひた隠しにして、是非を仰ぐことなく一方的に推し進める意思が与党からみてとれる。現場の人やサービスの受益者の頭越しに行われる試みに対する広範な反対運動が今、求められている。
(S・T)
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