核発電所が生んだ「悲劇的労働」
コバニ戦争の結果――これまでのところ
原発下請け労働者という共通分母
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韓国と日本は全世界で屈指の核発電所密集国家だ。原子力安全委員会の国会提出資料を見ると、1?当たりの密集度基準で韓国(0・20基)が1位、日本(0・11基)が4位を占めているほどだ。3年前、フクシマ核発電所の事故を経験したにもかかわらず、韓国では老朽核発電所の寿命延長が、そして日本では核発電所の再稼働が社会的問題として台頭している。
核発電所をめぐる論難には大きな事故の危険だけではなく、その中で働いている労働者に対する雇用差別や被曝などの問題も隠れている。200万個を超える部品によって組み立てられた核発電所内にあって、労働問題は単純な葛藤を越え核の安全問題にもつながりかねない。これまで不足していた核発電所の労働に対する社会的論議を活性化するために「透明社会のための情報公開センター」が主管し、「アルムダウン財団」が支援した「韓日核発電所労働ワークショップ:ポスト福島、韓日核発電所労働者の生活」が9月22日、ソウルで開かれた。「ハンギョレ21」はこの日の催しのために韓国を訪れた東京電力・福島第一発電所下請け企業労働者出身のニイツマ・ヒデアキ氏と共に、慶尚北道蔚珍核発電所の下請けで働いているイム・ジェギョン氏に会った。故郷も言語も異なるけれども、核発電所という同じような経験を共にした彼らは、「不安」と「恐怖」という課題を共有した。(「ハンギョレ21」編集部)
大粒の雨足が止むところを知らなかった。雨に濡れた風景は故郷のかつての姿と変わらなかった。
9月24日、日本からやってきたニイツマ・ヒデアキ氏(32)は「特別な外出中」だった。彼が訪れた慶北・蔚珍は生涯で初めての海外訪問地でもあった。蔚珍は彼が生まれた故郷である日本・福島県双葉郡楢葉町と似通った点が多い。太平洋に流れる海と接した集落、そして同じくらいの緯度・首都から車で3〜4時間かかる人口過疎の地域だからだ。そして何よりも最大の共通分母は、雨に濡れた核発電所のコンクリートの原子炉ドームを見ることのできる地域だという点だ。
着るのに5分もかかる防災服
ニイツマ氏は、もともと技術者になりたかった。今でも時間があれば趣味で木工の仕事をする。故郷でインターネット・ケーブル部品を検査する下請け会社で働いていた彼は、2008年に友人の紹介で町の北側にある東京電力福島第一発電所に職場を移した。2011年の東日本大地震で福島発電所が爆発するまで働いていた所だ。彼が生まれる前から稼働していた核発電所は楢葉町ではそれなりに悪くない職場だった。
彼が入ったH社は職員10人が福島第一発電所内で機械の維持・保守・補修業務を担っている下請け会社だった。発電所の奥深くに入って行き冷却再循環のポンプを分解して点検し、使用後核燃料の貯蔵庫から核燃料を廃棄する際に使用する切断装置を分解・点検する仕事を担当した。「放射線量が相当に高い所だった。服を着替えるのに5分かかるほどに、ぶ厚い防災服を着て作業をした」。仕事をするために、グラインダーの練磨、粉塵処理、低酸素地域での勤務にかかわる資格証も取得した。
「最初は、この仕事が危険だという考えはなかった。核発電所は既に日常であったし、高校を卒業した後、核発電所で働いている友人も実にたくさんいたからだ」。核発電所の仕事は大変ではなかった。点検期間でなければ半月近くは余裕のある時もあったけれども、点検が始まると1日も休めない場合が多かった。
彼が蔚珍で出会ったイム・ジェギョン氏(45)は、ここで生まれ育った。蔚珍第二発電所で働いている彼の生活もニイツマ氏と似た点が多い。彼が20歳の時に町の海辺に初めて作られた蔚珍核発電所は現在、原子炉を10基にまで増やす工事を進めている。彼が核発電所の仕事を始めたのは、今から7年ほど前の頃だった。当初は、ここで働く考えがあったわけではない。「実際のところ発電所の外にいた時には、それほどにうらやましいほどの職場だとは考えなかった。働く所がなければ行けるだろうと常々、思っていた」。国際通貨基金(IMF)危機を経つつ、長い間かかわっていた事業に失敗した。個人タクシーなど別の仕事をしていた彼は、下請け会社の求人広告を見て核発電所に入ることになった。
