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    かけはし2014.年11月17日号

「官僚資本主義」との対決へ


中国国家の階級的変質過程(下)

岩堀 敏

3 グローバル資本主義への参入

A 国家の変質にともなう共産党の構成の変化 


 中国共産党とその国家は、グローバル資本主義のもとへの参入を選択した。それは、いくつかのステップを踏みながら時間をかけて進められた。まず、一九七八年「改革開放」(党一一期三中全会)、一九八二年「中国の特色ある社会主義建設」(第一二回党大会)というように徐々に進んだ。そして、一九八九年の天安門弾圧を経て一挙に加速され、一九九二年「社会主義市場経済」(第一四回党大会)、二〇〇二年「三つの代表論」(第一六回党大会)へと進んだ。そのため、共産党機構を維持しながら官僚の再結晶化が進んだ。
また、一九九二年以降は、台湾資本などが中国に殺到し、石油化学、情報技術、精密機械といった資本・技術集約型産業に、より集中的に投資した。そのようにして、中国系多国籍企業さえ生み出され、二〇〇一年にはWTOに加盟した。
このような漸進的な中国国家の階級的変質のもとで、中国共産党は、党機構を維持したまま資本主義に順応し、資本主義を指揮する党へと変質していった。そのような事態を反映して、八二〇〇万の党員を擁する中国共産党の構成も、一九八〇年代半ばから二〇〇〇年代以降にかけて大きく変化していく。まず、過半数を占めていた労働者・農民は、一九九〇年代末から半分を割り込み、党と国家の幹部(官僚と企業家)が三割以上を占めるようになった。さらに、「三つの代表」論が採用されてからは、私営企業家の三割が入党することになった。
また、中国の青年の四人に一人が共産主義青年団に入り、その半数が学生である。「太子党」と「(共青)団派」との「対立」について語られることがあるが、両者の間に人脈の相違はあっても、特別な対立関係があるわけではない。それは、官僚機構の頂上に登りつめるルートが、エリート官僚の縁戚の地位を利用するか、科挙制度のように共青団で早くから党の「伝導ベルト」になって階段を上っていくか、この二つしかないことを示しているにすぎない。

B 官僚による公共財簒奪の進行


一九八九年の天安門弾圧をつうじて、中国共産党は、国有企業労働者の抵抗を打ち砕き、その後の民営化を心おきなく進めることができるようになった。
国有企業の経営トップはこの機に乗じて国有財産を私有化したり、故意に経営を悪化させたり、またその両方によって、結果的に企業を倒産させた。労働者は解雇され、経営者は国有企業の資産を自らの私有財産とした。一九九六年から二〇〇五年にかけて、国有および集団所有制企業の労働者六〇〇〇万人が解雇された。国有企業の労働者は一億一二〇〇万人(一九九五年)から六九〇〇万人(二〇〇三年)に減少した。また同期間に、集団所有制企業の労働者は三五五〇万人から九五〇万人に減少した。
さらに、地方財政は、土地転売による利益に支えられることになる。たとえば、二〇〇九年の地方政府財政収入は三・三兆元だが、これとは別に「土地使用権譲渡収入」が総額一・四兆元ある。仕入れた農地を三倍で売却する地方政府は、「都市用地公有制」をもとにした独占的土地供給者となり、不動産開発から生じる独占的利益を財政収入としている。この独占的土地供給者と開発業者は、共産党機構をつうじて一体化しており、「土地使用権譲渡収入」という名目の「地代」を地方政府官僚が私有している。こうした利権に群がろうとして、さまざま「汚職」が起きないほうが不思議である。
また、公的信用の助けを得て住宅ブームは下支えされ、住宅価格が高騰し、下層中産階級の収入を上回る事態にまでなっている。市場は巨大な「バブル」をつくりだし、二〇〇八年に不動産ローンは六〇〇〇億元だったが、二〇〇九年には二・四六兆元に急騰し、二〇一〇年には二・九兆元にまで増えた。

