カードル層の新しい成長
民主主義はこうして鍛えられた
區 龍宇
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【解説】九月末から続いている香港の「雨傘運動」は、繁華街のオキュパイ拠点である旺角(モンコック)での強制排除が行われた一一月二五日以降も、最大拠点であり香港政府や金融街に隣接する金鐘(アドミラリティ)のオキュパイ拠点を維持しつつ、今後の運動の方向性を大衆的に議論している。一一月三〇日には、「政府を包囲し運動を強化しよう」と呼びかけられた金鐘オキュパイでの集会に、旺角から排除された市民らを含む多数の市民が参加した。
二〇一七年の行政長官選挙で中国政府の意向に沿った候補者の中からしか選挙で選ぶことができないという現在の政府の選挙方針に対して、学生運動や民主化運動は誰でも一定の条件(有権者の一%の推薦等)をクリアすれば立候補できる選挙制度を対置しているが、中国政府はいっさい妥協する気配を見せず、オキュパイ運動の疲弊を待っている。
一方、雨傘運動には当初から、反中国、反中国人民の「香港優先主義」や「香港独立」を掲げたグループも参加しており、かれらによる学生指導部や社会運動団体への非民主的な批判的言動が行われてきた。巨大な在外権力の介入に反発する大衆的運動における排外主義の伸長は、ウクライナ、そしてシリアなどで悲劇的なまでに拡大したことは記憶に新しいだろう。これら運動に介入する排外主義勢力に対して、香港のラディカル左翼の仲間たちは毅然とした対応を取るべきだと主張している。
以下は一一月三〇日付の香港紙「明報」の日曜版に掲載された區龍宇さんの主張である。區氏のこれまでの主張等はアジア連帯講座のブログ「虹とモンスーン」にも掲載されているので、アクセスして香港の仲間たちの奮闘を共有してほしい。 (H)
過去三〇年、支配的エリートは「敵のいない都市」等という神話のねつ造に成功してきた。しかし現在かれらは自らが創り出した神話を投げ捨て、自分たちと人民が不倶戴天の敵であることを露にした。
血涙が民主共
同体を鍛える
しかし旺角で流された血と涙は無駄に流されたわけでない。それは香港の民主共同体を鍛え上げたのである。
互助相愛と打算のなき精神にあふれるオキュパイ空間を「ユートピア」であると褒めたたえる意見がある。これは、マネー第一をモットーとする中環価値、独裁を崇拝する西環価値、暴力を崇拝する国家機構と、巨大なコントラストをなしている(訳注1)。だが犠牲をいとわない一群の民主的活動家のさらなる参加によってのみ、長期的闘争の継続が可能となる。
一一月二五日(旺角オキュパイの強制排除:訳注)以来、雨傘運動は新たな段階に突入した。大衆的な参加は縮小したが、そのかわり幾千人もの断固たる活動家を鍛え上げた。つまり運動は上昇し続けているということである。この三〇年来、香港民主化運動の大きな弱点は、政党・団体の職員と、民主化を支持する幅広い支持者(民主派を支持する有権者や七月一日のデモの参加者)との間に、つねに活発に動く活動家層が存在しないことである。他国ではこれらの活動家層が、その数はわずか数千、数万であっても、教育や組織活動、あるいは扇動などを持続的に行っているのである。
社会変革はつねにこれら三つの要素(専従、活動家、大衆)がそれぞれ並行して活動を続けることで、突発的な運動と平時における長期的な準備の双方に目を配り、自発性と自覚性の双方に目を配ることができる。しかし香港のカードル層はこれまでずっと少数であった。九月二八日の雨傘運動の発展、一〇月一七日の旺角奪還、そして一一月二五日の事件を経て、雨傘運動はみずからのカードルを鍛え上げたのである。
多くの庶民がオキュパイから撤退したが、数百数千の人々が警察の暴力に屈せずに闘争を継続した。これこそがオキュパイから長期闘争へ転換するために必要な勢力なのである。
しかし雨傘運動のさらなる発展は、この運動がこれまでも解決することができなかった壁にぶつかる。つまり運動内部における意見の違いをどのように処理するのかという問題である。
