もどる

    かけはし2014.年11月10日号

伝統的政治との決別と新たな左翼政党建設


ウクライナ

左翼フェミニストに聞く

ロシアの侵攻と民族主義的分裂に不平等との闘いを中軸に対抗

 ニーナ・ポタルスカヤは、ウクライナの指導的左翼フェミニストの一人であると共に、マイダンにおけるフェミニスト分隊の創設者、また左翼反対派メンバーだ。そしてこのグループは、二〇一三年一一月、二〇一四年三月、さらに二〇一四年九月と、キエフにおいて三回の連続した左翼諸勢力による評議会組織化に力を貸した。そのもっとも新しい会合は、新たな民主的左翼政党建設を決定した。そしてその政党は、ウクライナにおいては初めてのその種の選挙に向けた努力となる。このインタビューはスイスの反資本主義左派組織ソリダリテSのために、ジュネーブにおいて、キリル・ブケトフの助けのもとにジャン・バトウが行った。(「インターナショナルビューポイント」編集部)
 ポタルスカヤは新党のいくつかの基本的な民主的原則を概括している。つまり、大衆的党構成である必要、資金に関する透明性、さらに参加型の党内民主主義だ。そのすべては、ウクライナの伝統的政党政治との断絶という彼らの願いに関し多くを語っている。左翼の一政党であると彼らが宣言する際、この新党の創設者たちは何を意味しているのかとの私の問に対して、ポタルスカヤは、党は社会的、経済的、ジェンダー上の不平等を変える意思をもっている、党員たちは今、それらの路線に添う特定の諸要求を備えた一つの綱領を起草する過程にある、と応じた。インタビューの中で概括されたいくつかの理由のゆえに、この党は戦争と民族問題に関しまだ一つの立場を定めていない。
(ジャン・バトウ)

メディアが深刻な分裂に導いた

――二〇一四年二月にヤヌコビッチ打倒に導いた、そのマイダン運動の社会的、政治的力学を説明できますか? さらにそれを、東部ウクライナでのできごとがたどった展開と比べてみることができますか?

 まず最初に、マイダン前後のウクライナにおける社会的抗議の性格を思い起こしてみたい。世論調査は、ウクライナの西部であれ東部であれ、民衆の不平の主要な理由は過去四年を通じて経済的閉塞感と関係があった、と示している。それゆえ最後の時期に、社会的、経済的悪化が増大一方の民衆的抗議の引き金を引いた。この怒りは、ウクライナ―EU協力協定不承認後に爆発した。そしてそれが、二〇一三年一一月末に向け、最初のマイダンデモに導いた。次いでそれに続く二、三週間、数を増す一方の民衆が街頭を埋める形で、特に特別警察部隊がデモ参加者を殴打し殺害さえした後、政治情勢の展開がいわばエスカレーションを引き起こした。
東部では情勢が違っていた。なぜならばウクライナ東部には圧倒的にロシアのメディアを視聴しているロシア語使用民衆が住み、マイダンに関するそれらの情報は、そこでの抗議に関する実際の理由に関しては何も語っていなかったからだ。彼らはネオナチが率いる蜂起について聞かされた。そしてそれらはあらゆる手段で止められなければならなかった。もちろん極右はマイダンで重要な役割を演じた。しかしマイダンを右翼の運動と言うのは間違っていた。こうしてロシアメディアは東部の人びとに、彼らにとって深刻な危険があると説明した。そして彼らはファシストを止めるために行動しなければならないと考えたがゆえに、街頭に向かうよう焚きつけられた。
私はマイダンにおける女性分隊の創設者並びに組織者の一人だった。それは、デモ参加者が様々な分隊に分かれていたからだった。この集団はかなり幅広い影響力を備えた二〇人かそれ近くの極めて活動的な女性から構成されていた。この女性分隊が行った行動の一つは、反マイダンデモ参加者によって占拠されている広場で女性たちと会う目的で、カルコフに代表団を送ることだった。なぜならばそこでは、反マイダン運動が成長していたからだ。これらの女性たちが示した最初の反応は、極めて否定的なものだった。われわれは肉体的な襲撃すら受けた。しかしわれわれが何とか対話を始めることができた時、一五分か二〇分後、われわれの運動の社会的懸念が絶対的に似たものであると実感したがゆえに、われわれは共通の言葉を見出した。われわれの運動の性格を誤って解釈し、民衆を操作し、この国の東部と西部の間に深刻な分裂を作り出していたのはメディアだった。

戦争に反対の中立的立場は不在


――二〇一四年四―五月におけるドネツクとルガンスクの自称「人民共和国」形成に導いた分裂主義運動において、東部ウクライナ活動家とロシア軍部隊のそれぞれの役割を、あなたはどう評価できますか?

