映画案内『三里塚に生きる』
監督・撮影:大津幸四郎、監督・編集:代島治彦
忘れられた人々の、忘れられない物語
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国家権力を恐れ
なかった人びと
農民たちに何の相談もなく一方的に新空港建設を決めた閣議決定から半世紀を迎えようとしている。現代の日本では、三里塚闘争は終わったものと、意図的に忘れ去られようとしている。大震災のあと、多くのカメラは被災地にむかった。しかし、二人の監督は、あえて三里塚に行き、国の暴力と正面から闘った農民、いまも闘い続ける農民に向き合う。強制的な弾圧に屈せず、どのように闘ったのか、いかに悩み、いかに傷つき、いかに苦しんだのか。人びとが静かに語る言葉が、この国の体質を浮き彫りにする長編ドキュメンタリーである。
国家権力が何をしたのか、国家と闘うには何が必要なのかを伝え、そして人間は何のために生きるのかを考えさせる映画だ。
日本ドキュメンタリー界で長いキャリアを持つキャメラマン大津幸四郎と、年下の映像作家代島治彦、二人の共同監督による作品。大津は、一九六八年、小川プロの三里塚作品、第一作目「日本解放戦線・三里塚の夏」を撮ったキャメラマンだ。
三里塚に向かったきっかけは、大津が「三里塚の夏」のDVDブックを製作したことにある。(「小川プロダクション『三里塚の夏』を観る」鈴木一誌編著、2012年太田出版)。
一九六六年、佐藤栄作内閣は農村地帯である成田市三里塚および芝山町に空港建設を一方的に決める。農民たちは空港反対同盟を結成し、反対運動に立ち上がるが、政府・空港公団は機動隊を投入し、強制的に反対運動をつぶそうとする。国家の暴力にどう対抗するのか。三里塚闘争が転換点をむかえた六八年、小川紳介監督が率いる小川プロダクションは、抵抗する農民の姿を、農民の側に加担して描いた映画「日本解放戦線・三里塚の夏」を世に送り出した。
農民や青年たちは、「武装」しようと話し合い、反対同盟の幹部にも迫る。完全武装の機動隊と対峙した女性たちは、激しく声をぶつける。「お前たちの母親は、人を殺すためにお前を産んだのか」。最初はとまどいながら、しかし、国家権力と闘うことを覚悟し、どうどうと振る舞うように変わっていく。
このいきいきと闘った人々はどうしているか? 元気でいるだろうか? というつぶやきが、四五年ぶりに会いに行くきっかけだったそうだ。ところが、三里塚は、ジェット機が頻繁に離着陸を繰り返す騒音の中にある。小川プロの映画にもなった辺田部落を訪ねるが、かつての場所に農家は一軒も残っていない。
今もつづく
三里塚闘争
農民が命をかけて抵抗し、全国から学生や青年が集まり三里塚闘争は大きな抵抗闘争となった。一九七八年、計画では三本だった滑走路が一本だけで、空港は「部分開港」する。八三年反対同盟は大地の共有運動を巡って分裂する。九〇年代、隅谷調査団が国と農民との調停にたち、シンポジウム・円卓会議を経て、九四年、国は「強制的な用地収用は二度と行わない」「地域住民との合意のうえで進めていく」と謝罪し、事業認定を取り下げた。また、農民の多くも謝罪を受け入れ、反対闘争から退場していった。
だが謝罪とはうらはらに、国は空港拡張をあきらめず、農家の軒先まで工事をすすめた。二〇〇二年サッカーワールドカップ開催を口実に、二本目の滑走路を供用開始し、農家の頭上四〇メートルをジェット機が通過する運用を始めた。また、共有地や農地などについても、空港会社(かつての空港公団)は裁判に訴え、所有者の意志を無視して強奪し、いまもなお同じ手段で強奪しようとしている。空港はいまだ未完成であり、闘争は今も続いている。
「浦島太郎」状態
の中から始めて
