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    かけはし2014.年10月13日号

階級的利害対立の自覚化へ


考察―中国日系企業のストライキ (下)

「反日」感情にとどまってはならない

秋 火

中上層管理者
の社会的役割

 総じて、無数のストライキや衝突という事象が明らかにしているように、崇高な国防事業への貢献という軍需産業と軍隊のかけごえにもかかわらず、多くの権力エリートとブルジョアジーはできる限り利益をむさぼることを忘れてはおらず、日本の軍国主義化という悪いニュースでさえも中国の軍需産業資本の株価に福音をもたらしている。そして自らの足元で発生するストライキやその他の抵抗に対しては決して弾圧の手を緩めようとはしない。このように中国ブルジョアジーは一分一秒たりとも自らの利益を手放さないようにしっかりと握りしめているのであり、中国労働者はこの点についてブルジョアジーに学ぶべきであり、自らの階級的利害をしっかりと握りしめなければならない。ゆめゆめ「我が国が軍事大国になれば日本など怖くない」などという甘言に騙されてはいけない。
 一般的に、日系企業で働く労働者が「漢奸を打倒せよ!」というスローガンを叫ぶときは、搾取される労働者の資本家に対する階級的恨みをあらわしたものである。いわゆる漢奸とは、日系企業において日本人ブルジョアジーを手助けする中国人管理職――往々にして個々人を指すのではなく、中上層の管理者層全体――を指す。わが労働者諸君には次のことを理解してもらいたい。これら中国人管理職らは、骨の髄から日本が好きで、愛国者でないから資本家を手助けしているのではない、ということである。かれらは管理職として、その職位や地位によって、資本家を手助けせざるを得ないのである。これは日系企業以外のケースについて考えれば、より理解しやすいだろう。
 労働者が自らの利害を訴えるときには、「抗日」や「漢奸打倒」といった聞こえは良いが実際にはあいまいなスローガンを用いるのではなく、明確な言葉を用いる必要がある。二〇一一年末、深?海量[日立の現地子会社]ストライキのさいに、民族主義の旗幟を掲げる活動家が跋扈し、ストライキ労働者らの「漢奸打倒」というスローガンが政治的解決の無制限の効力があるなどと妄想し、大ぼらを吹いて政治的な活動に捻じ曲げようとした。しかし肝心の労働者の経済的利益の要求はまったく軽視されてしまったのだ。熱心に民族主義的旗幟を掲げる勇敢な活動家らのほとんどが現役の労働者ではなく、むしろ各種各様のプチブルやインテリ、あるいは青年学生であり、往々にして労働者の利益にはあまり関心を寄せず、労働者による「反日」行動の盛り上がりを見るだけが喜びとなっている。世論も完全に労働者の経済的利益を軽視している。今回の東莞カン市の日華電子廠のストライキでも、労働者は完全に中国人管理職に操られているように見受けられる。もし労働者自身が何も言わなければ、そもそも労働者みずからの思いを代弁するものなどいないのである。