あらゆる民主化運動はある難題に直面する。たとえ二、三の街頭の民主化でさえも、闘争しなければ実現などしない。しかし闘争には戦略と戦術が関係するし、その背後には各グループの「隠された目的」が存在する。それゆえ、分裂、ひいては敵対する状況も容易に生み出されるのである。
独裁に抵抗する運動の発展とともに運動内部の民主主義を防衛せよ
では、どうすべきか。答えは一つしかない。民主主義を実践し続けることである。オキュパイ運動を支持する多くの人は、自然体の民主主義支持者でもある。街頭討論を妨害しようとする運動参加者に対して普通の参加者は「順番に話せばいいだろう。なぜ人の話をさえぎるんだ!」と強い不満を示してきた。共同行動ができないのであれば、別個に進んで共に撃て、という方法を用いればいいだろう。
たとえば戦術で違いがあるのであれば、普通は民主的な討論を経たうえで、オキュパイしている空間を物理的に分けて、それぞれがそれぞれの主張をするスペースで力を発揮すればよい。これこそ小異を残して大同につき、別個に進んで共に撃てである。
だが残念なことに、この二カ月にわたり、排外主義的地元主義者らは、そのための民主的な議論ではなく、組織的、計画的にオキュパイ空間の異論派に対する封殺を行おうとしてきたのである。このような彼らの行いは、香港人の民主的共同体とは相いれない。
かれらは他人の民主的権利を尊重しない。自分たちだけが唯一香港人の利益を代表するのであり、他のオキュパイ参加者は売国奴ならぬ売港奴だと考えているからだ。
だがかれらは自らの主張の前提がすでに間違っていることに気が付いていない。
香港人が大陸の人々と異なる独特の歴史を歩んできたことは確かである。これこそ、われわれが高度の自治、ひいては政治体制の自決を要求する権利の歴史的根拠でもある。しかし「香港人」というアイデンティティは、新民族論者が想定するような単純なものではない。香港人の内部にも矛盾は存在し、決して一枚岩ではないのである。不必要な対立軸を用いて自らの主張の正当性を誇示しようとするものはいつでも存在する。
長年にわたり、香港人というアイデンティティは中国人というアイデンティティと矛盾なく共存してきた。近年の大漢民族主義の盛隆が、一部の人々の非理性的な大香港主義という反応を呼び起こしたのである。この二つの主義は、表面的には対立しているが、狭隘な民族主義という一面において完全に一致している。
民族主義の本当の意味するものは、「愛国」であるか「愛香港」であるかにかかわらず、民族的アイデンティティが一切のその他の価値(人権、民主主義、労働者の権利、女性の権利、少数民族の権利、エコロジーなど)を凌駕する記号として高く掲げられ、すべての民衆をそのもとに拝跪させるところにある。このような主義は、投機的政治屋を選挙で当選させる手助けにはなるだろうが、その代償は多数の香港人を対立面、つまり民主主義の破壊の側に押しやってしまうのである。
このようなアイデンティティは、自らを皇帝のように位置づけ、人びとを奴隷のように見下すものである。もしそのような考えはないというのであっても、次のことは認めるべきである。民族、地域アイデンティティは、その人がもっているさまざまなアイデンティティの一つに過ぎず、他の一切の価値観を凌駕することなどありえないということである。たとえそれを認めようとはしなくても、少なくとも次の事実は尊重すべきである。多くの人が、民族性こそが唯一のアイデンティティであるというような考えには賛同していないという事実である。
民主優先
貧者優先
興味深いことに、排外主義的香港主義は誰かれとなく敵とみなすにもかかわらず、明確な貧富の格差という対立軸にはまったく興味を示そうとしないことである。どうやら、かれらの新民族(香港人)にも、貧富のピラミッドが厳然と存在することを忘れているようだ。かれらの主張する「香港人優先」は、一万四〇〇〇香港ドルの平均収入ライン以下の香港人のことを言っているのか、それとも六〇%の富を握る三三三五人の大富豪の香港人のことを言っているのか聞きたいところだ。(訳注2)
フェイスブックで、ある友人がこのようにコメントを寄せた。「中国と香港が完全に隔絶されたと想定して、それでどうなるのでしょうか? 香港で安穏と暮らせるのでしょうか? 香港は大財閥のコントロールから自由になるのでしょうか? お年寄りが段ボール拾いで生計をたてなくても済むようになるのでしょうか?」。