 ドンバスの人びとが彼らが潜在的なファシストの脅威と見たものに反対して行動を始めつつあった時、多くの東部ウクライナ人たちは、同じシナリオ――ロシア人たちが流血なしにクリミアを接収できたとまさに同様の――が東部で繰り返されるだろう、と確信するようになった。
最初の時点では、多くの東部ウクライナ人がヴィクトル・ヤヌコヴィッチも、彼のライバルであるペトロ・ポロシェンコも両方とも憎んでいたがゆえに、その程度について語ることは非常に困難だとはいえ、分裂国家という展望は一定程度人気があった。しかし情勢が急速に変化を続けている以上、世論は極めて不安定だ。ウクライナ軍が五月にドネツク北部のクラマトルスクの支配を奪い返した時、われわれはこの町の人びとと話し合う機会を得た。そして彼らはわれわれに、それが何者であろうともあらゆる軍服を憎んでいる、と告げた。
ともかくも東部ウクライナ人は、彼らの状況がクリミアのそれと同じではないと実感する中で、ロシア語の公用と教育が禁止されようとしているとの、また彼らの諸権利を守るため自分自身で行動しなければならないとの、数多くの噂を聞いていた。四月末に、ロシア軍の諸部分が市民の自衛部隊メンバーを偽装し東部ウクライナに浸透し始め、政府庁舎を接収した時、彼らは、これらの建物をすでに占拠していた当地の反マイダン活動家たちをすぐさま押しのけ、彼らにとって代わった。
ロシア人はまったく違うアクセントで話し、いくつかの別の言葉とセンテンスを使うのだから、彼らを見分けることはたやすい。彼らがスリャヴィンスクに入り人びとを街頭から追い立てた際には、道路を歩行者区域から隔てる標識を呼ぶ時、ウクライナでは決して使われない典型的なロシア用語を使った。しかし反マイダン活動家たちは、先の建物を再び占拠することを許されそうもないと実感した時、おそらくはロシア人扇動家の影響の下に、親ロシアの表現と親ロシアの旗を使用して、街頭に進出した。
そのようなデモがたとえ規模の点で限定されていたとしても、それは、住民の大きな部分から支持されていないということを意味しているわけではない。ルガンスク出身の人びとはつい最近、街頭への進出は東部ウクライナでの抗議行動では極めてまれなことだった、とわれわれに話した。それゆえあなた方はその限定された規模から、それらのデモが住民の大きな部分から支持を受けていなかったなどと推測してはならない。いずれにしろ、ドネツクとルガンスクの二つの自称「人民共和国」を支持している人びとの比率を評価する正確な方法はまったくない。市民に対する暴力に関しても、両陣営の責任を決めることは非常に難しい。各陣営が、その民族主義傾向にしたがって、他に責任を帰せているからだ。独立した情報源は一つもない。そして当地の人々によれば、両陣営の振る舞いはともにひどいものだった。

――ウクライナ人の民族感情は、民衆の社会的要求とどのように相互作用していますか? 労働者たちは、彼らの利益を守る形で自身を動員することをやめているのですか?

 問題は社会的課題を他の問題より先にどう押し出すかだ。ところがもちろん人びとは戦争という情勢の中で、社会的課題についてあまり多くを考えないようにしている。われわれは八月にあらゆるところで、増大する民族主義感情によって駆り立てられた愛国主義的決起の成長を見ていた。西部では、増大一方の反ロシア並びに反分裂主義の諸行動がある。しかし、人びとがそのために昨年街頭を埋めた社会的かつ政治的主張――たとえば、腐敗反対のために戦うという――は、前線ではますます少なくなっている。
ウクライナには二つのタイプの労働組合がある。労働組合連合は旧ソビエト文化に根を下ろし、単純に政府が言うことを支持している。それはいくら控えめに言ったとしても、この国の労働法制定で極めて限定された役割しか果たしてこなかった。しかしこの国には自立した労組もいくつかあり、それらはペレストロイカ期に形成された。そしてそれらは特に地方レベルではるかに活動的であり、そのうちのいくつかは非常に強力だ。しかしながらこれらの独立労組の指導者は、非常に力のある政治家だ。彼は、あらゆる種類の挑発的演説を回避しようと努めているとはいえ、ウクライナ政府を支持している。この連合の内部には対立をはらんだ様々な立場があるが、戦争に反対する中立的立場のようなものは一つもない。