C 中国のGDPを世界第二位に押し上げた国際的要因


二〇一〇年、中国のGDP総額は世界第二位になった(一人当たりでは八九位)。一九八九年の民主化運動を敗北させたあと、中国共産党は資本主義の全面的復活と急速な工業化の政策を推進したが、それは外資への市場開放によってのみ可能であった。その規模の大きさは、中国への対外直接投資の流入が長年にわたって米国に次いで世界第二位であり、二〇〇二年以降三年連続で米国を上回っていることからもわかる。
だが、海外からの投資がうなぎ登りに増加した一方で、国内投資も同様に増加した。中国が広大であり開放が漸進的であったことによって、中国共産党が海外直接投資の流入を許可し、多くの産業分野が開放されていても、海外の投資家が重要産業を支配することはできなかった。重要産業において、国内企業を支援する「国家の目に見える手」が最大限に働いたからである。
新自由主義グローバリゼーションの始まりとなった一九八五年の「プラザ合意」を起点とする「金融自由化」の帰結として、二〇〇八年の国際金融危機(「リーマンショック」)があった。「金融自由化」は、「カネがカネを生む」、すなわち金融資本が金融資本の枠内で増殖するという幻想をもたらしたが、その「バブル」はいずれ破裂する。一方、「金融自由化」によって集中された金融資本は、中国やインドなどで産業に投資されることによって産業資本化されなければ資本の増殖につながらない。中国を長年にわたる外国投資の最大の受け入れ国としたのは、世界的規模におけるこの新自由主義グローバリゼーションという資本主義そのものの変化である。
また、中国がグローバル資本主義のもとへ全面的に参入していった時期、帝国主義国際経済の側からみずからのシステムを中国に強要する力は減退していた。米欧日資本にとって、とりわけ産業資本にとって、中国市場は、最初は安価な労働力市場、ついで、広大な消費市場という意味が大きかったし、現在なおそうである。ここでは、「金融自由化」を中国に強要することは二義的な意味しかもたないし、金融資本はそのような産業資本の利益につき従うしかない。

D 資本主義から社会主義への過渡期と市場経済


資本主義から社会主義への過渡期において、ただちに市場経済をなくすことはできない。たとえば、ソ連邦で一九二一年に導入されたNEPのように、プロレタリア国家管理のもとで市場経済を部分的に導入することはありうる。というのも、プロレタリアートが一国で国家権力を獲得したとしても、世界社会主義合衆国に到達するまで、資本主義に包囲され続けることになるからである。包囲された一国だけで社会主義に到達することはできない以上、資本主義国と経済的なつながりを断つことも、交換価値を市場の論理を離れて恣意的に定め続けることも不可能である。ただしそこでは、少なくとも金融と貿易の国家管理およびプロレタリア民主主義は不可欠となる。
中国が「改革開放」によって市場を外資に開放したとき、グローバル資本主義は中国にゆっくりとした「改革」を許す条件になかった。それ以上に、初歩的な民主主義さえ許容しない中国共産党の側には、プロレタリア権力を維持しながら市場経済を導入する条件がなかった。たとえば国有企業の民営化(私有化)は、「企業改革であって民営化ではない」と再三にわたって中国共産党みずから明言するなかで強行された。中国における再資本主義化は、グローバル資本主義によって加速されただけでなく、中国内部で国家と労働者階級の関係の変化をともないながら漸進的に進行したのである。
こうして、反(非)資本主義から資本主義への断絶はありながらも、建国以来、最初の数年間を除いて、中国共産党の一党支配と一体化した国家のボナパルチズム的性格は、連綿と連続することになる。この体制下で中国共産党と固く結びつくしかない中小ブルジョアジーは、ブルジョア民主主義を切り拓く力になることさえできない。