意味不明な「香港優先」を主張するよりも、ジョン・ロールズの貧者優先(貧者への優先的分配)を主張するほうがずっとましである。
「明報」2014年11月30日副刊に掲載
訳注1 中環(セントラル)とは香港金融マーケットの中心街、西環(ウェストポイント)とは中国政府の香港出先機関がある場所。
訳注2 梁振英行政長官は雨傘運動のさなかの一〇月下旬に訪米した際のインタビューで香港人の半分は一万四〇〇〇香港ドル(約二〇万円)の月収しかないので、過半数の意見が尊重される普通選挙を実施すれば、そのような平均所得以下の人々に偏った政治を行わなければならなくなると答えて、香港市民の不評を買った。一一月中旬にある金融機関のレポートでは、香港には三〇〇〇万米ドル以上の純資産を有する富豪が三三三五人が存在し、それらの資産を合計すると全香港の資産の六割近くに達することが明らかにされた。
コラム
貧乏小咄
貧乏話をひとつ二つ。
ボクが大学を卒業したのは一九八○年三月。卒業したら山田洋次の映画「フーテンの寅」ではないが、日本中をブラブラしながら生きていこうと考えていたので、就職活動とはまったく無縁な学生生活を送っていた。もちろん就職課に相談に行ったこともなければ、履歴書など一通も書いたことがない。自慢じゃないがリクルートスーツを着ることもなかった。
そんなボクが、止むに止まれぬ事情から、職安の紹介で出版社と名がついた印刷会社に就職することになったのだ。その理由はこうだ。学生の分際で子どもをつくってしまい結婚、二一歳にして一家の大黒柱という大役を担うことになったのである。予定は未定というが、ボクの人生設計はここからすべて「終わりよければすべてよし」を地でいくことに相なった(だから今でも「一事が万事」という人を好きになれませぬ)。
当時、大卒の初任給(全国平均)は一一万四五〇〇円。ボクが入社した印刷会社は八万五〇〇〇円で、皆勤手当が五〇〇〇円だったと記憶している。その差額は二万三五〇〇円也。たぶん地方の初任給はそんなものだったのかも知れないが、一家を養うにはあまりにも安すぎた。
住まいは当初、工場の裏側にあった社宅に入居。しかし土日でも何やかんやと呼び出されるので、しばらくして県営住宅へ移ることに決めた。その際、住宅公社に提出する所得証明が低すぎて入居資格対象外になるおそれがあったため、経理が気を利かせて年収に書類上、下駄をはかせてくれたという笑えない話もあった。つまり公営住宅にも入れない給料だった訳である。
通勤となると電車賃、バス賃がかかるのはいうまでもない。確か電車が八〇円、バスが一〇〇円だったと思う。しかし、往復で三六〇円、月額約九〇〇〇円という交通費は家計を圧迫した。昼食は毎日カップヌードル。従業員の多くは三五〇円の仕出し弁当を頼んでいたが、ボクにはとうてい無理な注文である。よく同僚に、「よくそんなもんだけで腹が減らないかい」と聞かれたが、まさかカネがないのでとも言えずただ笑って誤魔化すだけで精いっぱい。給料日前になるとポケットに一〇〇〇円あればいい方で、交通費の五〇〇円硬貨一枚という日が当たり前だった。
しかし、そんな時に限ってコーヒー代が集められた。コーヒー代とは従業員が休憩時に飲むインスタントコーヒーのことで、月三〇〇円程度のことだが、五〇〇円しか持っていない時、払ってしまえば帰りの交通費がなくなってしまう。これもまったく笑えない話だった。
なぜこんな貧乏話をしているかというと、先日の新聞で「金融資産一億円超、一○○万世帯に ゼロは三割」との記事を目にしたからだ。アベ政権下で進んだ株高と金融緩和がそうさせているらしいが、アベノミクスで恩恵を受けているのがごく一部の階層にすぎないことがよく分かる。まったく預貯金を持っていない世帯が九○万世帯もあることを忘れるな。ボクもそのひとりであることは変わらない。貧乏話は現在進行形である。
「大義なき解散」は、まさに富裕層の延命でしかない。貧乏話を吹き飛ばす総選挙を。 (雨)
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