大津監督は、「浦島太郎」状態だった。記憶にある場所に家や目指す人もいない。ようやく訪ねあてた人も、長い年月でさまざまな苦悩があったのだろう、口は重く、簡単にはカメラの前では話さない。しかし、ベテランのドキュメンタリーキャメラマンであり、四五年前には「映画班」のヘルメットを被り、三里塚で撮影中に公務執行妨害で逮捕された大津だからだろう、ある人は懐かしい写真を手に、また別の人は開拓の思い出からカメラの前で静かに語りだす。
大津監督が開けた「玉手箱」の煙は、さまざまな言葉でちりばめられている。闘っていた時には、明かさなかった気持ちや、外からは窺うことができない苦労。複雑な心境。私にも、それぞれが輝いて聞こえた。
だが、映画は、一つの方向に導こうとはしない。ナレーションはなく、人々の独白と、かつての映像で構成されている。代島監督は「万華鏡のように、ちょっと位置をずらすだけで見える構図が一変する」と試写会で語っていた。どう見えるかは、観客にゆだねられている。
二人の死者が
残した言葉
二時間二〇分と長いこの映画のクライマックスは、二人の死者の言葉だろう。
七一年、二度にわたって土地の強制収用が行われる。闘争は激しさを増し、機動隊員三人が死亡するまでになる。二二歳の三ノ宮文男は「国家権力ていうものは恐ろしいな。生きようとする百姓の生をとりあげ、たたきつぶすのだからな」との遺書を残して第二次第強制代執行の直後に自死する。その強制代執行では、大木よねの住宅と田畑も対象となった。大木よねは「戦闘宣言」を自宅の前に掲げた。
「遺書」を俳優の井浦新が、「戦闘宣言」を吉行和子が朗読する。
二人の残した言葉は、あとに続く人々を生きさせている。今も闘い続ける柳川秀夫は、飛び交うジェット機の近くで、もくもくと農作業を続ける。出荷の作業をしながら、(あの遺書は)「生き続けろといっている」と答える。そして闘い続ける理由を問われると「悩んで、闘って、傷ついたことも、多くの仲間が死んだことも、空港ができたことで忘れられていくわけだっぺ。それは絶対に許せねえんだよ」と述べる。
支援者から大木よねの養子となり、三里塚に定住し農業を続ける小泉英政は、東峰の畑で空港を背にしながら、「最後まで国に抵抗することに惚れた」「それを引き継ごうと思う」と、代執行を一人で引き受けた大木よねばあちゃんについて静かに語る。
過去と現在を
行きかいつつ
大津は「三里塚の夏」以降、小川プロを離れ、水俣シリーズなどを撮影する。小川プロは七四年まで三里塚にとどまり、七本の三里塚映画を製作し、未公開のものも含め三里塚闘争に関する映像を多く残している。そうした過去の映像や、今回三年がかりで撮影した現在の映像が、自在に行き来し、国家権力に抵抗した農民の「長い時間」=人生を映像化している。
国家的事業、公共事業とされた成田空港建設。農民の暮らしは無視され、国家が一方的に決定し、押し付けてきた。闘争のなかで、目覚め、成長していく人びと。その一方で傷ついたことも。大震災や原発事故を経験し、国家や公共の名のもとに行われる政策の理不尽さを知り、どう生きるべきかを考える人には一つの指針となる映画でもあるでしょう。
この映画は、今年一一月二二日から一二月一九日まで東京・渋谷「ユーロスペース」で公開され、順次全国で上映される。前売り券を販売中。
日本での公開に先立ち、一〇月台湾国際ドキュメンタリー映画祭に招待されオープニングで上映され、好評だったとのこと。
また、「劇場公開に向けた配給・宣伝経費」「映画祭出品のための英語字幕制作費」への支援を求めている。目標額は二〇〇万円だ。上映を成功させたい。公式サイト http://sanrizukaniikiru.com/
(長沢克己)
10.15原子力規制委員会抗議申し入れ
川内原発再稼働をやめろ
「火山爆発」予測は不可能だ!