4 隘路に向かう中国

A 高い輸出依存度と加工型貿易による経済成長


天安門には毛沢東の巨大な肖像画が掲げられており、人民元にも毛沢東の肖像画が印刷されている。これは、中国共産党の統治の正統性が、反帝国主義民族解放革命の勝利にあることを象徴している。だがその一方、世界第二位のGDPを有するまでの経済成長をなしとげて強大な資本主義国家を築いたことが、共産党一党支配の大きな基盤になっている。しかしながら、経済成長を持続させるためには多くの難問をかかえている。
中国の経済成長のなかで、輸出依存度は極めて高い。輸出額の対GDP比は、二〇〇八年では三〇%を超え、「リーマンショック」後も二〇%台半ばから後半で推移している。高度成長期の日本のそれが一〇〜一五%であったことからすると、いかに大きな数字であるかがわかる。
また、中国の輸出全体のうち約六割が機械類・電子産品であり、ハイテク産品も約三割ある。だが、価格競争にさらされる衣服、靴、家具、玩具などの労働集約品が二割弱とまだ高い比率を占めている。しかも、膨大な貿易黒字の主要な源泉は、基幹部品を輸入して組み立て、完成品を輸出する加工型貿易である。
さらに、中国は石油や鉱物資源を購入しなければならず、その多くが輸出用製品の製造のために使われ、稼いだ外貨がふたたび国外に投資される状態にある。
中国は、国際的サプライチェーンの一大製造拠点となり、「世界の(搾取)工場」といわれるまでに発展した。WTO加盟によって国際競争力にさらされている今日、米欧日資本とわたり合えるだけの産業構造の「高度化」と内需主導に転換することが求められている。そのためには、中国固有のイノベーションの発展に支えられなければならない。だが、その条件となる自由な研究環境の障害になっているのが、中国共産党である。

B 公共投資に支えられた経済成長


中国の経済成長を支えてきたもうひとつの柱は、公共投資である。この投資依存度は、二〇〇八年秋から二〇一〇年にかけてさらに高まった。なかでも突出していたのは、二〇〇九年に前年同期比で三割の伸び率を記録していた固定資産投資だった。鉄道事業は九割増、道路は約五割増というように、すさまじい勢いで投資が増加した。このように、一九六〇年代の日本以上に、公共投資による経済成長に依拠してきた。しかも、公共投資による経済成長は、官僚的辻褄合わせが破綻してさまざまな工事がストップしたり、「シャドーバンキング」による資金が回転力を弱めたりするなど、すでに方向転換が迫られている。
その一方、個人消費は、一九七八年から二〇〇九年の間に、四九%から三七%に落ち込んだ。過剰投資と労働者の過少消費は、国内需要の不足をもたらしている。それは急成長する産業の過剰生産の問題を増幅させている。投資・輸出主導の成長から消費・国内主導の成長へとバランスを取り戻させるためには、労働者の収入を持続的に上昇させなければならない。しかしながら、この政策を実施することはそれほど簡単ではない。それは、官僚自身の利益を確保しなければならないからである。

C 市場経済を通じた為替・金融の「国家」管理


人民元と外貨の交換は完全に自由化されているわけではない。一九九七年のアジア経済危機は、香港で大規模な投資や借入れをしていた中国企業を危機に陥れたが、中国本土には波及しなかった。資本管理体制が徐々に侵食されていたとはいえ、依然として機能していたからである。また、二〇〇八年の世界金融危機のときも、為替・資本取引を完全に自由化していなかったために、ショックを最小限に食い止めるこができた。また、為替問題は、国際問題である以上に国内問題である。人民元レートの大幅な上昇は、輸出依存度の高い中国の経済に大きな打撃を与えるからである。
この為替・金融は、「国家」管理の姿をとりながらも、市場経済への依存を強めている。中央匯金公司は、外貨準備を原資にした重要金融機関の株式保有機関であり、中国の代表的な大銀行の三分の一から三分の二を超える持ち分を保有している。たとえば、株価を下げていた三大国有銀行(中国工商銀行、中国建設銀行、中国銀行)の株式を流通市場で買い支えたのは、この中央匯金公司であった。このように、金融の国家管理は、「株式による市場経済」を通じて実施されており、そこには外貨準備金が使われている。
さらに、二〇〇九年、マネーサプライは前年比約三〇%増、貸出増加額は前年の二倍を超える九・六兆元となり、大量の資金が市中に流れた。そのため、大企業は低利の資金を大量に借入れ、それを資金運用にあてた。その行き先は、結局、国内の不動産市場と株式市場であった。これがいわゆる「シャドーバンキング」である。
不動産ローンのような投資が十分なリターンをつくりだせなかった場合、銀行にとって不良債権に転化する。国家は、一九九〇年代から二〇〇〇年初めにかけてはたしたのと同じように、最終貸付機関の役割をふたたびはたさなければならないかもしれない。救済資金はさらに膨らむことになるだろう。
こうして、一九四九年の革命によって非生産的性格を帯びる半封建的土地所有が排除されたことが、その後の資本主義化にとって有利に作用した。だが、今日、中国共産党の存在そのものが、中国資本主義の障害になっている。中国の広大さと人口の膨大さが、無視できない作用をはたすとしても。