日系企業での
闘いの本質は

 日系企業の労働者、とりわけ現場の労働者は、集団的行動を通じた待遇改善を求めてきた。二〇一二年九月には釣魚島における日中の衝突が全国各地のデモを引き起こした。労働者の愛国的訴えはすぐに賃上げの訴えに変わった。ある労働NGOの調査では、調査した深?の日系企業五六社のうちの五分の一の企業で賃上げの要求があったとしている。(訳注)二〇〇五年七月から九月にかけて、東北地方の大連開発区の日系企業十数社で最高時三万人余りの労働者のストライキが発生している。二〇一〇年五月から八月にかけては同じ大連開発区で七三社(うち48社は日系企業)、七万人にも及ぶストライキが連続して発生していた。
ここで強調する価値があるのは、大連の日系企業の労働者の大多数は自分たちを「反日」だとは思ってはおらず、低賃金に対する抵抗だと思っていることだ。労働者の提起する利益は十分に明確であり、一つ一つ箇条書きで提起されていた。それは「漢奸を打倒せよ」というような人目を引くようなものではなかったが、明確な労働者の利益の訴えと大規模な統一行動の力によって、この二度にわたる大規模な争議では一定の勝利を勝ち取った(二〇〇五年には二〇%、二〇一〇年には三四・五%もの賃上げ)。逆に、労働者の利益を覆い隠す「反日」というスローガンによるストライキでは、勝利することができなかっただけでなく(たとえば海量ストライキは華々しく闘われたが敗北した)、労働者の利益はあっさりと脇へ追いやられ、主流の世論にもまったく取り上げられることさえなかった。今回の東莞日華電子廠のストライキがいい例である。
実際のところ、「反日意識」を身をもって体験しているのは日系企業の中間管理職あるいは高級職員らである。なぜならかれらは日本人の経営者や管理職らと接触し、日本人ブルジョアジーの傲慢と排除を直接に感じるからである。生産ラインの作業員は、日本人経営者と接することは基本的にはなく、一番よく面と向かうのは中国人管理職である。それゆえ、せいぜい体験するのは「漢奸」「走狗」による抑圧である。二〇〇四年から〇五年にかけて深?友利電[ユニデン]公司の万にのぼる労働者が何度もストライキを行い、高級管理職も参加し、労働者代表の多くが高級技術者によって担われた。ストライキには一万人以上が参加したが、そのなかで最も強烈に、最も直接に反日意識を表明したのは、日本側管理職といつも顔をあわせていた中国人の高級職員や管理職たちであった。しかし資本家と比較的距離の近い高級職員らは、会社との合意に達した後は、ストライキを継続しようとした労働者らを力づくで職場にもどすために尽力した。この事例からもかれらの妥協性が透けて見える。
中国ブルジョアジーは日本ブルジョアジーと競争するインセンティブを持っている。ましてや毎年何百億ドルもの貿易赤字が発生しているのである。中国では多くの領域で技術は発展途上であり、技術の一流国である日本と競い合うことは難しい。この意義からみれば、一部のブルジョアジーにとっては反日もそう悪いことではなく、彼らが反日デモを支援することも不思議ではない。しかしたとえ貿易額が減少しても、二〇一三年の日中間は三一二五億ドルもの貿易額があり、中国にとって日本は五番目の貿易相手国であり、一年間に一六二二億ドルもの商品を日本から輸入しており、そう簡単に関係を断ち切るといって断ち切れるものでもない。これは中国ブルジョアジーの「反日意識」が基本的には利益追求という現実に支配されることを決定づけており、どっちつかずという状態だが、いったん「反日運動」が多くの労働者に拡大し、自らの利潤と利益を侵害しだしたら、資本家たちは、政府による労働者弾圧への無言あるいは背後からの支援を含む攻撃の矛先を、労働者に向けるだろう。