イム氏が働いている17人規模のN社は、韓国水力原子力(韓水原)の整備下請け業務を担当している韓電KPSから仕事を請けている会社だ。ニイツマ氏のように核発電所の奥深く入って行く仕事をするわけではないけれども、蔚珍3、4号機のある第二発電所の主要施設内を通っている配管などに絶縁装備を被せたり、冷却水の流れる配管に水がこびりつかないように管理する業務を担っている。作業中に、放射能にさらされた水に汚染されることなどを防ぐためだ。しかし決められたことだけをしているわけではない。韓電KPSが要求するさまざまな作業も彼の領分だ。「我々職員らは、ほとんどが蔚珍や三陟の住民だ。それでも月城・古里核発電所の下請け会社よりも賃金や処遇はいい方だ」。
会社は3次、4次下請けの中間
この日、ニイツマ氏はイム氏と蔚珍核発電所で働いている保健物理員などの労働者たちに蔚珍地域自活センター会議室で会い、話を交わした。「韓日核発電労働ワークショップ」の日程の中の1つで、両国の核発電所労働者たちが労働の状況をもっと理解しようという趣旨で企画された場だった。
この日、向かい合って座った参加者たちは、「韓国と日本の下請け構造や業務形態が似通う部分が多い」という反応を示した。特に国内の核発電労働者たちは、わが国よりも複雑に組み立てられている日本の核発電所の下請け構造に注目した。実際のところニイツマ氏は自らが勤務していたH社の下請け構造を正確には知りえなかった。「元請け会社である日立から始まり幾つかの会社を経て後に、うちの会社があった。正確ではないけれども3次、4次下請けの中間ぐらいだったようだ。実際、働いている時には(下請け構造をキチンと)知らなかった。今も完全に分かっているわけではない。保険にも加入してくれていて下請け構造が問題だという点を気づけなかった」。
日本よりも下請け構造が単純な国内核発電所の下請け会社には解雇の不安が存在した。イム氏は「1年ごとに会社がたびたび替わるが、地域で仕事をしている新社長が夫人や親戚・知人などを採用するので、それまでの人々が切られることになる。韓電KPS職員と同じ仕事をしながら、その半分ほどの給料をもらうというのも現実的にとても苦痛だ」。しかも下請け業種からKPSの正規職になるケースもほとんどないという点は、雇用不安を一層、煽り立てる。現在、彼は昨年、蔚珍核発電所に勤務している整備、清掃、特殊警備職など間接雇用の非正規職労働者を集めて組織した公共非正規職労組蔚珍支会長を担っている。
現在、ニイツマ氏は福島県にある「おてんとさん企業組合」で解説・案内の仕事をしている。放射能の危険警戒区域を含む故郷近辺を訪れる人々を対象にツアーを組んで説明をする仕事だ。彼が以前の職場に戻らない最大の理由は、福島の事故を直接、見聞きしたからだ。「地震が起きた時、核発電所内で定期検査の報告書を書いていた。建物の外に待機した後、事務所に集まり家に向かっていた途中で、放送での原子炉爆発のニュースに接した。これは夢なのか、現実なのか判断しがたかった」。その後で罹災民となった彼の家族は、いわき市の仮設住宅やアパートに散らばって暮らしている。故郷に戻ることは諦めた。「除染も意味がないのに、政府はなぜ故郷に戻ることができると話しているのか理解ができない」。
核発電所と共に暮らしている人々が現実の束縛から脱け出せるというのは簡単ではない。「万が一、他の場所で生まれたのであれば、核発電所で働きはしなかっただろう。私にとっては選択肢が核発電所以外になかった。けれども再び働く機会があるとするなら福島ではなく新潟の核発電所にでも行って働きたい。手当もよく、慣れた仕事だ。被曝の危険はあるけれども、教育だけはキチンと受けて働けば過剰被曝は受けない」。核発電所の仕事をやめた後、ニイツマ氏は100mSv(ミリシーベルト、被曝単位)以上、被曝したという検査結果を通知されたけれども、たいしたことではないと考えた。被曝に日常的にさらされているイム氏も同じだ。「下請け会社が放射能の管理をしている日本と違って、わが国は原子力安全委員会が直接やっているために、はるかにちゃんとしているという思いがした。現場の仕事はほとんどが似ており、被曝線量がそう多くはないので大丈夫だ」。イム氏も被曝検査の結果にはそう神経を使わず働く。
貧困と差別の非人間的労働