意見を聞かぬ
『住民説明会」
一〇月一五日、冷たい雨に加えて風も強くなった東京で、正午から原子力規制委員会抗議行動が行われた。規制委員会の入った六本木ファーストビル前には約五〇人の市民が参加した。
最初に、川内原発再稼働にむけて一〇月九日から始まった「住民説明会」の中身が、およそ「説明会」の体をなしていないことが主催の再稼働阻止ネットの仲間から報告された。保守派の住民もふくめた人びとは口々に「納得のいく説明を」と求めたが、九電側は「時間がないのでこれで打ち切り」という不誠実な対応に終始したという。「地元の了解を得る」という目的そのものが、はじめから考慮されていないことが明らかになった。
さらに規制委員会は、戦後最大の被害となった御嶽山の爆発について、川内原発を取り巻く火山帯とは関係のない別の事象との言い逃れしかしていない。そもそも火山学者のほぼすべてが「爆発の予測は不可能」としている。しかし田中俊一規制委員長は「これから何年動かすか分からないが、せいぜい三〇年ぐらい。その間に噴火は起きないだろう。ただし監視はしよう。今回はそれで良しとした」と実に無責任きわまる発言を、自ら開いた記者向けの説明で行っていたのだ。
次に原子力の規制を監視する市民の会から規制委員会の傍聴報告が行われ、また首都圏反原連、福島原発事故緊急会議、たんぽぽ舎などからも、再稼働に血道を上げる安倍政権や電力会社・財界、そして再稼働にお墨付きを与える原子力規制委員会を厳しく批判した。
全国をつなぎ
九州電力抗議
約一時間の抗議活動の後、再稼働阻止全国ネット、福島原発事故緊急会議、反原発自治体議員・市民連盟からの申し入れ文が規制委員会に提出された。
再稼働阻止全国ネットワークの申し入れは、「1 東電福島原発事故の収束と廃炉化に専念せよ」「2 日本学術会議の提言に従い使用済み核燃料の保管・管理と場所の確定に最優先で取り組め」「3 『新規制基準』を作り直し、川内原発の再稼働審査をやり直し、改めて地元住民同意を得よ」の三点からなっている。福島原発事故緊急会議の抗議・要請文は、「御嶽山噴火は川内原発再稼働をやめよの警告である」を趣旨としたものだった。
なお一〇月二六日には、川内原発再稼働阻止の全国統一行動第一波として、九州電力東京支社抗議行動が再稼働阻止全国ネットワークから呼びかけられている。(東京:有楽町電気ビル前、JR・東京メトロ有楽町駅下車、午後二時) (K)
10.20薩摩川内市議会原特委
再稼働推進請願を採択
暴挙に抗し、10・28市議会へ
一〇月二〇日、川内原発の立地自治体である薩摩川内市議会で午前一〇時から原発特別委員会が行われた。傍聴を求める市民六〇人が市議会につめかけたが、市議会側は傍聴を三〇人に制限、全員傍聴を求める市民が抗議する中で一方的に抽選を強行した。
市議会では「再稼働賛成」の陳情と「再稼働反対」の陳情が出され、再稼働賛成7、反対2、棄権1(委員長)で、再稼働推進の請願が採択され、反対の請願は不採択となった。
現地に結集し
ともに闘おう
川内原発再稼働に反対する市民たち五〇人は、市役所玄関前で抗議の集会を一時間にわたって行った。
なお一〇月二八日には午前一〇時からの市議会本会議で、同請願への賛否が問われることになっている。一〇月二六日には、川内原発に近い久見崎海岸で午後二時から集会、久見崎集落を経て原発ゲートまでデモを行う予定。一〇月二八日の本会議に対しては午前九時に市役所への結集が呼びかけられている。
川内原発再稼働阻止へいよいよ本番の闘いが始まる。現地に結集し、現地を支える活動が呼びかけられている。川内を先頭に、あらゆる原発の再稼働阻止へ、全国的に連携した闘いを! (K) |