D 増大する「大中華ナショナリズム」の危険


経済成長が鈍化するにつれて、反帝国主義民族解放革命の成果を「大中華ナショナリズム」へと矮小化する危険はますます高まることになる。清帝国の領土をもって「中国固有の領土」とするなら、南シナ海も東シナ海も「中国領」となり、ベトナムやフィリピンとの領土をめぐる対立を高めざるをえない(そもそも「領土」は、戦争で奪うか交渉によって確定されるものであり、「固有の領土論」なるものは日本でしか通用しない代物だった)。
さらに、たとえば二〇〇五年に石油業界は一四八億元の税収を収めたが、そのうち最大の石油埋蔵量を有する新疆ウイグル自治区政府が得たのは、二・四億元にすぎなかった。このことに示されるように、資本主義中国の「大中華ナショナリズム」は、資本による収奪と結びついてウイグル人やチベット人への民族抑圧のいっそうの強化をもたらし、それに対する抵抗も強まる。資本主義中国における民族自決の要求は、強まりこそすれ、弱まることはない。
一方、二〇一四年三月から四月にかけて、「サービス貿易協定」に反対して台湾立法院オキュパイ運動が大衆的に展開された。また、「普通選挙権」を求める大規模な香港オキュパイ運動が七月から始動し、本稿を書いている時点まで展開されている。このように、香港や台湾の民主化運動は中国政府といっそう緊張を高めていく。今では、香港や台湾から中国に資本投下されるだけでなく、大量の中国資本が香港や台湾に流れ込んでいる。一国二制度の「二制度」は、もはや反(非)資本主義と資本主義の「二制度」ではなく、初歩的な民主主義さえ弾圧される「制度」とある程度までブルジョア民主主義を許容する「制度」の「二制度」になっている。今や共通の利害関係で結ばれたブルジョアジーが、中国大陸にも、香港、台湾にも存在している。だから、香港や台湾で民主主義と生活向上を求める闘いは、中国共産党政府だけでなく、中国共産党が動員する「極右」勢力や現地のブルジョア民主派との対決も余儀なくされる。

E 労働者階級と官僚資本主義


現在の中国版「ノーメンクラツーラ」(全国的官僚選抜・蹴落としシステム)は、官僚体制の安定的継続のためにエリート官僚の内部で準備されたものでしかなく、いかなる「国民的合意」も得ていない。二〇一三年に発足した習近平体制は、そこで生み出された最初の体制である。だが、「汚職」「腐敗」が官僚資本主義の内部に深く構造化されてしまっているため、この権威なき権力を権威づけるためには、「汚職」「腐敗」撲滅を掲げてスケープゴートをつくりだす必要がある。多くの場合、それは派閥闘争として遂行されるであろうが、場合によっては路線上の選択をめぐる亀裂へと発展する可能性は排除できない。
たとえば、民間資本や外国投資家に対して譲歩すべきかどうか、民営化をさらに促進すべきかどうか、より大きなパイの分配を得るために欧米と闘うより良好な関係を維持すべきかどうかなどをめぐって異なった選択肢に直面するかもしれない。そのとき、習近平体制は、勝利した反帝国主義民族解放革命に基礎をおくカリスマ性をもったかつての指導部のように、内部の深刻な分裂を解決する権威はもっていない。分裂の可能性は一九八九年の際より大きくなる可能性がある。
一方、一九九〇年代末から、労働者たちは反民営化闘争を展開してきた。今日各地で展開されているストライキ闘争は、一九八九年の民主化運動の敗北を直接には経験していない新しい世代の労働者によって担われている。産業化とともに大量に生み出されていく若いプロレタリアートが、自らの政治経験を蓄積し、たがいに共有し、そこから階級連帯を深めていく過程はすでに始まっている。だが、中国プロレタリアートが生活向上と民主主義を求めて闘争するとき、共産党一党支配のもとでのボナパルチズム国家とそれを支える特権官僚層、そしてそれらに支えられたブルジョアジーとの闘争関係に入らざるをえない。
この困難な道を歩む中国プロレタリアートと連帯し、ともに闘い、ともに考える日本における国際主義的社会・政治運動、そして尖閣列島・釣魚島を日中共同の海洋環境保護区にする日中友好運動の形成が鋭く問われている。
(二〇一四・一〇・二四)



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