ニイツマ氏とイム氏の過去・現在は核発電所の庇護の下で暮らしている人々の素顔でもある。都心に電気を送るために人口過疎の地域に設けられた核発電所は、その中で生きていく住民たちに傷口を残している。イム氏は「ニイツマ氏のような状況を味わうのであれば、我々も人間だから同じように行動することだろう。少ない月給を手にしている我々のような非正規職が発電所を生かさなければと考えるのは難しい」と語った。「だから、我々は核発電所で仕事をしているものの、蔚珍に核発電所が新たにできるのは反対する。核発電所がさらにできたとして地域の住民を正規職でもない下請け企業の職員に仕立てるのだから得るものよりも失うものが多いのではないのか」。
核発電所を離れたニイツマ氏も将来を考えれば漠然として、よるべない。「いつも心の中にすき間があって、静まらない。日本政府は故郷に戻ることができると言い、他の場所では暮らせないという。その狭間で、どうすべきかをとまどう。今後どうすべきなのかも分からない」。(「ハンギョレ21」第1030号、14年10月6日付、蔚珍=キム・ソンファン記者)
【訂正】本紙前号(10月27日付)1面上から5段目右から8行目の「挙げる」を「あげる」に、2面愛知からの報告記事の下から2段目右から2行目「こられの」を「これらの」に、5面「三里塚に生きる」の上から5段目左から9行目「第二次第強制代執行」を「第二次強制代執行」に、7面デンマーク論文上から1段目左から3行目の「ヘラクレス」を「ハーキュリーズ」に訂正します。
「非人間的労働を誰かが背負
わなければならない社会」
なすびさん(日本「被曝労働を考えるネットワーク」活動家)
「『重層下請け構造』は日本と韓国がほとんど一緒だ」。
9月23日午後、ソウル新水洞の西江大で開かれた「韓日核発電所労働ワークショップ」に出席した日本「被曝労働を考えるネットワーク」の活動家なすび氏は、そう語った。彼は両国の核発電産業を比較しながら、「(発注企業から下請け構造が幾重にもつながっている)建設業界の重層下請け構造は、太平洋戦争を通じて日本から韓国に渡った制度だ。核発電産業においても下請け労働者を搾取するシステムとして戦争の時と本質を変えないまま残っている」と説明した。
1980年代から日雇い労働者の支援活動をしてきた彼は、2011年の福島核発電所の事故が起きた後、収拾作業を繰り広げている現場の除染労働者を対象に労働相談、労働争議を手助けすることをしている。「核発電所は労働者が被曝し、一定数の人々が放射線によって障害が発生するということを前提としたプラントだ。核発電所の業務を説明するとき、中央制御室でモニターを見ている場面を見せる。ここには電力会社の職員が働く。だが原子炉に直接入って行う作業は下請け会社の領域だ。被曝量の違いもはなはだしい」。
彼が3年6カ月の間に向かいあった核発電労働者の苦衷は、被曝問題よりは賃金の未払いや解雇など一般的な労働問題が多かった。「日本の電力会社は核発電所というプラントを具備して発電事業をしているだけだ。維持・保守・補修は元請けのさまざまな会社に委託する。電力会社・関係会社、製造社である日立、東芝、それぞれの下請けから1次、2次、3次の下請け仕事を細分化して委託する。東京電力が認定している下請けの範囲も3次までと伝えられていた」。6次、7次の下請け会社にまで下ろしていけば雇用や責任が不明確になる。「このような場合、3次下請け会社の名義を借りて仕事を進める時もあった。会社が、労働者が受け取るべき危険手当を横取りしたり、1日に白飯一杯、漬け物ひと握りを与えるという劣悪な労働環境を提示したりもする」。
彼は「被曝を避けることのできない労働」ということ自体が核発電労働の最大の問題だと語った。「今にも食べるもののない人々が5〜10年後の被曝後遺症を甘受したまま、仕事にとび込む。もちろん、すべてがそうではないだろうけれども、核発電所は基本的に貧困、差別の構造の下で存在する」。今年3月には被曝労働者を集めて、国家と元請け会社を相手に要求書を作り、集会も行った。「(福島の事故以降)日本の中で被曝労働にキチンと対応できなかった。韓国も同じだと思う。非人間的な労働を誰かが背負わなければならない社会を作った。我々の責任だ。労働環境を守りながら被曝労働を減らす社会を作らなければならない。重層下請け構造が消え去らない限り続けられるはずだからだ」。(「ハンギョレ21」第1030号、14年10月6日付)
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