統一した民主的な左翼政党建設

――最新のキエフ評議会の成果は何ですか? 今日のウクライナで、統一した民主的な左翼政党を建設する可能性はありますか? これに関し協力可能な勢力とはどういうものですか? そうした党の綱領とはどのようになる可能性がありますか? 民族問題はその隊列を分裂させていませんか?

 われわれは今、独立的な諸労組、NGO、また進歩的な諸政治勢力を、一つの民主的な左翼政党という傘の下に全部合わせて結集する好機を得ている。それこそがわれわれのキエフにおける最新会合の目的だった。この評議会は組織化委員会の創出を決定した。そしてこの委員会は、創立文書について活動を開始した。われわれはそれを透明で民主的なやり方でやりたいと望んでいる。しかしもちろん、民主的な運びには時間がかかる。
われわれは、いわばこれまでと違ったやり方で政治を行うことに対するわれわれの共通の関与を討論した。われわれはそれを二、三の単純な点にまとめることができる。
第一にわれわれは、われわれの党員資格から一定額以上の金銭を稼ぐ人びとを排除したいと考えている。第二に、党の財政は、そこでのあらゆる処理が開けっぴろげに報告される、ある種の「公開帳簿」でなければならない。つまりわれわれが受け取り、あるいは支出するすべてのことは、あらゆる人びとに透明でなければならない。第三に諸決定は、可能な限り多くの下部党員を含んだ公開フォーラムで行われなければならない。つまり決定権行使は党指導部に任されることではなく、われわれは、全党員の関与を可能とするインターネットプロセスを開発しなければならない。一つの道としてわれわれは、欧州の諸々の海賊党〔諸々の市民権、情報の自由、また直接的民主主義を支持〕や社会民主主義諸政党の組織原則が混合したものを選択した。
われわれは、反マイダン諸勢力と親マイダン諸勢力を分離しなかった。それに応じた極めて様々な立場があった。しかしわれわれは、社会的、経済的、そしてジェンダー上の不平等に焦点を絞ることだけを決定した。左翼というわれわれの共通の帰属関係は、社会的諸権利と経済的諸権利を前線に置く、ということを意味している。
われわれは民族問題を提起しなかった。この取り組みはわれわれにとって、近年では互いに議論を交わす初めての機会だった。それゆえ人びとはもちろん、多くの様々なものごとに対処することに関心を抱いたが、われわれは今回民族問題を扱わなかった。
われわれは主要に、それを通してある種の統一を築くことができると思われる、そうした組織の諸原則に取り組んだ。われわれが評議会の組織者として行おうと努めたことは、戦争という話題に関し共通の宣言を作成できる、ある種の雰囲気を作り出すことだった。しかしこのグループの統一を保つため、そうした宣言の言語は非常に外交的かつ緩やかなものでなければならなかった。そして結局は、宣言はどのようなものもつくられず、一つの草案だけが残った……。

困難な歩みへ左翼反対派が口火


――今日のウクライナで新たな政党を建設する上で、解決が必要な手続き上の問題とは何ですか?

 新たな政党建設は、多くの実際上の障害を伴った、非常に困難な歩みだ。つまりウクライナの現存諸政党のほとんどは、少なくとも一〇年前につくられ、その時の法律は今よりもはるかに有利なものだった。しかし今新しい政党の形成はほとんど不可能だ。
社会党の一党員であったがそこから除名された一人の著名なカルコフ出身の弁護士は、彼自身の政治組織を建設することに成功を収めた(カルコフの他の社会主義者と共に)。彼はいわば順境にある政治家だが、どのような新興財閥からも支援をまったく受けていない。彼はこの新組織の登録に、そして議会への進出に成功した。また自治体議会に議席を得た彼の党のメンバー何人かもそこにくっついた。しかし彼の組織は一歩一歩後退し、消滅し、党員のいない、登録以外は何もないものを彼に残した。そこで彼は今われわれに、党の名前を選択できる新たな左翼政党建設に向けた一つの乗り物として、登録済みの彼の組織を提供しようとしている。