勝利につながる
道をあゆもう


かたや軍国主義へ向かう日本、かたや軍拡競争の烈火が点されたアジアは、中国ブルジョアジーのビッグビジネスを後押しさえする。そしてますます困難に直面する中国資本主義経済に新たな「活力」を注入するだろう。前述のように、中国の鉄鋼、船舶など重工業の過剰生産の解消を促進するかもしれない。しかし資本の歓喜は、労働者の福音には程遠いかもしれない。軍拡競争と局地的な衝突という未来は、民衆すべての子々孫々の平和と安定に暗い影をもたらすだろう。家族や子どもたちの世代のことを考えれば、誰が戦争などしたいと思うだろうか。映画「永遠のゼロ」に涙した日本の庶民たちの大多数は、戦争に巻き込まれたくないという思いを抱いており、日本政府の集団的自衛権行使の解禁にも反対し、安倍首相の辞任を要求するであろうことを、私は信じたい。
中国ではもしかしたら多くの若者が、そして日本でも望みをなくした失業青年が、轟々たる民族主義戦争に自らを投じて銃を手に取り、希望なき社会に抑圧されたはけ口もない激情を解き放ち、死と鮮血の引き換えの名誉を享受したいと願い、もしかしたら経済的安定や昇進の機会にも恵まれるかもしれず、それはなんら保障のない失業状態よりもましだと考えているかもしれない。このような特殊な社会的感情は、民族主義の喧騒と文化的誇張によって、中国や日本を問わず、社会の各階層ないしは労働者階級、特に若い労働者に浸透している。しかし歴史の一切の経験は、資本主義国家間の利益を巡る戦争のほとんどは労働者にとって不利なものであり、このような戦争が長引けば長引くほど、普通の労働者の家庭にとっては災難でしかない、ということを教えている。
戦争は死をもたらすだけでなく、インフレーションと物価の高騰をもたらし、国家は戦争状態を理由に社会の基本的自由を制限し、労働運動や一切の民衆運動の空間を圧縮する。失業者や無職者、あるいは資本をもつプチブルとは異なり、労働者は自らの現実的利益、家族や職場の仲間の集団的利益を考えるべきである。それゆえ産業労働者は、戦争を支持するという方法での反日ではなく、最も効果的な抗日、つまり待遇改善のためのストライキをもって、日本のブルジョアジーに直接打撃を与えるべきである。それは日本の軍艦を攻撃するよりも直接的であり、より効果的である。
同じように重要なことは、労働者が日本資本に抗してストライキをするときには、自らの利益の訴えを明確に提起し、うわべだけの反日宣伝によって労働者の不満を埋没させないようにすることである。すでに述べたことではあるが、「反日意識」には各種各様の、ひいては相互に衝突する階級利害が含まれており、もし我々ができる限り早急に自らの集団的利益を表明することができないのであれば、それはうわべだけの「反日情緒」に迎合した一時の激情に終わるだろう。それは、労働者が集団的行動を通じて自らの利益を勝ち取ろうとする貴重な機会を、他者に利用されたうえに、全くの徒労に終わることを繰り返すことにしかならないだろう。

二〇一四年七月四日

訳注:「中国労工通訊」の二〇一三年六月の調査レポート『中国工人運動観察報告2011―2012』にある次の一文を指している。「労務派遣と日中の釣魚島の主権をめぐる争議」として以下のように記載されている。
「労働者らは、尖閣諸島に対する日本政府の主権宣言に対する抗議だけでなく、おしなべて賃上げ要求を提起した。政治課題を通じた集団的行動は、権利を求める労働者らの意思表示のひとつの筋道となっている現実がある。深?外国商工会投資企業協会が深?市政府に提出した報告書によると、労働者らの示威やデモ行進は『愛国の訴えから賃上げの訴えに変わっており、新たな労使矛盾になっている』。以下はその報告からの抜粋である。『調査した日系企業五六社のうち一一社で社員が賃上げ要求を提出しており、調査対象企業の一九・一六%を占めている。抗議デモ事件に参加した一部の外部人員は、労働者らの賃上げをあおっている。オムロン電子部品、深?日立賽格パネル、清国科技製品廠、リコー、東芝泰格、鵬映塑料(黒田化学)、スワコー電子、富士ゼロックス、マックス電子機械などの企業で、抗議デモ事件に参加した社員が賃上げ要求を出している。』『オムロン電子部品では、三〇数人の代表が賃上げと福利厚生の引き上げを提起している。深?日立賽格パネルの社員は労働条件の改善を提起している。清国科技製品廠の社員は賃上げを要求し、賃上げに同意することで事件は収集した。リコーでの主要な要求は賃上げである。東芝泰格の社員は賃上げを要求。鵬映塑料(黒田化学)では十数人が賃上げを要求し、ストを打った。富士電機では、当月の賃金コストが三〇万元増加し、今後毎月福利コストが五万元増加する。スワコー、富士ゼロックス、マックス電子などの社員はストライキで賃上げを訴えている。』」