――あなたは左翼反対派のメンバーです。あなたの組織に関し、また今回のキエフ会合の準備に果たした役割に関し、何かもっと話すことはできますか。

 左翼反対派はこれらの会合に口火を切った。しかしながら、われわれの党員が二、三〇人という程度であり、キエフだけではなくチェルカッシー(国の中央部)でも、活動的な人びとはさらに限定されている以上、われわれの影響力は小さい。もちろんわれわれは、われわれの諸行動とわれわれの討論に参加し、われわれの出版物を配布している幅広い同調者の一団を動員している。
左翼反対派は二組の人びとから構成されている。組織を創出した第一の者たちは、トロツキストの伝統からやって来た。他の部分は、様々なトロツキストの提携関係間の選択に関心はない。つまり彼らは自分自身を、反資本主義者、社会主義者、反スターリニスト、反権威主義者と考え、それですべてだ。私や多くの他の人々にとってはそれで十分だ。そしてわれわれに合流している多くの若い人びとや新しい活動家たちにとって、それに反対し、あるいはそれを求めてわれわれが今戦っているものが、われわれの歴史的な背景よりももっと大事なのだ。ある意味でわれわれは、ロシア社会主義運動(RSM)のよく似た兄弟だ。

――建設途上にあるこの民主的な左翼政党の選挙に関する見通しには、全員の合意があるのですか?

 それはない。われわれは今もまだこの問題を論争中だ。前途に迫る諸選挙へのわれわれのあり得る関与は、一種の自然発生的な決定だった。その決定はまさにそうする好機のゆえに行われた。しかしある人たちは、われわれが一つの議会グループの一部であるべきか否かに疑念を持っている。それゆえわれわれは、選出されることを目的とせずに選挙運動に参加する、と決定した。その代わりにわれわれは、われわれの回りに人びとを組織し動員することに向けた道具として、この運動を利用したいと思っている。もちろんいくつかの友好的な政治的ウェブサイトは、選挙運動に入り込むというわれわれの決定を批判している。

民族主義的反応に女性のみ対抗

――今日の民族主義的分裂にはどのような社会的勢力が抵抗できていますか? このインタビューのはじめで、あなたは女性にふれました。カルコフにおける反マイダンデモ参加者との間に橋をかけようとした女性マイダンの試みには、その後に続くものが可能性としてありそうですか?

 左翼が反戦のイニシアチブを築き上げることは難しい。われわれの隊列内部には非常に異なった諸見解が混在しているからだ。独立したキャンペーンの可能性についてあなたが討論する度毎に、あなたは二つの支配的な選択肢に、つまりロシアの宣伝にしたがうか、それともウクライナの宣伝にしたがうかという選択肢に反対しなければならない。
民族主義的な反応が公衆の討論を支配している。独立したフェミニストの声を築き上げることは、フェミニスト諸組織の非常に限られた財政力によって難しいものとなっている。社会的な、また政治的な諸要求は、人権に関するより全般的な立場を採用することなしには聞き届けられる可能性はない。それはすでにマイダンの諸行動の際に同じだった。その時左翼諸グループは政治討論に、そのようなものとして参加することが簡単にはできなかった。
マイダンに入り込み、民族主義や性差別主義や差別という課題を論争し始めることは、女性にとってのみあり得たことだった。極右は伝統主義者であり、女性は台所にとどまり、政治の動きには声を出すべきでないと考えているとしても、それでも彼らはわれわれを論争から締め出すことはできなかった。二週間の休戦の間、戦闘が停止したマイダン運動におけるいわゆる「沈黙の二週間」、われわれは、社会的諸課題をめぐる非常に重要な論争を動き出させ、メディアの注目を惹き付けることができた。われわれは非常に知られるようになり、われわれの会合には一〇〇人の人びとが参加し、フェイスブック上のわれわれのコメントはどこにでも広げられ、そして極右もわれわれを考慮しなければならなかった。(「インターナショナルビューポイント」二〇一四年一〇月号)


もどる

Back