読書案内

大谷正 著、中公新書 860円+税

『日 清 戦 争』

近代日本初の対外戦争の実像

戦争責任を問い直すために


戦争気分浸透と
メディアの役割
今年は日清戦争から一二〇年にあたる。本書は最近の研究をもとに、六月に出版されたものだ。新書版ということもあり、とても読みやすいものだった。
清と日本が朝鮮の支配をめぐって激突した。列強の侵略によって弱体化した清が近代化に向かう日本に敗北した。そして、これを足掛かりに朝鮮の支配を固めようとする日本と南下するロシアが激突し日露戦争が起きた。このように通り一辺倒に頭の中にあった日清戦争。
本書では、朝鮮内部の開明派と攘夷派との対立への日本の介入、それへの朝鮮の抵抗闘争、開戦前夜の日本政府内部の対立や開戦後の朝鮮での戦い、中国本土での戦いを詳しく紹介している。
これにとどまらず、「第5章 戦争体験と『国民』の形成」で、Tメディアと戦争―新聞、新技術、従軍記者、U地域と戦争を扱っている。戦争にどのように日本の民衆が引き入れられたのか検証している。
戦争が始まる前、民衆は朝鮮問題に関心が薄く、政府も秘密外交を行い、戦争協力を呼びかけなかった。戦争直前の一八九四年六月から、全国各地で義勇兵運動が起こり、民間人による非正規の軍隊を組織していった。参加したのは旧士族層、国粋主義的な剣客集団、民権派、侠客(博徒)たちだ。この動きが民衆の間に戦争気分を浸透させた。徴兵制をしく政府は最初これを禁止したが、民衆のナショナリズムが国家ナショナリズムに転化していった。
戦場で大砲や食料を運ぶ軍夫は兵隊と同数ほど必要だった。膨大な軍夫の確保に行政側が苦労し義勇兵運動を利用した。兵士・軍夫の出征は村をあげて行われ、戦争が身近になっていった。東北人にとって、戊辰戦争で「敵軍」となった汚名を晴らすという意味も込められていたようだ。そして、軍人軍属の戦死者は靖国神社に祀られたが、軍夫の病死者ははずされた。東北・仙台では分け隔てなく招魂祭が行われた。
日清戦争が始まると沖縄は、清の勝利を願う黒党(中国の朝貢国としての琉球王国の伝統=社稷[しゃしょく]を守ろうとするグループ、黒頑派)と日本を守ろうとする同盟義会の動きが起こった。日本では一八八九年に徴兵令が施行されたが、遅れて一八九八年に沖縄本島に徴兵令がしかれたが徴兵忌避者が続出した。琉球処分・日本化されることに抵抗する人々が大勢いた。

日本軍による
旅順大虐殺
日本軍は朝鮮南部の東学農民軍を殲滅しながら、平壌の清軍と戦うことになる。農民軍などの死者を五万人として、日清戦争での最大の犠牲者は朝鮮で発生した可能性が強いと著者は言う。さらに、その後、旅順陥落後、日本軍が捕虜と非戦闘員(婦人や老人を含む)を無差別に殺害した事件が起きている。あまり、この事件にふれる歴史書がないという。
そこでこの問題を詳しく検証し、「日本軍の組織自体に由来する構造的な事件」としている。日清戦争終結後、台湾侵攻を行うが、台湾民衆による激しい抵抗にあった。山地住民の制圧は一九〇五年頃までかかった。当然のごとく、抵抗する人々に対する容赦のない弾圧がなされた。日清戦争の日本軍死者の過半は台湾でのことであった。

歴史的検証作業
を深めるために
最後に、明治天皇は清との戦争に納得していなかったという。それは「天皇は負けることへの恐れが大きく、先祖から連綿と受け継いだ帝位と国家を危うくする冒険策を忌避した」(『明治天皇の大日本帝国』西川誠)、とされるが、戦勝が続くにいたり積極的な姿勢に変わっていったという。
明治天皇というと軍服姿でひげをはやしたいかめしい掛け軸(子どもの頃、飾ってあった)を思い出すが意外な一面を知った。昭和天皇は第一次世界大戦後の廃虚とかしたヨーロッパを訪れ衝撃を受けたという。中国侵略戦争から太平洋戦争へと突入する時、どのような思いだったのだろうか。その戦争責任をどのように考えていたのだろうか。
もし日清戦争で日本軍が敗北していたら、もし日露戦争では日本軍が敗北していたら、朝鮮・台湾の植民地化もなかったし、中国侵略や太平洋戦争もなかった。琉球やアイヌへの支配も変わっていただろう。天皇制体制そのものがあり続けたかも分からない。それほど日清戦争は日本史・東洋史にとって重要な出来事であった。起こったことを検証する作業の重要性を教えてくれる本であった。
(滝)


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